第15話 深く静かに浸透せよ・その一

 刻は、戦さ場全体が激しい雨にさらされていた頃に遡る――。


 雨粒が何層にも連なって滝のようになり、行く手が見通せない中、服部小平太一忠らは、繁みを踏みしだいて間道へと押し入っていた。

 織田と今川の主勢が激突する以前、善照寺砦において信長から沓掛城攻撃を命じられた部隊である。

「うまく誤魔化せたようだぞ」

 雨粒の滝をかき分けるようにして、列の最後尾から平井久右衛門が駆け戻ってきた。

 小平太の九五式軽戦車の車体によじ登り、物見塔にいた小平太に顔を寄せてくる。

「敵勢は、こちらに感づいてはおらぬ。このまま征こう」

 小平太がうなずくと、久右衛門は自分の戦車へと戻っていった。

「と言うわけじゃ、頼むぞ!」

 雨音に負けないよう叫ぶと、すぐ前方に停まった軽装甲車の砲塔にいた簗田やなだ政綱まさつなが手を上げて応じた。

 政綱の九四式軽装甲車を先頭に、小平太らは木立の中を伸びる間道を進みはじめた。


 信長への献策が認められ、「沓掛城を攻めよ」と命じられた小平太が率いる手勢は、善照寺砦を進発後、ここまで<鎌倉往還>を東へと進軍してきた。

 その道は主戦場の北側を通っており、激しい砲撃戦が展開されようとしていた<谷間の道>とは、小山の連なりによって隔てられている。

 その進軍途上、街道上に今川方の警戒部隊を発見したのは、大粒の雨が降りはじめた頃だった。

 敵は、織田勢が<鎌倉往還>を使って自軍の後方に至ることを警戒し、街道上に小部隊を配置したのだろう。

 先を進んで物見を行った簗田政綱によれば、その兵力は軽戦車二輌に軽装甲車が二輌、足軽が三〇〇と早打砲が二門らしい。


 対する小平太隊は、信長の馬廻から選抜された武者を中心に編成されていた。

 とはいえ戦車は九五式軽戦車が二輌のみ。小平太自身の物と、平井久右衛門の物だ。

 これに簗田政綱の九四式軽装甲車と、中川金右衛門、山田半兵衛の九二式重装甲車が二輌に、足軽が一〇〇名ほど。

 それが全てだった。

 相手はまだ、こちらの動きに気づいていなかった。足軽の数では劣勢だが、奇襲であれば勝てぬ相手ではない。

 しかしここで敵方に発見されてしまっては、迂回部隊の意味がなくなる。また小部隊の後方に、さらに大きな部隊が潜んでいる可能性もあった。

 小平太らの役目は、「沓掛城を襲い、今川方の後方を攪乱する」ことであった。それにはまず、敵の警戒網をかいくぐり、確実に今川方の後方へ浸透せねばならない。


 雨水が深く静かに岩に染み入り、内側からそれを砕くように――。


 そのためにはどうしたものかと考えているときに、名乗り出たのが簗田政綱だった。

「かようなときのために、御館様はそれがしをお付けになったのでござりますよ」

「そうか……」

 小平太も、不敵に微笑む政綱の顔を見て思い出した。

 簗田の一族は、沓掛のあたりを根城とする土豪の出であった。このあたりの地理に詳しくて当然だ。

「案内いたしますゆえ、後ろを進んできてくだされ」

 そう言って政綱は、木立の間の間道へ小平太たちを招き入れたのであった。


 久右衛門が敵方に動きがないのを確認した後、彼らは静かに進軍を再開した。

 その道は細く、砂利だらけで、左右から枝が迫り、薄暗かった。

 人力で荷駄を通すには難しそうだが、小型の軽戦車や装甲車であれば通行できそうだった。

 間道を行く間にもますます雨は激しくなり、前後する者たちの声さえ届かなくなった。

 しかし、それもまた都合がよかった。生力炉の唸りを聞きつけられて、こちらの動きを暴露してしまうこともないだろう。


