第4話

 覚悟と期待を持って迎えた明朝。スレイはリリィを引き連れ、集合場所であった城塞都市アミティアの古めかしい西門前にやってきた。

 今日。これから。スレイの冒険者としての日々が始まるのだ。腹を据えたスレイの足取りは力強い。天気もそんなスレイの門出を祝福するように――……。


「雨だよ。雨。ざーざー降ってる。暗雲が立ち込めちゃってるよ……」


 土砂降りだった。太陽は覆い隠され、頭上には不安を絵にしたような厚い雲が広がっている。地面を叩く大粒の雨はスレイのフルメイルにも万遍なく当たり、カンカンビタビタとものすごい音を立てていた。


「あはははっ、いきなりずっぶ濡れ! よかったねスレイ! バケツヘルムを被れば傘いらずだよ! あはははっ!」

「なんで頭までずぶ濡れでそんな犬みたいにはしゃげるんだ? ええい笑うな! く、俺は雨男だったのか!?」

「これで雷が落ちたら満点やな。曲芸師に転職しても食ってけると思うで」


 集合場所では、既にカネカが幌を張った荷馬車二台を待機させ待っていた。ぽつぽつと昨日顔を合わせた冒険者の面々もやってくる。あっというまに小隊規模のキャラバンが出来上がる。


「うし、それじゃ出発前に最後のミーティングといこか。……おーい、メメ!」


 計十一人、昨日見知った顔が集まったと思ったら、最後に二台目の荷馬車から、ひょいと新顔が現れた。スレイは目をぱちくりさせ、びっくり。町ですれ違ったら振り向くのは必須、いかにも店の看板娘を任されそうな、素朴で可愛い女の子が駆け寄ってくる。


「初めまして! 今回後方の馬車の操車を任されました、カネカ商会で下働きさせてもらってます、メ――ぶ!?」


 長く細い三つ編みを棚引かせた少女は、泥に足を取られ見事に転んだ。


「ふぇぇぇぇ! メメ・E・キャンベル、15才です! クラスは魔法剣士! ドジですがメゲません! よろしくお願いしますーっ!」


 有言実行するようにメメはめげずに立ち上がる。登場一秒でいきなり泥だらけになったその不憫な姿を見て、誰しもが「あ(察し)」という顔をした。


「いい子そうだな。……繁盛店の軒先でさ、妹属性の甲斐甲斐しい子の相手をするのは大歓迎だけど。これから俺たちは一応モンスターがひしめく森に行くんだぞ? 大丈夫なのか?」

「こんなん見えても剣の実力と魔法の才能はあるんや! さ! 天然ちゃんの完璧な自己紹介が済んだところで! 各々荷馬車を守る位置を最終確認! 出発するで!」


 豪雨に負けないカネカの声が響き渡る。カネカは羽織っていた外套を頭に被り前の馬車に飛び乗った。後ろの馬車には泥塗れで泣きじゃくったメメが。スレイはその後方馬車の最後尾左側に付き、隣にはあのドワーフのおっさんが皮ブーツを履いたデカい足をぬかるみに沈めながら立つ。久しぶりにシミターを手にし、『ソードダンサー』にクラスチェンジしたリリィは、スレイの手前で土と雨の匂いを楽しむようにはしゃいでいた。

 五対五、左右二班に分かれ荷馬車二台を囲うように守る。

 鞭打たれた馬が蹄を上げた。スレイの冒険者としての初クエストは、土砂降りの中、ゆっくりと動き出した。




 ……森の手前まで、しばらく舗装された平坦な街道を進んでいく。荷馬車二台が優にすれ違える幅があった道は雨が降っていても視界良好で、遠方に潜むモンスターの影もよく見えた。 

 基本的なことだが、行商人が行き交う道に、好き好んで飛び出してくる雑魚モンスターはいない。そして都市近くのモンスターは、雑魚以外すべからく駆逐されている。

 生憎の雨模様を除き、実に平和な行軍だ。よってスレイは自然と隣を歩くおっさんドワーフと話しこむ。おっさんドワーフの名はロイド。『戦士』クラスの熟練冒険者だった。ちなみに『戦士』は、基礎クラスである『剣士』の発展クラスだ。剣以外の武器の扱い方を学び、ある程度の強靭な肉体を持っていればクラスチェンジできる中堅クラスだった。


「なぁテンプルナイトの兄ちゃんよ。その鎧、キツくないのか?」

「別に? テンプルナイトクラスの補正で重装備も苦にならないけど」

「俺が心配しているのは、この先の事だ。森の中を探索するんだぞ? 兄ちゃんの装備はどう考えたって冒険向きじゃねぇ。戦闘が起きたら絶対動きが鈍くなる。さっきの嬢ちゃんじゃねぇが、実戦で転んだらそれまでだ。小回りが利かないってのは、野外ではそれだけで致命傷になるんだよ。こんなの言われるまでもなく分かってるだろ?」

