第14話 封じられた進撃・その二

 信長勢の砲撃が、猛々しさを増したように思えたのは、気のせいだったのか。

「……最後のあがき、というやつか」

 今川義元はつぶやき、一瞬だけ感じた妙な胸騒ぎを追い払った。

 サッと軍配団扇を振るい、声高に命じる。

後備うしろぞなえの一手を、じわりと押し出させよ」

 下知を受け、後備から呼びよせた三輌の九五式軽戦車が前進を開始した。

 朝比奈元長車と三輌の馬廻、そして彼らの家臣が乗る九五式軽戦車二輌はその場に留まり、義元車を囲んだ。三門の山砲もそのまま砲撃を継続する。

 物見からの注進によれば、松井宗信の手勢も、織田勢の背後に回りつつあるという。このまま行けば、じわりと包囲の環を締めつけ、信長を討ち取ることもできる。


 しかし――。

 義元は後方を振り返った。本陣に林立する旗竿の向こうに、幾重にも重なる丘陵が見える。

殿しんがりは、まだ姿を見せぬか」

「確かに」

 左脇に戦車を停めて控える朝比奈元長が、眉をひそめる。

「追いついておらねばならぬ刻限ではありますな」

 全軍の最後尾を担う殿軍でんぐんは、当然のことながら沓掛城を最後に進発した。

 兵数は三〇〇〇。九五式軽戦車六両を主力とし、九四式軽装甲車に牽引された山砲も六門ほどを装備している。

 全軍の後方を警戒すると共に、城攻めの際に主兵力となる山砲を前線に運ぶこと。それが殿軍に課せられた役目だった。

 その殿軍からは、牽引の準備作業に手間取ったため、進発が遅れるとの注進を受けてはいた。だが、それにしても到着に時間がかかりすぎる。

「何かあれば、使番が駆けてくるでありましょうが……」

 義元は前方の織田勢に目を戻した。とにかく今は、あれを討ち果たせばよい。それで全ては終わるのだ。

「何としても仕留めよ! あれを討てば、尾張は手中にしたも同然ぞ」

 軍配団扇を握りしめた義元は、その眼光で敵を射貫かんばかりに前方をにらみ据えた。




 じわりと、二方向の敵が攻め寄せてくる。

 勢いはなく堅実な動きだが、それだけに破るのは難しい。

 信長らは小刻みに自車を移動させて敵の狙いをそらしながら、戦車砲による反撃を続けていた。それでもじわりじわりと、今川方の戦車は距離を詰めてくる。

 どちらか一方に対して突撃を行おうとすれば、別の一方から後背を衝かれる。そのため、信長らは身動きの取れない状態に追い込まれていた。

 その圧力に堪えるのも、限界がある。血の気の多い武者ならなおのこと。

「もう我慢ならぬ!」

 物見塔で叫んだのは、柴田勝家だった。

「わしが奴らを食い破ってくれよう!」

 左手後方の敵に鼻面を向けたそのとき、敵の一撃が勝家車に命中した。神経を爪でひっかかれたような、背筋の凍りつく音響があたりを震わせた。

 貫通弾はなかった。だが、砲塔前面に装着されていた増加装甲の接合鋲が飛び、装甲がずれていた。

 砲塔側面の脇立わきだての一つも、衝撃で外れている。

「おのれ――!」

 さらに自車を突き進ませようとした勝家車の前に、黒母衣衆の河尻秀隆が割り込んだ。

「なりませぬ、御館様は堪こらえよと仰せになったのですぞ!」

「えぇい、黙れ、おぬしは――」

 鼓膜を破るような残響を伴い、敵弾が秀隆車を直撃した。

 生力炉を撃ち抜かれた秀隆車は、たちまち炎に包まれた。秀隆が物見塔から転がり落ち、続いて操手あやつりてが飛び出してきたところで、秀隆車は爆発を起こし、炎と破片を飛び散らせた。


「今川めがぁぁぁ」

 炎で髭を焦がしながらも、勝家は低く呻いていた。その目はまっすぐに今川の戦車をにらんでいる。

「ならぬぞ!」

 信長は自ら勝家車に追いすがり、砲声と爆発音に負けじと叫んでいた。

「堪えよ! じきに、直に潮目は変わる!」

 その叫びは、どこか自分に言い聞かせているようでもあった。

 火の粉を軍配団扇で払いながら、信長は稜線の向こうに目をやった。

 今川の本陣では幾旒もの旗が風になびき、まるで色鮮やかな壁のように見えていた。

 盤石とも思える構え。

 だが――

 旗が揺れていた。今川の本陣後方の旗が、さざ波のように蠢いた。

 陣押しによるものとはあきらかに違う。その揺れ動きは、まるで心の乱れを現しているようにも見えた。

 潮目じゃ、ここが潮目じゃ……!