 間道を進む間、左右に目を配りながらも、小平太は考え続けていた。

 彼の献策は、

「沓掛城を襲えば、今川方はそちらにも手勢を割かねばならなくなるため、尾張攻めの兵力を今よりも少なくすることができる」

 というものだった。

 後方で動き回れば、敵本隊の進軍速度を鈍らすこともできよう。敵の荷駄(輜重隊)を補足して討つことができれば、進軍そのものを頓挫させることも不可能ではない。

 御館様からも、

「できるだけ派手に暴れよ。義元の歩みを止めることが肝要じゃ」

 と、進発直前になって下知を受けている。

 その時の御館様は、どこか清々しくもあり、一方でなにやら企んでいるような表情を見せていた。

 きっと勝利を得る算段が、御館様の頭の中にはあるのだろう。小平太はそう得心し、期待に応えるべく知恵を絞ろうとしていた。

 己の働き一つで、織田家の命運が揺れ動く。その自覚が、小平太を興奮させていた。

 迷いや不安はない。御家の命運を担える。それは、武者として心地よい快感だった。


「何事か?」

 気づくと、先頭の政綱が車を停めていた。砲塔から飛び降り、こちらに駆けてくるのが見えた。

 頭上を覆う枝葉のせいで判らなかったが、雨脚は弱まっているようだった。

 すでに山の稜線を越えたらしく、道も下り坂になっている。

「この先は沓掛城への道へ続いております。ここより先は、向こうの道からも見られましょう。まあ、こちらは木立の陰で薄暗いので、ようよう見ねば判らぬでしょうが」

「気をつけることに越したことはない。生力炉を絞って、ゆるりと参ろう」

 うなずいた政綱は、自車に戻っていった。

 小平太は、雨に濡れた山の匂いをかぎながら、前方を見やった。

 下りの道はゆるやかに左へ曲がっている。その先しばらくは山裾と平行に道は延び、二〇〇メートルほど先で右へ折れ、沓掛城へとつながる道に通じていた。

 ここから先は、今川方の本隊と遭遇する恐れがある。もちろん、それとぶつかることに異論はない。

 だが、こちらは小勢であり、御館様からの下知を遂行するためにも、戦う相手は選ばねばならない。

 小平太は後ろを振り返った。すぐ後方には、中川金右衛門と山田半兵衛の九二式重装甲車が並んでいる。その後に二列になった足軽が続き、最後尾には平井久右衛門の九五式軽戦車が控えていた。

 足軽を率いる組頭以外の武者は皆、信長の馬廻である。精鋭と言っていい。

 だがその一方で、装備は精強とは言い難い。


 九五式軽戦車は、装備した戦車砲の威力のみを語るなら、充分な戦力となろう。だが、機動性を優先して小型軽量に造られているため、その装甲は最厚部でも一二ミリしかない。

 一般的な施条銃の銃弾には堪えられても、戦車砲の砲撃に対しては脆弱だ。

 とにかく動き回って敵弾を避けねばならず、多数に囲まれて集中砲火を浴びれば一溜まりもない。


 九四式軽装甲車は、戦車を買えぬ小身の武者でも手の届く安価と、物見や使番が使用しやすい軽快さが売りの車種である。

 砲塔には鉄砲が備わっており、一応は足軽の支援にも使えるが、その装甲はこちらも最厚部一二粍で、やはり砲火には弱い。

 ただし織田家のそれは、砲塔の鉄砲を標準の六・五粍口径から、八粍口径の大鉄砲おおでっぽうに換装していた。その銃ならば、至近距離であれば軽戦車の装甲も撃ち抜ける。


 三種の中で最も旧型の九二式重装甲車は、わずか六粍の装甲しか持たず、それは足軽の施条銃でも近距離ならば撃ち抜かれてしまう厚さだった。

 射距離五〇〇米で九五式軽戦車を撃破可能な一三粍・大鉄砲が車体前部に装備されてはいるが、まともな撃ち合いとなれば、その距離に詰める以前にこちらが撃破されてしまうだろう。


