第16話 深く静かに浸透せよ・その二
「わしが津島の戦車鍛冶の家の出であることを、知っておるか?」
服部小平太の問いに平井久右衛門は「うむ」と答え、他の者は首をひねる。
尾張・津島には、戦車を打つ(製造する)鍛冶集団や、それを売る商人の集まりがあった。
「わしは戦車や装甲車をよう知っておる。今川が使ぅておる戦車の中には、わしらから買った物もあろう」
小平太は街道上の列を指さした。
「見たところ、
「それは判るが、何が言いたい」
じれたように半兵衛が眉を寄せる。
「今川の戦車は、打たれたときと同じく、薄い装甲のままということじゃ」
「じゃから、それが何だというのだ」
興奮して声を荒げる半兵衛に舌打ちしながら、小平太は答えた。
「よう狙ぅて撃てば、この距離でも連中の戦車を仕留められる、ということじゃ」
中川金右衛門が、ぽんっと手を打つ。
「わしらはここで木立に身を潜めたまま、奴らを狙い撃つわけじゃな。とはいえ六〇〇……いや、八〇〇
これだけの距離があると、互いに制止した状態でも必中は難しい。
「そこで平井殿の出番よ」
あっ、と半兵衛たちも息を呑んだ。小平太は自分のことのように、自慢げにうなずいた。
「織田家中にその人有りと言われた砲の名手が、我らにはついておる」
小平太の言葉など耳に入らない様子で、当の本人、平井久右衛門は街道上を見つめていた。
平井家は、かつては弓一筋の武辺の家として知られ、この国に戦車が伝わって以後は、その血筋の才を戦車砲術の
むろん、久右衛門にもその才は受け継がれていた。
織田家中の砲撃の競い合いでも、久右衛門に並ぶ者はいない。前田利家や佐々成政なども腕は立つが、久右衛門の冴えに比べれば、まだまだであると小平太は見ていた。
「……いける」
街道上の敵勢から目を離さず、久右衛門が口を開いた。
「この距離なら、三七
「確かに、奴らも阿呆ではない。二度、三度と撃たれて、その場に留まりはすまいて」
金右衛門が言うと、小平太はニヤリと笑った。
「そこでわしの出番じゃ。わしの従者も津島の出でな、戦車の扱いは得手じゃ」
「囮になる、と申すか?」
不安げに言う久右衛門に、小平太は軽く胸を叩いて見せた。
「心配無用、当たりはせぬ。わしが奴らの目を引きつけ、足を止める。その間に、平井殿には腕を振るってもらう」
「ならば、それがしもお供いたします」
簗田政綱が血走った目を見開いて言った。
「おう、どのみちこの狭い道では、おぬしの車が先に出てくれねば、わしも前には征けぬでな」
「では、わしらはどうする?」
半兵衛と金右衛門が見上げてくる。
「平井殿が何輌か仕留めれば、さすがに奴らも泡を食って位置を変えよう。そのとき、構えは乱れる」
「なるほど、わしらはそこを突いて、乗り入れればよいのじゃな」
小平太は大きくうなずいた。
「足軽どもを連れて、存分に暴れてくれ」
彼らの算段は、ただちに実行に移された。
政綱と小平太の二輌が、ゆっくりと坂道を下ってゆく。続いて、足軽を引きつれた金右衛門と半兵衛が続く。最後尾の久右衛門はその場に残り、静かに砲塔を旋回させはじめた。
街道では、ようやく山砲の車輪が泥濘から脱したようで、部隊の前進が開始されようとしていた。
「これ以上は待てぬ。征くぞ!」
小平太は
後ろから押されるかたちで政綱車も速度を上げる。二輌は最後の坂を下りきり、木立の間から街道上へと躍り出た。
山砲を牽引していた九四式軽装甲車が、一〇〇米ほど前方にいた。
小平太はただちに砲撃を開始し、たちまち一輌の軽装甲車に火を噴かせた。さらに隣の軽装甲車を狙い、砲塔を旋回させてゆく。
政綱車は山砲の一つに車体をぶつけ、その車輪を吹き飛ばしていた。その間も砲塔の八粍銃を放ち、近くにいる敵の軽装甲車を狙い撃つ。
南の方角を向いていた敵の九五式軽戦車六輌が、
その瞬間、最後尾にいた九五式軽戦車の一輌が、生力炉から炎を噴き上げた。平井久右衛門の砲撃によるものだ。
