記憶の尻尾
―――殲滅作戦決行30分前……。
俺と祐希は、襲撃先の玄関が伺える物陰に潜んで、突入時間まで待機していた。
「うー……今回は腕が鳴るなー……。なーなーヨシ君、全員皆殺しって事で良いんやんな? それやったら今回は楽な仕事やなー」
そう言った祐希の顔には、楽しみで待ちきれないと言った表情がアリアリと浮かんでいた。
いつもやり過ぎて怒られてる祐希にしてみれば、今回の様に思いっきり暴れても文句の言われない作戦は、嬉しくて溜まらないんだろうな。そう言った意味では、今の組織は祐希に合ってないと言える。
ただしそれも、祐希の身体を考えてくれればと言う注釈が付くんだが。
彼女が持つ体の秘密を知れば、大抵の組織が彼女を嬉々として迎える事だろう。
だがそれは彼女の類稀な運動能力、任務遂行能力を期待しての事じゃない。「後天性無痛症」による痛みを一切感じない身体と、死に対しての倫理観が薄い感情を利用する為に他ならないだろう。
つまり彼女を使い捨ての道具として利用する為に欲しがるのだ。
そう言った意味で今の組織、その長たるティエラの、祐希に対する扱いは例外に他ならず、だからこそ祐希は今まで生き残っていると言っても過言じゃあないんだ。
「……だからってやり過ぎて良いって訳じゃないんだからな? 出来るだけ注目を集めない様に遂行しなきゃならないし、何よりも姿を見られることは避けないとダメなんだからな」
放っておけば本当にやりたい放題しそうな祐希に、一応の釘は刺しておく。
こんな言葉で祐希の暴走を止められる事なんて出来ないんだが、言わないよりも言っておいた方が良いに決まっている。
「はいはい……まーったく、ヨシ君は口うるさいなー……近所のおばちゃんかっちゅーねん……」
俺の言葉に、祐希は適当な相槌を打って答えた。
だが彼女の近所に住んでいるおばさんが口うるさいかどうかも知らない俺に、そんな事を言われても返答のしようがない。
―――ピー、ピー。
その時、耳にしたレシーバーがコール音を告げた。
「……こちら
今回の作戦は襲撃殲滅作戦。俺と祐希のペアだけで遂行する物では無く、「スイープリライアンス」の主力数チームで行う合同作戦だ。
俺達が正面から乗り込んで、敵を殲滅する中心部隊なのは間違いないが、他にも脱出口を防ぐ部隊が幾つかと、念のために長距離射撃を行う狙撃チームも待機している。
そしてこういった作戦で俺達の立ち回りを考えれば、周囲の状況を
「……
俺の返答を皮切りに、他のチームも返答するがそのどれもが問題なしと言う物だった。もっとも突入前から何かあれば、それこそ大問題なのだが。
因みに隠語を使って受け答えすると言うのは、この国においてまるで意味を成さない。何処かの誰かが常に傍受し続けているというのならば兎も角、この国ではこういった作戦行動自体が殆どありえないのだ。
それにもし誰かが傍受しているとすれば、それはこちらの作戦が既に相手の知る処であるという事であり、やはり作戦の瓦解を意味している。万全を期して……と考えれば、相手の理解し難い言葉で確認し合うのが正しいのだろうが、ここに至ってはそれもまるで意味など無いのだ。
「時間合わせ……3……2……1……これより8分後に突入を開始する」
指揮チームはそれだけを言うと一方的に通信を切った。
些か素っ気ない対応だとも思ったが、同じ会社で働く社員と言う間柄だけで、お互いの事は殆ど何も知らないのが実情だった。下手に長話されても、それはそれで困ると言うものだった。
