願わくば安寧の来世を

 ―――2時間後……。

 俺と祐希は、装備を整えた上で、港湾区画にある倉庫街に降り立っていた。




「近江和清は恐らく、港湾区画に在る『スイープリライアンス社保管倉庫』のに居る筈だよ。早い段階でここを強襲し、首謀者近江を仕留めるんだ。いいねっ!」


 近江和清の殺害を命じたティエラが、スラスラと彼についての情報を口にする。彼女の迫力に、普通の者なら反論質問を口にする事も出来ないだろうが、俺には幾つも疑問が浮かび上がっており、それを聞かないと言う選択肢は取り得なかった。


「……ティエラ、幾つか良いか?」


 俺がそう切り出すと、ギラギラと刺す様な視線でティエラがこちらを見る。だが彼女の口からは、俺の質疑を遮る言葉は出てこなかった。


「港湾区画の倉庫は地下2階までの作りだった筈だ。地下3階があるなんて聞いた事も無かったんだが? それに早い段階で……と言う事は、向こうには近江に付いた者が何人かいると言う事だろ? 俺達2人ではどう考えても戦力不足だと思うけどな」


 ティエラは俺から視線を外し、再び煙草を手に取った。この容姿でヘビースモーカーと言うんだから、どうにもギャップが激し過ぎる。


「……それにあんたは、さっきまでこの隠し部屋に居たんだよな? なのに何で、奴の行き先を知ってるんだ?」


 ―――ふぅー……。


 俺の質問に、ティエラはすぐに答えず、またしても煙草をゆっくりとくゆらせている。そしてその一本を吸い終わると、面倒臭そうに口を開きだした。


「……グダグダと五月蠅いねぇ……。黙って与えられた任務だけ熟してりゃ良いのに、ほんと口の減らないガキだよ」


 回答を拒否する様な物言いだが、これは彼女一流の前置きだ。


「港湾区画の倉庫に、知らされていない階層がある……そんなのは当たり前の事だよ。このビルにだって、地下5階の更に下には、誰にも知られていない地下6階が存在するんだからねぇ。理由は簡単、“こういった事”に対処する為だよ」


 理由を聞けば至極納得する話だ。

 近江に限らず、何時、誰が反旗を翻すか分からない業界……社内で、全てを明らかにする事は出来ないと言う事だろう。考えてみれば、彼女が身を置いた隠し部屋の存在など、きっと彼女以外は知らない秘密だったのだろうな。


「近江に付き従う者が現れるのも、当然の話さね。勢力が二つに分裂するんだ。例え少人数だろうと大多数であっても、あの男に付いて行く者の存在は考慮すべきだと思うんだがね?」


 それも分かる話だった。

 この会社に不満を持っていた者がいたかどうかは知らないが、彼と同じ様な“危ない奴”は少なからずいたかも知れない。そう言った輩は、嬉々として奴に付いて行っただろう。


「あの男が港湾区画に向かったのは……良幸、お前を待ってるからだろうね」


 ただ、ティエラの語った最後の話だけは、俺にはどうにも理解出来なかった。

 

―――何故、近江は俺を待つ……?


―――何故、わざわざ自ら逃げる為の選択肢を狭めるんだ……?


「……何故か……? なんて考えてるんだったら、とっとと近江の処へ行く事だね。そうすりゃ、その理由もすぐに分かるだろうさ」


 まるで俺の葛藤を理解しているかの様に、ティエラが呟いた。

 確かに、ここで結論の出ないまま考えていても仕方がない。いや、ひょっとすればティエラはその理由を知っているかも知れない。だが、彼女の口から齎されないのなら、それを期待して此処に居続ける意味なんてない。


「さぁさぁ、命令が出たんだから、後はさっさと動くだけだよっ! もたもたしてないで、すぐに用意しなっ!」


 


