乾坤一擲

 ―――コツ……コツ……コツ……。


 何の気配も感じられない廊下に、俺の足音だけがやけに大きく響く。

 近江和清に付き従っていたは、どうやら上の階で一掃されてしまった様だ。

 そして俺は今、初めて訪れた倉庫地下三階を歩いていた。

 「スイープリライアンス社保管倉庫」に地下三階があるなんてのは、今日初めて知った事だし、そこに侵入する方法も教えられなかった。ティエラもそれは分かっていた筈だろうに、本社を出る時その事には一切触れなかった。

 だが、蓋を開けてみれば何の問題も無い。

 通常のエレベーターに据え付けてある階層指定パネル。その下には隠されたコンソールがあり、専用キーで作動させる事が出来る。

 先にこの奥へと身を隠した近江は、それを隠そうともしていなかった。コンソールも剥き出しで、キーも刺さったままだった。

 

 ―――俺を待っている……。


 こうなると、出掛けにティエラの言った話が現実味を帯びて来る。流石の俺にだって、嫌でも奴が待っていると思わざるを得ない。

 何の障害も、罠も、待ち伏せさえなく、俺は地下三階区画の最奥へと誘う通路を歩いていた。

 



「いよーう……来たな」


 通路行き止まりには扉があり、その奥の部屋に奴……近江和清はいた。

 百畳はあろうかと言う広い部屋だ。

 扉から真っ直ぐ15メートル程先に大層立派な机があり、そこに奴は腰掛けて待っていた。やたらと広い部屋には、奴の座る執務机と、そこから5メートル程離れて置いてある応接テーブルにソファー。左右の両壁には、俺の頭よりも一つ高い程度の本棚が整然と並んでいる。


「……何で俺を待っていたんだ……?」


 ―――ズキンッ……。


 そう奴に声を掛けた途端、また俺の頭に鈍い痛みが沸き起こる。どうやら俺にとって、奴との関りはタブーなのかもしれない。

「待っていた」……なんて、はっきり言えば自意識過剰かも知れないが、ここはティエラが言った事をそのまま信じさせてもらおう。


「……クッククク……待っていた……待っていたねぇ……」


 下卑た笑みを浮かべ、喉を鳴らして奴はそう呟いた。

 俺の目に移る近江和清は、既に記憶の中に在る奴ではなくなっていた。少なくとも、こんな厭らしい笑いをする男では無かった筈だった。俺が唯一驚いたとすれば、この変貌ぶりだろう。


「ティエラに何か聞いたのか? そうでなければそんな発想には至らないと思うんだがねぇ……そう……待っていたんだよ!」


 既に愉悦すら感じていると思われる奴の言動に、凶悪な意志が紛れ込んで来た。それは「待っていた」……と言うよりも、「待ち兼ねた」と言った方が正しいのかもしれない。


「……お前は……『千草』だろう……?」


 ―――ズキンッ!


 一際大きい頭痛が鳴り響き、同時に俺の鼓動も大きく脈打った!

「千草」……!? 初めて聞く名前にも関わらず、記憶の中では何処かで聞いた事がある名だと騒ぎ立てていた。

 

「……千草……って……一体……!?」


 激し過ぎる頭痛に、俺は頭に手をやって、奴にそう尋ねた。

 そんな事は放っておいて、とっとと奴に攻撃すれば良いものだが、俺の感情がそれを許してくれなかった。奴の発した「千草」と言う人物が誰なのか、俺自身が知りたがっている。


「千草はなぁ……俺と『温子』の間に生まれた、たった一人の娘だ」


 ―――ビキキッ!

 

 その時……奴の言葉を聞いた瞬間、まるで記憶の壁が破られた様な音を、俺は確かに聞いた! そして、今まで知りたくとも知る事が出来ず、記憶の片隅に追いやられていた記憶が、再び俺の脳裏へと溢れ出していた。

 それは、俺がこの世界へと足を踏み入れた理由……。

 今まで俺が、幾度となく見てきた光景……。

 俺の前世で起こったあの事が、俺の意識を塗りつぶしていったんだ。


「温子ってのは……俺の……『母さん』か……?」


 厳密に言えば、俺の母さんではない。俺の両親は健在であり、故郷で穏やかに暮らしている筈だった。


「……やっぱりそうか……。クックク……そうだ……お前の母親だなー」


 それは奴も知っている筈なのに、まるでそれを問う様な事も無く話が続いて行く。


「そして……俺が殺した女だよ」


 ―――ダンッ!