「……むー……もーちょっと愛想よーしても良いんちゃうん?」
しかし祐希はそうは思わなかった様だった。もっともそんな彼女の機嫌も、後数分もすれば霧散される事は間違いないだろう。
痛みを感じない、もう忘れてしまった彼女にとって、「生きている実感」をその身で感じる事はもう出来ない。そしてそれを感じさせてくれるのは、「他者の死」を目の当たりにした時だけなのだろう。
決して戦闘狂と言う訳ではない彼女が、この世界で “殺し” を生業とする事に抵抗がないのは、そう言った理由からなのだ。
そんな事を考えていた俺は、隣でブチブチと文句を言ってはその都度同意を求める祐希に、適当な相槌を打ってはぞんざいにあしらった。そうしている間に時間は過ぎ、突入まで1分となっていた。
「……祐希……無駄話は終わりだ。それから、効率よく相手を無力化する事に努めるんだぞ?」
祐希が優れた暗殺者なのは言うまでもないが、如何せんすぐに本来の目的を忘れて脇道に逸れる癖がある。普段であればそれでも任務に支障が出ないんだが、今回は特に時間がない。
長くその場に留まれば誰に目撃されるか分からないばかりか、すぐに公安が駆けつけて大騒ぎとなってしまう。今、公安当局と事を構える事は、どう考えても得策じゃあなかった。
「わーかってるってー。うちだってGDPくらい心得てるわー」
それは「TPO」だろうと思ったが、今はその事を突っ込まなかった。話が長くなるのは間違いなかったし、何よりも俺がその意味を理解できていれば問題なかったからだ。
それに、それが彼女の釣りだと言う事も考えられる。
彼女は関西人だ。その言葉遣いだけを聞けば分かる事だが、話の内容にも要所で “ボケ” が含まれている。
もし俺が関西人だったなら、ボケられれば “ツッコミ” を入れなければならない使命感に苛まれていた事だろう。そして祐希もそれを狙ってわざと間違った事を言っている可能性があるのだ。流石に俺には、作戦開始1分を切った状態で即興漫才を披露する趣味は無かったのだ。
―――……2……1……0ッ!
作戦決行の時刻となり、俺と祐希は物陰から姿を現して、真っ直ぐ目的であるビルの入り口へと歩を進めた。
時刻は深夜を回っているとは言え、全く通行人が居ない訳ではない。ここでわざわざ目立つ様な全速力での行動を取れば、周囲に余計な関心を与えてしまうのだ。
昔の城や砦の様に、入り口に門番が立っているという事は無い。少なくとも正面入り口までは徒歩で近づいて問題ない筈だ。本当の本番は中に入ってからだと言う事は俺も、そして祐希も分かっている事だった。
―――……ハッ!?
ビルの入り口にあるガラス製両開きドアを開こうとした時、俺の “特殊な能力” がそれを視認した。
―――ドンッ!
―――ガッシャーンッ!
咄嗟に祐希を横に突き飛ばし、俺自身も反対方向へと飛び退いた。
その途端、音も無く放たれた何かが、今まさに開こうとしていたガラスドアを粉々に打ち砕いたのだ。
俺達を狙った攻撃が一切の音を発していない事から、その攻撃は銃以外の何か、もしくはサイレンサーを取り付けた銃器であると考えられた。
だが俺には分かっている。この攻撃は「俺達の背後から、サイレンサーを取り付けたライフルで狙撃された」という事を。
実際に使用された武器が本当にライフルかどうかは分からない。しかし俺が視た弾丸が飛んで来た角度を考えれば、そこに誰がいて何を使って攻撃して来たか容易に推察出来たんだ。
「……βからαへ。狙撃チームが裏切った。至急対処願う」
「なっ……何っ!?
