第8話
3
スレイは見張り塔の上に上り、少し間の抜けた顔をして夜空に浮かぶ満月を見上げる。
「すれいー。それでどうするのー?」
背後には金色の髪を棚引かせたリリィが夜風に目を細め佇んでいた。問いかける声は、風に溶け込みそうなぐらいどこまでも優しい。
「俺が選ぶんだよな? リリィはそれに付いていくって言ってんだよな?」
「まぁね。女々しいなんて言わないでよー? 言ったらくっだらないツッコミするよー?」
「言わないけど。でも一つだけ口にして確認したいことがある。――リリィ。お前が好きだ」
スレイは、自分が思った以上にさっくりと告白が出来て驚く。
(単純に余裕がないせいか。……ふ、進路に悩みついでムードある場所だったのは幸いか)
言葉から遅れて覚悟が決まる。気恥ずかしさに背筋がムズ痒くなる。それでもスレイは赤みがかった顔を引き締め、きょとんとしていたリリィの方に向き直した。
リリィはスキットルのふたを外し、口を付けながら。
「なんか言ったー? あ、スレイもこのお酒飲みたいとか?」
「お互い結構腐れ縁だよな。出会ったのはガキの頃、剣術学校前からか。途中、全く会わなくなった時期もあったよな。俺が修道院に入ってた時とか、リリィが鮮烈な踊り子デビューして、仕事やファンの対応に忙しかった時期とか」
互いに、酸いも甘いも知っている。スレイなどリリィの胸元で泣いたのだ。もう余所余所しく気を張れと言われても無理な相談だ。少なくともスレイは、リリィに対し、なんの隠し事もしていなかった。
スレイは、再び前を向き直して言う。
「……はぐらかすってことは、玉砕したって考えていいんだよな?」
難聴のフリに付き合うことも出来たが、スレイは性分上、はっきりさせようとする。
するとリリィは困った風に、頭をかきながらスレイの横に並んできた。
「そうじゃないよ! あーん! 思い切りが良すぎたよスレイ! いきなり告白してくるからさ! 全然誤魔化せなかったよ! ……はー、分かった。はっきり言うとね」
そして。リリィもスレイに引っ張られるように真面目な調子になり言う。
「スレイ。私もね、スレイのこと好きだよ? でもね、そう答えたら、スレイが妥協しそうで怖かったの」
「? どういうことだ?」
「前から言ってるけど。私はスレイの何気に欲深いところが好き。だからスレイが挫折してたら、立ち直らせたい。支えになりたい。『元に戻って』って応援したい。でも、妥協点にはなりたくないの。……スレイは今、進路に悩んでるでしょ? 私がいるからって、それだけでいいやって思って欲しくなかった。だから、ね? 誤魔化そうとしたんだ」
「妥協しないで欲しいって。あれか。俺に大金せしめてハーレムギルドを作れと?」
リリィはスレイの腕に顔を寄せ、穏和に呟く。
「スレイが。それを本気で望んでいたら」
ふざけて言っているわけではなさそうだ。リリィの端麗な横顔はどこまでも真面目だった。
「俺が言うのもなんだけど、変な性癖なんだな、リリィは。……妥協しない選択肢、か。ふ、ならハーレムもマジで考えないとな。となると、ハーレムギルドを作るとしてもー、やっぱりそこに誰を入れるかが重要だよな? ああっそれ以前に、ギルドの設立資金を貯めないとか? おぅ、そうなると今俺が選ぶべき選択が自ずと決まってくるか? んー……」
スレイの頭にかかっていた霞が晴れていく。見えてきた心はまだまだ不安で一杯だったが、足場が固まってく、そんな感覚だった。
スレイは横にリリィの温もりを感じながら、思考を侍らすために、アミティアで見るのとはまた違う砦の美しい夜空をまた眺め始める。と、会話が途切れ辺りが静かになり、背後の人の気配に気づいた。振り向いてみると階段付近にメメがいて、顔を真っ赤にしていた。
「聞いてませんよ!? 私、二人の大人な会話なんて何も聞いてませんよ!? たまたまです! ちょっと探しモノをしてて、たまたーまお二人の背中を見かけたんです! ぬ、盗み聞きするつもりなんてなかったんですよーっ!?」
