第11話

 旧夜天観測所は、スレイの祖父が現役だった時代に作られた天文台のことだ。その頃は、まだ魔力と月の満ち欠けに因果関係があると信じられていて、占いまがいに月の位置を観測するのは、人里離れた森に人造物を作るに足りる重要な祭事だった。

 現代。月は、月下草の生育速度のみに影響を与え、魔力の増減とは無関係だと『魔法学』により正式に証明されている。それにより一時は天体観測自体が衰退したが、最近『か学』の発展により、その需要は盛り返している。しかし件の『か学』が町の明るさに負けない天体望遠鏡を生み出していた。今や都市の中に新夜天観測所があった。

 必要な情報を抜き出すと、つまり旧夜天観測所とは、半世紀以上放置されたボロボロの建築物だということだ。見た目はプリン、もっとサイズ的に近しい物で例えると、縦に圧縮された灯台か。基礎が石造りであるがゆえに、現存していてコボルトの根城になっていても、なんらおかしなことはなかった。

 スレイ達は森を掻い潜り、不自然に開けた土地に顔を出す。旧夜天観測所の周辺は大木が切り倒されており、それなりに見通しが良かった。足元には植物に浸食されて砕け散ったレンガだったものが散らばっている。ここまで来てコボルト達に気付かれたらバカの極みだ。スレイは砂利のように埋没しているそれを、踏み鳴らさないよう気を付けながら歩を進め、また後ろの二人にも注意するように言った。


「ひーっ……、ひーぃ……。ひ、ひひひひっ……、んぐ。ひ、わかりました。きをつけ、ます、ひ」


 ノロナは。本当によくここまで持ったと思う。引きこもりがいきなり傭兵団のサバイバル訓練に参加したようなものだ。クラス補正の関係上、スレイとリリィが人並み以上の体力を発揮できる中、休憩のタイミングは常にノロナに合わせられていた。

 それに加えノロナは持ち前の劣等感がある。ノロナは毎回休むたびに「すみません」と、消え入りそうな声で謝っていた。奥歯を噛みしめながら、見るからに辛そうに。

 しかし、しかし。ノロナは誇っていい。ここまで本当にただの一度も挫けなかったのだから。

 休憩の終わりにスレイが差し出した手を、ノロナは顔を真っ赤にしていようが真っ青にしていようが、必ず毎回自分から掴みなおしてくれていた。クマが入った目は、出会った当初と明らかに変わってきていた。


「ノロナちゃん、だんだん呪詛を言わなくなってきたねー、心に何か変化でもあった?」

「別にっ。ひーひー、がるるる、たんに、ちかれて、なにも、ひーひー、言えないだけですっ」

「ふ、言うようになったな、ノロナ」


 これはスレイとノロナ、そしてリリィが仲間になる儀式だったのかもしれない。

 ノロナはリリィが肩を貸そうとすると、謝るより先にお礼を言うようになっていた。


「……コボルトがいるな。奴ら、臨戦態勢を取ってる? カナカ達は既に観測所の中か?」


 屋根が半分崩落した旧夜天観測所は、砦が攻め落とされた時と同数とまでは言わないものの、それなりの数のコボルトに囲まれていた。

 スレイは崩れかけの石垣に慎重に身を寄せ、さらに観測所を注意深く観察する。

 ……どこをどんなに探しても、ボスコボルトの姿が見当たらない。

 見逃してる可能性はない。断言できる。


「コボルト達は親分が来てなくて、攻めあぐねてる感じ? となると、無理やり敵陣を突破してー、カネカ姉と合流するのが得策だね」

「だな。……いや待て? 合流するよりも、うまくカネカ達と合わせて殲滅戦を仕掛けるのが得策かも。死を恐れないコボルトの連携が厄介だったんだ。ボスがいない以上、あんな連携は取れないだろ」

「あ、その油断、死亡フラグだよ~」

「ならリリィの今のツッコミで解消だ。……ノロナ頼む、こういうときはやっぱり魔法職が有効だ。夢に出てきそうなぐらい多量のアンデットを呼び出してくれ」

「キューブを。ひひ、そそそそれと、大規模魔術はどうしても詠唱時間が掛かります」


 スレイとリリィは持っていた最後のキューブをノロナに預け、前に出た。護衛は任せろと背中で語る。

 ノロナは今まで足腰を支えていた杖を武器として構え、地面に突き立てた。ノロナの体から怪しい紫の光が滲み出てくる。それは杖を通し、地面に血のように広がり、贄のように紫の魔方陣を呼び出した。


