第5話
……どこかで鳥の囀る声が聞こえる。しかし生物の気配はしない。原生林を彷彿とさせる森は沈んだ空気に包まれ、しんと静まり返っていた。
雨の影響か、森全体にうっすらと霧が掛かっている。木漏れ日のお蔭で辛うじて先は見えていたが、ありとあらゆる物の輪郭が曖昧だ。冒険初心者が通う森の雰囲気は微塵も残ってない。まるで夢の中――あるいは幻術の中を歩いているような薄気味悪さだった。
「うぅぶぶぶぶ? さ、さむいよ~~~」
「濡れた体が冷えてきたか? いくら回避重視のソードダンサーだからと言って、春先に上下織物一枚の露出ファッションはさすがに挑戦的すぎたな。……俺も装備に関しては人のことを言えないけど」
「スレイ~~、あだだめで~~」
「フルメイルに抱き着くなよ? 鼻水垂れ流して仰け反るはめになるぞ。ほら、メメさんに頼んでファイヤボールでも起こしてもらえ」
リリィは露出した二の腕を震わせながら、馬車の御者台に飛び乗っていった。護衛の穴埋めはスレイが行う。
「あひゃ~、あったまる~~。魔法剣士様はこういう痒いところに手が届く仕様が素敵~。ね、メメちゃん、このまま抱き着いて体温奪っていい?」
「だ! 駄目ですよ! あ、ちょ! そこは! ――ち、ぢべたい!? はひぃぃぃぃぃ!」
リリィに捕食されたメメの絶叫が森に木霊し、スレイ含めた一団から軽い笑いが湧き起こる。無駄に重苦しくなっていた空気が若干弛緩した。
「静かにしろとは言えないな。さて、オークが出るか蛇が出るか」
「スレイ~、いまさらだけど『清流の森』にいるモンスターについて、おさらいするー?」
「必要ない。どうせいるのは《スライム》とか《コボルト》とかだろ」
どちらも特にクラスチェンジしてない人族の大人が素手で戦って勝てるレベルの雑魚モンスターだ。スレイ達程の実力者集団なら、例え奇襲を受けても何の感慨も浮かばず、それこそ装備に付いた水滴よりも容易く露払い出来る相手だろう。
何も心配することはない。『清流の森』がモンスターの巣窟として機能し、それなりの数を養い、平野部より複雑な生態系を形成出来ているのは、なによりもそこにいるモンスター達が〝己の立場〟を弁えているからだ。
積極的に人に危害を加えてくるモンスターはいない。だから人も特段森に注視しない。ただ通行の便が不便な悪路として記憶して、基本無視し、時折思い出したかのように通るだけ。
そう、何も問題はないはずだ。
あくまで、森に潜むモンスターを相手にするだけなら。
「カネカ。確認したいんだが、森を抜けた先の関所が破られたって話は聞いてないんだよな?」
「んー、今のところは。……渓谷一つ挟み隣接している隣大陸のモンスターは、ここにはきーへんよ。あっちは強い分図体がデカいのが大半や。森では生活できないからね」
「だな」
スレイは返答する声に安堵の色が滲んでいたことを自覚する。とにかく霧のせいで辺りの様子が確認出来なかった。湿気も酷い。汗だか水滴だか分からないものが、つぅと頬を伝い、顎から落ちる。
静かすぎる。
分かっていたことだが、
嫌な予感がした。
「あかん」
そして予感は現実となって一団の前に現れる。カネカが慄き混じった呟きと共に馬車を止めると、最後尾のスレイ達も武器を構えて、様子を確認するために前に出た。
全員がカネカの視線の先にあったモノを確認し、息を飲んだ。
「遺体や。ち、知り合いの商人の腕章を付けとる」
数は一体。霧のせいでギリギリまで気づけなかったのか、先頭荷馬車の目の前の木に横たわっていた。徒歩で物資を運んでいたのか、大きなリュックを背負っている。が、中身は空だ。衣服には無数の切り傷が刻まれていた。惨殺体だった。