 まるで追い出される様に急き立てられて、俺達は一通り準備を済ませスイープリライアンス社を後にした。


「……おんないるねー……。結構隠れてるわ……」


 社の保有する倉庫に、正面大扉を開け放って侵入すると、暗闇から気配を感じ取った祐希が嬉しそうにそう零した。確かに、俺が感じるだけでも10人は暗闇と物陰に潜んでいる。

 同じ会社で、同じ生業を糧にして来たんだ。コッソリ侵入するなんてバレバレで不可能だし、逆に正面から堂々と……と考えた訳だが、やはり人数的にこちらが不利だ。


「……俺が前に出るから、祐希は……」


「じゃあ、ウチが切り込むからヨシ君、フォロー宜しくーっ!」


 俺の言葉を遮った祐希が、止める間も無く倉庫の暗闇へと駈け出した!


 ―――ドガガガガッ! ガンガンガンッ!


 その途端に、一斉に放たれる銃弾! 彼女を呼び戻す事に失敗した俺は、仕方なく物陰に身を寄せて標的となる事から避ける。

 

 ―――ダンッダンッダンッ!


「グワッ!」


 暗闇を縦横無尽に走り回る祐希は、その驚くべき身体能力で早くも1人片付けた様だ。しかし、まだまだ安堵するには程遠い。

 俺は、俺達は、暗殺者として鍛えられ、光の射さない闇黒でも即座に視界を確保出来るようになっている。その俺が見た光景には、疾走する祐希がまた1人戦闘不能にし、同時に数発の弾丸を腕や足に受けている様子が映り込んでいた!

 敵……と言っても、数時間前までは同僚だったんだ。俺達が奴らの事を把握している様に、向こうもこちらの事は良く分かっている。

 奴らは、祐希の防護服がカバーしきれていない部分をピンポイントで狙っている。即死させる事は難しいが、あのままだと出血でいずれ動けなくなるのに疑いはない!


「……ちっ!」


 祐希だけを標的にさせるのは、今回に限っては下策だ。俺は彼女の援護を兼ねるべく、物陰から飛び出した……いや、飛び出そうとした。


「出てくんなっ!」


 激しい銃撃戦の中にあって、祐希の声は驚くほど俺の耳へと通り、俺の動きに待ったをかけていた。


「ヨシ君は援護っ! 雑魚はウチに任しときっ!」


 そう言って彼女は、また1人の敵を仕留める。

 異を唱えようと考えたが、確かに今俺が飛び出した所で、動きに制限が掛かって逆に数で押され兼ねない。


 ―――ドンドンッ!


「がはっ!」


 前衛で動き回れないのならば、高速戦闘中の祐希をフォローする事は難しい。俺は障害物の影を移動しながら、遠距離攻撃スナイパーを封じる事に専念した。祐希に近距離まで近づかれて狼狽した攻撃よりも、冷静に彼女の弱所を突いてくる狙撃手の方が厄介だったからだ。

 それでも、祐希が受けるダメージは少なくない。

 いくら「無痛症」だったとしても、それは痛みに対して耐性があると言うだけで、動かなくならないと言う意味じゃない。

 更に、俺と祐希が1人ずつ仕留める! もう残りは数人だ。

 如何に同僚だったとはいえ、俺達の方が一枚上手だったと、俺は心のどこかで安堵していた。


 ―――しかし、それが油断に繋がったのか……?


 ―――ガンッ! ガンッ! ガンッ!


 一際凶悪な銃声が、周囲の騒音を引き裂いて倉庫内を木霊した。


「キャッ!」


 同時に上がる、祐希の悲鳴! 俺は反射的に彼女の方へと目を向けた。

 彼女の身体から、プロテクターが剥がれ落ちる。

 狙い撃ちなど到底不可能と思われていた、防護服の留め具部分を、その銃弾は的確に射抜いて破壊していたのだ!

 そして、今度は銃声のした方向へと目をやった! そこには……!

 自分専用の拳銃「跳銃」を構えて、歪に口の端を吊り上げた、近江和清が立っていた!

