第19話 炎の戦場<桶狭間>・その三
「御館様をお守りしろ!」
朝比奈元長の叫ぶ声が、耳鳴りの間からかすかに聞こえている。
命中弾の衝撃で身体を激しく揺すぶられ、物見塔の縁で胸を打った今川義元は、低く呻いていた。
「い、いかがした……?」
声をしぼり出し、車内に呼びかける。速度が極端に落ちていることは、身体で感じとることができた。
「新右衛門殿がっ」
「目に血が入り申した。前が見えませぬっ」
命中弾の衝撃で強打したのか、
「おぬしが代われ、七郎」
鉄砲手の富田七郎に命じ、義元は物見塔から顔を出した。操手を交替させるため、義元車は停車を余儀なくされた。
その周囲では、家臣たちの戦車が騒がしく動きつづけていた。
「わしは大事ない、狼狽えるな!」
口の中に広がる血の味を感じながら、義元は叫んだ。
「御館様、これでは敵方に追いつかれます。ここは、<
朝比奈元長が叫び返してくる。それに義元はうなずいて見せた。
「任せたぞ丹波」
元長はただちに、指図を飛ばしはじめた。
元長車をはじめ四輌の留式三五型は一列となり、義元車を中心に旋回を開始、右回りの円を描きはじめた。
二輌の九五式軽戦車はその外側で、こちらは左回りの旋回を開始した。
円を描いて走行しつつ、各車は敵戦車に砲撃を加える。むろん義元車も、回りつづける家臣たちの間から、敵を狙って砲声を轟かせる。
大将の戦車を中心とした二重の円と、そこから四方に放たれる砲弾――。
「これぞ<車防ぎの陣>ぞ。おぬしに破れるか、上総介よ」
義元は独りごちながら方向
「放て!」
義元の声に合わせ、発砲炎がほとばしった。放たれた五七
「もう一弾じゃっ」
軍配団扇を鑓の穂先のように敵戦車に向ける。その戦車の砲塔から、車頭と思しき武者が転がり出てくるのが見えた。
さらにもう一人が頭から地面に落ちたとき、義元車が再び砲声を轟かせた。
その一弾はまたも車体前部に命中し、装甲板をたたき割った。
「次じゃ、隣を狙え」
もう一輌の九五式軽戦車が、被弾車から逃げた仲間をかばうように前進してきた。
そいつの砲口が発砲炎で飾られると、こちらの九五式軽戦車一輌が生力炉を撃ち抜かれて炎上した。
「腕に覚えがあるようじゃな。よかろう、わしが討ち取ってくれる」
義元は方向転把を回し、砲口をそいつに向けなおした。
「放て!」
轟然と撃ち出された砲弾は敵の右車体下部に命中。まるで解き放たれた猛禽の群れのように、寸断された履帯が飛び散った。
勢い余って右に回りつつ傾いだ敵戦車は、こちらに左側面をさらした。そこへ、義元車の二撃目が命中した。
それは砲身の基部を捉えていた。砲身全体が砲塔から浮き上がり、砲口はあらぬ方向を向いてしまう。あれでは砲撃はできないだろう。
「次じゃ!」
戦闘能力を喪失した敵にかまってはいられない。次は、右方向から迫る敵に砲塔を向けなおした。
今しばらく刻を稼げば――。
奴らがそう簡単に討ち取られるはずがない。
こうして堪こらえていれば、必ず潮目は変わる。
「来るがよい上総介! その首、もらい受けるはこのわしぞ!」
右後方から迫り来る敵戦車に、義元は高らかに吠えた。
たちまちのうちに服部小平太と平井久右衛門の戦車が討ち取られた。
信長は息を呑み、我が目を疑った。
その手際から、義元とその家臣どもが、戦車戦でもかなりの手練れであることは推察できる。
なんと恐ろしい相手か。だが、ここまできて退くことはできない。
あの男さえ葬れば、己の望むように生きられるのだ。
「狙うは今川義元の戦車のみ!」
吠える信長の声に合わせ、砲声が轟いた。
だが、その砲弾は留式軽戦車の砲塔装甲に弾かれた。