「おい待て。先を見ろよ。まだ遺体があるぞ!」
雨のせいでところどころに血の池溜りが出来ていた。飛び飛びのそれにそれぞれ沈んでいた遺体が計三体。こちらは護衛か。リュックを背負った者とそうでない者がいて、やはり先の遺体と同じ腕章を付けていた。
「ッッッ!! 知り合いの商人は護衛含めた八人編成で部隊を送ったと言ってたっけ……」
「これで四人だ。残りは?」
先に進んで確認しなければならない。
向かう先が砦なので、腐敗を考えると遺体は連れていけなかった。カネカが遺体の瞳を閉じて道端に逸らすのを待って、スレイ達は慎重に前に進もうとする。
が、その前に前方の霧から影が。認識するや否やスレイ達は臨戦態勢を取った。
近づいてくる。影は人型。しかし動きが人のそれではない、まるで糸に吊るされた人形のようにカクカクしている。
ガイコツだった。薄赤に染まった地面の水面に綺麗な白骨がおぞましく写る。
「アンデットか! なんでこんなところにっ!?」
いち早くロイドが迎撃しようと斧を掲げたか、スレイは手をかざしそれを静止した。
「待て。襲うな! カネカ! 商人の部隊に『ネクロマンサー』がいた可能性は?」
「!? わ、わからへん。――何が言いたいんや!?」
「アンデットは自然発生するモンスターで、大概土で汚れてたり、骨にヒビが入っていたりするんだが、こいつは綺麗すぎる。こいつは降霊術で呼び出された、人造アンデットだ。加え敵意がない。となれば」
ガイコツは頭蓋骨の二つの穴をスレイに向けるだけで攻撃をしかけてこない。それどころか『あらかじめ定められていた動き』をするように、スレイ達に向かい手招きする。
付いて来いと、明らかに誘っている。商人部隊の生き残りが放ったガイコツかもしれない。しかし言うまでもなく罠の可能性も十二分にあった。
「信じていいのかよ? だいたい『ネクロマンサー』っていうのは大抵……。まぁそれはいい。それ以前に。兄ちゃん、兄ちゃん考察に間違いの可能性は?」
「アンデットに関する知識は《モンスター学Ⅰ》の範囲だぞ? 常識だろ」
「は! さすがエリート様は言うことが違うな! 生憎こっちは兵卒でな! いわゆる知識系の技能は持ち合わせちゃいないんだ。……肉体労働が性にあってる。よし俺が行こう。もう二人ほど付いてきてくれ」
スレイとリリィが名乗りを上げた。迷って戻って来られなく可能性を考慮し、深追いはしない――場合によっては見捨てる覚悟と算段を決める。
スレイ達は細心の注意を払って、ガイコツの後に付いて行った。……道を外れ、雑草を切り払い、腐葉土の上を歩いていく。ほどなく。
「ひひひひひひひ。はひ。ううううんが、いいですね。私、いえ私たち。……みみみなさん。起きてください! たたたすかりましたよ! あ、一人死んでる……」
切り立った斜面の下の木陰に、彼らはいた。先行していた商人部隊の生存者達だ。アンデットよりも薄汚れた状態で身を寄せ合い潜んでいた。男三人、女一人、全員どこかしら怪我を負っている。内一人は怪我がもとで頭を垂れて死んでいた。
「ひひひひっ、助けられなくてごめんなさい。……ひひ」
スレイ達に向かいガイコツの救援を出した『ネクロマンサー』は、なんと女の子だった。
ピンと張った耳が生えている。獣人族だ。常軌を逸した目は遺体になってしまった〝彼〟に向けられ、瞳奥の藍色を悲しそうに揺らしていた。汚れを拭えば秀麗であろう顔は、引きつった笑みを浮かべてはいたが、恐怖で表情筋を強張らせていただけなのは誰の目から見ても明らかだった。
