第12話

 木々が生えていなければ地滑りでも起きていそうな急な斜面を下っていると、ふとした瞬間足が宙を浮き、森から飛び出した。

 スレイ達は、土の粒子が細かく均された固い地面の上に着地する。今までと打って変わり、景色が開け、大陸の裂け目を表す断崖絶壁と、その真上に浮かぶ太陽が一望できた。時刻はちょうど昼ごろだった。


「どうでもいい知識だけど。昔は隣大陸と石橋一つで手軽に繋がってたらしいぞ。だから町を出たばかりの冒険初心者が、間違って隣大陸に渡っちゃって、凶悪モンスターにぶっ殺される事故が普通に多発してたらしい」

「ホンマにどうでもいい知識やな」


 スレイは前を向く。道先は森の端に沿う形で、かなりゆったりとしたカーブの坂道が続いていた。視界の左半分を占領する森越しに、焚火を起こしたような細い煙がいくつか見える。耳を澄ますと谷底を流れる水の音の他に、人の悲鳴やモンスターの雄たけびも微かに聞こえた。


「大雑把に森を南下してきたけど……。大分近いところに出たみたいやな」


 スレイ達はなだらかな坂を駆けだす。

 カーブ道は景色の変化が穏やかだ。まるでスレイの心臓の鼓動に呼応するように、徐々に徐々に血の臭いが漂い始め、騒乱喧騒の発生地が見えてくる。

 そして地面の上にチラホラと人の遺体や荷物が散見してくると、残りの変化は一瞬だった。

 戦争が起きていた。

 モルガンの連中とコボルト。両者が、先のアンデット対コボルトの争いを、十倍大きくしたような規模で、敵味方入り乱れて剣を交じり合わせていた。

 やはりコボルト達は、スレイの予想通り、道が狭まり始める所で待ち構えていたみたいだ。先頭荷馬車数台がその道に封をする形でなぎ倒され、火を噴きあげ炎上している。

 おかげで後列車は立ち往生してしまい、今やコボルト達にとって最高に使い勝手が良い地形と化していた。コボルト達は停車した馬車を遮蔽物にみたて、上に乗ったり下に隠れるなどし、その荷馬車の間で必死に剣を振り回しているだけのモルガン商会の連中を各個撃破していた。

 スレイ達は各々武器や盾を構え、その酷い乱戦に突入する前の最後の会話をする。


「へッ! コボルトってのはこんなに組織的に動けたのか。今まで三、四匹だけでお行儀よく真正面からぶつかってきてたのが嘘みたいだな!」

「しかし敵さん、明らかに数が少ないで! やっぱり砦で大分消耗したみたいやな!」

「あれが全軍だとしたら、コボルトの戦術が大分見えてくるな。やつら戦術は基本消耗戦だ」

「せ、戦術って言えるのそれ? で、言えたとして対抗策は?」

「ノロナ、さっきみたいに大量のアンデットを呼び出してくれ! 他の連中は先行してスキルや魔法をぶっ放してくれ! ともかく敵の数を減らすんだ!」

「おいっ! テメェがなんで指揮してるんだ!?」

「アホ! 文句言っとる場合か! でも兄ちゃん、スキルをいきなり使ってええんか!?」


 スキルや魔法は、キューブの消費を強いられる実質回数制限アリの必殺技だ。

 基本的な戦略の組み立て方としては、やはり温存してここぞというときに使うのが一番だ。先にバカスカ使ってしまうと、一番初めの森の行軍のときのように、後から応用を利かせられない事態に陥る。

 だがしかし、スレイは躊躇するつもりは毛頭なかった。


「いいから! ほら早く! 味方に当てないように繊細に! でも一気に落ち着いててててて――テッ!? し、舌噛んだ!?」

「なんかスレイの方がノロナちゃんみたいに焦ってない!?」

「し、しょれは! ――ッ」 


 『ランチェスターの第二法則』というものがある。

 限りなく簡単に説明すると『広域戦闘時における大規模戦とは、数の二乗差がそのまま戦果の差になる』というものである。

 数字で表すと分かりやすいかも知れない。

 例えば100対100で争いが起きた場合、どちらが勝ったとしても、生き残りは数名程度になるのは想像に難くないだろう(この場合、両軍とも士気は同等で、撤退や敵前逃亡は考慮しないものとする)。

 では100対50の場合はどうなるか? 単純に100-50で、100側が50人生き残る結果になると思うかも知れないが、実際は違う。この場合は100側が大勝する。もしかしたら20名も死なずに50側を駆逐できるかもしれない。

 この〝差〟が、戦う総数が増えるにつれ、二乗差で増加すると言っているのだ。


(本来この法則は、あくまで弓やマスケット銃を使った遠距離戦の場合のみ当てはまる! けど!)