 現状の装備では、相手が多数の戦車を擁していた場合、苦戦は必至だ。

 できれば荷駄隊を襲いたいところだった。そうして今川の本隊を揺さぶった後で沓掛城へ向かい、これに砲撃を加える。

 足軽は約一〇〇名だが、旗の類いは四〇〇ほど用意してある。こちらが多勢であると城方に思わせることができれば、役目の半分以上はやり遂げたことになる。

 どちらにせよ、敵方の主勢とまともに戦えるだけの戦力ではないことを、小平太は充分に承知していた。

 最悪なのは、街道へ出た途端、その主勢と鉢合わせすることだ。それだけは避けねばならない。


 隊列は左へと曲がり、山肌に沿った道を下りはじめていた。右手側の木立の間から、街道を見下ろすことができる。

 簗田政綱の道案内は正確だった。このために、御館様は政綱をこの一手に加えてくださったのだろう。

 あとの三騎も馬廻から選ばれたのは、目の届かないところでの働きを任せるのなら信頼のおける者を、と思われたからだろう。

 それに、最後尾を行く平井久右衛門などは――。


 そうか、そういうことか。

 小平太は、愁眉が開く思いを味わっていた。

 この顔ぶれが揃えられた理由が、閃いた推測通りであるなら、兵数の多寡など気にならなくなる。

「……ん?」

 小平太がそれに気づくのと、先頭の簗田政綱車が停車したのは、ほとんど同時だった。

 木立の向こうの街道に、旗の波が見える。

 今川勢に間違いない。

「なんと……。かような所を、まだうろついておったか」

 敵方の隊列には、戦車と装甲車の姿もあった。荷駄隊などではない。れっきとした戦闘部隊である。

 小平太は采配を振って後続に停止を命じた。先頭の政綱だけでなく、後ろにいた中川金右衛門や平井久右衛門も自車から降り、駆け寄ってくる。

「あれは今川の殿軍でんぐんではないか?」

「おそらくは、さようであろう」

 後方を行く山砲の車輪が泥濘にはまって難儀しているようで、部隊全体が停止している。

「いかがする。ここは打って出るか?」

 勇ましく言う中川金右衛門に、小平太はかぶりを振った。

「策なく打って出れば、押し包まれて終わりぞ」


 今一度、小平太は敵勢のならびを眺めやった。

 小平太らから見て街道上の右手側――つまりは織田と今川の両勢が対峙している戦さ場へと向かう方には、先手衆と思われる九四式軽装甲車三輌がいる。

 その後方に幾条かの旗と鉄砲足軽が続き、さらにその後方には、殿軍の大将とその寄騎と思われる六輌の九五式軽戦車がいた。

 それで列は終わらず、足軽の集団が続き、最後尾――街道の左手側には、山砲を牽引している九四式軽装甲車四輌の姿があった。


「足軽だけでも三〇〇〇はおるぞ」

 山田半兵衛の声には、焦燥がにじんでいる。

「奴らは問題ではない。恐ろしいのは、戦車と山砲よ」

「さよう」

 平井久右衛門の見立てに、小平太もうなずいた。

「じゃが、その恐ろしい相手を黙らせることができれば、足軽を蹴散らすことは容易たやすかろう」

「それこそ、言うは易しじゃ。いかにして黙らせる」

 半兵衛に問われた小平太は、とんとんっと、こめかみを叩いて見せた。

「閃いたのよ」

「策をか?」

「うむ。いや、と言うより、なぜ御館様がわしらを選んだか、ということをじゃ」

 半兵衛たちは顔を見合わせた。

「判るように話せ」

「おう、よう聞けよ」

 うなずいた小平太は、歯を剥くように笑って見せた。

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