 奴の言葉が終わると同時に、俺は即座に銃を抜き奴に向けて発砲した! 威嚇でも何でもなく、奴の顔面を狙った必殺の一撃だった!

 しかしその銃弾は近江の顔を吹き飛ばす事無く、奴の背後にある本棚に埋め込まれて沈黙してしまった。

 近江は俺が発砲する刹那に、僅かに体を横へとスライドさせて俺の銃弾を躱したのだ! まるで……その射線が視えている様に。


 ―――ガンッ!


 それに呼応するかのように、近江が発砲する! しかしその銃口は俺に向いておらず、僅かに右側面の壁へと向かっていた!


 ―――キンッ!


 乾いた金属音が直後に起こる! 俺も少しばかり体をずらせて、そのを回避した!

 

 ―――「跳弾」……。


 奴は、自身の発砲した弾丸を壁や天井に反射……つまり跳弾させて、ターゲットを狙う事に長けている。その技術を以てすれば、相手がどこに隠れていようと、その死角から弾丸を見舞う事が出来るのだ!

 どこを狙っているのか分からない近江の弾丸を、それでも俺は躱して見せた。


「……ク……ククク……。やっぱりなー……。視えるんだなー……」


 正確無比な奴の弾丸を躱した事で、俺の能力が奴に知られてしまった。……いや、確信を持たれてしまったと言う事か。

 そう……俺は、自分に殺意ある攻撃を向けられたなら、その射線を見る事が出来るんだ。

 それは銃弾に限らない。

 ボウガンの矢だろうとも、ナイフを握った腕だろうと、俺を害する意思の込められた攻撃ならば、その攻撃が進む道筋を赤い軌道で事前に視る事が出来るのだ。

 悪意ある攻撃は、最終的に俺の身体に着弾する。僅かに先んじてその攻撃の先を視る事で、俺は致命的なダメージを避ける事が出来るんだ。

 本来ならば、跳弾の様に一度何かに接触した途端、その射線はリセットされる筈なのだが、俺はこの能力を深く理解し長く鍛える事で、跳ね返った攻撃の行く先も視るまでになっていたのだ。

 今も奴の攻撃を躱す事が出来たのは、その能力あっての事だった。


「お前にも……視えているんだな?」


 そして俺の攻撃を躱した近江も、俺と同じ能力を持っていると言う事だ!

 更に俺の想像が外れていなければ、奴は自分が発する攻撃の射線も視えている! つまり、自分の攻撃がどの様な経緯を辿って標的に到達するのか……近江はそれを、目で視て理解しているって事だ。

 そしてそう考えれば、近江が「跳弾」を得意としている事にも辻褄が合う。奴は自分の攻撃が跳弾して偶然標的に当たっているのではない事を知っているんだ!

 

「ああっ! 今のお前を一目見た時、新たな能力に目覚めたのさっ! 今の俺は、自分の攻撃が何処へ向かうのかも、お前の攻撃が何処を狙っているのかもよーく分かるんだぜーっ!」


 ―――ガンッガンッガンッ!


 ―――キンッキンッ!


 近江が更に攻撃を仕掛けてきた! 1発は直接、残り2発は跳弾を駆使しての、多方面からの攻撃!


「くそっ!」


 俺は転がる様にその場から飛び退き、奴の射線から逃れた!

 いくら攻撃される場所が分かると言っても、放たれるのは超高速で迫る銃弾だ! 一瞬の判断ミスが、俺の生死に直結しているんだ!

 通常の大口径拳銃なら、銃弾の速度は大よそ400Km/s。だが奴の専用拳銃「跳銃」は、予め跳弾させる事を前提にして開発されている為、その速度は500Km/sに達する。

 もっとも、一般の人間に飛んで来る銃弾を躱す事なんて出来ないんだから、そんな速度差なんてあって無きが如しなんだけどな。

 

 ―――ダンッダンッ!


 転がった先で態勢を即座に建て直した俺は、近江に向けて引き金を引いた! だが奴には俺の狙い処が視えている! 再び僅かに体を動かす事で、近江は俺の攻撃を躱す事に成功する!

 

「……ああ……良いな……堪らない……」


 呼吸を荒くし、顔を紅潮させた近江が、漏れ溢す様な声でそう呟いた。


「また……再び肉親をこの手に掛ける事が出来るなんて……これ以上なく最高な気分だ……」


 近江の言葉で、俺の中に足りなかった最後のピースが嵌った音を聞いた。


「……そうか……。俺を……千草を殺したのは、母さん……温子じゃなくて……お前だったんだな……」


 ゆっくりとその場で立ち上がりながら、俺は必要のない確認を近江へと向けた。俺の言葉を聞いた奴の顔が、更に醜く歪む。


「そーうだ……俺だよ……。あれ程の至福を味わう事はもうないと思っていたんだが……まさか俺の娘が……その魂が転生していて、更にこの『スイープリライアンス』にやって来るなんて……これはもう、僥倖としか言いようがない……そうは思わないかっ!?」

 

 ―――ガガガンッ!


