第20話 炎の戦場<桶狭間>・その四

 三撃目の集中砲火をあびたとき、車内に嫌な振動が奔った。

 生力炉の律動とも、砲撃の反響とも違う。

「……かまうな、狙うは先頭の中戦車のみじゃ」

 朝比奈元長は額の汗をぬぐいつつ、四本の矢印が描かれた――砲撃の集中を意味する小旗を砲塔上に掲げた。

 紺色と浅葱色に塗り分けられた元長車は、先ほどから織田勢の集中砲火にさらされていた。

 それでも留式の装甲は敵弾を寄せつけず、義元の盾になり続けている。

「先頭以外は気に留めるな!」

 敵の先頭車を采配で示した元長は、すぐさま砲塔内に潜り込み、備砲である短砲身・三七ミリ砲の大ぶりな引き金を引いた。


 留式三五型は放手はなちて込手こめてを兼ねる車頭くるまがしらと、操手あやつりての二名しか乗車できない。

 そのため装填、砲撃、操手への指示、部隊の指揮の全てをこなさなければならない元長は、次第にそれらの役割以外のことに注意を向けられなくなっていた。

 先頭じゃ、先頭車だけを撃てばよい……呪文のようにつぶやきつつ、元長は次弾を装填する。

 砲塔後部の旗印からして、先頭を走る中戦車が上総介信長であることに間違いない。

 信長さえ討ち果たせば、敵の攻撃も止むだろう。それで御館様を救うことができる。

 おぬしに恨みはないが、ここで果てよ! ……元長は引き金を引く。


 だが、留式の装備する短砲身・三七粍砲は、五〇メートル以内の至近距離でも二〇粍程度の装甲貫徹力しか持たない。軽戦車ならともかく、九七式中戦車に命中弾を与えたとして、果たして撃ち抜けるかどうか……。

 車体側面か後面に命中させたい。それも正撃で。

 しかし互いに移動しながらの砲撃では、そんなに都合よく当たらないことは武者ならば誰でも知っている。

 だがそれでも、今はそれを狙うしかない。

 奥歯をこれ以上ないほどに噛みしめ、元長は照準筒をのぞき込んだ。


 そのとき、四撃目の集中砲火による衝撃が襲いきた。そして元長は、はっきりとその音を聞いた。何かがゆがみ、引きちぎられる、奇怪な響きだ。

「何じゃ、何じゃと言うのじゃ」

 操手の田丸孫三郎に聞くが、操作に必死の孫三郎は首を振ることしかできない。

 元長は車内にしゃがみ、周囲をうかがった。金属がこすれ合う音がする。さらに、きしみ音までもが……。

「よもや」

 つぶやいたとき、五撃目の集中砲火が元長車を襲った。

 立て続けに炸裂した榴弾の衝撃が、鋳造部分と車体下部とを組み合わせている接合部に亀裂を生じさせた。

 装甲をつなぎ合わせていたびょうが飛び、各所で跳ね返りながら車内を飛び回った。

 車体がゆがみ、荷重のかかった足回りが破損した。履帯が外れ、鞭のように地面を抉った。

 ――それらのことが、瞬きほどの時間のうちに連鎖して起こっていた。

 たちまち元長車は前への推進力を失い、右に傾いて擱坐かくざした。

 孫三郎が悲鳴を上げるのを、元長は耳鳴りの中で聞いていた。ちぎれた接合鋲にやられたのか、それとも飛び散った破片によるものか、孫三郎は血だらけになっている。 

 おのれ……! と声を上げようとして、元長は気づいた。己の喉から声は出ず、笛の音に似た音が漏れていた。見下ろすと、首から下が鮮血に染まっていた。どうやら孫三郎と同じ状況にあるらしい。

