六章:侵蝕するカオステラー

 斯くてジャンヌの凱旋は盛大に祝われた。ヴィランの介入で戦力を削がれたイングランドはフランスから撤退、外交により和平をもたらそうとしたシャルルの思惑は見事に外れ、過激派の彼女を葬り去る必要がなくなったからだ。


 結果だけ見れば、敵の手から二度オルレアンを解放し、単身舞い戻ったジャンヌは奇跡の聖女ラ・ピュセル。もちろん敵方であるイングランドと、あのヴィランの群れを目の当たりにした人々からすれば事情は違うが、人の世にあって正義と悪は表裏一体。今や名実ともにフランス領土を回復したジャンヌ・ダルクは、押しも押されぬ救国の英雄だった。




*          *




「やっぱり合わないなあ、こういう場所は」

 賑やかな宴の席で、ジャンヌがぼやく。――それもその筈。駿馬しゅんめにまたがり、戦場を駆け巡ることこそが天命だったジャンヌにとって、上辺の笑顔で腹の底を探り合う、政治の場は居心地が悪い。よく言えば信念に忠実、悪く言えば融通が効かない。この頑固な性分を逆手に取られた結果が先の宗教裁判であった事をかんがみると、百年戦争が終わり平和が訪れた今、彼女の聖女としての役割は終わりを告げつつあったのかも知れない。


「そう言うな。国中がお前の事をたたえている。そしてお疲れ様。今までよくがんばったな……」

 万感を込め肩を抱くジルに、ジャンヌは少しだけ頬を染めて応じる「まだ信じられないな……本当にフランスが戻ってきたって」と。


「お前の祈念が実っただけさ、ジャンヌ。お前は異端者でも無いし、魔女でも無い。救国の英雄で、オルレアンの聖女で、そして本当はどこにでもいる……普通の女の子だ」


「――私が女の子って、何言ってるのジル……でも、戦争が終わって、託宣たくせんが叶って……これからどうしたら良いのかな、私は」

 幾ばくかの戸惑いを見せるジャンヌだったが、ジルはと言うと何のことは無く、いけしゃあしゃあと未来像を提示して見せるのだった。


「羊飼いに戻れば良いさ。故郷の村でも良い。何なら私の土地ででも良い。剣を捨て歌を口ずさみ……愛する者が出来たら一緒になって、やがて子供を生み……そうして幸せな生涯を閉じるんだ。――お前と、そしてお前が愛したこの国は、私たちが命を賭して守ってみせる」


 酒の酔いが回っているのか、いつもより饒舌じょうぜつなジルを前に、暫し煩悶はんもんとしている風なジャンヌは「少し、考えてみるね。ありがとうジル」と、謝辞を述べ、そして笑った。


「ああ。ゆっくり考えるといい。時間はたっぷりあるんだ……私は、少し夜風に当たってくる。いささかに頭痛がしてね」

 

 頭に手を当てたジルは、そう言ってエクスたちに手を振ると「君たちも楽しんでいってくれ」と言い残すと、踵を返し広間を出て行った。




「幸せそうね……二人」

 バルコニーでその光景をじっと見つめていたレイナは、複雑そうな表情で呟く。


「そうだね……でもカオステラーはまだ倒れていない、でしょ?」

 隣に立つエクスが問うと「それが問題なのよね」とレイナが返す。


「イングランドは撤退し、ジャンヌは火刑を免れ英雄に、永年続いた戦争には幕が降ろされ、やがて来る平穏の時代が描かれる……私たちが見ているのは、どうかこうあって欲しいと思う様な、主役たちが幸せに暮らす物語……だけれど……」


「――カオステラーの描く物語は、やがて想区を滅亡させる、か」

 レイナの言葉の最後を締める様に続けたタオは、下戸げこの癖にグラスだけは片手に窓辺に立っている。


「そう……それが善意であれ悪意であれ、カオステラーによって書き換えられた物語は必ず崩壊する。だから怖いのよ。今回のカオステラーが若し、何かや誰かを救おうとして運命を改竄かいざんしているのだとしたら……その結末は、きっととてつもなく悲しいものになる」


