第9話
4
……渓谷を挟み、隣大陸にいたゴーレムが闇の中に帰っていく。スレイはゴルフをする手を止めた。
何も会話をするだけが、他人の心を解きほぐす手段じゃない。しゃべらなくても、一緒にいて心地いい時間を提供できればいいのだ。そう思ったスレイは、リリィを呼び出し、進路を決めなくてはならなくなる時間まで、もうしばし三人で時を共有しようとする。
「ノロナ、よかったら――」
スレイがそう口を開いた瞬間だった。怒声と、それをさらに上書きして余りある大きな雷鳴が轟いた。
「――って、敵襲――ッ!! ご、コボルトの奴らが! せ、攻めてき――ぎ!?」
驚愕に目を見開いたスレイが振り返ると同時に、今度は爆発音が。反対側の城壁の上では、既に数体のコボルト達が、立ち込める煙を背景に城壁の上に乗りあげ、近くの冒険者に襲いかかっていたところだった。見てる間にも木のツタを加工したモノが次々と城壁の上に投げ込まれていく。あれを使ってコボルト達は城壁の上までなんなく昇ってきたのだ。
「だからって!! 近づかれるまで気づかなかったのか!? 見張りの砦兵は何を!?」
答えがスレイの視界内に飛び込んでくる。矢を受けて絶命した見張り塔の兵士が、砦の敷地内の地面の上に叩き落されていた。
まず闇に紛れこちらの目を奪い、その上で大軍を持って奇襲をかけてきたのだ。もはや人族と変わらない戦術だ。薄気味悪い奇妙な緊迫感が砦内に伝播する。
「スレイ! 悪いけど二人っきりの時間はここまでだよっ」
「ああ! ち。とりあえず逃げるぞノロナ! ノロナ?」
城壁の上はもはや最前線だ。リリィと合流し足早に立ち去ろうとしたスレイであったが、ノロナが魔法詠唱をし始めたので戸惑ってしまう。
「ひひひ。私が、一人で、この場を守ります。がるる、うううえを! 抑えられたらキツイですからね。ひ、ひひ、こここれは! 誰かがやらなくてはならないんです!」
身近に死の感覚を享受してこそネクロマンサーだ。しかし状況を問わず受け入れてしまうと、それはそれで死ぬ為の理由探しにしか見えない。
事実、ノロナの瞳にはもう狂気しか映ってない。口元は殊勝な発言に反し、弱々しい笑みしか浮かべておらず、人を助けたいという優しさより、もう楽になりたいという強迫染みた願望しか伺えなかった。ノロナの危うい一面が垣間見える。
「何言ってるんだノロナ!? 死んだら何の意味もないんだぞ!?」
「べべべつにっ! 死にたいなんて、思ってませんよ!? でででも! これは誰かが! 誰かがやる必要があるでしょう!? こ、ここでがががんばるのが! わわたしの生まれてきた意味、そそそ存在意義だったんですよ! ひひ、ひひひっ! ひひひひひひひっっ!!」
「森のときも、そんな風に考えて耐えてたのか? ち。言い訳をいえるだけの建前が揃ってるのがそもそも問題か。……なら俺は」
スレイは悩むというより、伺う感じで、リリィの方を見てしまう。意思は決まっている。しかし口に出す勇気がない。伺う行為は、そんなスレイの弱さだった。だけどリリィはそんなスレイの弱さすら楽しんでるように、ホント、いい笑顔で答えてくれる。
「分かってるよー。ノロナちゃんを守りたいって言うんでしょー。それがスレイの欲望なら私はそれに付き合うだけー。ふっふっふ、女の子のピンチを救って惚れさせるのは王道だもんね。スレイのえっちー」
「まったく。リリィはまったくもう。最高だな! 話が早くて助かるよ。……決定だ、ノロナ。砦の皆が脱出するまで援護するぞ。だからそれが終わったら、ノロナも俺たちと一緒に脱出するんだ。分かったな?」
言い訳は、もう言えない。言わせない。
「ひひ、なんで、そこまで、私に構ってくれるんですか?」
「腐った目をしてるからだよ」
「え? ――ふふっ」
スレイが卑屈に皮肉を返すと、ノロナは口元を緩め、初めて自然な感じに笑みを作った。
スレイも思わず微笑み返してしまったが、一秒後には顔を引き締め、眼下の光景を的確に把握する。
