闇世界への招待
「―――と言う訳で、今回も祐希と二人で任務に就いてもらう」
ティエラの執務室で、俺は彼女から次の任務について説明を受けている。
彼女は俺と豪奢な執務机を挟んで椅子に腰かけており、相変わらず紫煙を
「祐希とって……まだあいつは傷が癒えてない。任務何て不可能だ」
彼女の言葉を俺は即座に反論した。
先日失態を犯した任務からまだ数日しか経っていない。
祐希がどれ程傷を意に介さず行動出来るとは言っても、それは彼女が気にしないと言うだけで治った訳ではないのだ。僅かな傷であっても、実際には行動に支障をきたす様ならば、それは任務の成功率を下げるだけでなく祐希の安全、延いてはこちらの無事が脅かされる事となる。
勿論祐希の体を心配はしているが、それよりもまずは自身の心配をしなければ、こんな業界を生き抜いて行く事等出来ない。
「あの娘の傷は任務に支障をきたす程じゃあない。余計な心配はしなくても良いんだよ、若造が」
ギシッと椅子を鳴らして座る向きを変えると、彼女はその美しい足を組んで
相変わらず美しい表情に艶めかしいナイスバディ、そしてそこからは想像出来ない様な、幼女を連想させるハスキーボイスにオヤジ臭く口汚い物言い。この人と初めて対面する人物は、一体何度目を白黒とさせるのか想像もつかないな。
ティエラが口の悪い物言いをする事は周知の事実だが、その実意外に面倒見の良い側面がある。そう言った意味合いでも外見とのギャップを感じる事は請け合いなのだが。
俺がこの組織に辿り着いたのは、偶然と言って良かった。
幼少の頃より、ただただ復讐だけを考え独自に体を鍛えて来た。
同年代の学友達が遊び回り交友を深め青春を謳歌している時期に、俺はただひたすら自身を鍛える事のみに邁進してきたのだ。
だがその事に苦を感じる事は無かった。
鍛えれば鍛える程に、俺は自分の目的に近付いていると実感する事が出来たのだ。
日に日に強靭となっていく体を、身体能力を感じながら俺は、更に強い体を求めてひたすら自己流のトレーニングを黙々と重ねた。
ただ単に、力強くマッチョな体になれば良いと言う事ではない。最終的に力自慢の身体を求めていた訳では無く、あくまでも目的を達成させる為に必要だから鍛えていたのだ。
その目的とは殺人を許容する、出来るだけ大規模な組織に潜り込む事。
俺は高校を卒業すると同時に、そう言った組織に入り込む事は出来ないかと徹底的に調べた。勿論一人で調べるには限界があり、インターネットでひたすらにその尻尾を掴む事に精を出す日々が続いたのだが。
しかし流石は非合法組織、早々にその姿どころか影さえも踏ませてはもらえなかった。此方がどれだけ調べどれ程発信しようとも、まるで霞を掴むが如く一向にその姿を捉える事は出来なかったのだ。
半ば諦めかけ、自力で目標を達成させるしかないと思い出したその頃、俺宛に一通のメールが届けられた。それがティエラからの物だったんだ。
―――あんたみたいな危ない人間は、放っておくと何をしでかすか分かったもんじゃない。話位は聞いてやるから、〇月〇日にこの住所の場所に来な。
その時の俺は至る所に情報を発信し、兎に角何かアクションが返ってこないかと躍起になっていた。だが返って来たとしてもガセネタが多く、殆ど諦めていた節もあったんだ。
だからティエラから来た返信にも特に感慨はなく、「また悪戯か何かだろう」と高を括っていた。
ただ送られてきた文章は、余りにも高飛車で上から目線の命令口調。ここまでされると逆に興味が湧くと言う物だ。
だから俺は指定された日時に、指定された場所へと向かう事に決めたんだ。
勿論、馬鹿正直に姿を晒そうなんて考えていなかった。どこか待ち合わせの場所が伺える、離れた場所から様子を探ろうと考えていた。
約束当日。俺は少し離れた物陰から約束の場所を窺っていた。しかし指定時刻になっても、「ティエラ」と言う人物が現れる気配は感じられなかった。
ある程度、想像していた通りだった事でショックは無かったが、少しでも期待していた事で俺の口からは小さなため息が漏れた。