「姉御……」

 シェインの言葉を背に空を見上げたレイナは「――本当に、どうして全てはハッピーエンドで終われないのかしら」と、誰に言うでも無く独り言ちた。




*          *




「はぁ……はぁ……」

 王の間への石段を登りながら、ジルは頭を抱え息を切らしている。自分が書き換えた運命通りに、全ては確かに幸福な結末に向かっている様に思えた。だが徐々に自身を蝕む禍々しい破壊の衝動が、その幸福を壊せとばかりにガンガンと脳内を叩いて回る。


「青……髭……」

 言い聞かせる様に呟く名は、ロキに告げられた忌々しい殺戮者の名だ。


 ジャンヌの物語には続きがある。ジャンヌの死で生きる目的を失ったジル・ド・レは、放蕩の果て黒魔術に傾倒する。それは悪魔に生き血を捧げる事で、望む者を一人だけ、この世に蘇らせられると説かれたからだ。


「ジャン……ヌ」

 だがそれは当然の如く盲信に過ぎない。忽然こつぜんと消える領民と、付近で目撃されるジル・ド・レの姿は噂から確信に変わり、やがて彼は、異端者として死刑を宣告されるのだった。――その恐るべく殺人鬼の名を、人は童話に変え「青髭」と呼んだのだ。


「シャルル……ジャンヌを売った背信者……裏切り者……敵……コロス……」

 やがて人語すらも失いかけたジルが王の間の扉を開けた時、そこには一度はジャンヌを見捨てかけたフランス国王、シャルル七世の姿があった。




*          *




「遅いですね……ジルさん。お酒弱いのかな。見た目よりも」

 知る顔の無い宴に入り込めないエクスたちは、相変わらずバルコニーに固まっていて、そこに逃げる様にやって来たジャンヌとで、今は五人で歓談を楽しんでいた。


「ジルは結構飲むんですけどね。でも私と会ってからは断酒をしていた筈だから、弱くなっちゃったのかも」


 聖女という肩の荷が降りたからか、随分と砕けて話すジャンヌに「俺も飲めないんだぜ!」と、よくわからないアピールをタオがする。


「タオ兄、ジャンヌさんに手を出したら、それこそジルさんにはりつけにされちゃいますよ」

 義兄の横腹を小突くシェインに、くすくすとジャンヌが笑みをこぼす。


「私、聖女を止めたら、こんな風に冒険してみるのもいいのかも知れないなあ」

 まだ年端も行かない少女の、それが本音かも知れなかった。しかしその様子を暗澹あんたんたる表情で見つめるのは調律の巫女、レイナ。


「止めちゃって、本当にいいの? ジャンヌ。もしあなたがそれを心から望むなら……」

 レイナの存外に真剣な眼差しにきょとんとするジャンヌだったが、彼女が答えを返そうとしたその時には、城内を突き抜ける高い悲鳴が、上階から周囲に響き渡っていたのだった。


「悲鳴?」

 一際早く反応したエクスが辺りを見回すと、シェインが「上の方角ですね」と冷静に答える。まるで不測の事態を予見して、聞き耳を立ていたかの様だ。


「ちっ……やっぱりカオステラーなのか……行くぞ、タオ・ファミリー!」

 俄にバルコニーを飛び出したタオは、脇目もふらずに駆け出していく。


「私も行きます! ジルが心配ですから!」

 それを追うジャンヌに続き、レイナが広間を出て数分。一行は異様な気配を漂わせる、王の間の前に辿り着いていた。




*          *




「クルゥウウウウ!!」

 微かに聞こえるその声は、人外の、ヴィランのそれだった。


「ジルのおっさんがここに居ない事を祈るぜ……」

 突入のサインを即席で出したタオが、両開きのドアを蹴破った時、部屋を埋め尽くしたナイトヴィランと、エクスたちの死闘は幕を開けたのだった。

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