通常、防衛拠点を落とすのには、攻め手側は守る側の三倍の兵力が必要になるという。その点、コボルト達の数はどれほどかというと……、城壁の上に乗りあげてきたのが全てのはずがない。きっと本陣が砦の外で砦門が開くのを待っているはずだ。嘆かわしいが、森のコボルトの数を考えると、足りないなんてことはありえない。
つまるところ、砦は既に陥落しているといってよかった。既に奇襲は完遂され、城壁の一部はコボルト達に占領され、倒された松明の炎で明るくオレンジ色に彩られている。所々立ち込めている黒い煙は、やけに煤を含んでおり、臭いはどうも焦げクサい。火薬が使用されたと見て間違いないだろう。信じられないがコボルト達は、爆弾のようなものを持っているようだ。
「そもそも敵はこっちの物資を奪って装備してるわけで。こりゃ、この砦に運ばれるはずだった大砲の弾とかも奪われてたな……」
その時、炎柱が天まで到達しそうな一際大きな爆発が、スレイの右斜め前方で起きた。砦の火薬庫が爆発したのだ。熱波がスレイの位置まで届き、スレイは大盾を構え、なんとか衝撃波をやり過ごす。近くにリリィがいたのでしっかり腕の中で抱きしめて一緒に守ってやる。
ノロナは位置が悪かった。カエルのようにひっくり返り、惜しげもなくパンツを晒していた。
「ぷはっ。最悪だ! けど契機にはなったな! 今のを見てまだ砦の維持を考えている奴がいたら、そいつは見捨てていいバカだ!」
「スレイ、下! 下! ギルド『イージスの盾』が逃げようとしてる! 助けてあげないと!」
盛大に炎が飛び散り、そこかしこを眩しく染め上げる。スレイは熱と煙に煽られつつ、もはや昼間と変わらない砦の姿を一望して、負傷者を連れていたギルド『イージスの盾』のギルド長らしき人物と目が合った。
「跳ね橋を下ろしてくれ!」
好青年な顔つきを煤に汚していた彼が叫んでいた。そしてスレイは言われるよりも早く、近くにあった掛け橋の鎖を巻き上げていたレバーを蹴り、鎖を下ろしていた。
掛け橋は安全装置が組み込まれているのか、すぐには下りず、ガタガタと鉄製の歯車を激しく鳴らしながら、かなりゆっくりと下がり始める。
悶絶したくなるほどもどかしい時間だ。スレイは全身を走る痒みから逃れようと、別の行動を開始する。
「ノロナ! 生きてるか!? 敵は城壁の上を抑えにかかってる。上を全部抑えられたら終わりだ! 俺は右通路を守るから、左通路を守ってくれ!」
「ひひひはひひひはひひひ? 天地がひっくり返って~~? ひひひひ? 耳がキーーーンとして~~?」
スレイはノロナの丸っこい頬に両手をやり、ちょっと強めに、ぽんぽん、ぱふぱふ、ぺしぺし。ついで頭ももふもふ撫でて、ノロナの気を確かめる。
「はぅ」
ノロナはスレイに弄られまくって赤くなった頬を、さらにリンゴのように赤くしていたが、スレイにそれ以上構う余裕はなく、もう一度同じことを言って、意識を取り戻したノロナを防衛に向かわせる。
「捲し立てて発破をかけるなら、どうせなら最後にお尻を叩いちゃえばよかったのに。今ならセクハラし放題だったよー?」
「ほぜけ。それよりリリィはバリスタや大砲を頼む! 掛け橋を渡るイージスの連中を守ってやってくれ!」
「ちょちょちょ、私バリスタや大砲の扱い方なんて知らないよっ! そんなスレイみたいになんでもかんでも物知りだと思わないでよっ!?」
「なら俺と役割交代だ! 城壁通路左側! コボルト達がやってくるぞ! ほら早く早く!」
「きゃーっ!? リリィちゃんの形のいいお尻が叩かれたーーっっっ!?」
スレイはリリィのお尻を叩くためにわざわざ素手にした右手に、ガントレット嵌め直しながら、バリスタの下に。頭に血管を浮き立たせながら極太の弦を引き、バリスタの照準を掛け橋の先に合わせる。渓谷側に逃げるイージスの一団を護衛する。
バリスタの牽制は一発だけで十分だった。隣大陸のモンスターは、鋼鉄の矢が地面をえぐるように突き刺さったのを見て、もうそれ以上イージスの一団には近づかなくなった。
イージスは掛け橋を渡り切り、何もない荒野へ。
しんがりと務めていたギルド長と目が合う。彼は親指を立て、スレイに幸運を祈ってきた。
