第21話 炎の戦場<桶狭間>・その五

 丘の麓では、服部小平太と平井久右衛門の二人が、山口四郎兵衛に肩を貸し、立ち上がらせようとしている。どうやら四郎兵衛も健在であるようだ。

 なれど――。

 晴々とした気分が、途端にしおれてくる。

 犬千代。

 その名を、胸裡で呼んでみる。忠実にして、頼りになる愛すべき家臣は、もうこの世にはいない。


 御館様――! いつも傍で聞いていたその声が、耳の奥でかすかに響いていた。

 もっと早く、赦してやるべきだった。

 あいつはきっと、わしの赦しを得るために、無茶をして命を賭したに違いない。

 御館様、御館様! 

 振り払いがたく、その声がどこからともなく聞こえてくる。いつもあいつはそうだった。その名の通り、犬のように、どこへでも付いてきた。

 御館様、御館様、御館さまぁぁぁ――!


「ん?」

 はっきりと聞こえた。

「御館様ぁぁぁ!」

 声のした方を振り返ると、北西の丘の斜面を駆け下ってくる装甲車が見えた。

 その旗指物からして織田の物ではない。若緑色をした九四式軽装甲車は、今川家の物に違いない。

 しかしその砲塔上に立つ男は、間違いなく犬千代――こと前田又左衛門利家だった。

「生きておったか犬千代!」

 九四式軽装甲車が横滑りしながら停車し、利家は砲塔から転がり落ちた。が、転がった勢いのまま一回転して立ち上がり、駆け寄ってくる。

「この度の大勝利、祝着に存じまする御館様!」

「いや、それより……うぬはまことに犬千代か……?」

 利家は歯を見せて大笑した。

「そうおっしゃるのも無理はござりませぬなぁ。なれどこの又左衛門、初手から命を捨てる気など、さらさらござりませなんだ」

「いったいどうやって……」

 自車を側に寄せた佐々成政が、安堵と不審をない交ぜにした複雑な表情を見せている。

「わしは確かに、この目でおぬしが炎に包まれるところを見たぞ」

 利家は困ったように頭をかいている。

「いや、わしは炎には包まれておらんぞ、内蔵助殿」

「じゃが、早打砲の陣地へ乗り入れたではないか」

「おうっ。奴らの弾を食らって主砲がいかれてしもうたのじゃ。こうなれば乗り入れて、履帯で奴らを挽きつぶすしかないと思うたのじゃが、小屋に乗り入れた途端に今度は履帯も切れてしもうた。そこで――」

 利家は、両手をパンッと打ち合わせた。

「奴らの焙烙玉ほうろくだまを奪って、火をつけてやったのよ。いやはや、その燃え広がり方の早いこと」

「ではなぜ、すぐに小屋から逃げなんだ?」

 成政の問いに、また利家は困り顔になる。

「わしとて、すぐに逃げようと思うたさ。なれど、車を捨てて小屋から出たはよいが、そこで御味方からの砲撃が始まってしもうて動くに動けず、静まるのを木立の陰で待っておったのさ」