「ひひひひ! 我が血は悪であり、我が心は不埒である、ひひ、闇の眷属達よ、死してなお常世に未練があるのなら、ひひひひひっっっ、我が呼び掛けに応じ、不浄なる宣託を受け入れよ! ――ここに契約は結ばれた! 我、偽りの肉体を我が魔力により汝に与えん! アアアンデッット! ササササモモモン!」


 ノロナは魔法学校を卒業してない。いわゆる普通の五行魔法使いにはクラスチェンジ出来ない。

 しかし類稀なる魔法の才能を持っていることは間違いなかった。

 社会の枠組みから外れた天才なのだ。スレイはこれほどまで禍々しい光を、かつて見たことがなかった。

 ノロナの卑屈な笑みと共に魔方陣が淡く輝きだし、アンデット達が這い出てくる。

 近くにいたコボルト達は、ノロナの詠唱開始直後には背後に異変に気付いていたが、それでも手も足も出せなかった。スレイの堅牢な守りと、リリィの軽快な守りは、少なくとも砦の見張り塔より鉄壁だったからだ。

 アンデットとコボルト達の戦争が始まる。

 魔法など高等な技術は使われない原始的な肉弾戦だ。剣と弓のみが活躍する血なまぐさい――アンデットには血が流れてないが、斬撃と打撃音が、旧夜天観測所前というフィールドに響き渡る。

 スレイも加わり、テンプルナイトの筋力補正だけで大暴れする。大槌で敵を屠り、大盾で泥を拭いがてら、敵を薙ぎ倒す。

 途中からカネカ達が参戦してきて戦況は決定的になる。やはり魔法やスキルの威力は凄まじく、言うなればワイバーンに乗ったドラクーン兵が放つ、擲弾による絨毯爆撃のようなものだった。

 原始的な戦争は現代戦になり、そのまま一方的に終了した。コボルト達は板挟み状態から、なす術なく撤退すら出来ずに壊滅した。

 スレイは、舌を出し「ひーひー」言ってたノロナを引っ張りながら、カネカ達と合流した。


「なんや。遅いと思ったら、女二人を引きつれてデートしとったんか」

「ピクニック気分で来る森だからな。気になるあの子をモンスターから守る作戦だよ。予定通り、大成功だ」

「おいおいエリートさんよ! テメェが女二人を侍らしても言っても、別にふざけてるように見えないんだが? クソムカつくんだが!?」

「勘弁してくれ。冗談だよ」


 スレイはカネカ、ロイド、その他メメ含めた数十名の欲深き冒険者と拳を突き合わせた。肩を並べて、旧夜天観測所の中に入る。


「それで敵のこの戦力の薄さはなんなんだ? ここは敵にとっても重要な拠点だろうに、なんでボスコボルトがいない?」

「説明するより見てもらった方が早いやろ」


 旧夜天観測所の天井高い室内は、窓にクズ植物がカーテンを張っていたせいか、埃臭く薄暗かった。スレイは味方と共に、現代とは模様が違う石材の床をカツカツと鳴らしながら、廃品と植物に飲まれた部屋を一層ずつ順に見て回る。

 最後の三層目まで見終わって、スレイは感想を呟いた。


「ないな」


 ……予想以上に物資の備蓄がなかった。

 そして足を止めた最後の部屋に、予想通り、かつ想定外のモノを見つけ顔をしかめる。


「それでなんでコレがここにあるんだ?」


 スレイの足元には、鶏の血で描かれた五芒星と、その五芒星を囲む、おびたたしい数の蝋燭があった。ご丁寧に近くの朽ちかけていた木机の上には、教会から発禁令が敷かれている人皮装丁の禁術本の模造品まで置いてある。本は埃を拭った跡すらない。新品だ。

 語るまでもない。悪魔族召喚の儀式の後だった。

 この時点で、スレイは〝新たな疑問〟が純粋に浮かんだ。が、言うまでもない疑問なので押し黙り、カネカが何か言いたそうだったので、耳を傾けた。


「うちらもな。薄高く積まれた金銀財宝を夢見てここまで来たんやで? でも実態はご覧のとおり、ウチの店の軒先以下の商品棚や。涙が出るわ、ほんま」


 財宝というのは食糧、キューブ類のことだ。スレイ達も分け前をもらったが、二ケタも貰えなかった。三人で分けるとさらに少なくなる。


「へっ、コボルト達もここを積極的に守るつもりはなかったみたいだな! 森に入った直後は、こっちにも被害が出るほど苛烈な追撃を受けてたんだが、ここにたどり着いた頃には、いつのまにか大半のコボルト達がいなくなってたんだ」

「ボスが率いる本陣は、ここには来なかった、ってことか?」


 ではあれだけ大量の本陣は、どこに向かったのか?

