第18話 炎の戦場<桶狭間>・その二

 こちらへ突き進んでくる七輌は、すでに谷間に達していた。

 これに対し今川義元は、後備うしろぞなえから呼びよせていた九五式軽戦車三輌を向かわせた。

「ここはお退がりくださりませ、御館様」

 側に控える朝比奈元長の声が、どこか遠くから聞こえてくるような気がした。

「……なぜに、かようなことになったのじゃ」

 眼前に広がる光景を、どうしても受け入れることができない今川義元だった。


 二万の軍勢を集めた。五〇に達する数の戦車を連れてきた。軽装甲車も含めれば八〇輌近い戦力だ。

 それでも今、追い詰められているのは今川勢だった。足軽どもは逃げ散り、武者たちも苦戦している。なにより本陣の目の前まで、敵が迫っている。なぜだ?

 見立てに誤りがあったのか?

 手立てに齟齬があったのか?

 それともやはり、胸の内のどこかに慢心があったのか?


「今は軍勢を立てなおすことのみお考えくだされ」

 その声に、義元は我に返った。

 元長の言う通りだ。ひとまずは陣を退げ、態勢を立てなおさねばならない。

「沓掛城に退がるにしても、後ろに織田勢がいるという話がまことであればどうする?」

 訊ねる自分の声に張りがあることを、義元は嬉しく思った。

 今川家は、まだ終わってはいない。いくらでもやり直しはきくのだ。

「さようですな」

 元長は、南西の方角を指し示した。

「あちらへ下れば、地元の者どもが桶狭間と呼ぶ谷間に出で、その先は大高道に至りまする」

「うむ」

 確かに、<大高道>へ出ることができれば、沓掛城へも、また大高城へも向かうことができる。

 使番を走らせて城方の手勢を城外に布陣させておけば、追い討ち(追撃)してくるであろう織田勢を返り討ちにすることもできるはずだ。

「じゃが、沓掛城が落ちたという話は」

「流言ではありましょうが……。なれば、ひとまず大高城へ向かい、流言かどうかを改めてから、沓掛城へ退がることにしてはいかがでしょう」

 大高城には兵糧と共に一〇〇〇の先発隊を入れてある。さらにその周辺には、丸根砦と鷲津砦を落とした松平勢などの手勢も残していた。

 これらを合わせれば四〇〇〇ほどの兵力になる。戦車も一〇輌以上は増えよう。


 義元は決断した。

「本陣を桶狭間に移し、そののち、大高城へ向かう。かかれっ」

「はっ」

 陣替えの下知が発せられ、使番の九四式軽装甲車によって各所に伝えられる。

 とはいえ、すでに足軽どもの大半は散っており、本陣周辺もずいぶんと寂しくなっていた。

「丹波」

「はっ」

 義元は、谷間を渡ってくる敵を見つめながら、言葉を継いだ。

「もしものときは、おぬしが家臣どもをまとめ、領国へ帰り着け」

「なんと!」

 驚愕の表情を浮かべているであろう元長のほうを、義元は振り返らない。

「わしを捨て置いてでも、おぬしらは国へ向かえ。よいな」

「さようなことは――」

「約束いたせ! せねば、わしはここを動かぬぞ」

 その剣幕に圧されたのか、ややあってから元長は呻くように承諾した。

 義元はゆっくりと息をついた。

「おぬしらこそが今川の宝ぞ。氏真を盛り立ててくれ」

 そうだ。家督を譲った嫡男の氏真と、それを補佐する家臣らが健在であれば、今川は一度や二度のつまずきで滅びはせぬ。

 わし一人の命を差し出すことで今川の行く末が買えるのなら、安いものだ。

 むろん、捨て鉢になっているわけではない。

 我が身を捨てるその決意があったればこそ、この窮地を乗り越えられる。そう信じているからに他ならない。

 義元は振り返り、元長を見た。その頬に、ぬぐったような跡があったが、双眸はまだ強い光を放っていた。

「征きましょうぞ、御館様」

「うむ」


 動き出した義元たちに従うのは、本陣周りにいた戦車、装甲車のみだった。

 先手として、三輌の九四式軽装甲車が先行する。これに義元の九七式中戦車と元長車、馬廻の三輌が続く。最後尾には、二輌の九五式軽戦車がついた。

 義元を囲むようにしながら、一〇輌は丘を下ってゆく。

 その先は東西と北側を丘陵に挟まれた、桶狭間と呼ばれる谷間の窪地となっていた。

 そしてその窪地を抜ければ、大高城へとつながる街道へと至る。

 義元は大高城周辺の手勢を集結させるべく、先手の軽装甲車をさらに先行させた。

 街道へ至り、大高城へ退がることができれば――。

 この戦さ、まだ勝ちは拾える。義元はそう確信していた。


 しかし、彼ら本陣の移動速度は、それほど速いものではなかった。

 原因は、朝比奈元長と馬廻たちが乗る戦車にあった。

 彼らの四輌は、留式三五型と呼ばれる軽戦車に分類される戦車だった。原型を開発したのは日本国内の戦車鍛冶ではない。

 それは、英蘭エゲレスとならぶ戦車大国、仏蘭西フランスで生まれた戦車だった。


 フランス人戦車鍛冶、ルイ・ルノーが立ち上げた工房で西暦1535年に開発されたその戦車――ルノーR35は、天文二〇年(西暦1551年)頃より南蛮商人によって日本に持ち込まれた。

