暗殺者としての日常
満月の下に二人
視界360度、遮るものは何もない。
超高層ビルが立ち並ぶ都心の一等地で、今俺達が居る場所は最も高い商業ビルの屋上だ。その他のビルは全て眼下で、このビルと肩を並べる建物が無い以上、周囲が見渡せる事は当たり前の事だった。そしてそう言った理由から、今俺達はここに居るんだ。
腕時計に目を遣ると、時刻は日付が変わる深夜0時を回ろうとしていた。遥か頭上には、美しい満月が俺達を照らしていた。
「……今日は満月だったんだな……」
何となく上空を見上げた俺の口から無意識に、本当にポツリとそう言葉が漏れた。
目に映る月はスーパームーンとまでは行かなくても大きく見え、普段よりも近い位置に見えるそれは、手を伸ばせば本当に届きそうだった。
「んー……? ほんまや、おっきい月やけど……うちはあの色、嫌いやなー……」
暗視仕様双眼鏡で、無数に立ち並ぶビルの一つを注視していた祐希が、俺の独り言にも満たない様な呟きに反応してそう答えた。
彼女が言う通り大きく美しい満月ではあったが、その色は何処か赤みが差していて、見ようによっては不気味な血の色を湛えている様にも見えた。
彼女は俺のパートナーを務める 「
22歳の女性……と聞かされているが、実際の年齢は不詳だ。ついでに言えば、その名前さえ本名では無いらしい。
俺達の仕事柄、素性を隠す事は良くある事だが、彼女の場合はそれに加えて自分の “素性を全て失っている” と言う経緯がある。彼女が望まなくても偽名を名乗るしかないと言うのが本当の所なんだ。
「……それよりも状況はどうなんだ?」
俺は彼女の言葉に何ら反応する事無く、祐希の見ていた先にあるビルへと目を遣った。
22歳と言えば俺よりも2歳年上に当たる。それにこの業界で俺よりも遥かに長く過ごしている彼女は大先輩と言って良い立場の筈だ。
それでもそう感じさせないのは、それが彼女のスタンスだから……と言う訳では断じてなく、偏に彼女の性格に依るものだった。
闇黒社会と言う心身ともに荒みそうな場所であっても、祐希は何処かサバサバと、そして妙に明るい。それに拍車をかける関西弁も、彼女の明るさに輪をかけていると共に、この世界に到底そぐわず、同時に彼女の雰囲気を軽いものへと変えていた。
当然年上だと言う実感も希薄で、ついタメ口以上の話し方をしてしまうんだ。もっともその事で彼女から苦情が来た事は無かったんだが。
「それやんっ! ちょっとヨシ君、聞いてーなっ! うちが聞いてたよりも、警戒が厳重になってるんやでーっ!」
彼女が怒った様な拗ねた様な、そして甘えたような声で俺へと不満を口にした。
唇をあからさまに尖らせ眉根を寄せる彼女は、その可愛い顔つきとも相まって、年上と言うよりも同級生か、ともすれば年下にさえ見える。きっとこんな世界に身を寄せていなければ、それなりに人気のある女性になっていたかも知れない。
因みに彼女は俺の名前 「
「ターゲットを守ってる寝ずの番が一人増えてるねんっ! そんなん、事前情報には無かったでーっ! まったく、諜報組は何やってるんやって話やでーっ!」
腰に手を当てて、わざとらしく頬を膨らませ文句を言う祐希の姿は、あからさまにあざとさが滲み出ていた。基本的にこれはわざとでは無く素でやっているのだと、俺も最近漸く分かった事だ。
―――大丈夫ダイジョーブっ! 最新情報やし、相手が二人やったらうちとヨシ君でササッと片付けられるしーっ!