「ひひいひひ。がう、わわわたしは、ロロナ・ルルガ・ル・ノロナ、ででです。たたたすけにききききてくれてありががががとうございがるるるるっ――、は、ひ。」
ロロナ・ルルガ・ル・ノロナ。そう名乗った少女は子犬のように声と体を震わせつつ、そのまま目をひっくり返し、ぽてっと気絶してしまう。
「ロロナ・ルルガ……なに?」
「ロロナとルルガは出身地方と部族名。そして『ル』は確か女って意味だ。この場合この子の名前は――」
スレイは、紺色の長いクセ毛を獣の逆毛のように跳ねっ返らせた少女をそっと抱き起す。
「この子の名前はノロナだ」
少女――ノロナは気絶することでようやく本来のあどけない表情を取り戻すことが出来たようだ。緩んだ頬には一縷の涙が伝っていた。
「兄ちゃんの読みが当たったな。ノロナか。事情は聞けそうにないな」
「まず運ぼう。スレイはその子をお願い。他二人は自力で立てる? 肩を貸すから頑張ってー。あ、そうだスレイ、まず回復魔法を――……スレイ?」
スレイはノロナの涙を拭いたまま、固まってしまっていた。
「一目ぼれ? いいけどまず荷馬車まで引こ?」
「……違う。えっと回復魔法だな? 待ってろ。三回ぐらいならキューブで魔力回復しなくても唱えられるから」
状況が状況だ。この場に留まるだけでリスクがある。それになによりまずこうなった事情を聞くべきで、それ以外の疑問は棚に上げるべきだ。そう思ったスレイは、ノロナを抱きかかえた時生じた疑問を、誰にも告げず心中で飲み込んだ。
――獣人族は素の状態でバスタードソードを片手で振り回せるほど、肉弾戦を得意とする戦闘部族だ。魔法職、ましてやネクロマンサーなんて稀有すぎる。
――それにノロナは羽根のように軽かった。ローブの上からでも分かる華奢な体型。唇が蒼白なのは状況的に分かるが、雪のような肌の白さは一体なぜなのか。森に一日二日いただけではこうはなるまい。太陽の光を浴びない生活を少なくても数年間は続けているはずだ。
「……。――教会略式回復魔法・ヒール。……よし、よかったな。これで裂傷で死ぬことはなくなったぞ。あとは単純な体力回復だけど。さらに喜べ、馬車には食糧がたっぷりある」
……スレイ達は生存者を連れて荷馬車の方まで撤退した。間、初心者の森ということを忘れ、神経を研ぎ澄ませながら戻ったが、襲われるようなこともなく、また荷馬車の方も無事だった。
ピリピリと武器を構えて警戒していた仲間達が、生存者を連れて戻ってきたスレイ達を、顔を綻ばせて出迎えてくれる。
特にカネカは思うところがあるのが一入喜んでいたが、ここで拍手喝采して油断するようなタマではない。カネカはすぐ顔を引き締めると、スレイ達に負傷者を後ろの荷馬車に乗せるように指示を飛ばし、速やかに馬車を出発させる。
ようやく事情が聞ける体制が整った。
ノロナは気絶しているので喋れない。他二人が揺れ動く馬車の荷台の中、水と食料をかきこみながら、涙ながらに何があったか話してくれる。
「――こ、コボルトに襲われて全滅しかけたぁ!? おいおい冗談だろ!?」
にわかに信じられない話が飛び出てくる。
「お、俺たちも今でも信じられねぇよっ! あのコボルトが、集団で、しかも道具を使って襲ってきたんだ! いきなり弓で射られて一気にパニックさ。所詮コボルトだと舐めてかかった奴から順にやられていった! 一人ずつ、大量のコボルトに攻められて押し倒されて……。ひ、悲鳴が聞こえたんだ。俺たちの中で一番腕が立ちそうだった奴の悲鳴が! 後はもう総崩れだ。俺たちは荷物を放り投げて必死に森の中に逃げ込んで……」