 すうっと気が遠のいてゆく。その数拍の後に、後続の留式が自車に衝突したことさえ、もはや元長には感じ取れなかった。




 擱坐した青系二色の留式に、後続の留式が衝突し、その衝撃で横倒しになった。

 思わず信長は雄叫びを上げていた。

 足回りを狙い、敵方の円陣を崩す。それが第一の狙いだった。

 しかし、うまく足回りを破壊できずとも、砲撃を集中させることにはもう一つの狙いがあった。

 装甲を撃ち抜けないなら、命中の衝撃で接合部を破るか、ちぎれ飛んだ鋲などで内部の機器や乗員を傷つけるしかない。より大きな衝撃を伝えるなら、徹甲弾よりも弾頭が炸裂する榴弾がよい。

 頭に血を昇らせながらも、信長はそれらの判断をわずかの間に下していたのである。

 そしてその試みは成功していた。

 二輌の留式が戦闘力を失い、さらにその後ろの二輌は衝突を避けるため大きく変針し、陣形が崩れた。

 ぽっかりと生まれた空隙と静寂――


 その一瞬、今川義元の九七式中戦車は、戦さ場のただ中で孤立していた。


「今じゃ!」

 信長は叫ぶ。信長車の乗員だけでなく、佐々成政や岩室重休らも正しく理解していた。

 その一輌を討ち取れば、全てが終わる。

 瞬きほどの間をおいて、全車がその一輌に殺到しかけた。


 まさにそのとき――。


 その九七式中戦車の物見塔に、一人の男が立ち上がった。縁に脚をかけ、仁王立ちになっている。

「われこそは今川治部大輔義元なり! 織田上総介、いざ尋常に勝負せぇ!」

 車内に潜ませていたものか、見るからに業物わざものの太刀を手にし、切っ先をこちらに向けている。

 ……くだらぬ、実にくだらぬ。信長は鼻で笑いたい心境だった。

 戦さはこちらの勝ちだ。あと一撃で義元を仕留められる。

 ここで一騎打ちに応じてやる、いわれはない。


 だが――


「おう!」

 我知らず、身体が動いていた。同じように物見塔の縁に脚をかけ、立ち上がっていた。

「その首、わしがもらう受けるぞ!」

 軍配団扇を突き出し、首をかき切る動作を見せる。


 ……見せながら、激しく後悔する信長だった。


 売り言葉に買い言葉、思わず反射的に一騎打ちに応じていた。その気も無いのに、口と身体が勝手に動いていたのだ。

 これが<武者の血>のなせるごう……いや、もはや呪いというべきか。

 武者としての生き方などクソ食らえと思いつつも、やはりどこかで、武者の血筋に縛られている自分がいる。

 阿保、痴れ者、うつけ者、わしは何と愚かなのじゃ。

 以前からそうだった。安寧な暮らしがしたいと願う一方で、ちょっとしたことで頭に血が昇り、余計な苦労を背負い込むのだ。

 ……そうだ、今からでも遅くない。内蔵助たちに義元の首は譲ってやろう。わしは辞退する。


 武者の矜持? ――知らん!