 ―――キキンッ!


 奴は嬉々とした表情で、殆ど3発同時に銃弾を発射した! そして俺が捉えた軌道は、あらゆる角度から的確に俺の身体を撃ち抜こうとする射線だった!


「……くっ!」


 3つの凶弾から、最も少ないダメージだと思える銃弾を選び出して、俺はそちらの方へと身を翻した! 俺の回避する方向をも予測して放たれた銃弾から逃れる事は出来ずに、俺は左肩に奴の銃弾を受けてしまう! 大口径の弾丸だが、跳弾によりその威力が僅かに軽減されていて、肩を吹き飛ばされるまでには至らなかった! ……が、当然、俺の左肩は使い物になりそうにない。


「この『スイープリライアンス社』を俺の手で叩き潰す……。これほど楽しい事は無いってのに、更に俺の身内が現れてくれるとはなー……。最高だ……最高だっ!」


 ―――ガガガンッ!


 ―――カキキンッ!


 再び近江から放たれた銃弾が、今度は俺の右太腿を撃ち抜いた! これも俺の身体を肉塊に変える程威力は無かったが、もう素早く動く事は出来そうにない。

 そんな絶体絶命の状況下で、俺はある事を考えて納得していた。


 ―――……そうか……。俺を殺したのは……母さんじゃなかったんだな……。


 その事実が、俺に安堵を与えて、こんな状況下でも冷静さを失わせずにいてくれたんだ。

 あの時……。

 前世の俺「千草」に、俺の母さん「温子」が圧し掛かって来たのは、俺を殺す為じゃなかった……。狂鬼と化した近江和清から、俺を、千草を護る為だったんだ。

 今更そんな事を知った処で、何がどう変わると言う訳でもないが、俺にはそれが嬉しかったんだ。

 そして俺が「千草」として転生した理由。それも今の俺には明確に理解出来たんだ。


 ―――ドンドンッ!


 俺の撃ち返す銃弾は、やはり近江には当たらない。奴は口角の端を吊り上げながら、最小限の動きで躱すだけだった。


「お前に俺は殺せそうにないなーっ! 俺には『跳弾』と『射線』があるっ! お前の攻撃は俺に当たらず、俺の攻撃はお前の身体にヒットするからなーっ!」


 最早狂気の色も隠さない近江は、まるで狂人の様な笑顔を浮かべて、それは楽しそうに発砲を繰り返した!


 ―――ガガガガガガガンッ!


 ―――キンカカカキンキンッ!


 連射を放った銃声と、それに連なる跳弾の音が響き渡る!

 その内の数発は……。


 ―――全てを躱せない……数発は更に喰らう事になる……。


 ―――左腕……左太腿と……腹かっ!


 俺の見える射線から、どう躱してもこれだけの銃弾が当たるビジョンが見えた! それでも、即死を回避するならこの避け方しか選択肢はない! ……ただ、腹に食らう銃弾は、致命傷になっちまうけどな……。


「ガハッ!」


 想像通りの箇所に銃弾を受け、流石に立っていられなくなり俺は両膝を床に着いた。各所の出血が酷いが、即座に戦闘不能とはならなかった。


 ―――……だが、それもそう長い時間じゃない……。


「あららー……。腹に喰らっちまったかー……。それじゃあ、そう長く持たないなー……。折角楽しい気分だったんだが……仕方ないなー……」


 残念そうな台詞を吐く近江だが、その顔は愉悦の最高潮だ。

 しかし、俺の方はもうあの顔を長く見ていられそうにない。そして、奴ほど残念だと言う気持ちにもなれなかった。


 ―――もう、十分だな……!


 十分に奴の油断を誘う手筈は整った。それに何よりも、俺がこれ以上保ちそうにない。


 ―――ドンドンドンドンドドンッ!


 俺は奴と同様、「射線での予測射撃」を駆使して、込められている銃弾全てを放った!


「グハッ!? な……なんだとっ!?」


 俺の放った銃弾の一発が、見事にその胸を撃ち抜いた!


 ―――ドサッ……。


 完全に不意打ちを突かれた奴は、口から血泡を吹きながら、俺よりも先に床へと倒れ込んだ……。

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