「仲間を見捨てて、か」
「今回のクエストは『誰でも出来る簡単な仕事』って紹介されてたから引き受けたんだ! 即席パーティーだ! 絆なんてなかった! ……へ。それでも逃げ出した四人は支え合ったんだぜ? 傷を負った仲間を見捨てられなくて、あの場に息を殺して潜んでたんだ。隣で寝てる獣人族の娘なんかは、自分だって怪我してるのに一昼夜問わす必死に俺たちの看病をしててよ。……重症の奴は結局死んじまったけどな。なにやってんだが。あと少しもてば助かったかもしれぇのに。もったいねぇ奴だよ。本当に……」
コボルトは、人の膝元ぐらいの高さしかない非常に脆弱なモンスターだ。二足歩行を覚えた犬と言うと分かりやすいだろうか。なまじ二本の足で立ってしまったが故の悲劇、腰は曲り足は遅くなり、自由に使えるようになった手も、伸ばしたところでこちらの剣のリーチは超えられないと、人との相性はとことん悪い。本来なら冒険者がやられる要素はないはずだった。
「一応、地域によっては脅威になりえる《ハイ・コボルト》や《エビル・コボルト》とかもいるけど。そのコボルトはどんな肌の色をしていた?」
「黒だよ黒! この森に生息してる普通のコボルトだよ! そいつらが知恵をつけて戦略的に襲ってきたんだよ! 道具や武器を使ってなぁ! けけ警戒を怠るなよ! 奴らは明らかに獲物を選んで襲ってくるぞ!」
スレイ達は本格的に泣き出してしまった生き残りに同情的な目を向けるが、やはり懐疑的な態度は隠せなかった。ロイドなど露骨に訳が分からないと両手を上げて呆れ返っている。煽りを言わないだけまだ温情があるというものだ。
「OK~。じゃあこの森に、人を殺せるほど強力なコボルトがいる事を前提に話を進めよっか。そうすると~。んー、まず真っ先に疑問に思うのがー。……なんで私達は襲われてないの?」
リリィの疑問はもっともだ。前の荷馬車にまで話は届いていたのか、カネカが答える。
「せやねー、まずそこがおかしいねー。この霧や。一寸先は闇ならぬ白。襲うなら絶好のチャンスやのに」
話を聞いていた全員が頷く。生き残りの男も説明が出来ず、食い物を持った手を膝に落とし、意気消沈していた。
「いや待て。逆じゃないのか?」
気まずい静寂を破ったのはスレイだった。皆がスレイに注目するが、スレイはそれ以上言葉を重ねず、何やら顔を強張らせながら足早に前に出る。カネカの横に並んだ。
「この霧は雨が降って生まれた一時的なものだ。あとどれ位持つ? 消えるまでに森を抜けれるか!?」
「お天道様のご機嫌しだいやと思うけど。後十分も持たへんと思うで。なんや霧が晴れるとマズイんか?」
カネカの言うとおり、霧は既に晴れかけていた。進路先の道など緑のカーテンが薄く、太陽の光が降り注ぎ完全に視界が開けていた。スレイは下唇を噛む。
「いいか。相手は獲物を選ぶ程度には知恵が回るコボルドだ。短絡的じゃない。なら霧をどう捉える? 不確定要素だと捉えるんじゃないのか? 霧で碌な戦力評価も図れない中、馬車を突っついて中から兵隊が出てきたら大変だからな。だから襲えなかった。……逆なんだ。霧は俺たちを守ってたんだよ!」
スレイが言い切ると同時に、荷馬車が霧地帯を抜ける。
森の雰囲気が一変した。苔むす悠久の大木を称えた、木漏れ日の光眩しい『清流の森』本来の姿に。
同時に。
明るさに満ちた木々の隙間から、無機質な一本の矢がカネカの眉間に向かい飛んでくる。
「なめるなやぁっ!!」
それをカネカは犬歯をむき出しに、腰のダガーでいともあっさりと切り落とした。
カネカは吠える。
