特例財団法人「スイープリライアンス」

 俺が直立不動の姿勢でこの場に立たされて、一体どれほどの時間が過ぎたのだろう……。

 数分……十数分……まさか一時間は過ぎていない筈だ。

 しかしこの部屋に漂う重苦しい雰囲気が、俺の体感時間を狂わせて時の流れを錯覚させる。この体験は何時味わっても嫌なものだった。


 ―――フーッ……。


 目の前の女性は俺から視線を外す事もなく、ただひたすらキセルから煙を吸い上げては、俺に吹き掛けるという行為を繰り返している。これぞ正しくパワハラ上司の典型的な姿だった。

 豪華な内装の部屋、豪奢ごうしゃな机、高級革張り座椅子……ここは何時来ても居心地の悪い部屋だった。

 そしてその思いを更に加速させてくれるのがこの女性「ティエラ」だった。


 ―――特例財団法人「スイープリライアンス」社長、ティエラ。


 それが本名なのか、それとも偽名なのか。そもそも彼女は日本人なのかどうなのかさえ、外見からでは判別出来ない。

 まず目につくのはその美しい金色の髪だ。

 長く綺麗な金髪に、幾つもの巻き髪を作り、まるで少女趣味かタカラヅカの様で……それだけを見ればちょっと引いてしまう様な髪型だ。

 しかし彼女の容貌はその髪型に見合っていた。

 豊満なバストに括れたウエスト、大きいながらも引き締まったヒップ。そしてその魅惑的なボディを強調する、体にジャストフィットした黒いスーツ。

 童顔からは想像もつかないダイナマイトボディは、彼女の豪華な髪型に全く引けを取っていなかった。

 

「……良幸……黙ってないで何とか言えよ。このボケが」


 そして少女の様なハスキーボイスから繰り出されるこの悪舌。

 彼女を前にして、正確な年齢を言い当てる事が出来る者等皆無だろう。事実彼女の年齢どころか、その経歴すらどう調べても不明なのだ。

 顔は少女、体は女性、思考はオヤジなんて、一昔前に流行った某少年探偵のパロディーにもなりゃしない。

 

「お前は、あたしが一代で作り上げたこの会社をつぶす気か? あぁ!?」


 ティエラのテンションが高くなっていく。これは非常にまずい前兆だった。

 彼女の言う「この会社」とは言うまでもなく「スイープリライアンス」社だ。

 非合法どころか明らかに法を逸脱した組織であるにも関わらず、この会社は都心ビジネス街の一等地に、地上5階の自社ビルを構えており、しかも大きく堂々と看板まで掲げている始末だ。到底闇社会で暗躍する、暗殺集団の所属する組織だとは誰も思わないだろう。

 社名にしてもふざけているとしか言いようがない。直訳すれば「依頼があれば掃除する」なのだが、「掃除」とは暗殺の隠語であり、つまりは「暗殺請け負います」なのだ。

 もっとも社名にいちいち疑問を感じる事のないこの国の住人には、一清掃会社程度にしか考えられていないのだろうが。

 それに「特例財団法人」と言うのも、考えてみればおかしな話だ。暗殺者集団が集う会社を国が「特例」として認めているのだから、「平和と自由」を謳うこの国の闇も相当に深い事が窺い知れる。

 そんな特殊暗殺請負会社を一代で築き上げたのだ。この社長が見た目通りの年齢である筈はないのだが……。


「……こりゃー……報酬大幅減額措置を取らないとかねー……」


「ちょ……ちょっと待ってくれよっ!」


 確かに報告書には多少脚色して提出してある。

 そもそも前回の仕事で“暗殺”では無く“殲滅”になってしまったのは、ひとえに祐希の暴走に依るものだ。勿論一方的に彼女の責任をあげつらう事は出来ないから、基本的には「不測の事態による止むを得ない対処」と記した。

 だがその都度こうやって俺だけが呼び出され、俺だけが処罰されるのには、流石の俺にも我慢が限界だった。これ以上報酬を減額されよう物なら、暗殺業など到底割に合わない。


 ―――もっとも、俺がこの組織に身を置く理由は別にあるんだけどな……。


「なーにが待ってくれ、だぁっ!? そんな事が言えた義理かいっ! だいたいあんた、まーた仕事前に祐希と“アレ”をやったねっ!?」


「うっ……」


 ティエラの言葉と鋭い視線に、俺は反論する術がなく閉口してしまった。実際祐希が余りにも強請ねだるので、渋々ながら付き合ってやったんだ。

 ティエラの言う「アレ」とは言うまでもなく、意見や方針が別れた時に“祐希なり”の方法で決める“ゲーム”の様な物だ。だが当然、誰がどう見てもゲームと言えたものじゃない。


「……ハァー……あれだけ毎回毎回、祐希の“アレ”には付き合うなと言ってるのに……あたしの言葉をないがしろにしやがって……お前、舐めてんのか……あぁ!?」


 ティエラのプレッシャーはどんどんと強くなっていく。正直1秒だってこんな所に居たくない程だ。

 祐希の最も気に入っているゲームと言うのは、所謂「叩いて防いで――」と言う、ジャンケンで攻撃と防御を決めて玩具のハンマーとヘルメットで行う処を、本物のナイフを使って行う物だった。