 スレイは憂う。コボルトを片道切符の〝鉄砲玉〟に見立てると、この法則が当てはまってしまうのではないかと。つまりはコボルト自身が矢であり銃弾なのだ。

 その場合見立ての戦力比は300対50くらいか。50側が負けるのは法則関係なく当然だが、その負け方がしゃれにならなくなる。比較的早い段階で瓦解し、壊走する羽目になるだろう。そしてこの道だ。逃げたところで全滅は免れない。

 だからスレイは一番初めにスキルや魔法を放つことにしたのだ。

 しかしこんな理屈をいちいち口で説明する暇はないので。


「俺はいけ好かないエリート様だからな! 《戦術論Ⅰ》も習ってるんだよ! ほらこれで理屈は十分だろ!? ほら早く早く早く早くッ!」

「テンプルナイトになるのに《戦術論Ⅰ》って必要だったっけ?」

「……、必要ないけど。ええいっ、でもここが〝使い所〟だと俺は思ったんだッ! 責任は俺が持つから! だからみんな! この初動で全力を出してくれ! 頼むからっっ!!」


 ここでさっくりと嘘を付けないのがスレイの人の良さだ。

 しかしそんなスレイが責任を持つとまで言い切ったのだ。その覚悟がカネカ達にも伝わり、全員の意思が統一された。


「イマジネーション・イフリィ~~トッ、――ファイアーッ!」「地裂破ッ!」「うーんと、『戦いのロンド』をしながらの連続切り・烈風ッ!」


 実力者数十名の渾身の一撃が、味方にまず誤爆しない森側の地表を撫でた。敵コボルトの弓隊やら後詰部隊やらが、地面ごとえぐり取られる。

 こっちにまで飛び散ってきた土塊を、スレイは大盾で防ぎつつ、目を細める。

 戦果を見て、やはり自分の考えは間違っていなかったと確信できた。……それに、


(スキル、魔法、……〝魔力〟を使った〝魔技〟は……)


 やはり素晴らしい。魔技だけはなんの法則にも先例にも当てはまらない。個々の力が二倍にも三倍にも増加し、絶対の勝利も免れない敗北もなくなる。分からなくなる。

 決まりかけていた戦況が弛んだ。コボルト達も大混乱に陥り、もはや醜態という点では人と相違なくなる。

 むしろスレイ達の援軍に気付いたモルガン側が、士気という点では勝り始めていたかもしれない。


「――アンデット・サササアモン! スレイさん! ひひ、詠唱完了しました!」

「これで数は足りた! 一気に詰めるぞ! 俺に続けっーーっ!」


 神にも等しい援軍に、モルガンの連中が割れるような大歓声を上げる。

 先陣を切ったスレイは大歓声を一身に受け、乱戦の中に突入した。後ろに従えるは腕利きの冒険者達と、大量のアンデット集団だ。もはや大盾と大槌のみになったが、テンプルナイトが死者の集団を従えてる姿は、なかなかに恐ろしく笑えなかった。


「ノロナ! 俺の指示通りにアンデットを操作してくれ! それと俺の近くから絶対に離れるなよ!」


 スレイは味方とアンデットに指示を出しつつ、ノロナを守り、ついで己がテンプルナイトの力を如何なく発揮する。大槌を振りかざし薙ぎ払う。


「は! どうしたコボルト共ッ!? 防具なしのテンプルナイト一人倒せないのか!?」


 テンプルナイトの進軍は他の冒険者と質が違った。敵陣をずんずん食い破っていき、真正面から我が物顔で暴れる。アリと巨像の戦いがそこにあった。まともに真正面からぶつかり合ったら、どんなに数がいようとコボルト側がアウトだ。束になり攻撃を仕掛けたところで面積の広い大盾であっさり防がれるし、大槌の質量に任せた一凪は、安い剣やコボルトの素材にすらならない粗末な爪では絶対に防ぐことは叶わなかった。

 百八十度正面はスレイの領域だ。では当然脇からなんとか隙を突こうとするのが、モンスター、人関わらず当然の心理だと思うが、


「言っちゃ悪いがな。コボルト如きに隙を突かれるほど俺は弱くないんだよ」


 スレイはアンデットを死角に配置するように動かしていたし、死角以外から左右挟まれた場合でも、すかさず先に行動を起こし、片方をつぶし状況的に〝積む〟のを巧みに避けていた。


「左右同時攻撃って、残った方が可哀想だよな。絶望の顔には憐憫の感情を感じずにはいられないね」


 今までもそうだが、スレイはどんな状況に陥っても、まず混乱しない。

 並列処理が得意だった。エリートだから頭が回るのだ。その都度、その都度、的確な判断を即決で下し、結果を出していく。

 スレイの本質的な強さは、テンプルナイトというクラスではなく、〝テンプルナイトにクラスチェンジ出来る本人のスペック〟だった。


「負傷者は俺の傍に来い! 回復してやる! 動けないほど重症の奴は声を上げ続けろ! 悲鳴が聞こえる内は絶対に回収してやる!」


 恐ろしい、と、助けた味方からそんな言葉が漏れ出たが、褒め言葉だ。


「たくよ! お前が味方でつくづくよかったと思うね! 攻撃も防御も回復も完璧ときた! なんだテメェに弱点はないのか!? 誰もテメェを止められねぇよ!」


 そういうことだ。スレイの近くで斧を振るっていたロイドは半ばあきれたように笑っていた。


「悔しがるならもっとツンデ――、いやなんでもない! 増長させるなよ! テンプルナイトにも弱点はあるんだ! 一撃が重い分、動きが鈍重になるって弱点がな! ……にしても、なんか異様に力が発揮できてるな?」


 コボルトの集団が飛びかかってきたので大盾で弾いてやった。コボルトはボールかなにかのように弾き飛んでいった。大盾は一切傷つかず、鈍い銀の輝きを誇示したままだ。


「リリィのおかげか」


 明らかに自分だけの力ではない。ここまでスレイが強かったのは、どうもリリィの踊り効果が乗っていたおかげもあったようだ。


「さぁさぁさぁさぁ! みんなもっと頑張って! 生こそ最大の歓び! どんな欲望も生きてるからこそ! 皆で帰って葡萄酒をあおろう! きっと滅茶苦茶美味しいよーーーッッッ!!」