「それで、あれはどうした?」

 成政が若緑色の軽装甲車を指さす。

「おう、御味方の砲撃で集落の陣地が崩れた後、かっぱらったのさ。今川の連中の多くは逃げ散っておったでな、奪うのは容易かったわ」

「それで我らを探し、追いかけてきたわけか」

 森可成の言葉に、利家はうなずいた。

「さようでござりますよ森殿。いやはや此度の事、森殿のご助言通りに動いてようござった。お陰で御館様の窮地をお救いすることができ申した」

 利家は胸を張り、声を上げて笑った。


「ん? 待てまて、犬よ」

 信長は利家と可成を交互に見る。

「ではなにか? 謹慎中の身でありながら参陣したのは、三左衛門の言葉に乗せられたと言うことか」

「乗せられたわけではござりませぬよ。参陣して手柄の一つも立てれば御館様もお赦しになるであろうと、森殿が耳打ちしてくだされたまでのこと」

 利家は森車に駆け上がり、可成の手を取って固く握りしめた。

「真に、森殿には感謝の言葉もござりませぬなぁ!」

「なんの。又左の働きがなければ、我らが勝ちを拾えたかどうか判らぬ。ほんに、よう無事で戻ったのう」

 にこやかに応じた可成も、利家の手を握りかえしたばかりか、その腕から肩を親しげになで回した。


 ……気に食わぬ。どうにも気に食わぬ。わしに隠れてこそこそと……。


「ではなにか、うぬらは二人で計り、わしをたばかっておったということか」

「いやいや、御館様。謀ったなどと。ただそれがしが、又左を不憫に思うてそそのかしたのでございますよ」

 苦笑しながら可成が言う。その間も、利家の肩に手を置いている。

「わしに隠れてであろう? 相談もなくであろう? それを謀ったというのではないのか?」

「相談したとして、御館様はお赦しにはならなかったでありましょう?」

「当たり前じゃ、わしの茶坊主を斬ったのだぞ? 容易く赦してなるものか」

 呆れたように可成が肩をすくめる。すくめながら、利家に笑いかける。

「でありますから、御館様には内緒で手柄を立てよと、参陣を手引きしたのでございますよ」

 可成は利家の肩を掴み、ぐいっと、しかし優しく押し出した。

「どうでしょう御館様。此度の戦功に免じ、又左の帰参をお赦しになられては」

「おお、かたじけのう存じます森殿!」

 利家はまた、可成の手を強く握った。


「……いつの間に、かように仲良ぅなったのじゃ?」

「は?」

 利家と可成が、同時に首をひねる。その所作の重なり具合が、どうにも気持ちを苛つかせる。

「――ものか」

「は?」

 聞き取れなかったのか、利家と可成が、またも同時に身を乗り出す。

「ゆ、赦すものかと申したのじゃ! 赦して欲しければ、もう五つほど武者首を持ってきて見せよ!」

 適当に言い放ったのだが、利家は途端に目を輝かせ、奪ってきた軽装甲車へと駆け戻ってゆく。

「お任せあれ! 御館様のためならばこの又左っ、いくらでも駆け回って見せまする!」

 見慣れぬ塗色の軽装甲車が、北の丘へと走り去ってゆく。その砲塔で振り返った利家が、盛んに手を振っている。


 ……ふんっ、たとえ五つの首級を持ち帰ったところで、赦してなどやるものか。

 犬がおらぬでも、わしは勝てておった。……おそらく、いや、たぶん。

 いやいや、勝てずとも、引き分けに持ちこむ算段はできていたのだ。……なんやかやと手違いが起こって危うかったが。

 ……ともかくだ、赦してやる気など塵ほどにも無いわ。

 うぬはそうやって、きゃんきゃん吠えながらわしの周りを回っておればよいのだ。城などくれてやらぬぞ。一生、わしの傍でこき使ってやる。

「痴れ者めっ」

 吐き捨てたつもりだが、どこか柔らかな響きを伴っていたことが、自分でもおかしかった。

 フッと頬をゆるめた信長は、いつしか天を見上げ、桶狭間全体に響くような笑い声を立てていた。




 同じ刻、桶狭間の西の端で、惚けたように戦さ場を見つめる男がいた。

「いやはや……真に今川義元が討たれたのけぇ」

 丸根砦で鉄砲足軽をしていた男、藤吉郎である。

 砦が陥落したとき、一目散に逃げ出した藤吉郎は、繁みや窪地に身を隠しながら一路東をめざしていた。

 今川勢に加えてもらうためである。

 勝ち戦さに乗り、属する軍勢を替えることは、藤吉郎たち足軽にとっては生きる知恵だ。悪びれる必要などあるはずがない。

 しかし、桶狭間まできたところで、とんでもないモノ《・・》を見てしまった。

「むぅ……」

 湿った地面にあぐらをかき、藤吉郎はしばし考えた。いや、生き抜くための知恵は、すぐに答えをひねり出した。

 織田に残ろう。

 藤吉郎は大事に抱えてきた施条銃を手に取り、立ち上がった。

「追い討ちじゃぁ、わしは織田の手勢であるぞぅ」

 情けない声で叫びつつ、繁みを飛び出す木下藤吉郎であった。




 それからしばらく後のこと――。

「御館様が討たれたじゃと……!」

 松平蔵人佐元康は、思わずその場にくずおれた。大高城の広間である。

 丸根砦を落としてのち、松平勢は守りを固めるため、大高城に入城していた。

「御館様が、まさか……」

 戦さ場から逃れ、大高城へ駆け込んできた者どもが、その危急の報をもたらしたのだ。

「……なんたることじゃ」

 そこへ酒井忠次が顔を寄せる。

「殿、ここで打ちひしがれておる場合ではございませぬぞ。ここへも織田勢は攻め寄せましょう」

 元康は、ハッと顔を上げた。

 そうだ、ここにいては敵中に取り残されることになる。

 すでに城内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 合戦前より、松平勢に先行して約一〇〇〇名の先発隊が入城していたが、その中に籠城を訴える者など一人もいなかった。

 とにかく持てる物だけを持って逃げようとする者と、どさくさまぎれに他人の物を拝借して逃げようという者が、廊下や曲輪くるわのそこここでぶつかり合い、喧噪を飛ばしている。