「ブレまくってるな。……こっちとしても恥ずかしいから、そのまま何も聞かなかった体を貫いてくれると助かるんだが。で、探し物って?」
「物ではなく者ですね。ノロナちゃんを探してたんです。私、そのー、ノロナちゃんと同じ魔法学校に通ってたんです。実は同級生でして。あははっ、…………、」
別に今の発言に押し黙る要素はない。しかしメメはなぜか苦笑いとしか言いようのない表情をした後、唇を噛み、顔を逸らす。
「その様子だと。感動の再開って感じじゃないな」
実際、スレイは二人が仲良く話している姿を見てない。記憶が定かではないが、ノロナを助けた直後も、メメは何も言ってこなかった。むしろ他人のフリをしていたきらいすらある。
「……、実はノロナちゃん、魔法学校を中退しちゃったんですよ。それで私だけ卒業しちゃって、ちょっと、顔を合わせずらいというか……」
このご時世だ。別に珍しい話じゃなかった。金銭不足に、家業の手伝いを強要してくる親、通学中にモンスターに襲われ死亡なんてのもある。中退する理由なぞ、それこそ路傍の石ころ並に沢山転がっている。
なのにメメのこの態度。……暗に彼女は示していた。他に理由があると。天然のドジっ子が後ろめたい表情をするだけのなにかがあると。
「こ、ここにはノロナちゃんいないみたいですね!? 失礼します!」
「待った! 詳しい事情を教えてくれないか?」
「……? なぜ?」
スレイは直前まで『ハーレムギルト入れるとしたら誰か?』を考えていた。リリィは当然として、次に浮かんだのが、なぜかノロナの顔だった。
「気になるんだ。ノロナのこと。出会った瞬間から、放っておけないと思った。関わり合いたいと思った。……甘い気持ちで聞いてない。だから、よかったら、教えてくれないか?」
落ち着いた声色にしては、ぐちゃぐちゃな思考の中からなんとか紡ぎ出したような、根拠のない曖昧な言葉の羅列だった。
しかし感受性の強そうなメメは、スレイの深いところにある気持ちを察したように、また自らに課した重責に耐えきれなくなったように、震えた声でしゃべってくれる。
「……誰にも言わないでくださいよ? 実はノロナちゃん、学校を止めた後――」
ぽつりと、ともすると聞き逃してしまうかもしれない、本当に小さな声だった。
メメは大きな目から涙をこぼし始める。
……、……詳細を聞き終えて。スレイはなぜ自分がこんなにもノロナを気にかけているのか理解した。
「う、えぐ。も、もしかしたら、私のせいかもしれません。でも私が無邪気に確認すれば、もっとノロナちゃんを傷つけちゃうかも。スレイさん、もしよかったら、ノロナちゃんの事――」
よろしくお願いします、と言われて。スレイは力強く頷く。そしてメメを放っておく心苦しさがあったが、すぐ踵を返し、薄暗い見張り塔階段を降り始めた。
やりたいことが見つかった。スレイは呟く。
「ノロナがね。――まさか魔法学校を中退した引きこもりだったとは」
いや、驚くべき事実ではないのかもしれない。
見た目が白かった。常識を知らなかった。他人を拒絶していた。
「中退してここまでってことは……三年近く? ねぇスレイ。どうしてそこまでノロナちゃんを気に掛けるの? 理由、分かったんでしょ?」
スレイは歩く歩幅を変えずに頷く。
「ああ、今なら理解できる。俺はノロナに対し強烈なシンパシーを感じてたんだ。……目だよ、目。ノロナは死んだ魚のような目をしてた。テンプルナイトを辞めた直後の俺も、たぶんあんな感じの目をしてたと思う。だから気になってたんだ。状況は違うけど、〝俺もノロナも現状に挫折してたんだ〟。俺の場合は隣にリリィがいて、だからこんな風にすぐ前を向けたけど」
「ノロナちゃんは一人だった。そして一念発起して簡単なクエストを受けたらこんな事態になって……。うん、かわいそうだね。だから助けてあげようと?」