 というよりリリィの踊り効果が味方全体に波及し、すごいことになっている。カネカやロイド達も傍目から見たらかなり大活躍していた。

 スレイは首をおざなりに振りつつ、口端から少しさびしい息を漏らした。わずかな無念さと共に安堵する。謙遜しつつ、じつはちょっぴり増長していたのだ。口に出さなくてよかったなと。


「スススレイさん! ひひ! だいたい乱戦の中心部に来ました! がるるっ、このあとは!?」

「前線を構築するぞ! 負傷者を後ろに! 戦える者は協力して、まず自分たちの間にいるコボルトを殲滅しろ! その後は俺の位置まで集まってこい!」

「「「おおおおおおおおおおっっっっっ!!」」」


 スレイが、戦場を構築していく。敵味方乱れていた戦場に、ある種の秩序だった流れが出来上がってく。こうなってくると指揮官の差が如実に出てくる。もはやスレイ達側が圧倒的に優勢だった。

 明確な評価など下せるはずはないが、スレイはこのままいけば勝てると確信する。戦場の機運を風と共に全身で感じ取っており、今やスレイの五感は戦場全体を俯瞰していた。

(……)

 こちらが勝てる。そう考えると……、敵はどうする?

 決まっている。〝こうなった原因〟を取り除こうとしてくるはずだ。

 スレイは大槌を振るい続けつつ耳を澄まし、様々な音に飾られた戦場の音の中から、コボルト種の声だけを聞き取ることに集中した。わずかな濁音が聞こえる。コボルトの言葉の意味など分かるはずがないが、スレイはその濁音が力強く途切れた瞬間に、地面を思いっきり蹴り上げ、横に飛んだ。

 スレイのいた位置に、雷の矢が落ちてくる。完璧に避けたつもりだったが、防具を脱ぎ捨てた弊害か、スレイは左太ももに僅かな痺れと痛みを感じた。

 それでも焼けたナイフを押し当てられた程度の痛みだ。もう走れないが、笑う余裕すらあった。


「よう」


 命が散り乱れる戦場の真っ只中、まるで運命か何かに惹かれあったかのように互いの視線が通る。スレイは雷の矢が落ちてきた射線上の先を見つめ、顔に歪みに歪んだ笑みを浮かべた。


「お前の詠唱は汚いな。うちの可愛いネクロマンサーとは大違いだ」


 ボスコボルトを真っ直ぐ見据えながら、威嚇するように大槌を地面に振り下ろす。傍にいたリリィにノロナを任せ、スレイは大槌をそのままずりずりと引きずりながら、ボスコボルトの方に歩を進める。

 ずりずり、ずりずり、徐々に、徐々に。


「なんかムカつくんだよなお前。なんでだろうな?」


 ボスコボルトは、よもや完璧な一撃が避けられるとは思っていなかったのか、しわがれた全身に鳥肌を浮き立たせ驚愕していた。慌て周囲の手下コボルトをスレイにけしかけ、自身はまた魔法の再詠唱を始める。

 それを見てスレイははたと気づいた。


「ああ分かった! お前はアイツにそっくりなんだ!」


 スレイはけしかけられた部下を一薙ぎで払った。直後、雷の矢が飛んできたが大盾で防ぐ。そのまま大盾を手放すことで痺れを回避した。大槌のみになってもスレイの歩幅は変わらない。


「二段腹で、そうやって部下に指示だけとばして、自分はくっちゃくっちゃと贅沢三昧で――」


 ボスコボルトは腰の布まきにキューブを貯めこんでいて、片手で鷲掴みに贅沢に貪り食っていた。対しスレイは、キューブは全て味方の回復に使ってしまった。手元にもう一つも残ってない。


「あまつさえその指示がクソみたいな指示でよ。聞いてるこっちはいっつも尻拭いに追われて……ぶつぶつ」


 ボスコボルトは無意味に部下をけしかけるのを止めない。スレイはまた突っ込んできた特攻隊を払った後、大槌を軽く前方に放った。雷の矢は大槌に落ちた。

 スレイは両手が手ぶらになった。

 しかし距離はもう十二分に詰めることが出来た。ボスコボルトの老犬のような顔に、自分の影を下ろす。

 今さらボスコボルトは逃げ出そうとしていたが、もう遅い。


「その判断をお前は一発目を避けられた時点でするべきだった。――ああっ! その決断の鈍さもそっくりだな! そうだ! 二段腹で、無能で、なのに利益はちゃっかり食らって偉そうにふんぞり返ってるお前はっっっ!」


 スレイは〝今まで〟の怒りを込め、キツク握った拳を振り下ろす。



「俺の元職場にいたクソ司教様にそっくりなんだよぉぉぉぉっっっっ!! そのしわがれたしかめっ面あわせてなぁぁあああああっっっっっ!!」


 

 理不尽といえば理不尽だが、同情を掛ける相手ではない。そしてささやかな幸運か、ボスコボルトは人の言葉を解さなかった。ただ人族の怒りだけを感じ取り、必死に逃げようとしていたボスコボルトの顔面を、スレイは右手で思いっきり殴った。普段は鋼鉄並に重いミスリル製の大槌を軽く振り回している右手で、だ。

 風切音が聞こえた気がする。あまりにも強烈な一打に、ボスコボルトは地面に叩きつけられた後も二三度跳ねていた。

 それで終わりだ。もうボスコボルトは動かない。テンプルナイトのスレイは、仮にモンスターで例えるなら人種の最上位種だ。ボスコボルト――どんな力を貰ったが知らないが、所詮清流の森に住まうノーマルコボルトに、一発を耐えられる道理はない。そんなに世界は甘くない。