「……そりゃ、ね。分かってるけどね」


 スレイは苦虫をつぶしたような顔になる。既に素顔を晒している。バケツヘルムは視界が悪く、しかも雨で蒸すので、行軍早々荷馬車の中に放り込んでいた。

 スレイ以外、皆軽装だ。継ぎ接ぎだらけの普通の衣類の上に革製の防具を着て、胸や腰、関節部など重要な部分だけをわずかな鉄製の装備で守っている。標準的な冒険者の格好だった。

 機動性重視なのはいうまでもなく。歩行動作一つとってもスレイとは全然違う。雨の中ガシャガシャとうるさい足音を立ててるのは、スレイの鉄ブーツだけだった。


「兄ちゃんはエリートのテンプルナイトだ。テンプルナイトにクラスチェンジするためには、剣士やナイト、ほかプリースとか様々なクラスも取得・経験しなくちゃならねぇ。別に重装備じゃなきゃ戦えないってわけじゃないんだろ?」

「……この装備は、俺が唯一尊敬してた大隊長がくれた大事な装備なんだ。宿に置いていったら盗まれる可能性があるし、換金するなんて持っての他だ。それに剣もここ数年握ってないからな。これが一番扱い慣れた装備なんだよ」

「大盾と大槌だけなら否定はしねぇよ。が、全身重装備となるとどうもね。兄ちゃんもその隊長とやらも未練がましいと言わざるを得ないね。皆そうなのか? 教会のシスターとよろしくやってるともっぱらの噂のエリートテンプルナイト様はよ?」

「俺や教会の悪口はともかく、大隊長の悪口はやめてくれ」


「警告しておく。過去を引きずってると、あっさりと命を落とすことになるぜ。兄ちゃん」

 一団の前方の道が二股に別れる。少し左曲りにしっかりとした街路が続いている方が迂回路。もう片方のぺんぺん草が生えた土道の方が、遠目に広大な森林が見えている通り、『清流の森』へと続く直進路だ。

 ルートは決まっている。当然荷馬車は舗装された道を外れ、あぜ道の方に。しかしそこでトラブルが。メメ操る後方の荷馬車が、雨でぬかるんだドロ溜りに嵌り、前に進まなくなってしまったのだ。


「ちょうどいい。兄ちゃん、その無駄に大きな盾をよ、荷台の車輪の下にはめ込んで持ち上げてやれよ」


 タイミングが悪かった。


「二人で押せば済む問題だろ。いいか。盾なんだぞ。俺のこの装備は。スコップでもテコでもない。なんか無意味に俺の大盾を汚させようとしてないか?」

「おいおい! これからもっと血やなんやらで汚れることになるんだぞ!? それともエリート様は敷かれた道以外は進めないってか!」


 スレイとロイド。にらみ合った互いの声は、春先の雨より冷たかった。

 空気の緊張は他の仲間にも即座に伝わるが、誰も止めたりはしない。むしろニヤニヤ笑っているのが大半で、中には「冒険者だろ、腕っぷしを見せろ」と、口笛を吹いて囃し立ててくる者までいた。


「…………」「…………」


 スレイとて決して温室育ちではない。ロイドの腕まくりに合わせ、スレイも武器を置き、ガンドレットを嵌めた手で握り拳を作る。

 フルメイルの鎧を着ている以上、スレイの方が有利に思えた。が、ドワーフ族のロイドが『拳闘士』クラスの『スキル』を習得している場合は話が違ってくる。

 『スキル』とは。該当クラスになって覚えないと使えない、体内の魔力を消費した立派な術だ。要は魔法使いの『ファイヤボール』と同じようなもので、例えば剣士クラスが『二段切り』を放つにしても、ちゃんと『スキル』として放つのと、見よう見まねで同じ動作をして放つのとでは、威力に雲泥の差が出る。

 魔法やスキルを合わせた魔力を消費して繰り出す技を『魔技(まぎ)』という。

 体内の魔力は希少だ。自然回復には時間がかかるし、魔力回復アイテム――今も荷馬車で運ばれている〝キューブ〟と言われているアイテムは、それなりに値が張るので、ただのケンカでは『魔技』を使用する輩は普通はいない。


(だけどこの場合はー、男の意地ってやつがかかってるんだよなー)


 スレイは覚悟を決める。ずっと前から頭から滴った雨水が鎧奥まで浸透していたが、その程度では興奮した感情は冷めなかった。むしろ蒸れた全身の不快さを振り払うように、泥水を踏みつけた足が、今にも弾かれるように浮きそうになる。