 この疑問は考えるまでもなくすぐ氷塊する。コボルト達は常に物資を求めているのだ。となればもはや行き先など一つしかない。

 スレイの脳裏にモルガン商会の連中の顔が浮かんだ。呆れるほど長い荷馬車の行列を作っていた、別に憎しみも親しみも感じない顔が。


「はぁー……、どうする、かな」


 砦にいた人間は各々自分の意志で進む進路を決めた。意見の対立や強制はなく、軽い言葉になるが、互いに恨みっこなしの選択だったはずだ。

 しかしどうやらここにきて、どうも地雷を踏んだのはモルガンの連中だと確定的になってくる。どんな運命の悪戯か、欲深くリスクを選んだはずのスレイ達が、なぜかこのまま何事もなく、生きて森から脱出出来るチャンスを得た。

 当初の計画とは違うが、これはこれで悪くない結末と言える。一攫千金は得れなかったが、こんな目に合い九死に一生を得た。このままアミティアを目指せば命だけは助かるのだ。多少の負い目は感じるだろうが、それだって安い対価だ。卑劣なマネはしなかった以上、スレイはこれからも都市の日向道を、大手を振って歩いていける。

 いけるが……。

 ここにきてまたスレイの前に選択肢が突き付けられる。

 すなわち、このまま逃げ帰るか。それとも大金をくれると勝手に思っている、姿形も定かでない悪魔族の背中を追い続け、ついでモルガンの連中を助けにいくか。

 スレイはリリィとノロナの方をちらりと見た。両者、顔色は明確に違ったものの、おおむね同じ旨をスレイに対し表情で訴えかけていた。

 言葉にするとこう。『スレイに任せる』と。

 スレイがやや渋っていると、二人は口を開いて思いを口にしてくる。


「スレイー、ギルドを作るんでしょー、なーら当然スレイがギルド長になるわけでー、〝こういう選択〟にさ。慣れておかないとねー」

「ひひ、わ、私はスレイさんにもう沢山十分に貰いました。だ、だからスレイさんに恩返ししたいです! い、いい命賭けになっても! がるるっ、どどどどんとこいです!」

「ありがたいね。くそぉう、こうなると優柔不断も出来ないな」


 『スキル』の一つに、身なりを綺麗さっぱり整えるスキルがある。

 可愛い女の子二人が、わざわざ近くの人間にそのスキルを掛けてもらって、綺麗になってからスレイの両腕に寄り添ってきたのだ。スレイは鎧を捨てたので、二人の感触を十二分に堪能できた。おちおち背中も曲げられない。むしろぴんと伸びてしまう。

 スレイは様々なリスクを計算しつつ、決断する。


「……、……、……カネカ。確かアミティア周辺の地図を持っていたよな?」


 コボルト達がモルガンの連中を襲うとしたらどこか。検討を付けなければ移動もままならない。


「自分で自分の道を選べるようになったんか。なんや顔つきが逞しくなったな。かっくいいで」


 スレイ達のやり取りを見て、終始くすくす笑っていたカネカは、そのまま笑いながら人皮装丁の禁術本が置かれていた机前に移動し、本を叩き落として地図を広げてくれた。


「付き合うで。ウチらもこのまま引き下がるつもりはないからな」

「さて、奴らはどーこでモルガンを襲うかね」


 スレイも数回通ったことがある森を避ける形で通っている渓谷沿いの迂回路は、一望出来る景色こそ峠道に近いものがあったが、道自体は交易路の要所となっているだけあって、かなり整備されていた。さすがにアミティア周辺のように石で舗装はされていないが、土の道でも、仮にその場でワルツを踊ったとしても引っかからない程度には平らに踏み均されている。さらに仮に、そんなワルツを踊ってる連中がいたら、目を合わせずそそくさと脇を通れる程度には道幅があった。


「襲うポイントを選ぶ必要がある。馬車一台も逃さず、一網打尽に出来るポイントは……、ここしかない。普通の山賊なら、ここで襲う」


 一点、地形の関係により、横に倒した砂時計を上から俯瞰したような、急に道が狭まっているところがあった。


「問題はー、コボルトが普通の山賊並に知能があるかどうか?」

「あるにきまっとるやろ。何せ魔法を使うコボルトや」

「砦だって落とされたしな。これでバカだったら、そいつらにここまでやられた俺達はミトコンドリアスライム以下だ。……決まりだ。行こう」


 スレイ達は旧夜天観測所を出て森を南下する。人数の関係上、そして敵の狙いが明白になったことにより、森を徘徊していた偵察コボルトをあまり警戒する必要がなくなった。

 ノロナのフォローはスレイがする。スレイ達は目立つのを恐れず、比較的早いスピードで鬱蒼とした雑木林を駆け抜けていく。


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