「落ち着けっ! 至急他のチームを向かわせて対処しろっ! 俺達はこのまま突入して任務を遂行するっ!」
俺が告げた言葉に、この作戦を指揮するαチームのリーダーは酷く狼狽していたが、俺は一喝してそれを沈めて指示を送った。相手がスナイパーチームならば、それを放置しておくことは、愚策以外の何物でもない。
「わ……分かったっ! そっちはこちらで対処しておくっ!」
狼狽しながらも、αチームのリーダーはそう答えた。俺はその言葉に何も告げず、目の前の任務に集中すべく祐希へと目を遣った。
仲間がまさかの裏切り行為を取ったというのに、祐希にはその事について驚いた様子も、焦っている感情も伺えなかった。ただ今にも飛び込みそうなウズウズとした気配だけを発散させている。
取り乱さないだけ頼もしいとも言えるが、少しくらいは慌ててくれた方が可愛げがあると言うものだ。
「……じゃあ、行くか」
小さく溜息を吐きながら俺がそう言うと、祐希はニッと口角を吊り上げて頷いた。
裏切った狙撃チームを制圧する為に人員を割くと言う事は、作戦の瓦解を意味している。包囲網も当然崩れているだろうし、下手に時間をかけては
俺も祐希にニヤリと笑って頷いてやると、彼女はパーッと明るい表情を浮かべて飛び込む様に突入した。
―――ダンダンダンッ!
―――ガガガガガッ!
「うぉっ! うおぉぉっ!」
「とっ……止めろっ! あいつを狙い撃……ぎゃっ!」
まるで待ち構えていたかのように、要所で重火器を構えた構成員が此方へと発砲して来た。決して広くない通路に弾丸での防壁を張られては、早々突入する事も出来ず、本来ならば立ち往生してしまう処だ。
しかし特殊武装に身を固めた祐希が突入し、そのバックアップを俺が務める陣形は、攻撃力と言う面で相手を圧倒していた。
驚くべきスピードで、弾丸の雨を恐れる事も無く飛び込んでくる祐希に相手は怯み、縦横無尽に高速で動かれては狙いが散漫となる。
相手が怯んだ隙を衝いて、俺が的確に各個無力化して行く。こうなると、狭い通路で人海戦術を取れない相手の方が圧倒的に不利だった。
勿論、祐希も無傷と言う訳にはいかなかった。左二の腕や右太ももに銃弾が撃ち込まれ、体中にかすり傷が刻まれる。しかし、その事で彼女の動きが制限される事は無い。彼女の意思に反して行動に支障を来す攻撃を受けない限り、彼女の動きを阻む事は出来ないのだ。
程なくして1F、2Fと制圧を完了し、いよいよ3Fへと辿り着いた。
―――……トン。
―――ドンッ!
階段上層からの狙撃に気付いた俺が、祐希を軽く押して逃がし、撃たれる前に狙撃手を無力化する。狙撃手は眉間を撃ち抜かれて声を出す事も無く即死した。
「……ヨシ君の銃の腕はホンマに凄いけど……それよりも凄いんはその危機察知能力やなー……」
呆れたような表情を浮かべて、祐希が褒めているのか感心しているのか分かり辛い言葉を零した。俺はそれに、小さく笑顔を浮かべるだけで何も答える事はしなかった。
本当は “危機察知能力” 等と言う曖昧な物ではないんだが、今ここでその事を説明するつもりもない。俺はその事についての話は終わりと言わんばかりに、上へと続く階段に足をかけた。
「……たった2人でここまで来るとは……お前等を侮り過ぎていたという事か……」
最上階突き当りの部屋で、豪奢な机の奥で高価なデスクチェアーに腰掛けた、如何にも社長か組織の長とでも言う男が、入室して来た俺達の姿を見止めてそう呟いた。
―――ドンッ!