スレイは返事を返さず踵を返した。連中がこの先、荒野のモンスターから逃げ切れるかは知らない。あとは彼らの問題だからだ。だがこれだけは言える。欲を捨てた彼らは、ちゃんと宣言通り、非常に素早く動ける軽装で身を固めていた。
「……で、脱出路を開いてやったのに、大半の連中は逃げ出さないと」
カネカやモルガンの連中は、あくまで森側へ出られる大門を見据え、脱出の機会をうかがっていた。大門は既にコボルト達の手で陥落しつつある。もしかしたら門が開くと同時に魔技をぶっ放し、混乱に乗じて逃げるつもりなのかもしれない。
これは呆れていい部分だろう。身一つで森に挑まんとするカネカ達はともかく、モルガンの連中は欲の皮が突っ張りすぎている。とぐろを巻けそうな程のあれだけ大量の荷馬車の引きつれて、どう話が上手く転がれば正面突破が出来るというのか。
機動力がなさすぎる。上から眺めてるスレイからしてみれば、絶望しか見えない。
「……? 煙が」
もう十二分に濃い絶望だったのに、コボルト達はさらにそれを深く濃いものにしようとしてくる。大門の前に煙幕を焚き始めたのである。
門が開いた瞬間に、魔法やスキルを打ち込まなければならなかった。早すぎたら門が吹っ飛ぶだけだし、遅すぎたらコボルト達が多量に砦内になだれ込んでしまう。魔法やスキルをベストなタイミングで打ち込むのが必須条件なのに、煙幕はそれを不可能にする。
「私たちの霧の行軍を見て思いついたのかもねー」
「すすすすれいささささん! どどどどどうしましょう!?」
スレイは別に自分が善人だとは思ってない。まず真っ先に見捨てる選択肢が頭に浮かんだが、さすがにそれは口にしなかった。後味が悪すぎる。それこそ自死したくなるほどに。
現実的なところ、近くの大砲やバリスタを使うのが効果的だと思ったが……、考えている時間はあまりない。背後には隣大陸の強力なモンスターだっている。今はまだバリスタを警戒しているが、そのうち掛け橋を渡ってきてしまうかもしれない。掛け橋の鎖を巻き上げ、元に戻すのは不可能だ。人手も時間も足りなかった。
スレイは、石像のように重い大砲を体で押して引っ込めて、大門の方に向かせようとして、挫折した。レールの上を走る大砲は角度が固定され、どうやっても大門の方には照準が合わなかったのだ。バリスタはそもそも固定されている。一ミリたりとも動いてくれない。
(考えろ、考えろ。俺はロイドのおっさん曰く、嫌味なエリートなんだからな。ここで事もなしげにやれないなら――ッ!)
スレイは諦めない。思考することを恐れない。
故にエリート。故に超難関のテンプルナイトクラスになれた。……だから思いつく。思いつける。スレイは全身の血気逸らせ、唾が吐き出るような大声でノロナに向かって作戦の概要を叫んだ。
聞いたノロナは、目を丸くする。
「ひひ!? それだと! 失敗したら私たちのせいで皆が!?」
「助けるってのはそういうことだ! 自暴自棄に死んで自己満足に浸ることじゃないぞ!」
時間はない。スレイはまず、ノロナの呼び出したアンデットと協力して、近くのバリスタを全て破壊した。矢や廃材など動かせるものは谷底に落とす。大砲も可能な限り引っ込めて、荒野のモンスター達に、あえて、〝こちら側の脅威が取り除かれたのを見せつけた〟。
次に残った大砲の一つを動かし、照準を下げ、今まさにコボルトと人間が小競り合いをしている砦の敷地内に向けた。スレイは煙幕に目が染みるのも構わず、エリートの集中力を発揮して、可能な限り一点に狙いを付ける。内壁のある部分だ。当然だが正門ではなかった。
「ノロナ!」
スレイの掛け声にノロナが頷いた。するとアンデット達が城壁を飛び降り始め、スレイが向けた大砲の射線上の人払いを始める。アンデットしかいなくなったのを確認して、スレイは大砲の導火線に火を付けた。
このままだと射線を守っているアンデットごと打ち抜くことになるが……。しかたない。怒号と喧騒の中で戦っている下の人間に、作戦を伝える手段がなかった。死者相手とはいえ、スレイの心は僅かに痛んだ。
「ひひ。ししししょうがありません。がるるっ、そういう捨て身の作戦を取れるのがアンデットの強みであり、ネクロマンサーの強みです」