「こちとら商人始める前は、腐った肥豚貴族相手にシーフクラスで盗賊やっとたんや! 狩人スキルも乗ってない、んなトロイ矢に当たるはずないやろッ!」
どこに隠れていたのか、コボルト達が姿を現した。数は一、三、十、……数えきれない。多量の群れだ。ノコギリのような歯と浅黒い肌は、間違いなくこの森に以前から生息しているノーマルコボルトのものだった。
大木の太い枝に爪を立て掴まっていたコボルト達が、一斉に矢を放ってくる。位置取りだけを見るなら戦術教科書に乗せてもいいぐらい完璧な奇襲だった。
が、直前に少なくとも警戒を抱かせるに足りるスレイの掛け声があった。
「は! 人間様の装備を奪ったのか!? 弓が体格に合ってねぇぞ! 弓隊の数もたりねぇ! あくびが出る奇襲だな!」
ロイド含め、荷馬車を守る冒険者たちは、豪商カネカのお眼鏡に叶い三百万という大金で雇われた冒険者達だ。つまりは精鋭。百戦錬磨のプロとは言わずとも、この状況に慌てふためく者は一人もいなかった。
降り注ぐ矢を、ある者は荷馬車を盾に防ぎ、ある者は優雅なステップで避け、またある者は火魔法を略式詠唱し燃やし尽くす。負傷者はいない。全員臨戦態勢に、己の真価を見せつける。
「第二射が来る前に駆け抜けるで! 前方の敵を蹴散らしてや!」
横着し木の上に留まり続けていたコボルト数十体は、冒険者達の怒りが滲んだ全力の反撃を受けることになる。
「エア・スラッシュ!」「――乱れ打ち!」「っしゃあ! 斧投げ!」
剣撃が、矢が、斧が。世界の理に訴えかける力の加護を受け、一撃必殺の威力を持って敵を引き裂く。
爆発魔法に近い音がした。枝やら木の葉やら混じった粉じんが盛大に舞い上がり、その中を荷馬車が駆け抜けてく。スレイは味方のあまりにも容赦ない一撃に辟易しつつ後方に。荷馬車の中の生き残り組を確認した。
「よう、ちゃんとまだ生きてるか? 助かった命を無駄にしている奴はいないよな?」
「なんとか。……爆発音は味方か? 寿命が縮んだと伝えといてくれ」
スレイは生き残り組の悪運の強さを褒め称え、同時に魔法詠唱を始めた。
「寄る辺なき力の奔流よ。聖なる光壁となって彼らを守りたまえ。ホーリー・ウォール」
テンプルナイト十八番の聖護魔法だ。円柱状の光の防壁が生き残り組を囲う。
「これで敵の矢はもちろん、味方の魔法やスキルが誤爆しても大丈夫だ。俺の魔法はそんじゃそこいらの雑魚じゃ貫けないからな。安心していいぞ」
ぶーぶーと味方から文句が出るが、生き残り組は安堵したように笑ってくれた。
「あ、ありが――!? アンタ! 後ろ! 後ろだ! コボルトが!」
しかしその顔はすぐに驚愕に歪む。スレイが振り向くと、すぐ後ろに剣を携えたコボルトが迫っていた。
スレイは見てしまう。コボルトの握っている剣が既に赤い血に染まっていることを。人か亜人か。どちらにせよコボルトの血ではない。
先の惨殺体を思い出し、恐怖と怒りが混じった薄ら寒い感情がスレイの背筋をすっと貫く。
「ぎぎぎぎぎぎゃ!」
剣を両手で構えたコボルトが、聞くに堪えない醜悪な声を上げ飛びかかってくる。しかしスレイはあえて避けずに受け止めた。
「で?」
パキンと剣が折れる音が響く。見えていた結果だ。血で汚れ切れ味が落ちた剣で、スレイの厚いテンプルナイトの甲冑を貫けるわけがなかった。
根元から折れた剣をぽかんと眺めるコボルトを、スレイは大槌を掲げながら冷めた目で見つめる。
ハンマーと呼ぶにはあまりの禍々しい鉄塊が横なぎに地面を撫でた。大槌に身を浚われたコボルトは近場の木の幹に叩きつけられる。響いた鈍い音は、敵のみならず味方の動きまでも一瞬止める効果があった。
