一章 冒険者とは

第2話

 教会本堂の左棟、石造りの壁がむき出しになったテンプルナイトの詰め所。スレイは、計三十名いるテンプルナイト部隊のトップ、ヴォルフ大隊長の机に辞表を叩きつけていた。


「どうしてもか? 利権、面子、そして表面を取り繕うための欠片ほどの慈悲が教会の理念だ。上はお前の行動を咎めないと通達してきたぞ?」

「出世コースからは外れました。テンプルナイトになって一年経ちましたが、このまま一生給与が上がらないと考えると辟易します。それに正直、俺は、こんな――」

「腐った教会にはいたくない、と。ふぅ、分かった。あながち間違えた選択とは言えないな。辞表を受け取ろう。それでこの先、どうするんだ?」


 齢五十を超えた人族とは思えない、逞しい顔つきをしたヴォルフ大隊長は、自慢の髭を撫でつつ、辞表に視線を落したまま心配そうに聞いてくる。


「……冒険者にでもなろうかと。腕一本でテンプルナイト並みの金を稼ごうと思ったら、やっぱり酒場でクエストを受ける生活以外ありえないと思うので」

「そうか。なら先立つものが必要だろう。テンプルナイトの装備一式持って行け。餞別だ」

「へ、まじ!? い、いえ! そんな悪いです! テンプルナイトの装備は非売品、大盾や大槌に関しては、巷には決して出回らないミスリル製と特注品だと聞いています」

「だからだ。お前のために調達された装備を残されていっても困る。横流しは罪だが、去っていく者に餞別で渡すのは特に規定で定められていないからな。これぐらいは支援させてくれ」

「ヴォルフ大隊長……。あ、ありがとうございますっ!」


 スレイは目じりに涙を浮かべ、教会の中で唯一尊敬する堅物上司に頭を下げた。

 スレイの脳内でこの一年間の思い出が鮮やかに蘇る。……大概怒鳴られていて、その都度大隊長の頭皮に対し呪詛の言葉(ハゲろ)を呟いていた気がしたが、それはこの場では関係ない。


「でもすみませんでした!」

「? お前の選択だ。謝る必要はない。いいかスレイ、忘れるなよ? 『ジョブ』としてのテンプルナイトはではなくなるが、『クラス』としてのテンプルナイトはなくならない。お前は概念召喚固着化儀式魔法――イデアロール・サモンにより、テンプルナイトの能力補正を受け続けられる。この意味が分かるな?」


 頭を上げたスレイは、それぞれの手で数十キロはある大盾と大槌を軽く持ち上げながら言う。


「はい。筋力補正に、略式聖魔法のスキル。それにテンプルナイトのクラスを獲得するために覚えたモンスター学や薬学などの様々な知識。これからも有効利用させてもらいます」


 イデアロール・サモン。

 イメージ的には、『剣士』、『狩人』、『魔法使い』などの〝クラス〟を装備する魔法といったところか。装備するクラスにより、特定の武器や道具の扱いが上手くなったり、能力補正を受けたりなど、さまざまな恩恵を授かることが出来る。スレイが身の丈以上ある大盾やクレイモアより重い大槌を軽々しく扱えるのは、すべて『テンプルナイト』のクラス補正のおかげだった。


「頑張れよスレイ。なぁに、テンプルナイトの肩書があれば、お前の実力は保証されたようなものだ。どこでも引く手数多だろうさ」


 イデアロール・サモンは儀式魔法だ。当然、発動させるにはいくつかの条件があり、より上位のクラスほど、厳しい条件が課せられる。テンプルナイトなどは、『クラスチェンジするのが難しいクラス』の典型だった。クラスの肩書はそのままエリートの証左にもなった。


「ありがとうございます、ヴォルフ大隊長。俺、このご恩は一生忘れません!」


 スレイはどこか寂しそうな眼をする大隊長の顔が見れなくなって、誤魔化すように、今一度頭を下げた。




 ……その日の夜。町の一角にある冒険者向けの宿にて、スレイはしみったれたシーツが一枚敷かれた木製ベッドの上で何時間も横になっていた。

 光源魔法は炊かない。魔法使い系統のクラスでもない限り、体内で蓄えられる魔力は貴重だったし、明りは、窓から降り注ぐ月明かりと部屋隅の机上のアルコールランプの灯で事足りた。それ以前に気分ではなかった。