「……………」


 指導者の死はコボルト間に速やかに伝播する。戦場がまるで時間が停止したような異様な静寂に包まれた。カランと、一匹のコボルトが剣を手放す音がやけに響く。


「ぎ、ぎぎぎ、ぎゃぎゃぎゃぎゃっっっ」


 一匹が森に逃げ出すと、あとは潮を引くように他のコボルト達も一斉に森に逃げ出し始める。クモの子を散らすとはこのことだろう。残されたモルガン側は、追撃を掛ける意義も余裕もなく、初めは全員ぽかんとしていたが、やはりこちらも一人が歓声を上げると、


「うおおおおおおっ!! やった! やったぞーーーーっっっっっっ!!」


 全員が雄たけびを上げ始め、歓喜の渦に包まれた。


「ありがとう! ありがとうっ! ああっ神よ! まさか祈った途端テンプルナイト様を寄越してくれるとは! 教会にもまだ慈悲はあったのか! いや分かってるぞ。言葉だけの感謝をするつもりはない! 教会にはこれからも賄賂を、いやお布施を納めさせてもらう!」


 モルガンの商会のトップ――名はアルビトと言ったか、恰幅のいいおっさんがスレイの足に抱き着いてきて、咽び泣いた顔を押し付けてくる。

 スレイは怪我した足を庇いつつ、懸命にもう片方の足をもがかせて引っこ抜いた。


「謝礼は直接俺にくれ。頼むから教会になんか納めるなよ。そ、それと勘違いするなよ! 俺達は別に、お、お前達を助けに来たわけじゃないんだからな!? 悪魔族を追いかけてきただけなんだからな!?」

「なんやそれ」


 乱戦が終わり、周りの殆どが喜びつつも心労がたたった顔をしていたが、カネカはそれらに比べると、まだ大分涼しい顔をしていた。近づいてきてすかさずツッコミを入れてきたのはさすがだ。


「事実だろ。俺たちの戦いはまだ終わっちゃいない。悪魔はどこ――」


 その時。

 ずしん、ずしんと、大地を揺るがす大音量の足音が響いてきて、スレイは思わず来た道を振り返った。

 緩やかな坂の先に、くすんだ色の岩が見えた。一見岩は坂道を転げ落ちているように見えたが、逆だ。明確な意思を持って、足音を響かせ、人型を模した岩は坂を上ってきていた。

 米粒ほどだった影は、すぐに頭上の太陽を覆い隠すほど大きくなる。

 千年の風合いを称えた岩に、スレイは思わず額に手を押し当て、半ば呆れるように嘆いてしまう。「まじかよ」と。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」


 《サウザンド・ゴーレム》はスレイを見つけ、両手を掲げて殊更大きな怒声を上げた。空気が振動し、スレイの汗でしっとりとまとまっていた髪が僅かに揺れる。


「えー、いやさ、自分でまいた種だけど。ここでお前かよ……」


 因果応報という言葉を思い出し、スレイはこの世に本当に神がいるんじゃないかと訝しむ。

 自分で言った通り、戦いはまだ終わってなんかいなかったのだ。スレイは足を引きずりつつ、手放した大盾と大槌を拾い集め、満身創痍ながらも道の真ん中に立った。

 言わぬが花だ。一目散に足元から逃げ出したアルビト含め、荷馬車の連中が逃げ出すまで時間を稼ぐ覚悟を決める。


「スレイ~、そこまでする必要はないんじゃない?」

「ススススレイさん! ひひ! 無理ですよ! 引きましょうよ! もももうキューブだってないんですよっ!?」

「これが俺のやりたい事だ」


 盾と槌の感触を確認しながらスレイは笑う。火照って興奮冷めあがらぬ体は、異様な浮遊感に包まれていた。背筋を走る感覚は、形容しがたい幸福感だと、口端から笑みを零して遅れて気づく。


「いいよな。冒険者って! 退屈になる暇がない! しかもやりたい事を自分で選べる! ムカつく奴は殴れるし、勝ち目の薄い戦いだって自分がやりたいと思ったら挑戦できる! テンプルナイトを続けてたら、こんな解放感、絶対味わえなかった!」


 隣大陸のモンスターはコボルトと比べ物にならないぐらい強力だ。キューブがある状態ですら勝てるかどうか怪しい。

 だがスレイはそれでも動かない。ささやかな打算があった。これで勝てば、さらにモルガンの連中からたっぷり謝礼をせしめることが出来るという打算が。もしかしなくとも自作自演になるかもしれないが、そんなの言わなければバレやしない。

 スレイはテンプルナイトの矜持を発揮し、大盾を正しく地面から直角に構え、背後を守るように毅然と立つ。そして、ふと思う。

 もしかしたら自分は、こんな感じに〝誰かを守る〟行為がしたくて。

 テンプルナイトになったのかもしれない。

 在りし日の純粋な自分の姿を思い出した。


「スレイ? 死ぬ気? それは駄目だよ」

「ひひ。そそその通りです! わわわわたしが! 言えるセリフでは! がるる! ありませんが!」


 リリィとノロナがすかさずスレイの横に並んできた。


「ま、乗りかかった船やさかい。死ぬまで協力はせーへんけど、多少は力を貸したるわ」


 カネカやロイド含めた一緒に森を駆け抜けた一団が、明確な距離を置きながらも逃げ出さずに残ってくれる。

 ありがたいと、腹底から湧いてきた感謝の気持ちに釣られるように、スレイの心情は少し変化する。ややもこれで終わりだと燃え尽き症候群に掛かっていた心が、また新たな欲求を抱き始めた。