「うっわ。スレイは私たちの攻撃に顔しかめてたけどさー。どっちが容赦ないんだがー」
「体格に合ってない剣で刺されて、嬲り殺しされるよりマシだ。今のコボルトは、自分が死んだことすら気づけなかっただろうさ」
テンプルナイトは容赦ない一撃を持って慈悲となす。故に恐れられ、敬われる。教会の守護者は決して神の愛の体現者ではなかった。
「へ。エリート様にしてはなかなかお上品な攻撃だったぞ。おし! 敵がひるんだぞ! いけいけいけいけ! このまま突っ切れ!」
一瞬荷馬車がコボルトの群れを突き放す。しかしコボルト達もそのままでは終わらず、後ろから物凄い勢いで追ってくる。彼らは足の遅さを木上のツタを使い移動することでフォローしていた。ここにも通常コボルトと違う知恵が垣間見える。そして数が多い。奇襲は避けたものの、油断していい状況ではなかった。
(組織だった動きを感じるな。生き残った弓隊は温存か? 特攻してるのは丸腰、あるいはダガーやソードを持った接近戦専門の部隊だ。……向こうは明らかに計算した上で、その上で捨て身で襲いかかってきてる? 今はまだ勝ってるけど……)
味方がバカスカと魔法やスキルを放って、追ってくるコボルトを蹴散らしていた。
スレイはガス欠になった体内魔力を回復するため、携帯していたキューブを噛み砕きながら思う。
回復に、攻撃、そして防御。数の差も補える。魔力とは。なんて便利な力なのだろう、と。
「ち。魔力切れだ! キューブ! キューブをくれ!」
「ひぁ! あと二発撃ったら魔力切れですぅ! 誰かフォローお願いしますーっ!」
だが決して万能な力ではなかった。燃費がとてつもなく悪いのだ。魔法使いクラスでさえ、大型魔法を一発、略式詠唱出来る低級魔法ですら十回も放てば、魔力が尽きてしまう。
「こっちも残りキューブ一! ――んぐ。で、なくなった! 誰かっ、キューブ余ってないか!」
「私のあげる! でもこれがラスト!」
だからこそ、主に月下草などのエキスを固めて作った〝キューブ〟なる即時魔力回復アイテムが普及しており、
「なくなったら商品に手を付けるぞ! 悪いが必要経費だ。死ぬよりマシだと思ってくれ!」
「アンタの斧は飾りなんか!? 戦士やろ! 肉弾戦もイケるやろが!」
だからこそ、イデアロール・サモンなどという、常時発動型の自己強化儀式魔法が幅を利かせていた。
「俺もじきにキューブが尽きる! 常にシールドを張ってなきゃいけないんだ! なくなったら商品をいただくからな!」
「泣きたくなるわ! ほんま! ええいっ、アメちゃんは一人一ケースまでや! それ以上は金もらうで!」
戦いにもセオリーというものがある。現代において戦いとは、モンスター戦にせよ、対人戦にせよ、如何に効率的に魔技をぶつけるかだ。
そういう意味では、スレイ達の置かれてる状況は、現代戦の定石から外れつつあった。なにせ相手はコボルトだ。どこにぶつけても効率的だ。
(っ違う! 打たされてるんだ俺たちは! くそくそっ、俺たちはまだ敵の〝急所〟を見つけられてない!)
しかし幸いにして、消耗してる分のリターンはちゃんと受け取れていた。当初は頭上を覆いつくほどいたコボルトも大部目減りしている。あとは魔技を使わず、イデアロール・サモンによる能力補正だけで切り抜けられるように思われた。
……なんて、甘い考えを打ち消すように。
姿を隠していた敵の弓隊が再び現れ、あるものに狙いを絞り一斉に矢を放ってくる。
「きゃああああっっ!?」