 ジャンケンで勝った方がナイフを手に取り相手に斬りかかり、敗けた方は相手の一撃を躱さなければならない。

 そしてこれは実際に相手の体を傷つけあうゲームなのだ。


「あんたが断った事も想像出来るし、祐希が駄々を捏ねたのも分かる。……まぁ、だからこそあの娘の相手は、あんたにしか務まらないんだけどね……」


 そう言って渋い顔をしたティエラは、顔を右に向けて紫煙を吐きだした。

 そのゲームで祐希は一切の手加減をしない。

 つまり祐希がナイフを手に取れば、間違いなく殺す気で相手に斬りかかり、その一撃を躱せるのは一人を除いて俺くらいしかいないのだ。

 実際祐希はこのゲームで、仕事前にパートナーを何人も殺しているのだ。

 そうなると祐希とパートナーを組もうと考える者は居なくなり、必然的に俺へとお鉢が回って来たのだ。

 彼女の一撃を無傷で躱せる者は他にもう一人いるが、そいつだと今度は祐希が殺されかねない。


「……だけどねっ!」


 収まりかけた怒気が再び膨れ上がった。

 普段から愛想の良い性格ではない彼女だが、ここまで苛立ちが収まらない処を見ると、今回は依頼主から随分と小言を言われたらしい。


「このままじゃあ、こっちの信用にも拘るんだよっ! 毎回毎回こんな事があっちゃあ、こっちも堪ったもんじゃないんだよっ! 分かるかっ!? あぁっ!?」


 とどのつまり、この叱責は彼女の憂さ晴らしであり、誰がどう見てもパワハラでしかない。

 しかし悲しいかな、部下と言うのは時として、上司の鬱憤うっぷんを無条件で受けなければならないのだ。俺の人生はそう長くないが、この世界に入ってそれが嫌と言う程理解出来た。


「兎に角、責任は連帯で取ってもらう。あんたがあの娘のテンションを上げたのに間違いないんだからね。ペナルティーも甘んじて受けてもらうからな」


 結局そういう話で落ち着く事となるんだ。

 どのみちこの提案に異を唱えても、話が長くなるだけで結果は変わらない。俺は沈黙を以て肯定の意を示した。


「……じゃあ、もう良いわ。祐希の見舞いに行くんでしょ? とっとと行ってきな」


 彼女はそう言って俺から体ごと視線を外し、右手をヒラヒラトさせて退室を促した。俺はそれにも何も答えずに部屋を後にした。




 例え祐希が望んだ“ゲーム”だったにしろ、例え彼女を傷つけなければ彼女自身が納得しなかったとはいえ、祐希を傷つけたのは俺自身であり、傷つけられた彼女も治療が必要なのだ。

 放っておいても傷が完治する……なんて化け物染みた能力など、流石の彼女も持ち合わせていない。


「……あーっ! ヨシ君っ! 見舞いに来てくれたん!?」


 病院の入り口を潜った途端に、治療を終えた祐希が小走りに駆けてきた。その右肩には、半そでから真新しい包帯が覗いていた。

 彼女が治療したのは右肩、それは俺がナイフを突き刺した場所である。

 他にもデニムパンツとTシャツで分からないが、左太腿と右脇腹にも治療の跡がある筈だ。どれも昨晩、俺が彼女とのゲームで負わした傷である。

 

「……まぁ……俺が付けた傷だからな……」


 少しばかりは悪いと思いつつそう言った俺の右腕に、彼女は自分の左腕をスルリと絡めてきた。

 その動きには、彼女が痛みを感じている様な素振りが些かも感じられなかった。

 それもその筈で“感じられなかった”のではなく、彼女は間違いなくのだ。


 ―――後天性無痛症……。


 彼女が幼い頃、両親と共に巻き込まれた交通事故により、彼女は両親と同時に痛覚も失ったのだ。

 天涯孤独となった彼女は孤児院に引き取られたが、即座に“組織”へと引き取られていった。

 そこで暗殺者エージェントとなるべく訓練を受けたのだが、幼い彼女は何の疑問も無くその訓練を黙々とこなし、小学校を卒業する頃には一人前プロと認められる程になっていた。

 周囲から特に恐れられたのが、無痛症から来る“生に対する執着の無さ”だ。

 人は痛みの中から生を覚え、感じ、執着する。しかし彼女には痛みから来る“死への恐怖”が無い。

 それはそのまま、生死が隣り合わせの生業なりわいに措いて強力な武器であると共に、致命的な欠陥となり得るものだった。

 どれ程の人数を前にして、どんな武器を向けられても、恐れずに普段通りの力を発揮出来る事は強みと言えるが、自身の身体が傷ついても、それと気付かず何ら意に介さないと言うのは、体が発する危険信号を感じる事が出来ないという事だ。

 それは何時何処で行動不能に陥るのか、自分自身にも把握出来ない事を指す。

 つまり彼女は、死の間際まで全力で動こうとする事が出来るし、実際そうするのだろう。

 その事を知る“組織”の人間は、彼女をより過酷で厄介なへと送り込もうとする。それを水際で阻止しているのは現状、ティエラの努力に依る処だった。

 そして、実行面で彼女の面倒を見ているのが俺と言う事になっている。

 

 ―――もっともそのお蔭で、俺の請け負うミッションは、いつも難易度が格段に跳ね上がる訳だが……。


「何なんー……? また何か私に気―使ってるんー?」


 俺の腕にしがみ付く彼女は、自身に付けられた傷の事等全く気にしていない様子で、隣にいる俺に甘えた声を掛けてきた。


「じゃーじゃー、何か奢ってーなー!」


 俺が何かを答える前に、彼女は楽しそうにそう提案した。

 彼女の過酷な現状を感じさせない言葉に、俺は出来るだけ優しい顔で頷くぐらいしか出来なかった。

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