「……って言ってたよな?」
俺が責める様にジト目で睨むと 「えーっと……」 と呟き視線を宙に彷徨わせ、組んだ指の親指を動かし落ち着かなくなった。
そもそも、こう言った不測の事態に備えるのもプロの仕事に含まれる筈だ。
勿論俺は敵の情報以前に、狙撃用ライフルの携行とスナイパーの配備も訴えていたのだ。実際に乗り込むのは俺達で異論ないが、バックアップ要員は多いに越した事は無い。
だがその提案を全て退け、強引に俺を連れだして作戦を開始したのは誰だろう彼女だった。「大丈夫ダイジョーブ」 を連呼しながら俺の背中を押す彼女が、今でも明確に思い出す事が出来た。
「ま……まー、不測の事態? に臨機応変? な対応で切り抜けるっちゅーんも腕の見せ所ってもんやでー……あは……あはは……」
どの口がそう言うのか。話を纏めに入った彼女に、俺は大きく溜息をついて脱力して見せた。
大体こう言った仕事以前のミスと言うのは、もう1度や2度ではない。彼女とコンビを組む様になって、俺が請け負うミッションは確実に難易度を上げているのだ。
ただ彼女のこう言った言い訳は、俺も存外嫌いでは無い。
黙々と任務を遂行するだけの仕事ならば、これほど陰鬱になる仕事は無いのだ。いくら報酬を積まれようと、どれほど任務を熟そうと、人の命を奪うと言う仕事に慣れる事は無い。いつも忌避感と罪悪感が付き纏っているのだ。
そう言った中にあって彼女の様な明るさは、僅かばかりの清涼剤になっていると言うのは、強ち的外れでは無い……と思う様にしだした今日この頃である。
「……とりあえず……どちらかが二人の護衛を仕留めて、もう片方は一人の護衛とターゲットを仕留める役になるな……」
抗議も含めて、彼女の首に掛かっていた双眼鏡を強引に剥ぎ取り覗き込んだ。そこには高層ホテル中層階角部屋を守る様に、三人の男達が立っていた。
遠距離からの観察では表情まで分からないが、彼等の必要以上に力を込めず、さりとて気を抜いていない立ち居振る舞いから、かなりの手練れだと推測出来た。
寝ずの番とはその名の通り、一晩を一睡もせずに警戒、護衛を行う者の事だが、これが想像以上に難しい。
平時ならば、ただ起きていれば役割を果たす事が出来るかもしれないが、警戒時にはそうもいかない。常に敵の襲来へ気を配らなければならず、しかし非常時には全力を出さなければならない事を考えれば、気負いすぎてもいけない。神経をすり減らしてしまっては、いざと言う時役に立たないのは必至だからだ。
それに夜と言うのは人間の心理的に睡魔を誘発し、闇と言うのは潜在的な恐怖を与えるものなのだ。
「じゃーあー、いつものやつで……決めよっか?」
「……やだよ、面倒臭い……」
祐希がさも楽しそうに提案して来た。もし彼女に尻尾が付いていたならば、きっとブンブンと左右に振れていた事だろう。
しかし俺はその提案を、即答で却下した。
意見が別れたり二択を迫られるような場合、俺達は決定権を掛けて 「いつものやつ」 を行っていた。
元々は彼女の発案なのだが、これがまた面倒臭い事この上なく、しかも彼女が勝つか納得するまで止めないと言うおまけ付きであった。
勿論俺が負けた事は無いのだが、彼女は俺が強引に中止するまで止めようとしないのだから困ったものである。
最近では有無を言わせず彼女に決定権を譲渡しているのだが、それも彼女には不満らしかった。
「もー……ヨシ君はいっつもそんなん
何やらお姉さんぶった祐希がもっともらしい事を口にしたが、俺にしてみれば 「どの口がそんな事を言うのか」 と言う思いで一杯だった。
俺は更に反論を続けようとしたが、彼女の期待が含まれた目を見てその試みも諦めた。
これは何を言っても 「いつものやつ」 をしない限り治まらないだろうと理解したのだ。
「……わかったよ……でも本当に時間が無いんだから、1回勝負だぞ?」
「うんっ! わかったっ!」
まったく、これじゃあどっちが年上だか分かったもんじゃない。しかし彼女の嬉しそうな顔を見れば、たまには彼女の我が儘に付き合うのも悪くは無いと改めて思った。
―――その内容が、どういった物であれ……だが……。
十数分後、結局俺は3回の勝負に付き合わされた挙句、強引に終了させた。作戦遂行前にダメージを受けるなんて、本当に彼女の思考はどうかしてると思わざるを得なかった。
それでも俺は3連勝し、彼女がターゲットと護衛1人、俺が護衛2人で承諾させた。
祐希はブツブツと文句を言いながらもそれを受け入れ、俺達は行動を開始した。なんだかんだ言っても彼女の言う通り、俺と祐希ならば大抵の事はごり押しで任務を遂行出来るのだ。
そして俺達は互いに頷き合い、満月の光が落とす影へと溶け込む様に闇と同化した……。
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