 もっともっとこの冒険者という職業を続けたい。

 スレイはふつふつと湧き上がってくる感情を抑えられない。


「スレイ、いい顔してるね!」

「歪んだ笑みを作ってると思うけどな! ……ふー、さて。どうするかな」


 悩む時間はなかったし、スレイの脳細胞はそれほど葛藤することなく、ある一つの最適解を導き出した。


「リリィ、俺と一緒に来てくれ。それでカネカ達、俺が奴の腕を吹き飛ばすから、奴がバランスを崩した瞬間に足元に攻撃を頼む。崖に落とすんだ」

「すすすすすすれいさん! わわわわわたしは!? なにをやれば!?」

「ない」

「ひひひひひひひひひひひひひひひひ!?」


 ノロナはビックリ仰天。まるで電撃魔法を受けたように背筋をピンと伸ばし、この世の終わりのような顔をした。

 スレイはノロナの頭に手をやり、真っ直ぐに伸びた耳を弄りながら、優しい口調で言う。


「適材適所ってやつだよ。ノロナは今まですっごい役に立ってくれたからな。一回休みだ」

「しゅ、しゅれいしゃん……、んぐ、わわわわかりました! や、やくただずのわたしは、がるるう、ひっこんでます!」


 悲しく言うが劣等感はそれほど感じない。ノロナは間違いなく今までスレイの役に立っていて、それがノロナの自信に繋がっていた。

 スレイは自分よりわずかに年下の少女の成長を愛しみつつ、前を向き直した。横に並んだリリィと共にゴーレムの巨体を見上げる。でかい。もはや見上げ続ける気力すら奪われる。首の後ろが早くも痛くなってきた。

 戦いの合図はゴーレムの雄たけびだ。スレイとリリィは散開して、まずはゴーレムを左右から挟んだ。大声で言葉を交わし合う。


「んで~、スレイ~、どうするの?」

「以前大隊長から教わった『裏技』を使う! いいかリリィ! 適当に敵の攻撃を回避して、その後――」


 大分博打になるスレイの発言に、リリィの陽気な返事もさすがに上ずる。


「それってさー、私もスレイも大分きつくない?」

「でも他に手は思いつかない! おらエリート様の提案だ! 文句あんのか!」

「きゃ、余裕ない男って最低! でもそんなギリギリで頑張ってるスレイは好き!」


 リリィは踊っているときと相違ない、しなやかな動きでゴーレムの剛腕を避けながら言う。

 スレイは惜しげもなくさらされた健脚美を眺めながら、今度は自分に向かって伸びてきたゴーレムの腕を、下半身の動きだけでなんとか避けた。追撃が入っていれば死は免れない不様な避け方だったが、リリィがゴーレムにちょっかいをかけて気を引いてくれたおかげで助かる。

 スレイはゴーレムの脳筋具合をバカにしつつリリィにお礼を言おうとしたが、口を開けたところで、ゴーレムの腕が巨大な振り子のように振られてきたので、咄嗟の回避に専念する。膝を曲げて地面にへばり付くように避けたが、鎧を脱いでなければ絶対に不可能な避け方だった。危うく地面とキスしそうになり、いろいろ言おうとしていた口からは安堵の溜息しか漏れなかった。


(っち、たしかにテンプルナイトは強いけどよ!)


 テンプルナイトは。ありとあらゆる技術を持って『力技』を振るうクラスだ。

 スレイは今までずっと片手で何気なく大槌を振るっていたが、それだって見えない技術の塊であり、少なからず鍛錬を積んで習得したものだ。テンプルナイトにクラスチェンジしたあの日から、頼みもしないのに大隊長にみっちり教え込まれてきた。


(大槌を振るう場合は、相手を正面に捉え、軸足を半歩前に。体の捻りを意識して重心は決してずらさないこと。クソがっ、言われてすぐできれば苦労はしないんだよ! 怒られる度に大隊長に『禿ろ!』って毒づいてたけどお互いさま――、て、そんなのどうでもよくて!)


 大隊長から教わった裏技を使うからって、大隊長との思い出を振り返る必要はない。どうせ走馬灯を見るならリリィとの思い出がいいと、スレイは首を振るう。

 要はゴーレムとスレイの相性は最悪ということだ。向こうは技術なんていらない。持って生まれた力を振るうだけで、スレイの何倍も強いパワーを生み出す。質量の暴力に晒される理不尽を、スレイは今さらながら実体験する。

 そんな暴力の塊である《サウザンド・ゴーレム》に、『技巧の力技』で対抗しなくてはならない。

 よってスレイはまず相手を疲労させ、体力を奪うことにした。力関係の差を拮抗とまではいかなくとも、ある程度縮めておかなければ、布石もなにも打てないからだ。たったそれだけの為に、自分とリリィの身体を危険に晒し続け、ゴーレムに攻撃の空振りを誘発させ続ける。