―――と、その瞬間。
「声を出すんじゃない」
俺の背後から、低く押し殺した声が掛けられた。
それまで全く人の気配なんて感じなかった俺は、思わず声を漏らしてしまいそうになる程驚いたと同時に、必死で出ようとする声を抑え込んだ。驚いただけじゃなく、俺の背中には何か固い物が押し当てられていた事に気付いたのだ。
俺はそれまで実物を見たことは無かったが、それが本物の拳銃である事は背中越しに感じる鉄の触感で確信していた。何よりも背後にいる人物から放たれている殺気が、冗談ではないと物語っていたのだ。
「感心しないねぇ。ここは私が指定した場所じゃあないと思うんだけどねぇ」
不快感丸出しのその声は、くぐもる様にわざと低く抑えられているものの、元々少女の様に甲高い声なのだろう迫力を感じる程では無かった。
もし背後に最初から気配を感じていて、背中に感じる鉄の感触が胡散臭く、彼女から殺気の欠片も感じなければ、その声で悪戯だと思い込み一蹴していただろう。それ位彼女の声は、今俺が受けている威圧感とかけ離れた声音だったんだ。
「……けど疑い深い事は良い事だよ。……あんた、本気でこの世界に足を踏み入れる気はあるのかい?」
彼女の声から抑揚は感じられない。押し殺していると言う事もあるんだろうが、どこか抑揚が無く淡々としていた様に聞こえた。ただ感じる殺気は本物で、俺はこめかみに冷たい汗を感じながら、ユックリと小さく頷いた。
「……そうかい……こんな世界に関わりたいだなんて、本当に物好きだねぇ」
背後の人物は溜息交じりにそう言うと、不意に俺の右腕を掴み二、三度揉みしだいた。突然背後の人物が取った行動に、俺の身体はビクリと硬直した。
「……ふん……良く鍛えてるね。ここまで素人が鍛えるなんて、並大抵の努力じゃないだろうに……」
たったそれだけで俺が今まで何をして来たか分かったのか、彼女は感心した様にそう呟いた。しかしその声には、憐みも含まれていたと感じた事を今も覚えている。
俺にもう、元の道へと引き返す気が無い事を、彼女はそこから確信していたのだった。
「あんたみたいに
―――シュッ。
彼女のセリフが終わると同時に、俺の顔面へと何かが吹きつけられた。その途端に俺の意識は急速に失われて行き、どうする事も出来なかった俺は、そのまま深い眠りに就いたんだった。
(付いてきなって……これじゃあ拉致か誘拐じゃねーか……)
薄れてゆく意識の中で、俺はそう悪態をついていた。
そして次に目覚めたのは、恐らくビルの一室なのだろうが、そこは明らかに地下室だと直感した。
確信は持てなかったが何故だかそう感じるのは、空気の重さだろうか……それとも照明が照らす光量の不自然さかもしれない。何よりもこの部屋には、窓が全くついていなかったのだ。
「……目ぇ冷めたかい? 眠らせちまって悪かったねぇ……。得体の知れないあんたに、組織の場所を知られるなんて出来なかったからねぇ」
目の前でそう話す女性は、あの時俺の背後から話しかけていた人物と一致する声だった。
声を聴いた限りでは十四、五歳だろうと思っていたが、声の主は想像よりも遥かに年上でありグラマラス美女だった。
「さっきも聞いたけど、ここを知られたからにはもう後には退けないよ? それは当然分かってんだろうねぇ?」
座り込んで聞いていた俺に、彼女は前屈みとなって俺と視線を合わせ、覗き込む様に顔を寄せて来た。
大きく胸の前が空いているスーツから、彼女の豊満な胸の谷間が際立っていたが、それが前屈みとなる事で殊更に強調されて、俺は目のやり場に困ってしまった。
俺は彼女の問いに即座の回答も出来ず、赤くなった顔を明後日の方向へと向けた。その様子を見た目の前の女性、恐らくティエラは、上体を起こして小さく溜息をついた。
「餓鬼が、いっちょ前に照れてるんじゃないよ。良いから餓鬼は餓鬼らしく、聞かれた事にはハキハキと答えな」
そう言って彼女は爪先で俺の足を蹴飛ばした。
目の前で美女に「餓鬼」等と言われては、蹴られた場所がかなりの痛みを伴ったとしても、子供の様に大声を出す事が出来なかった。今思えばこういった意地っ張りな部分が「餓鬼」だったのだろうな。