 以来、ルノーの頭文字をとって「留式」と呼ばれている。

 鋳型に溶かした鋼材を流し込んで鋳造した上部と、鋼板を組み合わせた下部とを接合鋲でつなぎ合わせた車体は、焼物を思わせるなめらかな曲線で仕上げられている。

 そこに乗る饅頭のように丸みを帯びた砲塔には、短砲身三七ミリ砲が装備されていた。

 鋳造部分の装甲厚は傾斜した車体前面で三八粍、直立した車体側面や砲塔部分では四五粍に達する。

 その分、総重量は重くなり、速力は街道上でも「駈歩かけあし(時速約二〇キロ)」が精々で、戦車の中でも鈍足の部類に入る。不整地であればなおさらだ。

 故に、九五式軽戦車のような軽快さを好む日本の武者には人気がなく、国内に持ち込まれた数もさほど多くはない。

 だが今川家はその高い防御力に着目し、馬廻用の戦車として留式を買い集めたのである。


 しかしこのとき、その低速性能が徒となり、今川勢の歩みはまるで牛歩のようであった。丘を下るのにも相当の時間を要してしまった。

「あれを……!」

 馬廻の一人が、左手後方を指さしていた。

 飯尾筑前守の後備うしろぞなえが追いついたのか。

 義元は最初、そう思った。丘の稜線を越え、二輌の戦車が向かってくる。

 しかし、どうやら軽戦車のようだ。筑前守の乗車は九七式中戦車だ。ならばあれは、敵に違いない。

 その二輌は、勢い込んで斜面を駆け下ってくる。

「丹波、任せたぞ」

「はっ」

 一礼した元長は、采配を振るって後方を指し示した。

「撃ち方、よぅい!」

 元長車と馬廻の三輌、合わせて四輌の留式三五型が砲塔を旋回させ、左手後方から迫る二輌に砲身を向けた。

 まだだ、まだ終わらぬ。元長車の砲声を聞きながら義元は、自らにそう言い聞かせていた。




「ここは、それがしが」

 唇の動きから、森可成がそう言っているのが判った。

 前方から接近してくる三輌の九五式軽戦車に対し、その行く手を遮るように可成車が突っ込んでゆく。

「わしも行くぞ!」

 家臣の九七式軽装甲車に乗り換えている池田恒興も、増速して可成車に続いた。

「さあ、我らはあちらへ!」

 右前方にいる佐々成政が、物見塔で右方向を指していた。

 丘を登りはじめてすぐに、今川義元の本陣が移動を開始した光景を目にした。

 南側から丘を下り、<大高道>へと逃げるつもりらしい。

 逃すものか。犬千代の仇敵め。

 それに、あの男を生かしたままにしておけば、織田家は再び、面倒事に巻き込まれるだろう。

 信長は、右へゆるやかに旋回しはじめた成政車に続き、自車を右方向へ進ませた。

 正面から迫る敵の三輌には、可成と恒興の二輌が向かってゆく。その右脇をすり抜けるように、信長らの五輌は義元の本陣を追った。

 丘の斜面を斜めに横切り、地元の者が桶狭間と呼ぶ谷間方向へと向かう。


 左手方向から砲声が鳴り響きはじめた。可成たちが交戦を開始したのだ。

 信長は振り返らなかった。その目はまっすぐに、谷間へと逃げゆく義元の馬印を見ていた。

