悪魔にとて我は祈ろう、それで貴女を救えるのなら。

糾縄カフク

本編

序章:騎士を苛む悪夢

 敵国の兵士の、高らかな歓声が広場に響く。

 鮮血にも似た赤い戦旗が風になびき、その中で息を潜める様に、僅かな盟友たちは剣を握っていた。


 ――中央の広場、火刑台に吊るされるのはジャンヌ・ダルク。

 劣勢の故国に颯爽さっそうと現れ、獅子奮迅ししふんじんの活躍を見せたオルレアンの乙女。


 しかし彼女の助力で即位したフランスの王は、権力を手中に収めるや叛意はんいを見せた。武力による領土奪還を主張するジャンヌが、次第に疎ましくなったからだ。


 やがて国王に見放されたジャンヌは孤立を深め、自軍を救うべく乗り込んだ敵地の先で、ついに虜囚の憂き目にあってしまう。


 結末の分かりきった裁判で異端の烙印らくいんを押され、魔女として火刑台に吊るされた聖女ジャンヌは、今まさに死の瀬戸際に居た。




*          *




「殺せ! 殺せ! 悪魔を! 魔女を! フランスの売女ばいたを!」

 

 戦地にあって処刑とは民衆の娯楽でもある。自国民を苦しめた年端もいかない少女の死を、イングランドの領民は歓喜の声で以て迎える。


「被告、ジャンヌ・ダルク。神の名をかたり国民をあおり、世に混乱を招いた罪を受け入れるか」


 その歓声を手で制した審問官が、形式張った質問をジャンヌに投げかける。


「私の名はジャンヌ・ダルク。まごうこと無きオルレアンの乙女。主よ、汝の御国みくににて、私の名を思い出して下さいますよう」

 

 しかし聖書の一句を口にしたジャンヌは、これまでと同じ答えを返すだけだった。


「よかろう。だが貴様が向かうのは天国では無い、身を焦がしただ焼かれる、灼熱の地獄だ」


 審問官の手の合図に合わせ、処刑人が松明を掲げ火刑台に駆け寄ってくる。




 ――このままでは。

 握る剣の柄に力を込め、たとえ一人とて斬りかかろうと身構える。本来は強襲隊が広場に乱入し、その間隙かんげきを縫ってジャンヌを救い出す筈だった。だが死刑の宣告が告げられて尚、増援の来る気配は無い。――松明の火が、無辜むこの少女の足元にべられる。


 ――やめてくれ。彼女が一体何をしたというのだ。

 だがいざ窮地となると、足は震え声は出ず、怯えて体が動かない。刺し違えてでも彼女を救う。そう誓った先刻の自分は何処にいるのか。




「我らに罪を犯すものを、我らが赦すごとく。我らの罪をも赦したまえ――」


 燃え広がる火がやがてジャンヌの体を包み、しかし黒い炭を落としながらも――、たった一つの声だけが止まずに聞こえる。


 最早観衆も罵詈雑言ばりぞうごんを忘れ、その神聖に、或いは狂気に心を奪われている。聞こえたのは慟哭どうこくでは無い。――祈り、死の淵にあって尚途絶えぬ、神への祈り。


 たった一人の少女すら救おうとしない残酷な神への、たった一人の少女すら救えない無力な人への怨嗟えんさをも滲ませない――、余りにも清らかな祈り。


 この祈りを一体何度聞いただろう。分からない、覚えていない。ただ呪詛じゅその様にこびり付いたその声に、次第に視界が移ろいで往く最中、脳裏には或る思念が確固として漂い始める。


 

 

 ――神が彼女を救わぬのなら、人が彼女を救えないなら、悪魔よ。どうか我に、彼女を救う為の力を。


 まるで巻き戻されるテープが、また同じ物語を再生する様に、遠くから鳥のさえずる声が聞こえる。


 鈍痛と悪夢を記憶に残し、そうして騎士は寝床を立った。今回こそは運命を変えられる。そんな不思議な予感を胸に抱きながら。

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