 その騒ぎの中で転げるようにして立ち上がった元康は、震える声を張り上げた。

「沓掛城……いや、三河までひた走るぞ!」

 逃げ帰る、と言わなかったのは、武者の矜持がさせたことだった。

 忙しく撤退の準備を始めた家臣たちを、元康は呆然と見つめていた。

 あの今川義元が、無勢ぶぜいの織田に討ち取られるとは……。

 織田信長という男、風評とは違い、できる男であったのか? それとも家臣どものお陰か。

 どちらにせよ、織田は侮れぬと言うことだ。


 しかし、今川家はこれからどうなるのだろう。御家を継いだ氏真殿は、いささか覇気に欠ける。

 力のある家臣が支えれば別だが、もし今川の権勢が曇るようなことになれば、北条や武田が黙ってはいないだろう。

 今は同盟関係にあるとはいえ、今川の力が弱まれば、北条も武田も大人しく盟約を守りはすまい。おそらく今川領は、両家の狩り場となろう。

 そのとき、我が松平家はどうする? 

 今川家から独り立ちする好機ではある。だが、その後ろ盾となってくれる勢力を、どこに求めるか――。

 武田か? 北条か?

 そこで元康は、全身の震えを意識した。不安や恐怖からではない。興奮からだった。

 ……織田がいる。織田の力が本物であるなら、三河で立とうとする我が松平家の後ろ盾に、これほど相応しい勢力はない。

 織田の力を借り、三河を、そしてやがては遠江や駿河までも――。

 つい昨日までは夢物語であったそれが、手の届くところにあった。

 元康は、湧き上がる笑いを堪えることができなかった。




 それと同じ刻限――。

 桶狭間の一角に幔幕まんまくが張られ、その中央に信長の九七式中戦車が鎮座していた。

 首実検が行われているのである。

 合戦が終わると、討ち取った敵武将の首をあらため、論功行賞ろんこうこうしょうを行う。

 戦さの総大将にとって、そして当主にとって、それは重要や役目だった。しかし信長は、どうにもこれが苦手だった。

 誰が一番の手柄で、それに継ぐのは誰か、それに対して感状を送り、どんな褒美を取らせるか――そうしたことの子細を、文句の出ないように決めてゆかねばならない。


 それがどうにも面倒くさい。

 此度の戦功一番は誰か? 

 やはり、義元を討ち取る一弾を放った毛利良勝か?

 それとも簗田政綱か。聞けば、今川勢が裏崩れを起こしたきっかけは、政綱が撒いた流言りゅうげんであるという。

 しかし政綱にそれを命じたのは、服部小平太であるという。

 犬千代?

 ありえぬ、絶対にありえぬ。奴の手柄を認めたならば、どれだけ調子に乗ることか。犬などは、吠えて欲しいときに吠えればいいのであって、普段は大人しくしておればいいのだ。

 では誰にすればよいのか……。ああ、なんとも面倒だ。


 うぬも、かような面倒なことを戦さのたびにしておったのだろうな。


 胸裏でつぶやきつつ信長は、自車の正面に設えられた台の上を見やった。

 そこに、今川義元の首があった。きれいに化粧をされたその顔は、生きているようでもある。

 しかしまあなんだ、うぬもこうしてわしと対面するとは、思ってもみなかったろうなあ……。


 すべてはこれのお陰。これこそ、戦功一番を与えるべき存在。


 信長は、九七式中戦車の物見塔を軽く叩いた。この戦車があったからこそ、劣勢を覆せたのかもしれない。

 これからはますます、合戦の要所を戦車が担うようになるだろう。

 戦車とは、なんと恐ろしい存在なのだ。

 これが一輌あるだけで、攻め手はためらいを感じるものだ。

 それが相当数あれば、他国から攻められることもなくなるだろう。

 戦車を揃える。

 それが国を、家を、わしの生き方を守ることにつながる。

 では、それにはまず、何を為すべきか?

 まずは財力だ。戦車を揃えるには銭がいる。

 銭を得るにはどうすればいい?

 あれこれと手立ては浮かぶが、いまの織田家にそれができるのか?

 だがそれをやらねば、織田はまた、どこぞの勢力から攻められる。早いこと財力を蓄え、戦車を揃えねばならない。

 戦車さえあれば、誰もわしのやることを邪魔できまい。すべての障害を、履帯で踏みつぶしてやるのだ。

 この乱世、戦車があれば何でもできる。


 それこそ、天下さえれるかもしれない。


 そこでふと、信長は気づいてしまった。

 天下さえ奪ってしまえば、すべて思い通りになる。己が望むままに、自らにって生きてゆける。

 それもいいかもしれない。いや、それがいい。

「天下、か」

 はじめて、その言葉に重みを感じた信長であった。



 永禄三年(西暦1560年)の五月十九日が終わろうとしていた。

 それは織田信長にとって、生涯でいちばん長く感じた一日の終わりでもあった。

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信長甲機 ‐武者が戦車でやってきた‐ ARA-YO @ARA-YO

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