しかし祐希はそんな男の言葉など意に介さずに、問答無用で発砲した。
「グハッ!」
祐希の持つ大口径拳銃から放たれた弾丸は、男の右肩に命中した。
彼女の銃は、そこが急所で無くとも、その威力によって周辺の肉片を吹き飛ばし、場合によっては相手の命を奪う事が出来る威力を持つ。着弾した部分から、まるで爆散したかのように周辺の肉片が弾け飛び、男の肩口は瞬く間に鮮血で染められた。
「……えー……なんでー?」
即座に止めの一撃を放とうとしていた祐希を俺は制止し、その事に祐希は不満の声を漏らした。しかしどれほど彼女が文句を言おうが、まだこの男には聞かなければならない事がある。
「……聞こえるか? お前には聞いておかなければならない事がある」
俺は声音を低くして目の前の男にそう尋ねた。既に呼吸が荒く出血も夥しい男には、放っておいてもすぐに死が訪れるだろう。
「……俺達の……雇い主についてなら、俺は死んでも……」
「そんな事はどうでも良い事だ」
男が俺の聞きたい事を勝手に想像して口を開きだしたので、俺はその言葉を途中で遮り、男はその言葉に目を見開きながらも怪訝な表情で俺を見た。
致命傷に近い傷を負い、恐らくこの場で殺される事を覚悟している男にとって、組織の内情以上に重要な事がある等思いも依らなかったのだろう。
だが本当に俺にとって、この男やその後ろにある組織の事などどうでも良い事だった。
「……ならば……俺に何を……聞きたいって言うんだ……?」
拍子抜けした男は固くしていた体の力を抜いて、座っている椅子の背もたれに体を預け天井を仰いだ。
この男が守らなければならなかった物は正しく組織の情報だけであり、それ以外はこの男にとってどうでも良い事なのだろう、随分と安心した様に死への
「俺達の組織内に居る内通者は誰なんだ?」
恐らくそんな事はこちらで調べても、然程時間をかける事無く調べる事が出来るだろう。しかし俺は、一刻も早くその人物を知り粛清したいと考えていた。
恐らく狙撃チームも内通者側、つまりは裏切り者の側に付いた者達である筈だ。αチームを始めとした他チームに狙われれば、この場から逃げ切る事等難しいに決まっている。
そして捕縛した裏切り者の口から、他の裏切り者や内通者、運が良ければ首謀者まで知る事が出来るかもしれない。わざわざこの男から聞く事も無いだろう。
「……ヨシ君、そんなん聞いてどないするん?」
祐希もそう考えたのだろう、俺にそう問い質して来た。
一刻も早く、この場から離れる事が望ましいのは間違いない。悠長に殺す男と会話する時間など、特に今回の仕事ならば無いに等しいのだ。
そしてそう言った祐希の指は、持っている大口径拳銃の引き金から外れる事は無く、その銃口は男の頭に向いたままだった。俺が頷けば、僅かの間を置く事も無く引き金を引く事だろう。
「……今回は出来るだけ早く知っておいた方が良いと思ったんだ」
だからこの事は何の根拠もない、完全に俺の勘だった。
ただ、どうにも気に掛かって仕方が無い事も事実であり、俺はそれを看過する事は出来なかったんだ。
「……そんな事か……お前達の襲撃を知ったのは当然組織からの情報だが……その組織にお前達の作戦情報をリークしたのは……『近江』って男だ……」
その言葉に、何の反応も示さない祐希とは違って、俺は少なくない動揺を覚えた。
男の語った『近江』……近江和清は組織の中でも一番の使い手であり、俺に闇の技術を叩きこんだ云わば師匠のような存在だった。
もっとも、俺は奴の事を一度たりとも師匠や先生などと思った事も無く、僅かでも心を許したことなど無かったのだが。
漠然としていたが、彼に油断と呼べる物を晒してはいけないと、行動を共にしていた2年間常に心の内から警告を発せられていたのだ。
だがこの男の話を聞いて、その理由が漸く分かった気がしたのだ。
「……奴は……俺が言うのもおかしな話だが……危ない奴だな……身内でさえ……違うな……身内だからこそ、喜んで殺しに掛かる……それが楽しくて仕方が無いって男だ……」
―――ドンッ!
その言葉を聞いて、俺は祐希に視線を送り、それを受けた祐希は即座に引き金を引いた。
彼女の狙いは寸分違わずに男の頭を吹き飛ばし、意思を無くし支えを失った男の身体は、まるで等身大の糸が切れた人形の様に力なく姿勢を崩した。
「……なぁ、ヨシ君。近江って、あの近江さん?」
既に目の前の人であった物には興味も示さず、祐希が男の語った名前について尋ねて来た。しかし、俺はその問い掛けに答える事が出来なかった。
男の話した内容が、あの男「近江和清」から以前より感じていた物と合致していったのだ。
それどころか、俺の中で確りと残されている「もう一つの記憶」にも激しい揺さぶりをかけて来ているのだった。
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