 前言撤回じゃ! ……と叫びかけたときだ。

 信長の九七式中戦車は派手に土塊つちくれを巻き上げ、前進を開始していた。

「おい、こら、わしは命じておらぬぞ!」

 あわてて車内に戻ると、ぎらついた六つの目が迎えた。

「お任せくだされ御館様! わしが操れば今川の弾などに当たりはいたしませぬっ」

 操手の加藤弥三郎が興奮の声を上げる。

「一発あれば充分にござります。それで仕留めて見せまする」

 放手の毛利良勝が自信たっぷりに応じる。

「御館様は、それがしが必ずお守りいたします!」

 鉄砲手の佐脇良之が鼻息を荒くしている。

「いや、待て……」

 狼狽えながら信長は、物見塔から頭を出して前方を見た。

 すでに義元車との距離は二〇米ほどに詰まっている。

 ここで逃げたら背中を撃たれるだけだ。もはや腹をくくるしかない。


 ええぇぇい、くそっ。


「……うぬらの言葉、証明してみせぇ!」

 信長の九七式中戦車は唸りを上げて加速した。左手に見える義元車は目と鼻の先だ。

「放て!」

 良勝の肩を叩く。

 二輌の砲声が重なり、雷鳴のごとくに響きわたった。

 信長は襲いきた衝撃に投げ出されそうになった。敵弾が砲塔に命中したのだ。

「弥三郎、当たっておるではないか!」

 しかしその一弾は砲塔の増加装甲に命中し、あらぬ方向へ弾かれていた。

 信長車の弾は相手の車体側面装甲に命中、しかしこれも弾かれていた。

「一発で仕留めると申したであろうがぁ!」

 二輌はすれ違い、再び距離をとったところで左回りに旋回する。

 距離は三〇米。鼻面を向き合わせた二輌は、示しあわせたように突っかけた。

「うぬらの申したことは戯れ言かっ」

 義元車が迫る。物見塔に、流言でささやかれていた姿とは似ても似つかぬ、剽悍ひょうかんな男がいる。

 命のやり取りをしているというのに、どこか達観したような、清々しい笑みがその顔には浮かんでいる。

 それを見ていると無性に腹が立ってきた。こちらが喚いているのを笑われているような気分になる。

 気に食わぬ、まったくもって気に食わぬ。

「その余裕、叩き折ってくれるわっ」

 信長は弥三郎の左肩を引っぱった。

「すり寄れ!ぶつけよ!」

 弥三郎はその下知を正しく遂行した。

 信長車は左へ舵を切り、義元車の左側面にぶつかる進路をとった。

 物見塔の義元が、唖然としたように目を剥いているのが判る。

「どうだ! 肝を冷やしたか治部めっ」

 叫びつつ、信長は必死に方向転把てんぱを回し、砲口を左方へ向ける。


 次の瞬間、信長車は義元車に衝突していた。


 金属が歪む音が響き、派手な火花が散った。二輌は互いの左側面をこすり合わせ、動きを止めた。

 そのときには信長は砲塔を左方へと回し終えていた。

 五七粍砲の砲口は、義元車の砲塔基部に密着している。

「良勝ぅぅ――!」

 信長の叫び声を、砲声がかき消した。砲煙が渦を巻き、残響が谷間に落ちてゆく。


 一瞬の静寂。


 砲煙が谷間の風に流され、薄れていった。

 そこで信長は見た。

 放った徹甲弾が、義元車の砲塔基部を抉っているのを。

 そして、強風にあおられ消える灯火ともしびを思わせて、物見塔に立つ義元の双眼から強い光が失われてゆくのを――。


「上総介」

 頬を引きつらせ、義元が言う。汗に濡れたその顔は蒼白を通りこし、銀色に輝いて見えた。

「受けとれ」

 力なく、手にしていた太刀を放ってよこした。それは音を立てながら信長車の砲塔上面に転がった。

「見事、じゃ……」

 義元はくずおれるように物見塔に突っ伏した。

 車内に飛び込んだ徹甲弾によって、胴から下を傷つけられたのだろう。何かを掴むように伸ばされた指先は、もはやぴくりとも動きそうになかった。


 信長は大きく息を吐き出した。ゆっくりと身体の強張りが消えてゆく。

 眼前で起こったことが信じられないのか、誰もその場を動こうとはしなかった。