 が、


「んー? スレイが荷馬車を押してくれるのー? んじゃー私が踊って応援しちゃう! おまけに歌も歌っちゃう! へいへいへーい!」


 荷馬車の上に飛び乗ったリリィの陽気な声が、かろうじてスレイの足を地面に押しとどめた。


「月の夜~♪ 掲げられた杯~♪ 今日も我らは~♪ 酒を片手に語り合う~♪ 生きてる喜びを分かち合う~♪」


 見目麗しのリリィは荷馬車の上でステップを刻む。雨なんて関係ない、いや雨だからこそ、リリィの瑞々しい体は雨水を弾き、より一層艶やかに光り輝いていた。


「なぜ我々は日々を称えずにはいられないのか~♪ 主の愛だけでは~♪ 足りないのか~♪ 欲深くも求めてしまう~♪ さらなる糧を~♪ さらなる喜びを~♪」


 酒場でよく歌われている民謡だった。その日その日の〝生〟を称える、冒険者の歌だった。

 リリィの肉体が、歌詞に合わせ生を称えるように躍動する。両手を掲げてくびれたお腹を回す姿は美しく、胸揺らしながら身体を舞わせる姿は、エロスというより女体の肉体美をこれでもかと表現していて芸術性すら感じた。

 リリィは嬉々と笑いながら、スレイに手を伸ばし語りかけてくる。


「ね。スレイ。早く前に進もうよ。こんなところで立ち止まってる暇はないでしょ? スレイは自分の夢と欲望を叶える為に冒険者になったんでしょ?」


 気づけば雨は止んでいた。空を覆っていた暗雲の隙間から太陽の光が差し込んできて、くしくもリリィを中心に、ほんのりと淡い光だまりが出来上がっていた。

 雨粒がそう見せるのか。リリィの全身が眩しく輝く。

 光に包まれた、生命力溢れた笑顔がそこにはあった。

 スレイは。


「だな!」


 憑き物が落ちたように軽く笑い、肩の力を抜いた。そして泥に嵌っていた荷馬車の車輪の下に向かって、テンプルナイトの大盾を突き刺した。


「立ち止まっていられないな! ああそうだっ! 俺は欲望のまま生きて、大金を手にして、あんな風に笑うためにテンプルナイトを辞めたんだった!」


 スレイは大盾に体を押し当て、そのまま押し始める。泥溜りから車輪を押し出そうとする。

 ロイドはリリィの踊りとスレイの豹変にすっかり毒気抜かれたようで、初めては唖然と驚いていたが、やがて悔しそうに呟いた。


「は、リリィ嬢がね。これはこれはなんつーか。……うらやましいな!」

「正直に俺にはもったいないって言っていいぞっ! 自分でもそう思ってるからな!」

「よかったらモテるコツを教えてくれねぇか? 真面目に参考にしてぇよ」

「こっちが! 聞きたい! まったく! なんでこんな情けない俺に! リリィは付き合ってくれるんだろうなっ!?」

「あははっ! 私はねー、欲深い人が好きなのー。スレイはこう見えて結構エゴの塊なんだよねー。それを自覚してて、でも必死に抑えてるところがー可愛いっていうか、なんていうかー」


 車輪が動き出す。上で応援していたリリィは全身から水滴を飛ばし、喜びの踊りを加速させた。


「いやどいてくれませんかねリリィさん!? 荷馬車に余計な体重かけてるのを分かっていらっしゃいますかね!?」

「あ~~~、スレイはこんなに軽やかに踊るリリィ様に体重があるっていうんだふ~~~ん。……ほらほら早く荷馬車を動かさないと。昨日のスレイの情けない痴態をしゃべっちゃおうかなー? 昨日ね~~スレイはー私の胸中で――」

「ふわぁおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっ!?」


 こんなところでスレイの火事場の馬鹿力が発揮される。


「あ! もう大丈夫です! 荷馬車が動き出しました! ありがとうございます~~っ!」


 泥溜りから脱した荷馬車は、ガタガタと急加速していく。

 スレイは慌てて動き出した馬車に付いていく。その左手に持った大盾は、歪みこそしなかったものの、泥でくっきりと車輪の痕が残ってしまった。だがスレイ本人は悔しがらない。むしろ、ぐちゃぐちゃに泥まみれになった自分の装備を誇らしげに、前を向く。


「さて。いよいよ『清流の森』だな」


 鬱蒼とした森は雨露に輝き、その深緑をより一層濃いものにしていた。森の中央をくり抜いたように通っていた道は獣道かと見間違うぐらい狭く、また化け物の口のように薄暗かった。

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