「ッたくよ。俺はバカか。鬱憤が積もってたとはいえ、いくらなんでも短絡的すぎだ……」


 体を仰向けに歯ぎしりをするスレイ。口からは何度未練がましい言葉が出たか。額に手を乗せ天井を見つめる顔は、誰にも見られていないことをいい事に、歪みに歪んでいた。


「スレイ~、いる~~?」


 と、部屋の扉がノックされ、誰かが入ってくる。スレイは特段反応しない。誰が入ってきたのか声で分かってたし、いちいち畏まった対応をする間柄ではなかった。


「近くの酒場で臨時の踊り子の募集があったんで踊ってきたんだけどさ。終わったら給与の他に余った葡萄酒とパン貰っちゃった! ハイ、差し入れ~」


 まずパンの香ばしい匂いがスレイの鼻孔を擽った。その後に、香水とは違う女の子の香りが鼻につく。甘い匂いと可憐な声の持ち主は、スレイが寝ているのにも関わらず、ベッドの脇に腰を下ろしてくる。スプリングなど上等な物が仕込まれてないベッドが僅かに軋んだ。


「ほれ。起き上がる元気すらないっていうなら、葡萄酒くらいなら私が口移しで飲ましてあげ

るよ?」


 事情は分かっている。暗にそう言われてスレイは思わず顔をそらした。


「変に気を使うな。リリィ。別に俺は落ち込んじゃいねぇ。むしろ清々してたところだ」

「……そっか。なら、上体だけでも起こしてさ。じゃないとー、私がやっぱり葡萄酒全て飲んじゃうぞー?」


 降り注ぐ月明かりすら霞んで見える。金色に輝く髪を背中まで流した少女は、まだあどけなさ残る顔をケタケタと歪ませ、人懐っこくもどこか妖艶な笑みを作った。

 リリィ・A・メメ・トゥモリ。

『ジョブ ダンサー クラス ダンサー』の、巷では見目麗しのリリィ、リリィ嬢などと呼ばれている、容姿の端麗さがクラスチェンジの条件の一つでもあるダンサーの中でも、さらに群を抜いて可愛いことで有名な女の子だった。


「あとで食べるから。パンと酒は机に置いておいてくれー、っておい、本当に酒に口を付けてんじゃねぇ! しかもラッパ飲み!」

「あははっ、スレイが遅いんだもーん!」


 スレイとリリィは長年来の親友だった。だからスレイは、リリィの艶肩や美脚が露出したほぼ水着のような踊り子の正装を見ても驚かないし、酒も奪うと、躊躇することなく飲み口に間接キスする形で口をつける。

 スレイはベッドに座ったまま葡萄酒を一気に半分程喉に流し込んだ。

 その様子を隣に腰掛け静かに見守っていたリリィは、スレイが一息付いたところで優しい口調で話しかけてくる。


「で、これからどうするつもり? やっぱり冒険者にでもなるの?」


 スレイは素直に頷いた。


「ふふふ、やっぱり。スレイ昔っから言ってたもんねー。命なんか惜しくない、冒険者になって金を荒稼ぎして、自分ルールを敷いたギルドを作るんだー、って」

「これで町の守衛あたりで落ち着いちまったら、なんの為にテンプルナイトになれるほど実力を付けたのか分からなくなるからな。ま、肩書を使って、精々金を稼げるクエストを受注してみせるさ。……昔の俺、冒険者になりたいなんて言ってたっけ?」

「うんうん、言ってた。言ってた。しかも思春期以下の妄想バリバリで、王宮並のでっかいお風呂をギルドに作るんだとか、ハーレムを持つんだとか、結構痛々しいこと言ってたねー」


