第23話

 パイプオルガン、長机、教壇、十字架。燭台。大聖堂の景色は、その空間の広さに対し、あまりにも殺風景だった。煌びやかなステンドグラスが、唯一教会の偉大さを示すように輝いていたが、その輝きはどこか空虚だ。現状の教会の権威を示しているのだとしたら、正確すぎて皮肉が効きすぎている。

 遠くで民衆の怒声が聞こえる。が、音が反響しているだけで大聖堂自体は無音だった。四人の人影があったが、呼吸音すら僅かに聞こえる。全員非常に落ち着いていた。

 しかし。一対三の形で対峙する互いの間に、ピンと張り詰めた緊張感は確かにあって。

 そう、静かさとはすなわち、嵐の前の静けさの他ならなかった。


「……、こうなることが、分かっていたんですか?」


 先に口を開いたのはスレイだった。静かな空間に似合う穏やかな口調で問う。


「分かっていたら対策を打っていた。上の出す指示の無能さはともかく、俺は俺で全力で教会を守ろうとしていたからな」

「なぜです大隊長!? 俺の知ってる貴方は! 真面目で! 堅物で! 融通が利かなくて! でも正義感に熱い人で……、腐ってた教会の中で唯一俺が尊敬出来た人で……。ッ、教会の不正に、加担するような人じゃ――、なかった……」

「フ、買い被りすぎだ。例え俺が本当に教会の不正に関わってなくても、その恩恵は授かっていたんだ。スレイ、お前は教会を辞める前から、俺を軽蔑していてよかったんだ」

「違うっ! 俺の言いたいことはそういうことじゃなくて!」


 なぜ大隊長が、教会の暗部に関わり、その不正を支えるマネをしていたのか。それが理解できず、苦しかった。金で動くような人ではないのは、スレイが一番よく知っている。理由があると思った。


「お前の言いたいことは分かる。そしてスレイ、その問いに対しての答えを、〝お前はもう持っている〟。……逆に教わりたかった。だからは俺はこうしてここでお前を待っていたんだ。もう破滅が決まった教会の中でな」


 訝しむスレイに対し、ヴォルフ大隊長は皮肉に笑いつつ、ガントレットを外した指で、自分の胸を甲冑の上から叩く。昔みたいに不甲斐ない部下に説明するような口調で話し始める。


「俺はお前と同じ頃、家族をモンスターに殺された。仇を取ってやりたかったが、三万シリカで雇われた冒険者が早々に敵のモンスターを討伐してしまってな。俺は世の理不尽さを憎んだよ。それで救いを教会に求め、怒りをテンプルナイトにクラスチェンジするための修道院試験の勉強に向けたんだ。……境遇から想像出来る程度の想いだったか、ともかく俺はテンプルナイトになれた。知っての通り、テンプルナイトへの道は狭き門だ。なれた時は、さすがに俺も世を憎しみを全て忘れて、飛んで喜んだよ」

「……」

「が、やはりお前同様、入ってから絶望した。修道院時代もちょくちょく司祭どもの不正の手伝いをさせられたけどな。それでもまさかここまで腐っていたとは思わなかった。いや、俺の時代だと、腐り始めていた、が適切か。……可能性の話になるが、俺が白羽の矢に立ち奮闘していれば、教会もここまで腐らなかったかもな」


 そこまで言って、ヴォルフ大隊長は自分の指を無意味に押し込む。

 ぐりぐりと。もう決して若くないしわがれた指で。ぐりぐりと。


「だが俺は出来なかった。……分かるかスレイ? 俺は、〝生き方を変えれなかったんだ〟。嫌なことは当然あったさ。初めて不正に直接関わった瞬間は、こんなことをしたくて教会に入ったわけじゃないと、自殺したい気持ちにすらなった。だが一晩もすれば、その胸焼くマグマのようなドロドロした感情もな、すっと冷たくなるんだよ。喉元過ぎればなんとやら、だ。……俺は、そうやって日々を過ごしていった。気づけばこんな年を取って、テンプルナイト隊長の立場に収まってた。もうその頃には、当初の想いとか、不正に対する嫌悪感とか、何も感じなくなっていた。感じないことに、疑問すら浮かばなかった。……分かるか? 分かるかスレイ? もう一度言うぞ? 俺はな。変えれなかったんだ。自分の生き方を」


 武骨な指が、今度はスレイを指した。


「だがお前は変えられた」


 枯れた声が、嫉妬に震えていた。


「嫌だと思った瞬間に、テンプルナイトの肩書をあっさりと捨てた。こんなものに価値はあるかと、ヘルムと共にアッサリと蹴り飛ばしていた。なぜだ? なぜだスレイ? テンプルナイトになるまでの道のりに、どれほどの苦労があったか。よもや俺とお前の間に違いはあるまい? なのになんでお前は、そんな……、ッ、……俺には、出来なかった……」