敵方の動きがそれで止まった。
二撃目。今度は先頭に位置した一輌が、やはり生力炉を撃ち抜かれて炎に包まれた。
足軽どもは列を乱し、街道上から逃げ散ってゆく。
残る四輌の九五式軽戦車は、敵の姿を求めて砲塔を旋回させていた。
「どこを見ておるっ」
そのただ中へ、小平太は自車を突っ込ませた。一輌とすれ違いざま、その砲塔に三七粍砲弾をお見舞いする。が、これは命中角度が悪く、弾かれた。
目の前に現れた足軽の群れを蹴散らし、小平太車は旋回する。
唸りを上げて敵弾が飛来した。命中弾はない。
敵の九五式軽戦車がこちらに砲口を向け、盛んに撃ちはじめた。小平太車は右に左に車体を揺らし、それを翻弄する。
そこへ、平井久右衛門の三撃目がきた。その徹甲弾は敵軽戦車の転輪を損傷させた。撃たれた戦車は、がたがたと揺れながら街道から外れてゆく。
敵の混乱が、小平太には手に取るように判った。
戦車を装備した織田の手勢がこの辺りにいるわけがないという油断。
久右衛門の正確な砲撃による動揺。
がむしゃらに突っ込んできた小平太らへの恐怖。
それらがない交ぜとなり、今川の
小平太は、転輪を撃たれて行動不能となった敵の九五式軽戦車に急接近し、素早く正確な動作で砲弾を叩き込んだ。
砲塔を側面から撃ち抜かれた敵は、そのまま動かなくなった。
動き続ける小平太は、今度は先手の九四式軽装甲車に狙いを定める。
たちまち二輌が炎を噴き上げ、残る一輌は射弾を避けようと舵を切ったところで履帯を泥濘にとられた。動けなくなったその装甲車からは乗員が逃げ出し、山手の方へと駆け去った。
振り返ると、中川金右衛門らの九二式重装甲車も街道へと突き進みつつあった。
簗田政綱車も健在で、からかうように敵の足軽どもを追いかけている。
ついに、今川の殿軍が割れた。
味方がいるはずの戦さ場の方へ逃げる者もあれば、沓掛城の方角へ引き返す者もあった。
残る三輌の九五式軽戦車も、一輌はその場に踏みとどまったが、二輌は沓掛城方面へと車体を向けはじめた。
その場に踏みとどまった一輌は、小平太車の前方に回り込んできた。
五〇米も離れていない。砲口がきらめいたときには、小平太車の車体が激しく揺れていた。
敵の放った砲弾は車体側面の笠状の張り出し部を貫き、後方へ飛び去っていた。
「そのまま押し出せ!」
小平太車は勢いを殺さず直進する。敵軽戦車が目前に迫る。そこで小平太は操手の肩を二回、強く引っ張った。
急停止。距離は約二〇米。照準筒の視野からは敵戦車がはみ出して見えた。
「逝けやっ」
引き金を引く。砲声が轟くより先に、敵戦車の砲塔基部で火花が散っていた。命中弾は確実に装甲を貫徹し、車内にいた武者どもを殺傷しているだろう。
敵の擱坐を確信した小平太は、沓掛城へ逃げる敵戦車の追撃を操手に命じた。自身は物見塔へ戻り、逃げる敵をにらみ据える。
出し抜けに、逃げる敵の一輌が履帯を破壊されて停車した。横合いから二輌の九二式重装甲車が迫っている。どうやら金右衛門らの一三粍銃の射撃で、行動不能に陥ったようだ。
その一輌に対し、金右衛門らは一〇〇米以内の距離から集中射撃を加え、ついに炎上させた。天に拳を突き上げた金右衛門と半兵衛は、さらにもう一輌を追撃し、これに射撃を開始した。
砲塔や車体の各所に命中の火花を散らしながらも、その一輌は止まることなく、そのまま沓掛城めざして街道を疾走してゆく。
最後尾にいた九四式軽装甲車のうちの一輌も、山砲を牽引したまま南の山筋の方へと逃げていた。
味方の足軽は銃刀を差し込んだ施条銃を振りかざし、逃げ惑う敵方の足軽をさらに追い散らしている。
「止めよっ、いまは追い討ちは無用じゃ」
小平太は自ら戦さ場を走り回り、金右衛門らの追撃を押しとどめた。
「何故じゃ!」
「ここが潮目ではござらぬかっ」
金右衛門も半兵衛も息巻いている。だが小平太は彼らに対し冷静に応じた。
「閃いたのよ。あれじゃ」