「ああもう、ゴーレムは腕を振るうだけで風魔法を連発してきやがるぞ!? 風圧だけで殺される! リリィ! 真面目に他に妙案は思い浮かばないか!?」

「スレイ、なさけな~~い」


 どうやら続けるしかないようだ。何度目か、スレイは敵の石壁が迫りくるようなパンチを避け、ぶぶわと風圧に唇を震わせる。

 そんな調子に時々リリィのフォローを貰いながら、スレイはギリギリの綱渡りを成立させ続ける。……そして頃合いを見計らい、ついに言った。


「もう十分だ! そろそろ賭けを実行に移す! リリィ、今までありがとな!」

「お願いッ! 死なないでスレイ!」

「柄にもない変な言い方するな!? 縁起でもない!」

「あいあい。……スレイ、死なないって信じてるから。だから私はさっぱりとした態度を崩さないよ」


 リリィは戦線を離脱しがてら、水が入ったスキットルを投げ渡してくる。

 スレイは受け取り最後の水分補給をし、スキットルを後ろに放った。一対一で《サウザンド・ゴーレム》と対峙する。

 無機質な目にごくりと息を飲んだ。スレイは感覚を研ぎ澄ませ続け、もはや明確に目標を一人に定めたゴーレムの攻撃を避け続ける。もうリリィのフォローは入らない。ひりひりと神経が焼き切れるような感覚を、スレイは絶え間なくこれでもかと堪能する。

 はたしてそのタイミングは来た。

 ゴーレムは握り拳を作り、片腕を持ち上げた。スレイの肩幅以上ある腕が、その自重だけを頼りに振り下ろされてくる。

 今まで回避に専念していたスレイは、自分の感覚を信じ、ここで一気に〝防御〟に意識を切り替えた。もはや頭上を覆う巨大な黒い太陽にしか見えなかったゴーレムの腕を、瞬きすることなくしっかり見据える。


「おらッッ、力と力の勝負だ! エリートの俺にゴーレム如きが勝てるかな!?」


 スレイは大盾を斜めに構え、ゴーレムの一打を受け止める姿勢を示す。

 普通に考えれば。人族のスレイにゴーレムの一撃を受け止められる道理はない。

 しかしスレイは守備に絶対的な趣を置いたテンプルナイトだ。防御に構えた大盾は、教会の権威に掛けて一切傷つくことを許されなかったミスリル製の特注品だった。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!」


だが悲しいかな、盾がどんなに強くとも、やはり結果は変わらないだろう。盾が傷つかなくとも支える土台が弱いのだ。スレイが大盾ごと潰されるのが目に見えている。

 そしてそんなことはスレイも当然分かっており。

 だからこれから〝ある細工〟をすることが賭けであって。

 必然的な勝利ではなく、それが、力と『技巧の力』の勝負になることを理解した上での宣言だった。


「――ッ!!」


 ゴチン、と、いつまでも耳に残るにぶいにぶい音がした。鉛玉を地面の上に落としたときに響く音を、何倍も強烈にしたような音だ。

 受け止めた。やはりテンプルナイトご自慢のミスリル製の大盾は歪まない。ゴーレムの一撃にも耐えきる。

 そして驚くべきことに……、後に、人が潰れる音が続かない。


「は、さすが」


 斜めに傾いたままの大盾の中から、スレイの声は響いた。ぼそりと、徒労感に満ちていた声ではあったが、それでもゴーレムの一撃を受け止めたにしては、異様なまでに余裕がある声だった。


「オオオオオオオオオオオオオオ!?」


 ゴーレムは自身の攻撃の衝撃力に負けて、腕を崩壊させる。そのボロボロと崩れる自らの腕と、むくりと起き上がったスレイを信じられないようなものを見る目で見比べ、かつてないほど掠れた声で咆哮する。


「人語は分からないと思うけど、一応ネタばらしだ。なぁに単純な話だよ。大盾は別に俺一人の力で支えたわけじゃない。中に突っ張り棒を忍ばせておいただけだ」


 それはさながら突上げ戸を支える棒のように。

スレイは大盾の中から大槌を取り出し見せた。

 大槌。これもまたミスリルの特注品で、神の鉄槌を表現し、教会の威信にかけて折れ曲がってはいけないものだった。


「敵の攻撃を受け止めて、その衝撃力を持って敵を粉砕する。『カウンター防御』っていうスキルだ。だけど今回は〝魔力なし、プラス突っ張り棒を使わせて〟もらった。……テンプルナイトは教会の象徴そのものだ。こんなへっぴり腰になって盾の中に隠れるなんて、なんにせよ使用ご法度スキルなんだけどな」


 大槌を日用品か何かのように使うだけでも、かなり不味い。裏技というのは、つまりはそういうことだ。「テンプルナイトに怯えはない。どんな攻撃に晒されても、決して膝をついてはならない」というのは、お堅いヴォルフ大隊長の談。このスキルもスレイは一応知識として知っていただけで、一度も使ったことがなかった。


「だけど俺はもう冒険者だ。教会の威厳なんて知るか。NGスキルなんてないし、大槌もゴルフだろうが突っ張り棒だろうが、好きに使わせてもらう。は、ミスリル製の装備の勝利だな!」


 しかしそうはいってもスキル効果発動なしに、大盾で正確無比にゴーレムの一撃を受け止めたのは、紛れもなくスレイの力量であり驚嘆すべき技術だった。ゴーレムの力の分散具合が、少しでも均等よりズレていたら、やはりスレイは潰されていただろう。

 テンプルナイトの大盾を使いこなし、かつ自分の発想、実力を信じ切っていたからこそ得られた勝利。〝スキル効果発動なしのスキル〟。スレイはどこまでも自分のエリートを自覚する。