 俺は即座に銃を構えるも、奴はその直後、スッと通路奥へと消えてしまった。殺気は撃つ直前まで消す訓練を受けている。俺の気配が奴に知られる訳がなかったが、そこは恐るべき危機回避能力だと納得するしかない。それとも……。


 ―――奴も、を!?


 この思考が、俺の身体を僅かに固め、反応を致命的に遅らせてしまった!

 俺を狙う、それを躱すタイミングを逃してしまったのだ!


 ―――ドドドウッ!


「ヨシ君っ!」


 俺の身体に直撃する無数の弾丸が放たれ、その瞬間に俺の前へと一つの影が飛び出し、まるで庇うかのように立ち塞がった! 恐るべき直感と反応で、俺に銃弾が放たれたと悟った祐希が、その身体能力を駆使して俺の前面へと躍り出たんだ!


「祐希っ!」


 無様なもので、俺にはそう叫ぶ以外に出来る事は無かった。

 祐希の身体に、数発の弾丸が撃ち込まれる! 本来ならばその銃弾は、彼女の身を護るボディアーマーで弾かれる筈だった。しかし今の彼女は、近江の放った攻撃によりその防護服を剥ぎ取られて、直撃弾を護る術がなかった!

 

 ―――パタタッ……。


 複数の凶弾が彼女の身体を貫通し、その足元に血華を咲かす! そしてその一部が、俺の顔にも吹き付けられた!


「……っ!」


 目の前で起こった凶事に、またも俺の動きが止められてしまう。だが目の前の彼女は、自らの身体に受けたダメージなど関係ないかのように、僅かの逡巡も見せずに再び動き出した!


 ―――ダンッダンッダンッ!


 狂戦士の如く銃弾が発せられた元へと飛び掛かり、そこにいた元同僚を祐希は瞬く間に沈黙せしめたのだった。


 そして……周囲を沈黙が支配した……。


 余りに鮮烈だった光景に、不覚にも俺は動く事が出来なかった……。

 何が起こったのかを即座に理解せず、何処か他人事のように俯瞰して見ていたんだ……。

 呆けた俺の見ている前で、祐希はまるでスローモーションの様にその場で崩れ去った。


 ―――……ドサッ……。


 俺が再起動を果たす切っ掛けとなったのは、彼女が倒れ込む音が耳に飛び込んで来たからだ。


「ゆ……祐希っ!」


 叫びながら駈け出している俺の思考は、それでも冷静に状況を把握していた。体は動かなくても、飛び込んで来た視覚情報を俺の脳は冷静に分析していたんだ。

 彼女が俺の代わりに受けた銃弾は、全て致命傷を齎すものだった。即死とまではいかなくとも、大きな出血を伴う箇所があり、すぐに治療を要する筈だ。でも、今この場で治療を施す事の出来るスタッフはいないし、このまま祐希を連れてこの場を撤退する事も出来ない。それに……。


「あー……ヨシ君……?」


 祐希へと駆け寄り、彼女の頭を抱き起した俺に、祐希はか細くなった声で俺の名を呼んだ。

 今すぐ、彼女をこの場から連れ出して治療を受けさせたところで、恐らくは間に合わないだろう……。俺の見た限りでもそう判断できるし、何よりも彼女の身体から流れ出る血の量がそう物語っていた。


「……祐希……」


 本来ならば体を何発もの銃弾で射抜かれ、激痛を伴い、死への恐怖に苛まれていておかしくない状況にも拘わらず、祐希の表情は一切それらを感じられない穏やかなものだった。


「……ヨシ君は……怪我無かったー……?」


 それは、彼女が「無痛症」であり、痛みも、死への恐怖も抱いていないからに他ならない。だが、祐希の身体からは急激に力が奪われて行き、彼女の声はか細い者となっていたんだ。


