「障害者」それとも「障がい者」
『害』という字には『害悪』『公害』など否定的なイメージがある。
もともと日本では『障害者』という表記を一般的に使ってきたが、
これは差別的な表現ではないのか?
障害者に『害』は無いのではないか?
そういった考えにより、『障がい者』という表現にすべきではないかという意見が出てきているらしい。
僕に言わしてもらえば、呼び方なんかで差別がなくなるとは到底思わないけど、それでもそういった意見が出てくるというのは少し考えさせられるものがある。
本当に障害者に『害』はないのだろうか。
僕が小学校の頃にこんな出来事があった。
授業が終わって休み時間になり、僕が教科書を机に直していると同じクラスの女の子が近づいてきて僕に言った。
「アンタの弟が廊下で奇声を上げていて迷惑だった」
「え?」
僕は突然のことでどう答えていいのかわからなかった。
「だからさ、アンタから注意しといてよ。お兄ちゃんなんでしょ?」
殴ってやりたくなった。
こいつは何もわかっていない。
俺が注意したところで治るもんじゃないんだ。
「謝ってよ。弟の代わりに」
その子は真顔で僕にそう言った。
「迷惑かけてごめん」
僕は素直にその子に謝った。
『なんで俺が謝らなければならないんだ』
内心ではそう思ったけど、弟がその子に迷惑をかけたのは事実。
『謝れない弟の代わりに自分が謝らなければならないんだ。仕方がないことなんだ』
そう自分に言い聞かせた。
その子はそれからも、弟が何かをするたびに、いちいち僕に報告してきた。
そして僕はその度に謝罪した。
障がい者に『害』は無いとはいえないかもしれない。
事件を起こした犯人に障がいがあったというニュースもたまに耳にするし。
だけどそういう場合、親が子供に障がいがあると認めたくなくて、普通の子供として扱い、その子の行動に注意を払っていなかった場合も多いと思う。
そうなってくると、その親にも責任はある。
障がいがある子の家族は、その子の面倒をきちんとみるべきで、それが困難なら施設に入れるのも一つの手だと僕は思う。
何かあってからでは遅いのだ。
しかし家族がそれを『害』と感じる気持ちが僕には分かる。
面倒だし、人に迷惑をかけないようにしないといけないという心労もある。
それでも僕は弟が好きだし、周りの人が弟のことを『障害者』と思おうが、僕は弟に障がいがあることを認め、あくまで『障がい者』と思うように努力したい。
だって『障がい者』である前に僕の大事な『弟』なのだから。
呼び方なんてのは所詮、その人が相手のことをどう思うかで決まること。
だから結局大事なのは、周りがどう言おうが、その子にとって大事な人たちが、その子のことをどう思うかだと僕は思う。
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