『アンデットさん達にはちゃんと私が説明しました』と、ノロナがスレイを労わるように告げてくる。
スレイは気にされたのが嬉しくもあり、また若干、男の子のツンデレ的な意味で恥ずかしくも感じてしまう。
「二人とも! 俺の盾の中へ!」
誤魔化がてら、寄ってきたリリィとノロナを抱きしめて、大砲の発破を待った。
次の瞬間、
ドゴッッ!! っと、砲丸が空気を圧し除け発射される音が響き、耳をつんざく爆発音がスレイ達の鼓膜を叩いた。
焚かれていた煙幕が盛大にかき乱され、砦内で渦を作る。粉じんも沸き立った。砂嵐のようなそれは、上から見ればまさにカオスの渦だ。下で戦っている人間やコボルト達は、もはや何が起きたか状況把握すら不可能だろう。
スレイは最後の詰めをすべく、カネカ達に、砦の端を移動して、ある方向に逃げるように大声で叫んだ。
大砲の発射直後だ。喧騒は若干おさまっており、スレイの話した人語は、きっとカネカ達に伝わっただろう――。
――コボルト達は、頭を叩かれたような大音量に一斉に首を竦めた。
……さらに頭上から飛んでくる訳のわからない人語。わずかに動揺が走った。が、背後から聞こえる自分たちの言葉――最近生まれた自分たちの王たるボスコボルトの雄たけびを聞いて、士気を取り戻す。
動物的な本能に根差す単純明快な上下関係は、彼らから死の恐怖を奪い取っていた。城壁を乗り越え大門前を占領した決死の先兵達は、数多の味方の躯を乗り越え、ついに大門の扉を押し開けた。
瞬間、コボルトの本陣が砦内に一斉に雪崩れ込んでくる。その破竹の勢いたるや……、煙幕による視界不良など関係ない。実力差も。数で圧し潰すのが前提の突撃に、彼らは自分たちの群れに姿に、アリの行軍を重ねた。黒いところがそっくりだった。
「ぎゃぎゃぎゃ!!」
こうしてはいられないと、先兵コボルトもまた味方の躯から剣を奪って土煙と煙幕が混じった中に突貫する。先に行けばそれだけ死の可能性が高まるのだが、そこまで考えが至らない。ただただ変わり始めた自分たちの〝在り方〟に興奮し、さらなる血を求め、ギザ付いた牙から涎を垂れ流しながら戦場を駆ける。
そして煙幕の中に自分たちとは違う動く影を見つけ、先兵含めたコボルト達は一斉に剣と牙を突き立てた。
殺った。そう思えるだけの感触がコボルト達の手や牙に返ってきた。が、首を傾げる。いつもの悲鳴が聞こえない。訝しみながら二度三度剣を突き立てるが、これでも悲鳴が聞こえない。
変だ。
コボルト達は〝緑〟の返り血を浴びながら、少ない脳細胞を働かせ、無垢に考えてしまう。
なぜ相手はこれだけ剣と牙にめった刺しにされているのに、悠々と動けているのだろう? それになんてデカいのだろう、と。影は明らかに人のサイズを超えていた。そう、それはまるで、時々渓谷越しに見る《ジャイアント・スネーク》のような――。
「……シャー―――ッ……」
うごめく影が。チロチロと舌を出しながら、ゆっくりと鎌首を持ち上げた。
どこからか吹き込んできた風が、土煙と煙幕を流してくれる。先兵コボルトは見た。味方が鱗に覆われた大きな尻尾に吹き飛ばされてる姿を。そして自分に向かい、ピンクの大口を開けている《ジャイアント・スネーク》の姿を。
今まで闘争にしか働かなかった本能が、初めて恐怖を訴えてくる。しかし足が竦み動かない。
「ぎ、ぃ、や」
スネーク種が使う『カエル睨み』というスキルが発動していた。このスキルは格下に一時的な麻痺効果を与える。そして森のコボルトは、間違いなくジャイアント・スネークにとって、格下と言っていい相手だった。
生きたまま丸呑みにされる感覚を、先兵コボルトは味わうことになる。しかし幸いなことに、恐怖も苦痛もなかった。飲み込まれる際にジャイアントスネークの牙が掠って、麻痺毒が体中に回っていたからだ。
生暖かい肉壁に包まれ、薄れゆく意識の中、先兵コボルトは思う。
しまった。なぜか人間たちの巣窟に隣大陸のモンスターがいて、間違ってケンカを売ってしまった。どうやら周囲の仲間も自分らと同じような失態を犯してしまっているようだ。仲間たちの阿鼻叫喚が聞こえてくる。
? ……しかしおかしい。なぜ自分たちの悲鳴だけなのか?
