闇の任務
高層階を有する高級ホテル、その中層に当たる28階。
地上から這い登るにも、屋上から壁を伝い下りて来るにも困難な階層にターゲットの宿泊する部屋はあった。
今回標的となったのは、新興組織Zを一代で築き上げた男……その初代組長だ。
この男は協力者に飴を、敵対する者には鞭を巧みに使い分け、瞬く間にのし上がった一代傑物と言う事だ。手法を問わなければ、その強権ぶりはどんな組織人も舌を巻く程だろう。
―――しかしその手法に問題があった……。
彼の取った手段は余りにも強引であり、飴は蜜よりも甘く、鞭は銃剣よりも殺傷力を秘めていたのだ。
その結果、多くの組織が彼に賛同または服従した反面、同程度の組織から恨みを買う事となったのだ。
この男が、御世辞にも平穏とは言えない裏社会を短期間で登り詰める事が出来たのは、何もその手腕が優れていただけでは無い。
人並み外れた警戒心と猜疑心の持ち主、つまり危機回避能力が非常に高かったからに他ならないと言う事だ。
決して楽観せず、決して油断しない。そう考える者は少なくないだろうが、彼はその事に徹底していたようだ。
同じ組織であっても心を許す事は無く、敵に対しては常に警戒を怠らない。
そしてそうする事が、この世界でのし上がる為に最も必要な「生き残る」と言う事を可能としたのだろう。
高層ホテルの中階層、その角部屋に部屋を取る事は偏に守りやすい、この一点に尽きた。そして周囲を警戒するガードは組織の人物では無く、純粋に金銭で繋がるその道のプロ達だった。
三人の男達が部屋の角を頂点に、それぞれ大きく距離を取り左右に展開して警戒態勢を取っていた。
このホテルは中層階以上の部屋が隣室と壁を接触させる事無く、それぞれ独立した部屋の様に形成されている。
プライバシーを重視した造りだが、独立した部屋の様な造りはそれだけで強固な防御を構える事が可能だった。
自身が泊まる角部屋をプロのガードに警護させ、そのすぐ隣の部屋は彼の部下が大勢控えている。これだけでどんな刺客の侵入も許す筈は無かった。
―――相手が俺達で無ければ……だが。
光が射す所には陰が出来る。
それが例え夜であっても、高い光量を誇る満月が天上に居座っている間は、地上に濃い闇を落とすのだ。そして俺達はその闇に乗じて動くよう訓練されて来た。
目の前には、背を向けて俺に気付いていないガードが一人。
標的が休んでいる部屋の室外をL字型に通路があり、頂点と両端にそれぞれガードが立っている。頂点のガードを除いて、その両端に立つガードを俺と祐希がそれぞれ同時に襲う段取りだ。
いや、同時では無い。俺の方が僅かに早く片を付けなければならない。
それはほんの数秒差。祐希はわざと月灯りに浮かぶよう行動を起こす手筈だ。
そうする事で部屋の角に立つガードの注意はそちらへ向かう。それに乗じて俺がそのガードも仕留めるのだ。
「……っ!?」
音も無く、声を漏らさせる事も無く、俺は目の前で背を向けるガードの命を奪った。
無抵抗で無防備な相手仕留めるのに、銃やナイフは必要ない。ただ首を捻り、瞬時に骨を折り頸動脈を切断する、それだけで声も音も無く相手を無効化出来るのだ。
「……うっ!?」
―――ドサッ!