「……俺は引き返すつもりなんてない……」
何とかそれだけを絞り出す事が出来たが、彼女にとってはそれだけで今は十分だったようだ。
「……と言う事らしいよ。
ティエラは胸の下で腕を組むと、背後に向かってそう話し掛けていた。
俺には今まで気付けなかったが、よく見ると彼女の背後には一人の男が立っていた。
「おいおい、俺に子守をさせようってのかよ? このガキ……死んじまうぜ?」
飄々とした、どこか軽薄そうに映るこの男が、見た目通り気の良い大人でない事は、そのセリフからも十分に分かった。
何よりも彼の気配を消す技は、目の前に居てもそれと感じさせない程卓越しているのだ。一般人である筈等無かった。
「死んだら死んだでその時さぁ……。どのみち、遅かれ早かれ死んじまうんだからねぇ」
ティエラはどこからか煙草とライターを取り出し、加えた煙草に火を点けて大きく吸い込み、中空へと紫煙を吐きだした。
近江と呼ばれた男は、「ちげぇねぇ」とくぐもった笑いと共にそう呟いた。
俺はそれからの2年を彼と過ごし、組織の一員となる為の「教え」を、それこそ死ぬ思いで叩き込まれた。
幸いにも運が良かったと言う事、そして誰にも話していない俺の「特殊な能力」によって、何とか今まで生き永らえる事が出来たんだ。
その時に知ったこの業界の過酷さ、冷酷さ。そして何よりも、この近江と言う男の持つ高い技量を間近で見る機会。今となっては、それら全てが本当に良い経験となっていた。
俺の前で、悠然とした姿で椅子に腰かけ紫煙を
「兎に角グダグダ言わないで、あんたはあたしが言った事を素直に実行すれば良いんだ。分かったか? このガキが」
俺としては随分と成長したと思っていたが、ティエラにとってはあの時のまま、俺はまだまだ餓鬼の様だ。
「……わかった。それで、今回のターゲットは?」
愛想も無く口も悪いティエラだが、祐希の事を人一倍気に掛けている事は俺も良く知っていた。
そんな彼女が祐希を作戦へ加える事に同意したのだから、祐希がこの作戦で足を引っ張る様な事等無いと判断しているのだろう。
「今回は楽な仕事だよ。……ってゆーか、こんな仕事を回して来る “上” の考えがほんっと分からないねぇ……」
そう言いながら、机の引き出しよりA4サイズの封筒を取り出したティエラが、机の上に放り投げてこちら側に滑らせてきた。俺は無言でそれを取り上げて中を確認する。
「……殲滅?」
作戦内容はある組織の殲滅。つまりそこにいる者を全て殺すと言う指示だった。
ティエラの経営するこの組織は、裏の仕事ならば何でも熟す……と言うものではあっても、やはり特色がある。
ここに
しかし、今回依頼された仕事はターゲットとなる組織の殲滅、皆殺しと言う事だ。
そうなれば事が公になるリスクも高くなる。
相手が逃げない様に包囲して掛からなければならないし、相手が居を構えている場所にもよるが、周囲の者に知られないよう行動すると言う事は不可能に近くなる。
それに対象が組織ともなると、反撃も馬鹿に出来ない。下手をすれば、こちらにも少なくない犠牲が出る事となる。
そしてこの家業に措いて、自分の顔が公衆の面前に晒される等と言う事があってはならないのだ。今の時代、何処のどういった情報から自身の素性が知られて晒されるかなど、分かった物ではない。
「……正面をあんたと祐希、周囲の出入り口は他のメンバーに固めさせる。だけど、あんた達だけで仕留めるぐらいの気持ちで取り組んでもらわないと失敗するよ」
完全に俺から体ごと横を向いたティエラが、もう一度紫煙を吐きだした。俺は無言を貫く事で肯定の意を示した。
どのみち俺には、そして祐希にも断る事は勿論、意見や文句を言う権利すらないのだ。
「作戦決行は明日、詳しい事はそこに書いてあるから、目を通したら処分を忘れるんじゃないよ」
ティエラの言葉が終わるのを待って、俺は彼女の部屋から退出した。
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