 土塊を巻き上げ、草を飛び散らし、信長たちは疾走した。

 そしてついに、丘の南側斜面へと走り出た。

「あれを!」

 左手前方をゆく岩室重休が叫んでいた。指さす方向を見ると、二輌の軽戦車が隣の丘を駆け下ってくる。

 見覚えがある。服部小平太と平井久右衛門の九五式軽戦車だ。

「ようやった!」

 思わず信長は叫んでいた。

 二輌の軽戦車は信長たちに先行する体勢で、義元本陣へと迫っている。

 砲声が地鳴りのように響き、義元本陣から灰色の発砲煙がたなびき始めた。

 それに答えるように、小平太たちの二輌も砲火をきらめかせる。

「急げ!」

 信長は操手あやつりてである加藤弥三郎の腰を強く押した。増速の合図だ。

 しかし、信長の九七式中戦車がそれ以上速度を上げることはなかった。

 舌打ちした信長にも判っている。

 街道上では「襲歩しゅうほ(時速約四〇キロ)」で走れる戦車でも、道を外れた不整地では「駈歩かけあし」が限界だ。

 ましてや土砂降りの雨の後である。一帯の地面は水を含み、所々が泥濘になっていた。


 とはいえ、その地面の状況は、信長たちに有利に働いているようだった。

「……義元め、なんの理由か知らんが、速ぅ走れぬようじゃな」

 敵本陣と小平太たち、そして信長らの距離は、見る間に縮まっていた。

 砲煙混じりの風を顔に受けながら、砲声に包まれる敵本陣に目をこらす。

 九五式軽戦車が主力のようだ。合戦前、今川方は多数の九五式を装備していると物見から注進されていたことを思い出す。


 ――いや、違う。しかし信長はそれに気づいた。


「あれは留式ぞ。南蛮人が持ち込んだ戦車じゃ」

 留式については詳しくは知らぬ。装甲は厚いが足が遅い。その程度の知識しか持たない。

 しかし相手が何であれ、狙うは今川義元の戦車のみ。留式など放っておけばよいのだ。

「詰めよ! もう少しじゃ」

 車内に叫びつつ、信長は方向転把てんぱを回転させた。砲塔が左手前方へ向きはじめる。

 すでに彼我の距離は一〇〇メートルほどになっていた。小平太たちは五〇米ほど前にいる。

「足を止めよっ。足回りを狙うのじゃ!」

 思わず信長は叫んでいた。

 故意に履帯や転輪を狙うことは、正々堂々とした武者にあるまじき行為として忌避される傾向にある。

 しかし、そんなことにかまってはいられなかった。目の前に敵の大将、それも今川家という大大名の根幹たる男――なにより織田家に災難を振りまく男がいるのだ。

 この好機を逃すほうが、どうかしている。

「放て!」

 信長の叫びが聞こえたわけはない。しかし、その想いに答えるように、服部小平太の軽戦車が砲火をきらめかせた。

 刹那、本陣の中心にいた今川義元の九七式中戦車が火花を発した。命中弾だ。

 どこを射貫いたかは判らぬが、義元車は速度をゆるめているように見える。

「いまぞっ、詰め寄れ!」

 今川本陣めがけ、信長の装甲部隊が殺到した。

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