 丘の向こうの喧噪が虚構であるかのように、桶狭間の谷間を風が静かにながれていった。


 ……それも束の間、静寂を破り、生力炉の鼓動が響きはじめた。

 見ると、北の丘の方から数輌の戦車が集まってくる。

 信長は転がっていた太刀を拾い上げると、義元車に飛びうつった。その砲塔後部にあった旗印をひき抜き、迫り来る戦車に向かってそれを掲げてみせる。

「今川治部大輔義元、この上総介信長が討ち取ったりぃぃ!」

 背後の佐々成政たちを振り返る。

「勝ち鬨じゃぁ――!」

 呆気にとられていた成政たちが、喜色を浮かべて拳を振り上げた。

「お、おおおぉぉぉぉ――!」

「えいっおおぉぉぉぉ――!」

「えいっっ!」

「おおおぉぉぉ――!」


 その声を突き破るようにして、生き残っていた二輌の留式が<大高道>方面へ向けて走り出した。

 北東の丘から迫っていた二輌――今川方の後備うしろぞなえと思われる連中も、もといた方向へ反転をはじめている。

「逃げる奴らは敵ぞっ。追い討ちじゃ!」

「我らにお任せあれっ」

 岩室重休と長谷川橋介の九七式軽装甲車が、丘を引き返す敵を追って駆け出した。

「今川義元、討ち取ったり――!」

「義元の首ぞ、我ら織田の手中にあり!」

 重休と橋介は、声高に触れ散らしながら丘を登ってゆく。


 北西側の丘から迫ってくる一輌には、佐々成政が立ちはだかった。

「あれは、それがしが」

 成政の九五式軽戦車が、義元車ともつれ合ったままの信長車の前に出る。

 が、その砲声が轟くより早く、北西の丘の敵――九五式軽戦車が車体後部から炎を噴き上げた。

 その炎の揺らめきの向こうに、新たな三輌が見える。

 先頭を進みくるのは、若苗わかなえ色の板肌に柿色の流水模様を描いた九七式中戦車だ。そいつの砲弾が九五式軽戦車を仕留めたに違いない。

 しかし、その戦車の塗色には見覚えがない。そいつは勢いを殺さず、こちらへ向かってくる。

 成政車の砲塔が旋回し、その九七式中戦車に砲口を向けた。


「……ん?」

 信長は気づいた。その戦車に見覚えはなくても、物見塔に立って大きく手を振る男には見覚えがある……というより、忘れようのない顔が、そこにあった。

「御館様! ご無事でありますなっ」

 鑓を掲げ、髭面の男が呵々と笑っている。

 見間違えようがない。柴田勝家だ。鑓先には、名のある武将のものであろう首級がぶら下がっている。

 あいつのことだ。相手方の戦車を力尽くで奪ったのだろう。

 見慣れぬその戦車は斜面の途中で向きを変え、北東の方向へと走り出した。

「わしも追い討ちに加わりますぞ! 今川の武者どもを一人残らず狩ってやるわい!」

 叫び声を残し、勝家は走り去ってゆく。

「わしも暴れたりぬっ。どこまでも追い散らしてやるわ!」

 後ろに続いていた九七式軽装甲車が、勝家を追って反転する。砲塔から顔を出し、目を血走らせているのは池田恒興だ。

 その後方から、こちらは見慣れた九七式中戦車がやってきた。それは追い討ちには加わらず、側へ来て停車した。

「ご無事で何より、祝着に存じまする」

 物見塔に立ち、にこやかに一礼するのは、森可成だった。

「無事であったか、三左衛門」

「はっ。家臣の装甲車を討たれはしましたが、相手の九五式三輌は我らで仕留めました」

「うむ、ようやった。じゃが、うぬは追い討ちには加わらぬのか?」

「相手の最後の一弾で、戦車砲をやられ申した。治さねば撃てませぬ」

 残念そうに口を曲げる可成にうなずき、信長は周囲を見渡した。


 もはや、こちらに向かってくる敵勢はいない。

 北側の丘の稜線では、織田の旗幟を掲げた足軽どもが働いていた。ようやく戦車の動きに追いつき、逃げ遅れた今川方の足軽を追い散らしているようだ。

 先ほどまで喧やかましく聞こえていた戦車の生力炉の轟きが、遠ざかってゆく。

 戦さは、終息に向かいつつあった。

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