狙いはメメ――のすぐ手前、二台目の荷馬車の馬だった。誰もがスキルや魔法を控えようと思っていた直後だ。咄嗟のフォローが入らなかった。哀れにも矢の的になってしまった馬は悲鳴を上げて地面に伏す。釣られるように前を行くカネカが慌てて馬車を止めてしまい、場が一気に混乱した。
「負傷者を前の馬車に乗せるんだ!」「バカあきらめろ! 先に行け!」「荷物をあきらめる? 冗談じゃねぇ! 報酬が減るだろ!」「負傷者を――」「敵が来るよ! まずは撃退を!」
敵が消耗戦をしかけていた意味を全員が悟る。しかし遅すぎた。
拙い言葉で守られていた味方同士の連携が、微妙にずれる。
――一人、味方からやや離れる動きを取ってしまっていた冒険者がいた。
「くっ」
彼は『狩人』だった。ロングボウを扱い、スキル『五月雨打ち』を得意とする中堅冒険者。いままで派手なクエストは受けたことはない。狩人特有の観察眼で美味しいクエストを見抜き、掛ける労力以上のそこそこ贅沢な日々を送っていた。
そんなリスクを極力取らずに生活していた彼にとって。この状況は心中穏やかならぬ事態だった。焦燥が心に根を張り、どうしようもなく動きを支配してしまう。遠距離職の性というべきか、彼は本能的に敵から距離を取ろうとして、立ち止まった味方からも離れてしまう。
「?」
彼は眩い黄金色の光を見た。
自分に向かい放たれた、魔法『サンダー・ショット』の光だった。
――文字通り雷が落ちる音が響く。
「なんだっ!? 魔法!?」
誰もが全身の産毛が逆立つ轟雷音に一瞬身を怯ませた。その後は大まか二通りの反応を示す。半分は雷の矢に心臓を突かれ、あっさりと即死してしまった仲間の狩人を見て、もう半分はその雷の矢の発信地を見据えた。
スレイは鼻に付く焦げ臭い匂いに怒りを覚えながら確かに見据える。
遠方、太陽から隠れた最も影濃い木々の上に、明らかに毛色の違うコボルトがいた。異質にも杖を持っている。外見はこの森の在来種である《コボルト》のようにも、またこの森にいるはずのない《エビル・コボルト》のようにも見えた。
あるいはまったく別の種か。分からない。スレイは怒りで自分の判断力が低下してしまっていることを自覚する。
「魔法を放ったのはやつだ! あのクソ野郎をぶっ殺せっっっ!!」
ともかくあれが敵のアキレス腱なのは間違いない。スレイは〝スキルや魔法をぶつけるにもっとも効率のよいところ〟を指さし、怨嗟滲ませた声で味方に伝える。
しかし敵とてやはりバカではなかった。スレイ自身遠距離攻撃をしかけようとしたが、それよりも早く毛色の違うコボルトは、枝葉の陰に雲隠れしてしまう。
残されたのは最悪な状況だけ。追いつかれた。スレイ達は三百六十度、敵に囲まれてしまった。
敵は狩りを焦らない。決死隊で円を組み、徐々に包囲網を狭めてく。
そのにじり寄りが、スレイ達にとって屈辱だった。コボルトに迫られて後ずさるなんて、前代未聞だ。しかしその悔しさもまだ生きているからこそ感じられるものだ。いずれ敵の不細工な犬顔もムカつかなくなる。死という絶対的な状況に、五感全て奪われる。
「あと少しで森を抜けれるのに……。く、だからこそか」
コボルト達はここで決着を付けるつもりだ。木の影から掛け声が響き、一斉に飛びかかってきた。
密度の高い時間がやってくる。スレイ達は敵の第一波を容易く一撃で防いだが、同時に敵がこのまま二波、三波と物量で圧殺してくることを悟った。しかし分かったところでどうしようもない、各々背中を任せている味方を裏切り逃げ出すわけにもいかなかったし、荷馬車の中で怯え泣いている怪我人を見捨てるわけにはいかなかった。
――?