「助ける? は! まさか! もっと不純な理由だよ! 俺は俺の為に、ハーレムギルドを本気で目指すって決めたんだ。入れる人間は当然俺の気に入った奴だ!」
クソッタレの世の中だ。嫌な現実は誰のそばにも転がっている。エリートだろうが誰であろうが、挫折する人間はいる。
共感出来る。だから、そんな奴等と一緒にいたい、居場所を作りたい。なんて、クサすぎてスレイはとても言えない。
しかしリリィはスレイの心理を一から十まで完璧に察したように。
「スレイのそういうところが好き。ふふ、目指せハーレムギルド! 応援するよーっ! 頑張れ男の子ーっつ!」
「ふぜけ。ふん、まぁいいさ。リリィの願いを叶えてやる、俺は妥協しないぞ。欲望のまま生きて見せる」
森に挑むか、回避するべきか、それはまだ選べなかった。が、これは選べる。
冒険者になったスレイが初めてする自分の選択。結果は分からない。しかしスレイは臆せず、そして瞳内に滾るやる気の炎を隠さずに、ノロナの姿を探した。
……どれくらい砦内を駆け巡ったか。スレイは肩で息をしながら、ノロナの姿をついに見つける。
ノロナは渓谷側の城壁通路上、跳ね橋を守る大砲の陰に佇んでいた。
「がるる、……どうも。おひとりで?」
リリィは見えないところで待機していた。
ノロナは背後からやってきたスレイに対し、一切動揺が見られなかった。もしかしたらスレイ達が必死に探していたのをどこからか見ていたのかもしれない。
「初めは隠れて潜んでいたけど、それもそれで申し訳ない気がしてきて、出てきた。そんなところか?」
「ひぐ!? なななにか御用ですか!?」
スレイは息を整えついで、ゆっくりとノロナの横に立ち並ぶ。闇がもっとも深い時間帯は過ぎたが、それでもまだまだ暗かった。松明のおかげで渓谷の先はうっすら見えたが、足元は見えない。谷底の水の流れる音だけが不気味に響いていた。
「砦の連中が、おおよそ三グループに分かれてるのは知ってるか?」
「? さんぐるーぷ? ええええっと、ひひひ? その、あの、えののの!?」
一人でいなければ把握出来ていて当然の当たり前の質問だったが、ノロナはキューブの常識を聞かれた時のように慌てだした。
「落ち着け。渓谷に落ちたら、さすがの俺も諦めるぞ。……たぶん」
「ひぐひひ!? すすすすみません。ホント、ホントすすすみませんんっっ!!」
「申し訳なさそうな顔をされるのは本意じゃないな。……何が悪いと思ってるんだ? 森であんな目にあったんだ。ノロナが一人で気を落ち着かせたいと思うは当然だろ?」
「……。ひひ。私、こんな笑い方で。ぐるる、それに獣人族だからつい唸っちゃって。そしてこんな風に、あ、慌てると! ひひひ! すすすぐど、どもっちゃって! ……それを自覚するとダメなんです。混乱しちゃう、恥ずかしい、自分が消え入りそうになって――」
ノロナは小さな背中を丸め、城壁の縁で膝を抱える。ローブの中に顔を埋めながら「だからすみません」と、蚊の鳴くような声で呟いた。
スレイは謝罪の意味をうっすらと認識する。ノロナは自分自身に対し、すごい自己嫌悪を感じているのだ。
「笑い方も、どもりも、先の恐怖で動揺が抑えきれない、って説明が一応付けられるぞ。それで恥ずかしがらずにさ、自分を納得させて、なんとか落ち着いて話せないか?」
「がるる。……。いろいろ事情、知っているみたいな物言いですね。メメさんから? 魔法学校の同期ですもんね。あの子」
ノロナは魔法学校に通っていた。本来なら運動が得意な獣人族にも関わらず、である。
それが意味する事。そして性格。また先ほどメメがスレイに話してくれた魔法学校におけるノロナの日常。
全てある一言に集約出来た。
すなわち――『落ちこぼれ』。