街道脇の一角を采配で指し示す。そこには、小平太と政綱の攻撃によって擱坐した三輌の九四式軽装甲車と、破壊を免れた二門の山砲が残されていた。
「あの山砲を頂く」
「なるほど」
いつの間にか山を下り、側に車を寄せていた平井久右衛門がうなずく。
「あれで沓掛城を攻めようというのじゃな」
「さよう。中川殿、山田殿、お二人には城攻めをお願いする」
顔を見合わせた二人は、すぐに汗まみれの顔に笑みを浮かべた。
「おう、請け負ったぞ。山砲を撃ち込めば、城方も肝を冷やすだろうて」
「それならば、わしも存念はない。じゃが小平太、おぬしはいかがする?」
「わしか。わしは今川の主勢をつついてみる。ここで蹴散らしたのが殿軍であるなら、後ろの陣立ては幾分か薄くなっておろう」
「なるほど、今川方にさらなる揺すぶりをかけるのじゃな。うまくゆけば、御館様の動きを助けられよう」
久右衛門の言葉に、小平太はうなずいた。
「おぬしも付いてきてくれ、平井殿。それから政綱」
「はっ」
先ほどまで足軽を追い回していた政綱も、今は小平太の後ろに車を停めていた。
「おぬしは先駆けせよ。その辺に転がっておる今川の装甲車に乗り換えてな」
一瞬、思案顔になった政綱だったが、すぐに頬をゆるめた。
「奴らの使番のふりをして、
「さよう。織田の大軍が後ろに現れ、沓掛城も落ちたと吹いて回れ。それで今川の陣も乱れよう」
この算段も、やはりただちに実行に移された。
使用可能な山砲を回収した中川金右衛門と山田半兵衛は、それを自車に繋ぎ、足軽どもを連れて街道を進みはじめた。むろん、めざす先は沓掛城である。
簗田政綱は、泥濘にはまって動けなくなっていた黄蘗色の九四式軽装甲車を自車で牽引して引っ張り上げ、これに乗り換えた。
使番を表わす指物をたなびかせて前進を開始した政綱車の後方に、小平太と平井久右衛門の九五式軽戦車が続いた。
街道は、すぐに二手に分かれた。
左手は<大高道>で、こちらを進めば今川方の城である大高城に至る。
右手は<谷間の道>で、田畑や集落を貫いた先は、織田方の中島砦につながっている。
戦さは、おそらく<谷間の道>の周辺で行われているだろう。小平太はそう判断した。となれば、今川方が陣を敷くのは、二つの道に挟まれた丘陵の上であろう。
「政綱、おぬしは尾根筋を駆けよ。判っておるな?」
「お任せあれ!」
使番の旗を揺らしながら政綱の軽装甲車は道を外れ、丘を駆け上がりはじめた。
「我らも続こうぞ」
「うむ」
小平太と久右衛門の二輌も、道を外れて丘に向かう。
「……おぉう」
丘を二つほど超え、三つ目の丘に達したところで、旗の波が目に飛び込んできた。前方の丘を埋め尽くすように、今川方の陣が広がっている。
何も命じなくとも、政綱はそのただ中に突っ込んでいった。
固まっている足軽どもを見つけると停車し、砲塔から身を乗り出して何かを叫んでいる。
「それでよい。平井殿、我らも政綱を助けましょうぞ」
それを言うだけで、久右衛門は小平太の意図を察したようで、砲塔内へと潜り込んだ。
久右衛門車の砲身がゆっくりと持ち上がるのを見た小平太も、ニヤリと笑って砲塔内へ身を沈ませた。
榴弾を装填し、敵陣に狙いを付ける。引き金を引く前に、隣の久右衛門車が砲撃を開始した。
伝わる砲声と振動が心地よい。
「往生せぇ」
つぶやきつつ、小平太は引き金を引いた。
丸く狭い照準筒の視野の中で、敵陣の一角が爆煙に包まれ、旗が倒れてゆくのが見えた。
――まさにその刻限に、信長たちが今川勢に包囲されつつあったことを、服部小平太たちは知らなかった。
だが確かに、彼らの放った一弾が、その後の戦いの流れを大きく変えることになったのである。
ときに、永禄三年五月十九日(西暦1560年6月20日)――。
後の世に、『桶狭間の戦い』と呼ばれることになるその合戦は、最終局面を迎えようとしていた。
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