第10話
5
清流の森に入っても、しばらくゴーレムは、樹齢何百年はあろうかという木々をなぎ倒し、無理やりスレイ達を追いかけてきた。しかしそれが幸いしたのか、暴風雨のようなゴーレムが去った後は、スレイ達はコボルトの追撃をも免れていた。
スレイ達は今、植物の蔓が絡み緑一色になっていた巨木の陰に身を潜め、休憩を取っていた。時折斥候らしきコボルトがツタを使い、木々の上を移動してきたが、その時だけ息を殺せば見つかることはなかった。原生林の緑は深く濃い。また地形は起伏に富んでいて、身の丈程もある岩や倒木がそこかしこにある。道なき道を進んでいる限り、隠れる場所には事欠かなかった。
一応、一旦は正念場を乗り越えたと言っていい状況だ。スレイはややゆったりと、背負っていた大盾を木の幹に立て掛け、自身もまた深く大木に背中を預ける。
スレイは新鮮な森の空気を肺で味わいながら、近くの枝葉を見ながら言った。
「お、葉に水滴が溜まってる。森はまだ雨粒を蓄えているのか。上手く行けば水を集められるかもしれないな。リリィ、ちょっとスキットルを貸してくれ」
「ちょっと待って~、中身を空にするから。……ごくごく、ぷはっ、はいどうぞー」
ウイスキーである。この状況で酒を飲めるなんて、真面目にどういう神経をしているんだろうと。スレイはそんな意味を込めて、ジト~とした目をリリィに向けるが、リリィはそれに対し、小首を傾げた可愛い笑顔を返してくるだけだった。
「ま。悲観的になられるよりましか」
スレイはリリィの笑顔に絆され、あっさりと方向転換した。受け取ったスキットルにどうにか水を貯えようとする。
「あースレイー、言いたくないけど、大盾ちゃんが木漏れ日の光を浴びると、ちょっと光って目立つかもー」
万が一にもコボルトに見つかったら、地形に富んだ森は牙をむく。奇襲されたら避けようのない状況に陥る。
「……分かった。目立たないように泥を付けて迷彩する。リリィ、役割を変わってくれ」
目指すは森の中央付近にある旧夜天観測所だ。太陽の向きから算出した直進距離で言うと、約半日程度の道のりだが、もちろんそこには時間と距離では言い表せない困難が待ち受けている。スレイ達の身体を隠せる植物とは、すなわち歩けば確実に身体に絡んでくる植物のことで、隠れるのに困らない起伏に富んだ地形とは、転びやすい足元のツタや根も含んでのことだった。
その上で。頭上には絶対に見つかってはいけない敵である。
神経をすり減らしながら進軍していくのは目に見えている。負担を減らしておくのに越したことはない。装備を泥で汚すのは、今のスレイにとっては今さらだった。
「カネカさん達、無事かなー?」
「無事だよ。モルガンの連中もな。二グループとも当初の作戦通り動いてる」
カネカ達は森に。モルガンは崖沿いの迂回路に。砦を脱出したのはスレイ達が一番最後だった。
スレイは大盾の十字の紋章を、ミミズや苔を取り除いだ純粋な泥で覆い隠しながら答える。
と、泥まみれになったスレイの手の傍に、別の白亜のような白い手が寄り添ってくる。
リリィの手ではない。リリィの手は肌色を称えたもっと健康的な色をしている。となれば。
盾から顔を持ち上げたスレイは、ノロナと目が合った。
「がるる。スレイさんは……、……なにをすれば私のことを嫌いになりますか?」
いきなり、かつ、あんまりな質問に、スレイは愕然として動かしていた手を止めた。
「手を寄り添わせながらそんな質問っ!? お、俺に嫌われたいの? えっノロナ!?」
「あ! ちちちちちがいます! ひひひひ! そっちじゃないんです! 逆なんです!」
ノロナは相変わらずどもっていた。おどおどしていた。しかし今までとは違うはっきりとした張りある声で話し続けた。
「ひひ。私、ただの引きこもりなんです。ひ、ただの、っていったらおかしいですが……。別に、なにか悲劇があったわけでも、不幸な生い立ちがあったわけでもなくて、普通に生活してて、普通に心折れて、普通に引きこもってただけなんです。ひひ、情けないですよね。ひひひ、ただの根暗で陰険な落ちこぼれ、ってやつです」
ノロナはクマができた不健康な瞳内に、相変わらず狂気を覗かせていた。……しかし、
「でも、ひひっがるるっっっ、スレイさんはっ、そんな私に手を差し伸ばしてくれたっ、ただ優しい言葉じゃなくて、わ、わわ私の! こ、心に合わせて! くれた!」
ややもすればふと消えてしまいそうな、ほんの僅かな変化であったかもしれない。が、ノロナはスレイやリリィに負けず劣らない〝生気〟を、暗い瞳奥に覗かせ始めていた。
「ひひひっ、こんな、わ、わたしに! 手を差し伸べてくれるなんて! は、ひ、バカみたいだなって、変な人だなって! 最初は、思いました! でも、でも! 気付けば、ひひ! 初めて、他人が、辛くないって! ………ッ、力になりたいって、思いました。ひひひひ、わわわわらし! 雑魚でトロくて間抜けでクズだけど! ははは初めて誰かの! すすすスレイさんの! 力になりたいって! 役に立ちたいって! 思ったんですっ! だから! だから!」
「なにをすれば。スレイさんは私のことを嫌いになりますか? ――私はそれを避けたい。嫌われずスレイさんの期待に応えたい」