対して俺の死角となっているガードを始末した祐希は、相手に声を出させてわざわざ死体を転がした。当然祐希の方を見る事が出来るガードの一人は、即座にその異変を察知する。
「……な……っ!?」
祐希の方へと声を出そうとして、そのガードは全てを言い切る事が出来なかった。いや、俺がそれをさせなかった。
彼女の方へガードの全神経が向かった瞬間、俺はすかさず腰に付けた特殊ナイフを投擲したのだ。
刃にタングステンを使用し重量を持たせたナイフは、回転する事無く真っ直ぐ飛翔し、祐希の方を見ているガードの耳へと埋め込まれた。
膝を折りその場で倒れようとする三人目のガードを、音も無く間を詰めた俺が抱き留めて、静かに床へ寝転がせた。
顔を上げれば部屋のドアが僅かに開いており、既に祐希が侵入済みである事を示していた。
如何に標的が大物であるとは言え、戦闘力など皆無に等しく一般人と大差等ない。今夜の仕事はこれで終了……の筈だった。
「……ま……待ってくれっ!」
部屋の中から男の野太い声が聞こえた。
相手が眠っている内に……いや眠っていなくても、気付かれる事無く近づき仕留める事が祐希には出来る筈だ。それにも拘らず部屋から声が聞こえると言う事は……つまりそう言う事だ。
「祐希の奴……また悪い癖が出たのか……」
わざわざ標的を起こして反応を見てから始末する。毎回そうする訳じゃないが、彼女の神経が高ぶっている時は必ずそうするんだ。
そして祐希がそんな状態の時に標的とされた者は、決して簡単に始末して貰えない。
「がっ……ひぎゃ―――っ!」
ターゲットの悲鳴が、シンッ……と静まり返っていたフロアーに響き渡る。これじゃあわざわざ忍び込んできた意味が全く無い。
―――……ギィー……。
僅かに隙間を作っていた扉がユックリと開かれた。そして中からはユラリと脱力した祐希が、顔に僅かな笑みを作り緩やかな足取りで出てきた。
―――ポタッ……ポタッ……。
祐希の手にはナイフが握られており、力なく持ったナイフの先端からは鮮血を滴らせていた。
しかしそれは、標的を仕留める時に付着した血液では無い。彼女自身が今も滴らせている、彼女自身の血だった。
勿論その傷は標的を仕留める時に出来た物じゃない。
これはこのビルへと忍び込む前に出来た傷から湧き出る物だった。
彼女はその事を気にする事も無く、虚ろな瞳を被っているヘッドセットのバイザー越しに俺へと向けた。
彼女の装備は非常に変わっている。
明らかにアンバランスなシルエットを浮かび上がらせる頭部のヘッドセット。見るからに頑丈で、首から上に対する攻撃を殆ど全て無効化する強度を誇っているにも拘らず、その重量は驚く程軽いらしい。
そして彼女の胸部を守るチェストガード、腹部を守るアブドミナルガードも、同様の素材で作られ分厚く強固であり、祐希の艶めかしいボディラインを覆い隠している。
反してそれ以外の部位は驚く程軽装で、肘当て膝当て程度しかなく、その他の部分は俺達が常用する特殊素材の衣服でしかない。
これは即死のみを警戒した、祐希だけに用意された特殊装備だった。
「……またやったのか……」
俺は溜息を織り交ぜつつそう呟いた。
彼女の行動を止める事が出来ない事は、幾度もミッションを共にしてもう理解している。しかし毎度感じる徒労感を抑える事は出来なかった。
「今回はー……中々楽しませてくれたでー……」
彼女は微笑んでいるだけなんだろうが、どう見てもその笑みはサディスティックとしか言いようがない。俺はもう一度溜息をついた。
―――ガチャンッ!
「なんだっ!? さっきの悲鳴はっ!?」
「隣の部屋から聞こえたぞっ!」
悲鳴を聞きつけたのか、隣の部屋から武装した男達が次々に飛び出し、俺達の影に気付いて足を止めた。俺の溜息は留まる事を知らなかった。
「何者だーっ! お前達はっ!」
「そこに倒れてるのは……お前達がやったのかーっ!?」
俺が仕留めたガードの死体、それを見た構成員の一人が大声で叫んだ。そしてその声を合図に、その場の全員が持っていた武器を俺達に向けて構えた。
それを見た祐希の瞳に、嗜虐的な光が浮かび上がる。口元には明らかに歓喜と呼べる笑みが浮かび、彼女の方もすぐさま飛び掛かりそうな雰囲気だ。
―――……始末書……で済むかな……。
俺は今日最大の溜息と共に、彼女のフォローに回るべく、床を蹴った祐希の背後へと位置取った。
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