と、咄嗟に荷馬車の中を確認したスレイであったか、訝しむ。
荷馬車の中に光が見えたのだ。漆黒だが眩しい、気高い光が。
「ひひひひひひひひっ、――アンデット・ササササモンンッッ! ぐるるっ、我が随順なる眷属達よ! 示せ! 示せ! 示せ! 闇の、ひひひひっ、あう、お、お願い、皆を守って!」
地獄の淵を覗いたような大きな紫の魔方陣が展開し、皮肉か中から穢れなき白を称えた白骨体が現れる。
アンデット・ナイトだ。スレイ達とコボルトの間に割って入り、スレイ達を守ってくれた。
状況が一変する。アンデット・ナイトの一団は、敵の士気と陣形を大いに乱してくれた。
「! 今だ! 全員魔技を打て!」
爆発に近い粉じんが起き、さらに敵の混乱に拍車が掛かる。
逃げるのは言わずもがな。後はどうやって逃げるかだが……、スレイはロイドが死んだ馬を退かし、後方の荷馬車を動かそうとしているのを目撃した。「無理だ」と、咄嗟に言おうとしたが声が掠れて口先だけが動く。
ロイドはスレイの表情だけで言わんことを察したのか、大胆不敵にもこう答えてきた。
「まぁ見てろっっ! 戦士クラスは筋力補正の他に、『怪力』ってスキルも使えるんだっ!」
初動こそズズズと鈍い音が聞こえてきそうなぐらい遅かったが、動き出してからは早かった。坂道を下っているわけでもないのに、徐々に勢いが付き始める。それを見た味方が追従し荷馬車を押し始め、さらに動きは加速する。
スレイは感極まり叫んだ。
「オイオイ! まじかよ!? まじかよっおいおっさん!? やっぱり森に入る前わざと俺に装備を汚させただろ!? はははっ、いいぜ! 許してやる! むしろ今まで力を蓄えてたことを褒めてやる!」
対しロイドは頭からヘルムをずり落とし、ハゲ頭を晒しながら、顔を真っ赤に鼻息荒く答える。
「いいがらッッ!! 矢がどんできでんだよ! テメェは俺にぃ! えんごぉまほうの一つでぇもぉかけろぉぉっっっ!?」
「ははっ! 悪いが無理だ! 俺はしんがりを務めさせてもらう! リリィ! おっさんのフォローを頼めるか!」
「はいはーい! 踊って戦えるのがソードダンサーだからね! かかる火の粉ならぬ敵の矢は全部切り払っちゃうよー! ついて『戦いのロンド』も踊っちゃう! みんな! 頑張れーーっっ!」
ソードダンサーは踊りで味方の能力を底上げ出来る。いよいよ馬車の加速は早くなり、馬が引っ張っていた時と遜色なくなった。コボルトの集団を引き離す。
心地いい風と共に、森を抜けた。燃えるように赤い夕焼けと、涙が出るぐらい美しく雄大な丘が姿を現し、その丘にそびえる砦も見えた。
砦からは早くもこちらの姿に気付いたのか、援軍が出てきている。状況は逆転する。コボルトは森から出てまで追いかけてこない。
「っしゃああああああっっっっ!! おい、助かったぞ!? あの状況から生き残ったぞ!? 奇跡が起きたけど神に感謝するなよ? 誰のおかげといったら――」
スレイはカバッと荷馬車の中に半身突っ込み、気絶から復活し、ぽけっと佇んでいたノロナを抱き上げた。
「えーロロナ・ルルガ・ル・ノロナさん――、いいやノロナ! あんたのおかげだぁああああ!」
「いいいきききなりよよよよびすて? ひ、あああああああああああああっ!? ふりまままわさないでぇええええええええ!? ひはやはひぃぃあぁひひやはああああああああっっっっ!?」
言うまでもない、最高のタイミングで目を覚まし、最高のタイミングでアンデット・ナイトを呼び出してくれたのは彼女だった。
アンデットは強くない。だがコボルトもまた決して強くはなかった。死という最大のリスクを負わなくていいアンデット・ナイト達は、スレイ達には到底できないレベルでコボルト相手に大暴れしてくれた。おかげで一時的にも数の不利が和らぎ、スレイ達はあの場から脱出することが出来たのだ。
スレイはノロナを神輿のように担ぎ、神よ仏よと褒め称える。リリィが踊って囃し立て、ほか仲間も拍手喝采、生き残った喜びを分かち合う。砦からきた救援部隊も初めは訝しんでいたが、勢いに負けて万歳し始めた。単に食料が届いて喜んでいただけかもしれない。
ともかく皆笑っていた。
ただ一人、ノロナだけが小ぶりな頭を振り回し、くるくるきゅーっと目も回していた。
「ひひひひひややややや! 何何何!? したのひと! せせせめててええええ、おななななまええを!」
「あれ言ってなかったか? 俺はスレイ。スレイ・H・ヤシマだ。よろしくな! それと初めましてこんにちは! いやこんばんわ、かな? もう」
「ひひふわはああああ!? すすすスレイさん! おろちてぇえええええっ!?」
後になって分かったことだが。
ルルガ族にとって男性に肩車してもらうのは、結婚する男女が執り行う一つの立派な儀式だった。
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