「……ああ……お前のお蔭で、俺に傷は無い……」


「そっかー……良かったー……。ヨシ君……あんなー……? ……コフッ!」


 話している途中で祐希は咳き込み吐血した。彼女の顔を、少なくない血が濡らす。

 それでも彼女の顔は穏やかそのものだ。

 それは、死を覚悟し受け入れている訳でも、全てをやり遂げて満足している訳でもない。ただ単に、自分が初めて直面する“死”と言うものを、未だに実感しきれていないからなのかもしれない。


「……ウチ……死んでしまうみたいや……」


 それでも、実感を得る事が出来なくとも、理解する事は出来る。今まで他人事だった“死”と言う物を、祐希は彼女なりに理解しているのかもしれない。


「……そうか……」


 俺達の仕事は、一方的に攻撃して虐殺する、安全で面白おかしいものじゃない。何時でも立場が逆転する事があるし、今がその時なんだ。そんな事は俺も、祐希だって分かってる。

 それにも拘らず、俺は両目から溢れる涙を止める事が出来なかった。

 

「……今までは……死ぬって事が……命ってゆーのがどうゆーんか、よー分からんかった……。今もほんまは……よー分からん……。痛くもないし……怖くもない……」


 理解し、受け入れてはいるのだろうが、彼女の紡ぐ言葉はどこか他人事だった。今も彼女は、全身に穴を穿たれ吐血しているにも関わらず、それを一切感じさせない穏やかな表情のままだ。


「……でもなー……もう、力入らへん……。動かれへんし、どんどん意識保つんが難しくなってきてる……」


 それでも確実に、祐希の身体は死へと向かっていた。


「……死ぬって……よー分からん……。でも……一つだけ分かったわ……」


 その時、微笑を湛えていながらも、彼女の瞳から涙が溢れだした。湧き出た滴は祐希の眼尻から、次々に零れ落ちて行った。


「……何か……嫌やなー……。ヨシ君ともう話しできひんって考えたら……嫌やなー……・」


「……嫌……か……」


 死は恐怖や忌避の対象で、普通ならばこの世で最も関わりたくない、直面したくない事象だ。

 人の痛みは勿論、自身の傷みすら理解出来なかった祐希にとって、初めて対面する“死”と言う現象は「嫌なもの」だったんだろう。


「そら嫌やわ……。もうヨシ君と一緒に居られへんからなー……。でも、しゃーないなー……」


 祐希の身体から、急激に力が失われてゆくのが分かる。彼女の身体を抱き上げている俺の手から、彼女が死に瀕している事が伝わって来た。


「……だからもう……お別れやな……」


 そう呟いた祐希は、何時も見せてくれていた笑顔を浮かべた。

 取って置きの笑顔でも、今までで一番の笑顔でもない、ごく普通の笑顔。今も痛みを感じる事無く、死への恐怖も薄い彼女だからこそ浮かべる事の出来る笑顔だ。

 だからこそ、余計に俺の心を鷲掴みにして離さなかった。


「……祐希……?」


「お別れ」を呟いた彼女は、既に息を引き取っていた。全ての力が脱力されて、本来は更に重みを感じる筈なのに、何かが抜けてしまった様にその身体は軽い。


「……なんだよ……もう逝っちまったのか……」


 俺に返答もさせず、自分だけ話すだけ話して先に行ってしまう……。まったく、最後まで本当に祐希らしいと思った。

 



 今まで散々、他人の人生を終わらせてきた俺達だ。あの世って所では、俺達は決して歓迎されないだろうし、神様って奴の祝福も望み薄だろう。


 ―――でも……。でも、もし……。


 来世に生まれ変われるんだとしたら、この世での事は一切忘れて、全く新しい人生を歩んでほしいと願わずにはいられない……。


 少なくとも、俺の様に前世の記憶に振り回される事がない事を祈らずにはいられなかった。


 俺は最後に、可愛らしい笑みを浮かべたままの顔を確りと目に焼き付けて、そっと祐希の身体を床へと横たえたのだった。

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