スレイは腐ってもエリートだ。同じ挫折でも、そこにはたぶん、この渓谷よりも深い溝が広がっている。だからスレイはノロナの気持ちが分かるなんて軽々しく言わない。またいちいちノロナの口から悲しみの詳細を聞き出そうとしない。
そんなの無意味だからだ。スレイはノロナを仲間に引き入れたいと思ってるだけだ。だから極めて白々しい形になるが、明るい調子で話しかけ続ける。
「あ、そうだ。メメが気にしてたから、一応これだけは確認させてくれ。ノロナが学校を止めた理由って、メメにあるのか? ははっ、そんなわけないよな?」
「ひひ。いえ。たぶん、違いません」
いくら明るくとはいえ、さすがにギャグみたいな反応をするつもりはなかったが、スレイはズッコケそうになった。
「え!? だってメメはノロナの唯一のとも――」
「あの子の明るさが。ひひ。私にとっては毒だったんです。ひひひっ、自分はダメだって、劣等感を思い知らされました。……がるる、メメさんが悪い訳じゃない。分かってます。私が、いいいやな性格をしているだけなんですっ。ひひひ、自分でも。ひひ、分かってるんです! だから、だからっ、ずっと、家に――」
しょうがない。人の心は単純な善し悪しで均衡を保てない。そして本人も悪いと思っている。
しょうがない。だからこれ以上はいらない。
「……、OK。この話はなしだ。続けても面白くないからな」
スレイは手持無沙汰になっていた両手で、背負っていた大槌をなんとなしに握った。転がっていた床の石材を見つけ、ゴルフの要領で打ち上げる。なんとか場を和ませようとしたのだ。
「おー。飛んでく飛んでく。あ、隣大陸の凶悪モンスター《サウザンド・ゴーレム》に当たったぞ。 ホールインワ~うわ!? 《サウザンド・ゴーレム》の奴、当たった石食べながらメッチャ怒ってる! あはははっ、こえー」
「……、聞きそびれていましたね? 要件は?」
「俺、もしこの砦から生きて帰れたら、ハーレムギルドを作ろうかと思うんだ。ギルドの設立条件は三人からだから、リリィがいても一人足りない。だからノロナ、よかったら入ってくれないか?」
「……ひ、私なんか、あなたのギルドに相応しくないですよ」
スレイはゴルフを続けながら言ったので、ノロナは冗談に答えるような軽い調子で答えてくれる。どうやら『ギルドを作る』という部分だけを信じたようだ。
暗がりの中、また飛ばした石材の欠片が、谷越しにゴーレムの傍に落ちる。いろんな意味で、ゴルフのファインプレイが続く。
「んー、俺が欲しいって言ってるんだけどな。遠回しなお断りなら諦めるけど」
「こんな私が、誰かに、必要とされるなんて、ありえません」
ノロナはまた自分の膝の中に顔を埋めて、今にも泣き出しそうに肩を震わせ始めた。
「~~ッッ、これ以上卑屈はウザいだけですねッ。ひひ、他者を不快にはさせたくありません。これは私が守れる唯一の意地です。……ですから、もう、放っておいてください」
挫折の仕方はスレイ以上か。しかし完璧に腐っている訳ではない。
なぜならノロナは他人を想えるからだ。
森の中、他の負傷者を看病し励まし、スレイ達が来るまで必死に支えた。
メメの明るさに当てられながらも、逆恨みはしなかった。
そして近づいてくるスレイに対し、本来は世を憎んだ愚痴をたっぷり言いたいのだろうが、必死に堪えている。
泣きそうになっても。
耐えられるだけの心がノロナにはあった。
「……ネクロマンサーのクラスって、確か『他者を想える』人間じゃないとなれないんだよな」
ネクロマンサーは死者に語りかけて、力を借りる。身勝手な想いを死者に願っても、死者は決して呼応してくれない。
スレイはますますノロナのことが欲しくなった。リリィが好いてくれるのにも関わらず、である。
激情家というか、火が付いたら止まらない部分があるのは自覚していたが、こんな欲望が自分の内にあったのかと驚いた。
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