義元車を中心に円を描きつづける留式が、防護壁の代わりになっていた。
義元車を狙った砲弾も、その射線上に割り込んだ留式によって弾き返されてしまう。距離は五〇米ほどだが、その距離でも留式の装甲はびくともしない。
何とかして、あの留式を排除せねば。じゃが、どうすればよいか――。
信長がその答えを得るより早く、左脇にいた山口四郎兵衛の九七式軽装甲車が動きを止めた。停車して義元車を狙い撃とうというのだろう。その砲身がゆっくりと狙いを定める。
砲声が轟き、命中の火花が散った。だがその火花は、最外縁部を回っていた九五式軽戦車の砲塔側面で散っていた。山口車の砲撃の瞬間、身を挺して射線上に飛び込んだのだ。
続けざまに砲声が鳴り響き、義元車の放った砲弾が山口車を捉えた。わずか一二 粍の山口車の装甲は、五七粍砲弾に抗することができなかった。
生力炉が爆発し、砲塔が車体から浮き上がった。身を乗り出していた山口四郎兵衛は弾き飛ばされ、離れた地面に投げ出された。生死の程は判らない。
「……!」
一瞬にして心臓が頭に移ったように血流が急上昇した。めまいを感じながら信長は、声の限りに叫んでいた。
「おのれ義元! よくもわしの小姓に手をかけたな!」
砲塔内壁に下げた小旗の中から、白地に黒丸の旗を掴み上げる。榴弾装填の合図だ。
さらに紺色地の小旗を掲げる。その旗には、
大将が狙った目標に全車が火力を集中せよという合図の旗だ。
二種の旗を物見塔に備わる筒に差し入れた信長は、車内に身を屈めた。
「よいか、回っておる留式の、紺と
旋回を続ける四輌の留式に下知を下しているのは、紺色と浅葱色の二色で装甲を塗り分けた車に違いない。信長はそう見当を付けていた。
さらに、
「脚を狙え。動きを止めるのじゃ」
と、つけ加える。これには良勝も眉をひそめ、真意を確かめるように見返してきた。
「かまわぬ。狙え」
有無を言わさず、信長は命じた。良勝も不承不承といった表情を見せはしたが、抗弁せずにうなずいた。
履帯や車輪を故意に狙うことは、武者にとって恥ずべき行為だ。
正々堂々と砲口を向け合い、一発必中を狙って撃ち合う。それが武者の理想とする戦車戦だった。
だが、そんな対面にこだわっている状況ではない。
武者の矜持? ――肥溜めにでも捨ててくれるわ!
武者の家に生まれはしたが、皆が理想とする武者になろうとは思わぬ。わしは、わしのやりたいようにやるだけじゃ!
心の裡で叫んで、信長は敵をにらみ見た。
「放て!」
良勝の肩を叩く。砲声が鼓膜を叩き、発砲煙が視界を覆った。
続けて、後続の佐々成政、岩室重休、長谷川橋介も砲撃を開始する。
距離は五〇米を切っている。走行しながらでも必中を期せる距離だ。
四発の砲弾は、狙い違わず青系二色の留式に命中していた。
だが、びくともせず、その留式は走りつづけている。足回りには命中しなかったようだ。
「次弾、急げっ」
信長は車内に下知を飛ばす。
「留式の歩みに合わせよ!」
操手の加藤弥三郎の耳元で命じる。
信長車を先頭に一列になった四輌は、円を描く敵の外側を、やはり円を描きながら走行した。
速度を合わせ、目標の留式に砲撃を集中させる。
立て続けに命中した榴弾の炸裂煙が留式を覆う。
──だが、そいつは何事もなかったかのように、煙の中から姿を現した。
「まだじゃ、さらに放て!」
その間も敵弾がすぐ側を飛び抜けてゆく。それでも信長は、物見塔から身を乗り出し、軍配団扇を握りしめていた。
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