 子供の頃――十三才の頃はスレイはリリィと共に剣術学校にいた。テンプルナイトにクラスチェンジする為には《剣技スキルⅠ、Ⅱ》は必須科目だったからだ。


「ハハ、けど一応成長と共に現実を弁えてきたつもりだったんだぜ? だから安定した高給取りのテンプルナイトになったんだ。ハハッ! 誰もが羨むエリートコースだ。これから先、何もしなくても一年ごとに給与が上がってくはずだったんだけどな!」


 スレイは湧き上がってくる感情を誤魔化すように、また葡萄酒を一気に飲む。赤い液体が口から洩れる。酒瓶は空になった。


「落ち着いてスレイ。まぁ傍から見てても限界だと思ってたよ。スレイのギラギラした目、テンプルナイトになってからどんどん濁っていくんだもん」

「だとしてもだっ、耐えるべきだったっ。あんな美味しいジョブは他になかった!」

「冒険者だって美味しいよ。やりたい事を自分で選べるし、リスクと天秤に掛ける必要はあるけどそれ相応のお金だって稼げる。私も『ダンサー』から『ソードダンサー』にクラスチェンジして手伝うからさ。これを契機に初心の夢を貫徹してみれば?」

「はっ、いいなそれ。……ふ、ふふふっ、まずはギルドを持たないとな。金だ。金がいる」

「どんどん稼いでいこーっ! 大丈夫スレイならやれるさ!」

「ギルドは一つの国家だ。どんな掟で縛ろうと合法だが、加入する人間がいなくちゃ始まらない。ハーレムなんて願望を受け入れてくれる女の子も探さないとな。いるかどうかは知らないけどな」

「変な趣味の女の子はスレイが考えてる以上に結構いるよ。んで、私も変な趣味を持った女の子の一人ー。おや? ギルドの設立条件は三人からだから、あと一人確保すればいけるじゃん」

「マジか。案外あっさりイケるかもな。――ふ、ふふふっ。男の趣味が悪いな、リリィは。お前の横でな。涙を堪えて必死に虚勢を張ってる男はな。ふ、無能で短絡的な、ただのバカだぞ」


 リリィは踊り子らしいしなやかに伸びる両手を広げて微笑んだ。


「お人よしのバカだね。それに無能じゃない、スレイがテンプルナイトになるためにどれだけ頑張ったか、私は知ってるよ。……ほら、胸を貸してあげるから。今だけ泣いて立ち直っちゃって。もうサイは振られたんだから。後戻りできない以上、明日から頑張るしかないじゃん」


 もとい、スレイはもう限界だった。

 スレイの手が、リリィの柔らかくも引き締まった二の腕に伸びる。踊っている間は、どんな酔っ払いの手もさらりと躱す華奢な体を押し倒し、胸に巻かれていた薄い布地を、大粒の涙で濡らし汚す。


「ああああああっっっっ、くそがっ、くそがっっ、くそがっっっ! あと四年も働いてれば年収六百シリカも夢じゃなかった! 分かるか!? 六百ッ、六百シリカだぞ!? 酒に食い物! なんでも買えたっ! 贅沢三昧してもなお金が余る暮らしが待ってたんだっ!」

「ああはいはい。剣術学校卒の一般剣士の年収が平均二百シリカだから、その三倍は稼げてたねー。ま。私はもうちょっともらってるけどねー」

「それを棒に振ったんだ! 安定した生活も、あっさりと捨てちまった! クソクソクソッ」


 リリィが同情的な面持ちで何か言おうとする。

 が、スレイはそれより早く二の句を続けた。


「――ああ分かったよ。もっと稼いでやる! 今こうして情けなく泣いてる自分を黒歴史にしてやるっ! ハーレムだって、テンプルナイトをやってる限り絶対無理な夢だった! いいぜ! 叶えてやろうじゃないか! やってやるよ! やるしかねぇんだ!」

「ふ。ふふふふふふ。そう、それがスレイだよ! 自分に嘘を付かない! 純粋な想いを抱けるくせに結構欲深い! そして努力を怖がらない! 私はそんなスレイが好き。……安定したテンプルナイトの仕事も悪くない夢だったけど、現実はちょっと違っただけ。大丈夫だよスレイ。今度はきっと大丈夫」


 リリィは胸で泣き続けるスレイの後頭部を抱きしめて、いつまでも優しくなで続けた。

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