「オオオオオオオオアアアアアアアアアアアア!?」


 スレイの勝ち誇った声はどこまでゴーレムの耳に届いていただろうか。腕を崩壊させバランスを崩した時点で、ゴーレムはカネカ達の追撃を受け、渓谷に追い立てられていた。

 そして足元を突き崩され、今まで散々頼りにしてきた自らの重みによって、谷底まで真っ逆さまに落下する。途切れる野太い咆哮と岩が砕ける音が生々しくて、スレイはゴーレムが絶命する瞬間を、見なくともありありと想像出来てしまった。


「……マズイ、エリートエリート言い過ぎて、だんだんこの言い訳で自分を誤魔化せなくなってきた……。あ~~~~、死ぬかと思った! た、助かった~~~」


 怪我していた足を庇うようにへタレこむと、リリィが首に抱き着いてきて、きゃーきゃーと綺麗な声をもったいないぐらい弾けさせてくる。谷底を覗きこみゴーレムの最期をしっかりと見届けたカネカ達も「お疲れさん」と近寄ってきて、スレイに対し今まで見た事もない尊敬した眼差しを向けてきた。そして最後におずおずとやってきたノロナが……、


「あうあうあう、ししししし死ぬかと思いました! 見てるこっちが!」


 手を、ご苦労様でしたと言わんばかりに劣等感なく差し伸ばしてきた。


「……、」


 気が抜けてたのと、ノロナの変化が嬉しいのがあった。スレイはノロナの手を取り、試しに全体重を預け立ち上がろうとしてみる。


「ひぅ!? がががががががるるるるるるるるるるうっ!?」


 ノロナは顔を真っ赤にして歯を食いしばり、必死に必死にスレイのことを支えてくれた。スレイは見事、片腕だけで立ち上がる。

 そこで終わってれば、まぁノロナの成長が垣間見えて拍手喝さいの場面だったが、スレイが立ち上がり終わると同時にノロナはきゅ~と目を回し、器用に崖から落ちようとしていた。結果最後にスレイが助け、ノロナは相変わらずというオチがついてしまう。

 ……ゆったりと太陽が地平線に埋まり始める。

 焼けた光に、各々のやり遂げた笑顔が映る。何も得られなかったが。それでも得たモノはあったと。笑って帰路に付く場面だっただろうか。

 誰かがふと笑みを零す前に、ぱちぱちぱちと、随分タイミングを外した拍手が起きた。


「誰?」 


 カネカが音がした方に向いてツッコミを入れるが、誰も答えない。

 事実、彼とは、スレイ達は誰一人面識がなかった。

 スレイはカネカに遅れて、いつの間にか道端に佇んでいた少年に目を向ける。


「カッコよかった。見てて思い出したよ。君みたいな人間がやっぱり僕らは大好きなんだって」


 蠱惑的な瞳に冒険者一団を映していた少年は、遠目からでも分かる異様な美しさを称えていた。腰回り以外は女性そのもの、金に染まった髪の毛など肩にまで掛かっており、小麦に覆われた大地のような素晴らしい色合いを放っていた。

 男女問わず喉を鳴らしてしまう、人外の美を纏ったおぞましい美少年。

 外見から得れた情報はそれだけだったか。やはりスレイが一番先に反応する。


「お前は……、もしかして……、悪魔か?」


 少年が流麗な目元を細め、事もなし気に頷いたので、スレイを除いた全員が驚いた。


「えっ? 悪魔族ってこんなコンパチなん!? まるでエルフと人間の中間のような……、もっと角とか尻尾とか生えとるかと思ったわ」

「そういうのもいるけど。大概は人族と変わらない姿をしてるよ。何せ僕らは、人族の『隣人』だからね。警戒心を抱かせる見た目はしてないよ」

「参考になるなー。それで『お伽噺の悪魔』ちゃん。ウチもアンタに誑かされにきたんやけど。願いを言えば、どんな願いも叶えてくれんのやろ?」


 瞳に金マークを浮かべて馴れ馴れしく悪魔に近づいていくカネカだが、演技だ。スレイの位置からは、カネカがちゃっかりと腰に忍ばせているダガーに手を伸ばしているのが見えた。

 対応に間違いはない。あの少年は、立ち位置的に今までモルガンの連中の中に紛れ潜んでいた可能性が高い。コボルトに襲われても一切正体を明かさず手助けしなかったあたり、隣人と言っても、隣家から悲鳴が聞こえたら好奇心優先に耳を澄ますタイプの隣人だ。警戒するに越したことはない。


「誤解しないで欲しいのだけど。僕らは他種族を誑かすのは大好きだけど。決して積極的に破滅には導かない。僕らの力を受けた人が、勝手に増長して破滅してくだけだ」

「へぇ。……そんなんどうでもいいんや。で、金を出せるんか? 出せないんか? 返答しだいによっては一連の落とし前をつけてもらうで」

「それと悪魔族は実は別に強くない。ダガーで刺されると普通に死ぬ。ただちょっと〝在り方〟が特殊でね。人と契約したり、また召喚に応じたり――」


 カネカはダガーを取り出した。見て悪魔は、少年のあどけない顔付きのまま両手を上げる。


「分かったよ。ん、お姉さんに僕――ソロモン72柱が一人、オロバスの〝力〟を授けよう」


 悪魔オロバスを名乗った少年は、どこぞの靴磨きでも半年働けば辛うじて買えそうな刀身の厚いナイフを取り出し、自分の髪の毛をバッサリと切り、カネカに渡す。


「《オロバスの鬣》というアイテムさ。鬣じゃなくて髪の毛だけど、もともとこのアイテム名は、君達が付けたものだから、僕は由来を知らない。魔力をたっぷり含んでる。それを売って換金するといいよ。……ふふ、実はこれだけさ。僕に出来ることなんて。と、いうより悪魔族全体が出来るのがコレだけと言っていい。他人に魔力を渡すのが得意なだけなんだ。種族としてね」


