十六、ロレンスの毒

 遥かな高みにそそり立つ岩山の上に、石造りの寺院があった。見えるのは瀑布、密林、飛び交う巨大な怪鳥、そして雄大な朝日。

 ジュジュは背の高い女性を前に、剣を携えて立っている。

「ここまで辛い修行によく耐えたな、ジュリエット」相手は背を向けたまま言った。「私も八百年生きているが、お前ほど天才的な弟子を取ったのは初めてだ。いよいよ今から辺境銀朱流の奥義を授ける」

「はい、師匠」ジュジュは厳かに答えた。「準備はできています」

「分かっているな、弟子よ。この秘儀の使用条件を」

「無論です。ジュリエットという名前の相手にしか、この技は使用できないのですね」

「そうだ」師匠は振り返って言う。「どれほどの使い手でも、そいつがジュリエットという名なら、たちどころに絶命するだろう。恐らく恒星ですらその名が付いているのであれば、あっという間に消し去ることが可能であろう。だが、それ以外の名を持つものに対してはかすり傷すら付けることは適わない。それがこの秘儀〈ロレンスの毒〉だ。お前の宿敵、ジュリエット・スパークを屠るにはこれしかあるまい」

「ええ、それは確かと言える系統の話です」

「しかし、一歩間違えばお前にもこの毒は牙を剥くだろう。なにしろ、お前もジュリエット。そしてこの私もジュリエット。縁は異なもの味なもの。では来い弟子よ。戦いの中で、お前は毒を身に付けるであろう」

 そして、二人が剣を交えたとき、すべての雲は吹き飛び、世界は沈黙した。


 ジュリエット・シャーマンは血を吐きながら遁走していた。

 あの小娘は何をした? 熱に浮かされた思考で曖昧に自問する。夜の裏路地に血を流しながら。一瞬の出来事だった。攻撃を食らってすらいない。しかし、ジュジュが剣を抜き、虚空を切った瞬間、自分の中で何かが破壊されたのを感じた。極めて致命的で、自分を自分たらしめている何かがだ。

 心拍数はバカげた早さに上り詰め、視界はどんどん黒く染まっていく。

 全身に激痛が走っている。このままでは死ぬだろう。

 空ろな視界に、わずかに一人の男が見えた。

 そいつは同じ組織の一員だったが、会いたい相手ではなかった。スフィンクスにおいて、裏切り者の〈処刑〉を担う男だからだ。

 男は骸骨の仮面を付けている。そして、巨大な剣を抜き、地面に突き刺した状態でこちらを見ていた。

「人間の肉体ってのは不安定だ」処刑者が言った。「二本足で立っているってのはね。もう一本増やす必要がある。そうして初めてオレたちは大地を踏みしめることができる。あんたら二本足は、ただ乗っかってるだけさ」

「オーガスト! あたしはまだ負けてないぜ」そんな台詞を吐こうとしたが、血で咳き込み、口にすることはできなかった。

「あんたは既に負けている、ジュリエット・シャーマン。だけどオレが手を下すつもりはないよ。よく頑張ってくれた。そしてもうじき、あの少女の毒で死ぬだろう。何か遺言はあるかな」

 と、オーガストが聞いたとき、既にジュリエット・シャーマンは絶命し、その死体には早くも腐敗が始まっていた。全身が黒ずみ、膨大な量の蝿に集られ、やがて彼女は路地裏の染みと化してしまった。

「恐ろしい毒だな、だけど幸いなのはオレはジュリエットって名前じゃないことだ。それにしても気づいているのか、連隊は。あの少女こそオレ達以上に、最大限に混沌を広める存在だってことに……まああんまし気にしてないのかな、彼らは」


 アリスは満身創痍だったが、何らかの生物の臓物を全身に浴びて酒場に帰ってきた。

 勝因をジュジュが尋ねると、一言。

「あいつは私より弱くて、私はあいつより強かったってだけだよ。あいつが何より大きいとか小さいとか関係なくね」

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