……、なんてことはない。劣等感に慣れてしまっていた彼女だから、変な聞き方になっていただけだ。
スレイは彼女の精一杯を確かに受け取った。
「そうだな。俺の期待に応えたい、か」
ギルドに入ってくれればそれでいい、というのは、ちょっと違う。
期待するのだ。ノロナに。ノロナはスレイが望む以上に『何か』に応えようとしてくれる。
スレイは辺りを警戒しつつ立ち上がり、これから突き進まなくてはならない、先の見えない鬱蒼とした雑木林を見つめた。静かに答える。
「俺達はこれから、このふざけた森の中を突き進んでく。この少人数だ。コボルトに見つかったらアウトだ。だから極力音を立てず、足元に気を付けながら、草の影を警戒して、ときには泥を掻いて、虫のように地面を這いながら、常に神経を研ぎ澄まして隠密行動していくことになると思う。……ノロナ、体力に自信は? 奴らに見つかるようなヘマをしない自信は?」
聞くまでもない質問に、ノロナは意気消沈し、耳を傾けた。
スレイはすかさず、
「だと思うから、ノロナがヘマするたびに、俺とリリィがノロナのフォローをする。だからノロナ、俺がノロナに期待することは――」
スレイはノロナに向かい、今は泥だらけの手を差し伸ばした。
「手を。ノロナが躓くたびに差し出すこの俺たちの手を。ノロナ自身が、自発的に掴んでくれることだ」
くじけそうになっても。泣き出しそうになっても。
できれば、立ち直って欲しい。
スレイは差し出される手の優しさをもう知っているから。
仲間にしたいと思ったノロナにも手を差し伸ばした。
「ちなみに掴みさえすればOKだ。劣等感で潰されそうになったら、好きなだけ『自分は駄目だ、クズだ~』って呪詛を吐けばいいさ。聞いてやるよ。あ、ただし小声でな」
「……ひ、」
ノロナは、すぐには答えない。まず自らの白くて細い両腕を見た。
「……ひひ、」
そして次に、ネクロマンサーにクラスチェンジ出来るほどの狂気を宿してしまった瞳でスレイを見上げて。
「ひひ、んぐ。……よ、ろ、しく、お願いします」
最後にその瞳からポロポロ滲み出てくる涙を堪えて、やっとスレイの手を自発的に掴んできた。
なんの経験もない白い手と、清濁を飲み込んできた泥だらけの手が握手した。
「は! それでいい! ……なんて言い切っちゃうと、さすがにカッコつけすぎかな?」
「いえ、スレイさんはエリートですし! べ、べ別に! おかしくは!」
スレイはノロナのあまりにも純真な羨望な眼差しに小っ恥ずかしくなる。
つい視線をリリィ側に流し、助け(ツッコミ)を求めてしまう。
「あ、スレイ~、それダサーい。ってこれでいい? ん~~それじゃリリィちゃん、改めよろしくねー」
もとよりハーレムを容認しているリリィだ。屈託ない笑顔でノロナに寄り添い頬ずりを始める。
「あ、でも、こういう明るいノリが大っ嫌いなんだっけ? ノロナちゃんは?」
「がるるるるるっ!? ! いいいいいいいえ! ひひ、そんなことは!?」
「威嚇するように唸った後に言っても説得力ないよー。ふむ? それじゃ一つ、私の歪んだ闇的な部分を見せよっか?」
リリィはこんなときでもケラケラと笑う。
「私はね。欲深い人が好き。だからスレイがハーレム目指しても全然OK。ノロナちゃんに嫉妬とかもしないよ。……そしてノロナちゃんがもし『ネガティブな自分でも安心していられる場所』を私達に求めてくれるなら……、私は嬉しいな。その欲望を、大歓迎するよ」
リリィは自然とノロナに寄り添いついで、耳元でちょっと怪しくHに囁く。ノロナはあわあわと目を回していた。
「ふふふ、可愛い反応。居心地悪いと思ったら、すぐ言ってね。そうやってぐいぐい欲望を満たそうとしてくれた方が、私の性癖も満たされるから」
「あわあわあわあわ!? すすすすごいひひひ人人人!? あ、でもなにか、ひひ、うう後ろ暗い感情をリリィさんに感じます?」
ノロナはまだ戸惑いつつも、リリィの抱擁を黙って受け入れる。それでリリィがVサインして……、なんだかんだ仲良くできそうな二人の図が出来上がった。
「おやスレイ~? 顔が綻んでるよ? もしかして具体的なハーレムの図を想像しちゃった?」
「! 言われてな。本当に浮かんだよ。まじで。……なんて、バカ言ってるのもここまでだ。いくぞ。ここからが大変なんだからな」
先頭を行くスレイはもちろん大変だが、誰が一番大変かと言うと。
「あうっ!?」
ノロナは立ち上がって早々転んでしまい、派手に手前の木に顔をぶつける。衝撃に野鳥の群れが一斉に飛び立つ。
「…………」
スレイはキューブを噛み砕きながら、周囲を警戒するが……、幸いなことにコボルトの気配は一切感じなかった。
「ひひ。すみませんすみませんこれだからわたしはだめなんですよねくずなんですくだらないどうしようもないなんでいったそばからこんなみすをするのかってじぶんでもほんとうに――」
呪詛を吐いて劣等感に打ちひしがれるノロナであったが。
「……、ひひひ。ッ、手、ありがとうございます」
挫けず。歯を苦しばってスレイの差し伸ばした手を握り返していた。
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