ニンゲン、の、ヒメ、イが、聞こえな――。
――油断ならない状況だったが、スレイは一先ず作戦が順調に進んでいるのを見て、深い溜息を吐きつつ、顎まで垂れていた汗を拭った。暑さと緊張感を今さら感じる。
スレイの眼下の光景は凄まじいことになっている。砦設備を破壊したことで、安全だと確信し掛け橋を渡ってきた隣大陸の凶悪モンスターと、満を持して砦に突撃したコボルトの集団が砦中央でぶつかり合い、大立ち回りを演じていた。
スレイが子供の頃に読んだ怪獣劇画さながらの光景だ。唯一違う点があるとすれば、劇画の中では蹂躙され、モンスターの凶悪性を表現する小道具だった人間が、今は端役以下となり、目立たぬようにコソコソと、端の脇道から脱出している点か。
脇道だ。スレイの放った大砲の弾丸により、砦の城壁の一部が吹き飛んでいた。
砦だ。本来なら大砲の弾一発如きでは、城壁が崩壊することなどないだろう。しかし今回は直前に、火薬庫の大爆発があった。
そう、スレイは大爆発によりヒビが入っていた火薬庫付近の城壁の壁を、さらに大砲の砲撃で吹き飛ばしたのだ。壁はもう崩れる一歩手前で、スレイの最後の一押しでいとも容易く瓦解した。まったく不釣り合いな例えだが、焼き立てサクサクのパイ生地を、指で弾いたみたいになっている。
「ハ。コボルト達も、霧から煙幕を発想したのはよかったんだけどな。学習能力という点ではマイナスだな。こうなることを恐れて、森では俺達を襲わなかったんだろうに」
視界不良の中の、意図的な三つ巴。それがスレイの思いついた作戦で、コボルトの炊いた煙幕があったからこそ成立した作戦だった。砲撃により粉じんが沸いたが、それはあくまで副産物に過ぎない。
「やったね! なんて喜んでたら逃げ遅れちゃうね! 私たちも逃げようね! ん、崩れた城壁が出来の悪い階段みたくなってる。あそこからなら下りれるかも」
城壁上の通路上のコボルト達は、もはや脅威と言える数は残っていなかった。
スレイは消炎の匂いに咳払い一つ、やれやれとリリィに次いで歩き出す。と、後ろのノロナが腰を抜かしたまま起き上がってこなかったので、スレイはノロナに手を伸ばした。
「味方の護衛は終わりだ。さて? この手を拒む理由は?」
「…………、ひひ。貴方方の迷惑になりたくありません。だから、これは、しょうがなくです」
ノロナは手を伸ばしてきた。しかし恥ずかしいのか悔しいのか、スレイの手を掴み返すまでは至らない。
「悔しがるなら、もっとツンデレ風にたのむ」
「……、」
スレイは苦笑しながら、力強くノロナの手を掴み、華奢な体を引っ張った。
「スレイ! 早く! 早く! 下でバカやってるコボルト達だってバカじゃないんだよ! 煙幕が完全に消えたら絶対にこっちを狙ってくるよ!」
リリィは数十メートルはあろうかという崩れた城壁を、軽いステップで下りて行った。
眺めている分には、スレイ達も楽に下りれるかと錯覚しそうなお手軽さである。が、しかし実際のところ、崩れた足場は非常に心許ない。端に立つと、近くの割れた石材がガラガラと落ちていった。足を踏み外し真っ逆さま落下するイメージが先行してしまう光景だった。
スレイは尻込みしてしまう。ノロナなど露骨に顔を青ざめさせて膝を震わせていた。
「ひ、ひひひ……。無理です。下りれません。よよよしんば下りれたとしても! 絶対に! ああ足首を挫きます! わ、私、こういうのっ、がるるっ、絶対ヘマするんです! 間抜けだから! じじじじ獣人族なのに! 運動オンチだから!」
言ってからノロナははたと気づいたように。
「ッ! ごめんなさい、ごめんなさい! ここで卑屈になってもしょうがないですね。下ります。下ります。でもこれでもし骨折でもしたら、見捨ててください。治療するなんて魔力がもったいないです。放っておいてください。それがいいんです楽なんです死んだ方がいんです私なんか私なんかクズで間抜けで生きてる価値なんか――」