 スレイは言われた内容を租借する。


「他人に魔力を与えるのが得意。確かに魔力の多寡が多ければ、それは願いを叶える力と言っていいかもしれないけど……。なんだ、結局悪魔族にせよデーモン種にせよ、それが共通の『力を与えるノウハウ』ってわけか。獣人族に腕力があったり、エルフが魔法が得意なように、種族適性のようなものなのか」

「ご明察。あ、一応魔力の他に知識も授けられるよ。何気に僕らは転生したりもする。無駄に博識になってしまうんだよ」

「なんで人の願望を聞き届ける?」

「汝の隣人を愛せよってのは誰の言葉だっけ? 好きだからさ。特に人族はね。好きな相手に対し、自分の持てる限りの能力を使って支援するのは当たり前だろ? ふふ、それでちょっと支援しすぎちゃって、相手が破滅しちゅうのはご愛嬌。……さぁ、そういうわけだ。悪魔は人の願望を聞き届ける。他の人もどんどん願いを言ってくれよ。身の丈を超えた魔力も、知るだけで目が潰れる知識も与えよう。それが僕の願いであり能力であり、そして種族としてのせ~~、なんでもない。余計なこと言うと怒られそうだ」


 オロバスはケラケラと笑った後、悪びれずに「それで君たちの願いは?」と繰り返してきた。

 過度な欲望は身を滅ぼす。それは分かっていても、この場に残ったのは、森に突っ込んだ冒険者達だ。

 残った冒険者は顔を見合わせた後、初めて覚えた呪文を口にするように、恐る恐るだったがオロバスに対し願いを告げていった。

 オロバスは聞き届ける度、自分の髪の毛を切っていく。


「何を願っても、結局貰えるのは《オロバスの鬣》か」

「いや結果的にそうなるけどね。紛れもない悪魔の一品さ。文句はないだろ? それで君は?」

 最後に残ったスレイは、しばし考え、『疑問に対する答え』を貰うことにした。



「――お前を召喚して、コボルトに力を与えるように願ったのは誰だ?」



 旧夜天感触所にて。言うまでもない質問だった。

 悪魔召喚の儀が執り行われていたのだ。コボルトにそんな儀式を行う知恵はない。当然人族の誰かが一枚噛んでいる。あの《ボス・コボルト》は人為的に作り出されたものだ。


「そもそも今回の一連の事件、事の発端が噂として巷に流れてた時点でおかしかったんだ。偶然コボルトが悪魔を呼び出したのなら、本質に迫れる噂なんて流れようがないからな」

「……。悪いけど、召喚主の個人情報は絶対に喋らない。これは僕らの種族としての矜持だ」

「殺すと脅しをかけられてもか?」

「ふふ、それで君の気が済むなら。むしろ僕としては大助かりだ。人の願いに応じられないのも、それはそれで種族的に悔しいしね」


 そういってオロバスは崖の方に近づいて行った。ほとんど短髪になっていた髪をさらにギリギリまで切って、ナイフの下に挟む形で地面に置く。


「あ、これは僕から君へのプレゼントだ。君の願いに答えられないのは、これで手打ちにしてくれると嬉しいな」

「……」

「コボルトが起こした一連の騒ぎについては、釈明する気はないよ。僕は結果何が起こるか分かっていて、それでも面白そうだと思ったから、彼らに力を与えたんだ。……それじゃ僕はもうここで。髪の毛が伸びるのを待つのも面倒だしね。ばいばい」


 オロバスは笑顔のまま、最後にほとんど冗談みたいな台詞を言って谷底へと身を投げた。

 駆け出すのが遅れた。スレイは唖然と見送ってしまい、後からものすごい後悔に苛まれる。知らず伸ばしていた手をキツク握った。

 偽善的に助けるつもりなんて毛頭なかった。ただ助けられれば、都市の憲兵に身柄を引き渡すなどして、情報を引き出せた可能性もあった。


「なんやあれ。転生するとか言ってたし、どちらかというと神様に近い存在なんやろな。……しゃーない。帰ろか。あ、地面の《オロバスの鬣》は、うちが買い取らせてもらうで。ナイフの方は好きにしてや」

「……別に俺は受け取るなんて言ってないぞ」


 バン、とカネカに背中を叩かれ、危うくスレイはオロバスの後追いをしそうになる。


「なーに言っとんねん。兄ちゃんにも夢があって、だからこそこの一攫千金のクエストを受けたんやろ? 金に汚いも綺麗もないで。汚い手段で得たか、正しい手段で得たかや。その点、兄ちゃんがそこの《オロバスの鬣》を換金しても、誰も責めないで」


 そうだ。忘れかけていたが、スレイにはギルドの設立資金が必要なのだ。大金は喉から手が出るほど欲しかった。


「ちなみに後々ちゃんと精査させてもらうけど、とりあえずの換金額は――」

 スレイが脳内でギルドの設立資金を計算してると、カネカが耳元で呟いてきて、計算が一発ぶっ飛ぶ。提示された額は、《精霊の粉【光】》に負けないぐらいで、スレイは慌て、足元の《オロバスの鬣》を拾い上げた。


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