 どうしてか、スレイは懺悔を聞いているように感じた。ヴォルフ大隊長はこう言っている。

 ――何か劇的な事件が合ったわけではない。自然に腐っていき、自然に嫌悪感にも慣れていったと。

 ――それが当たり前なのだと。そうならなかったスレイの方が異常だと。

 悲痛な声で、そう言っていた。


「……俺は――」


 嫌だと思った。ふざけるなと思った。教会で過ごす一日一日が怖かった。ストレスで頭どうにかなりそうだった。

 おおよそ殊勝な気持ちで辞めたわけではない。辞める決意を決めた瞬間も衝動的だ。別に炊き出しに並んだ親子に同情したわけではない。今ではもう彼らの顔すら覚えてない。


「俺は、幼稚だったんだと思います」


 自分が可愛かったのだ。


「想像力も足りなくて、こらえ性もなかった」


 辞めた直後にものすごい後悔に苛まれた。宿屋で何度も悪態を付いた。


「……、でも俺の傍にはリリィがいたから……」


 ……そうだ。リリィがいたから。潰れずに済んだ。

 こうして大隊長に対し、答えを示せる立場になった。

 なら。大隊長に対する答えは、リリィが普段スレイに下している評価こそ相応しいのではないか。

 まるで天から一滴の光が落ちてきたように。明瞭な答えを得たスレイは、いつのまにか下げていた頭を持ち上げていた。


「俺は! 欲深かったんです! 嫌なことはしたくなかった! 間違えてると思ったらそう言いたかった! 生き方を変えるのだって、自分の感情に従った結果だ! 要はっ! 〝全部〟めたくなかった! チャンスが僅かにでも残っていれば! 欲深く足掻くのが俺だ!」


 スレイの叫びにヴォルフ大隊長は息を飲み、リリスは楽しそうにクスクス笑い、ノロナは尊敬の眼差しを向ける。

 三者三様の反応を示される。スレイはどの反応にも臆さなかった。

 対し、スレイと違う生き方を体現してしまったヴォルフ大隊長は、何十年分か溜めていたような、深い深いため息を付き、両肩を下げる。


「なる、ほど、な。欲か。確かに俺はあまり欲深い方じゃ、なかった、な。……ふふ、初給与を渡したとき、俺の目の前で金貨の枚数を嬉しそうに数え始めたお前を見たときは、とんでもない大物が来たと思ったが……。時々お前のバカ面に嫉妬を覚えたことがあったが、理由がやっと分かったよ。ふふふふふ」


 何か吹っ切れたように、ヴォルフ大隊長は頬肉を緩め健やかに笑った。ともすれば武装解除しそうな雰囲気だったが、しかし精悍な顔つき男は、己の切り離せない半生(大槌と大盾)をゆっくりと構える。


「分かったスレイ。ありがとう。……俺の方にもう聞きたいことはない。お前の方にももうなかったら。よかったら答え合わせをしないか?」

「ッ」

「欲深いスレイと、清貧な俺、はたしてどちらの方が強いか。生き様からくる能力はどちらが上か。生き方の清算をしよう。勝負だ」


 男は、やはりこの場においても己の生き方を変えるつもりはないようだ。正々堂々と、武骨に真面目に愚直に情けなく全く融通を効かせず、もう守る意味がない己の職務を全うする為、最後の勝負を申し込んできた。


「……隊長」


 相手の顔を見て、スレイは喉まで出かかった言葉を止めた。

 自身の過ちを認め、全てを終わらせようとしている男に、一体どんな説得の言葉がかけられようか?

 スレイは懐からキューブを取り出し、どこか八つ当たりするように思いっきりかみ砕き、体内魔力を補充する。そしてたった一言。外の状況を鑑みて、自らの葛藤をよそに的確な吐く。


「はい」


 瞬間、勝負は始まった。

 テンプルナイトは大槌をいちいち構えない。ショートソードやレイピアのように掲げてしまうと、逆に動きが阻害されてしまうからだ。自然体に下ろしたまま、握る手に力を籠める。コツンと、静かな空間に槌が床を叩く音が響いた。

 大盾の方は、体を半身斜めに傾け、肩と腕でいつでも支えらえるように突き出しておく。基本防御に趣を置いた、しかしシールドバッシュで手早く攻めにも転じられる構えだった。

 相手も同じ構えをしてきて、鉄壁すら生ぬるい、それぞれ一枚のミスリルの壁となる。

 これが基本形、獣でいうところの、いつでも相手に飛びかかる態勢が出来上がった。


「「…………」」


 痛いほどの、静寂。

 スレイの方からジリジリと近づいてく。スレイ側にしてみれば、時間をかけるメリットはなかった。知恵を巡らせる状況ではなかったし、そもそもお守りの件で思い知らされた、ヴォルフ大隊長の方がそうした駆け引きは一枚上手だ。

 そもそもテンプルナイトの戦い方において、いちいち細々とした手を持ち込む方が逆に弱くなる。圧倒的な力で相手を圧殺することこそ、テンプルナイトの本懐であり、一番実力を発揮できる戦い方だ。