ノロナから、余裕が消えていた。
言い方を変えれば、スレイを前にいちいち慇懃に取り繕わなくなっていた。
これが、ノロナの本性なのだ。ヘドロみたいなドロドロドロドロドロドロとした、どうしようもない自己否定。
「あ。……ごめんなさい」
そしてノロナははたと止まる。再びに何かに気付いたように。眉間に皺を寄せ、手をキツク握り、喜怒哀楽では決して説明が付かない生々しい表情をして、口を噤む。
「どうした? もっと自己否定していいぞ。それでノロナの気が楽になるっていうなら、俺がいつまでも聞いてやるよ。性癖は人それぞれだからな」
だからスレイは優しく声を掛けてやる。
ノロナの呪詛を否定しない。ノロナの〝今〟を否定しない。
明るい励ましの言葉を言えば、それはメメと同じ轍を踏むことになる。分かっているからスレイは言わなかった。
ただ、スレイは決断する。
「ま、だからと言って本当に骨折されるのは問題だな……。選ばなくちゃ、いけなくなったな」
スレイはロイドの言っていた言葉を思い出した。『過去を引きずってると、あっさりと命を落とすことになる』。こんな言葉だったが、噛みしめながら、テンプルナイトの甲冑を脱ぎ出した。
スレイの内に着ていた布服が露わになる度、特注のフルメイルがバラバラと床に散っていく。石材とメイルの鋼鉄がぶつかり合う音は、妙に弾み澄んでいて、その音だけでメイルの高品質さが伺えた。
スレイは軽くなった身体を少しばかりさみしく思う。
だから新しい重みを背負う。
スレイはノロナをお姫様だっこした。
「ひひひひひひひゃ!?」
「軽いな。これなら大盾と大槌を背負ったままでも下りれそうだ」
高さに怯まない。また床に散らばった自分の過去も惜しまない。スレイは勇猛果敢に、崩れた足場を数メートル単位で飛び降りてく。途中足場が崩れバランスを崩したが、そこはエリートらしい運動神経で乗り越えた。なんなく地面に着地してノロナを下ろし、驚き呆ける彼女の目を見ながら言い放った。
「どうだノロナ。これが俺だ。お前を欲しいと思った俺の実力だ。エリートなんだよ。どこの誰にも負けなかった元テンプルナイト様だ。不安だと思ったら俺を頼れ」
「は、ひ? なんで? なんでそんなに私を―― !?」
目が気に入ったから。なんて二回言うのも芸がない。
「そうだな。……ふ、これが俺の性癖なんだよ。――いいかノロナ。俺はギルドを作るぞ。自分勝手に振る舞える、俺のためのギルドだ。そこに入れる奴も当然好き勝手に振る舞ってもらう。社会不適合者? 引きこもり? ハ! いいね、一度人生に挫いた人間は大歓迎だ。俺はそういう奴と一緒に冒険したいね。自分を偽らず、面白可笑しくさ」
「す、れい、さん……」
……時間があれば。何度目か、スレイがノロナに向かい差し伸ばした手を、ノロナが自発的に力強く握り返してくれていたかもしれない。
しかし状況がそれを許さない。収まりつつあった煙幕の中、矢が飛んできて、次いでコボルト達が飛びかかってくる。リリィがシミターで切り払ってくれて事なきを得たが、これ以上話し込む余裕はなかった。スレイは惜しみながらもノロナの手を自ら掴みにいった。
逃げるぞ、言おうとしてスレイはギクリと体を硬直させる。ノロナを抱きしめ、反射的に横に飛びのいた。一拍遅れて、ノロナの元いた位置に落雷が弾けた。
「やろう……」
砦の方から、憎々しい影が。あの魔法を使うコボルト――ボスコボルトが悠然と現れた。
奴の一声の下、スレイ達はコボルトの集団に囲まれてしまう。風船みたいに緊迫感が張り詰める。妙な動きをしたら一気にはじけて、コボルト達が一斉に飛びかかってきそうだった。
しかたないのでスレイは両眼だけ動かし、敵の親玉を観察する。