 必殺技で、一撃で決めよう。自身の全力をぶつけるのが、一番ヴォルフ大隊長に勝てる見込みがある。

 スレイは全力で脳細胞を働かせ、数秒の葛藤の後、その結論に至る。

 鎧を着てない分身軽だ。大槌を振り上げながら、静寂を食い破るように走り出した。


「――トールッッッッ」


 テンプルナイトの必殺技は、


「――ハンマーーーーーーーーーッッッッッッッッッッッッッ!!」


 これしかない。

 聖魔法を大槌に付与、さらに雷の力を纏わせる。白い雷が鋭く弧を描く。

 込められた魔力は膨大、属性は二種、さらにそこに加わる大槌の質量と、スレイ自身の筋力補正。テンプルナイトだからこそ放てる様々な力を濃縮した一撃は、受け止めると思うことすら不敬、神の雷(トール・ハンマー)の名を語るに十二分な破壊力があった。

 当然迎え撃つには、同じ技を繰り出すしかない。


「トーールッ、ハンマーーーッッ!!」


 ヴォルフ大隊長も同じ必殺スキルを放ち、大聖堂にけたたましい落雷音が二つ響いた。直後、身の毛よだつ金属塊がぶつかり合う鈍い音。力と力が衝突し、付近の燭台の蝋燭が衝撃で掻き消える。空気がビリビリと振動する。


「はあああああああああああああああああああっっっっ!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


 嵐のような雷の暴風雨が吹き乱れる。周囲の金属物、例えば十字架などに落雷が乱れ落ちて火花が散った。

 はたしてどちらの方が力が上か。スレイはスパークする景色を無視して考えた。

 単純な力はスレイが上、魔力はヴォルフ大隊長、そして技を振るう技巧も向こうが上か。

 僅か差だったが、ヴォルフ大隊長の方が優勢に思え、実際、ヴォルフ大隊長が圧し始める。


「あああああああああああああああああああっっっっ!!」


 しかし。


「ふ、これは俺の負けか?」


 雷の狭間から、精悍な男の諦めた表情が垣間見える。

 スレイの首元に、キラキラ光る糸のようなものが付いていた。

 髪の毛だ。

 先ほどリリィが抱き着いたときに絡みついたものだった。

 両者の差は僅かな差だったから。

 髪の毛一本に込められていた魔力の差は決定的だった。


「――――――っあああああああ――ッッッッ!!」


 スレイは大槌を振り切る。ヴォルフ大隊長はそれこそ雷に打たれたように、眩い閃光に包まれ、巨漢をありえない速度で吹き飛ばした。フルメイルの体を壁に埋め込ませる。

 激しく動悸していた己の心臓を落ち着かせる。スレイは、血反吐で赤く染まった瓦礫に沈むヴォルフ大隊長の下に近づいていった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。……卑怯、でしたか? ……俺は、謝りませんよ」

「がはごほっっ、なにを、謝る必要がある? ここまで仲間を引き連れてきたのもお前の力だ。三人、ごほっ、同時に、掛かってきても、良かったんだぞ。むしろ、ぐ、はははっ、来なくて驚いた」

「ヴォルフ大隊長……、うぐ、すみません。今回復魔法を掛けますので」


 今にも泣き出しそうなのを堪え、スレイがキューブを食み略式回復魔法を唱え始めると、大隊長は息も絶え絶えだったが笑みを漏らした。


「謝るな。いつも、言ってるだろ、自分の言葉に責任を持てと。まった――ごほっ、ごほっ、……行け。ふー、ふー、大司祭は奥の、ふー、ふー、待機部屋にいる。お前が、終わらせろ」


 緊急処置は終わった。スレイはヴォルフ大隊長の状態に苦悶の表情を浮かべつつも、本人に諭され、後ろ髪引かれる思いを断ち切る。全てを終わらせる為、大司教のいる待機部屋に向かい、踵を返し、歩き始める。

 リリィとノロナが付いてくる。


「髪の毛、邪魔だった?」

「いや。別に。……それよりも簡単に大金持ちになる方法を思いついたんだが」

「言っておくけどリリスの髪の毛にオロバスみたいな特性はないよ。私の魔力の欠片が少し残ってただけ。それと悪魔族は人間みたいにポンポン髪伸びないよー」

「ひ、ああだからオロバスは……」


 雑談はここまでだ。礼拝などに使われる小さな小部屋前にたどり着いたスレイは、扉に手を掛けた。鍵が掛かってることを知ると、そのまま蹴破った。


「は、う、……降参だ。私は神の下にはまだ召されたくない。い、命だけは……」

「入り口を固めてるテンプルナイトに命令を掛けろ。そしたらお前の腹をゴルフボール代わりに打ち上げるのを勘弁してやる」


 ……根元から腐っていた大木が、その役割を終え崩れ落ちた瞬間だった。

 これで天から満遍なく光が降り注ぐようになる。

 開けた土壌にどんな芽が新たに息吹くか。それはこれからの話だ。どうなるかは分からない。

 だが新たな人の軌跡が始まっていく。これだけは確かだった。

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