ボスコボルト。肌の色はノーマルコボルトとそっくりだ。ただし頭にトサカを付けており、杖を握る手は毛がなく細長い。しわがれた顔は老犬そのもので、何かの反動なのか、どうも全体的に体が萎れている。ただし腹だけは別だ。贅肉でぽっこりと膨れ上がっていた。
老いてるくせに腹には贅肉、しかもそれだけでは飽き足らず、人様から奪った物資(キューブ)をぐちゃぐちゃ食らいながら、偉そうに命令を下してる。その姿が、スレイはなぜか気に食わない。非常にムカつく。何かにソックリだと思ったが、その何かが頭に血が昇ってるせいで思い出せない。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
ボスコボルトはノロナを指さしながら掠れた声で野太い咆哮を放っている。察するに、ノロナの呼び出すガイコツの厄介さを学習したのかもしれない。
「あああああっ、わ、私! やっぱり! ああ足手まといで! まが、間が悪いんです! いっつも! いっつも!」
「大丈夫だよ、この程度ピンチでもなんでもないよ」
「だな。最悪略式魔法と盾で幾らでも切り抜けられる。リリィ、いざとなったら踊りを頼むぞ」
スレイは唯一手元に残すことの出来た、テンプルナイトの証左である大盾と大槌を誇り高く構えた。
守るものがあると、スレイの装備はより一層鮮やかに輝く。
その銀の光沢と威圧感に、コボルト達が圧倒される。
人とモンスター、くしくも両者が別々の理由で固唾を飲み、場が硬直した瞬間だった。
ぬぅっと、コボルト達のさらに背後から、動くだけで煙をかき乱す、巨大な影が現れた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」
《サウザンド・ゴーレム》だ。間近で見るとなんて圧倒的な存在感か。名の由来になった風化した色合いの岩石が積み重なって出来たその巨体は、先ほどまでスレイ達が滞在していた城壁と、当然のように肩を並べていた。
サウザンド・ゴーレムは空気を振動させる雄たけびを上げながら、平手で、足元のコボルト達を邪魔だと言わんばかりに叩き払う。大砲ですら軽々しく摘まめそうな巨大な手なのだ。質量による暴力だった。土煙がまた湧き起こり、収まった後には、一角のコボルト達が全ていなくなっていた。
ボスコボルトは辛うじて難を逃れ、逃げ出していた。サウザンド・ゴーレムはその矮小な背中に構わず、瞳孔ない瞳をスレイ達に向けてくる。
「あの時のゴーレムか!? ま、まさか! 俺たちの顔を覚えていて、わざわざ助けに!?」
「オ!? オオ! オオオオオオオオオオッッッ!! オーーーーーーーーーーッッッ!!」
違う。あれは絶対滅茶苦茶怒っている。見れば分かる。
「だよな!? ゴルフの的にされて助ける理由なんてないよな!? 正しい反応だ! くそっ、リリィ、ノロナ! 逃げるぞーーッッッ!?」
大暴れするゴーレムから逃げる形で、スレイ達は崩れたコボルトの包囲陣を容易く突破する。
森か迂回路か。二つの選択肢がスレイの前に現れた。
「森に行くぞ!」
「わぉ即答! スレイ、選べるようになったんだ?」
ゴーレムに追われている以上、選択肢はなかったようなものだが……。例え追われてなかったとしても、スレイは渓谷沿いの迂回路ではなく、森の道なき道を選んでいただろう。
スレイは、森の入り口でさっそく倒木に足を引っかけていたノロナに、手をまたしても差し伸ばした。
「ほら、また助けてやるよ。申し訳なく思うなよ? 俺は、何度でもノロナの居場所を作ってやる。……絶対お前を手に入れてやるからな。そして俺はハーレムギルドを作ってみせる」
「あ……」
砦にて。スレイの選んだ選択肢だった。
いつの間にか暗い夜は明け、輝かしい朝日が顔を覗かせていた。
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