 信長には、勝ち戦に至るまでの道筋が、はっきりと見えていた。




「いかがした!」

 おかしな動きを感じ、義元は苛立ちとともに叫んでいた。

 物見塔から振り返ると、本陣後方の旗が揺れている。そなえ(部隊)に移動を下知した覚えはない。

 義元の目に、一輌の九四式軽装甲車が走り回っている様が映った。

 砲塔後部に掲げた旗指物と黄蘗きはだ色に塗られた車体から、使番の物と判る。

「何事じゃ、あれは……?」

 答えが返ってくる前に、別の九四式軽装甲車が本陣へと走り込んできた。

「申しあげます!」

 軽装甲車から飛び降りた使番が、困惑した様子で口を開いた。

「沓掛城が落城したとの由にござります!」


 義元は一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。

「なんと申した?」

 代わりに朝比奈元長が訊ね直したが、やはり使番の答えは変わらなかった。

「沓掛城、落城でござります!」

「おぬしは城から参ったのか?」

 元長の問いに、使番は首を振る。

「後備より参りました。このこと、早急に御館様のお耳に入れよと、陣大将の飯尾様より命じられました」

「落城とはいかに?」

 義元は自車から飛び降り、使番の前に立った。

「誰からそれを聞いた?」

 使番は振り返り、本陣が置かれた丘の周りを走り回る黄蘗色の軽装甲車を指さした。

「あの者にござります。沓掛城は落ち、殿軍も織田勢の横槍により散り散りになったとのことにござります」

 黙って聞いていた本陣の将士が、動揺の声を漏らす。

「さらには織田の一手がこちらに向かっておるようで、すでに我ら後備も敵方の砲撃を受けておりまする」

 将士たちは顔を見合わせ、焦りと困惑の言葉を交わしはじめた。


 だが義元は、呼吸を整え、事態を見つめ直した。

 織田勢には別働隊があり、それが沓掛城を落とし、殿軍をも討ち破った。

 そんなことが可能だろうか。

 奇襲によって殿軍を追い散らすことはできるだろう。だが、相応の守兵の入った城を短時間で落とすとなると、二万の今川勢にも不可能だ。

 落ちるとなると、内応――つまりは城方の裏切りによるものしか考えられない。

 しかし城を守る城番には、信頼できる者を置いてきた。万が一にも内応はあり得ない。

 それとも、こちらが知らないうちに、調略の手が伸びていたということか。


 そこまで考え、義元は顔を上げた。

「あの者をここへ連れてまいれ」

 走り回る九四式軽装甲車を、軍配団扇で指し示した。

「いや、撃ち倒してでもよい。あの者の口をふさげ!」

 ひざまずいていた使番は一礼して立ち上がり、自身の軽装甲車に飛び乗ると、すぐに走り回る一輌を追って駆け出した。

「御館様、もしやこれは」

 元長が小声で言うと、義元はうなずいた。

謀事はかりごとの臭いがする」

「城が落ちたというのも……?」

「織田方が撒いた流言りゅうげん(デマ)かもしれぬ。我らを浮き足立たせる策であろう」

 元長が嘆息するのが聞こえた。

「ならば、その策は的を射た、ということに他なりませぬな」

 義元は舌打ちした。

 元長の言う通りだった。

 沓掛城は落城し、殿軍を討ち破った織田勢が、こちらの背後から迫っている。

 その凶報は、瞬く間に本陣の隅々にまで伝わっていった。


 すでに、本陣を固めていた三〇〇〇の足軽どもの多くが、陣を離れ、逃げ場を求めて右往左往しはじめていた。

 組頭が引き戻そうとするが、不安と焦りによって軍律の締め付けから解き放たれた者どもを、もとの状態に引き締めることは不可能だった。


 足軽どもは、武者とは違う。この一戦に命を賭けようとは思っていない。

 食い扶持を求め、あるいは村の年寄衆から命じられて、はたまた立身出世の機会を狙い、武家による雇用に応じた彼らは、「御家のため」に戦うことはない。

 戦況が有利となれば掠奪目的で笠に着て責め立てるが、不利となれば己の命大事で逃げるのも速い。

 属した武者が敗北すれば簡単にこれを見捨て、昨日の敵であった勝者の側に付くのも珍しいことではない。

 後ろから敵が迫っている。そういう危険極まる情報が陣中に広がり、しかも実際に砲撃を受けたとなると、足軽どもが浮き足立ち、あるいは逃げ出すのも、当然のことだった。

 気づくと、本陣に呼びよせた三門の山砲も、いつの間にか砲声を轟かせなくなっていた。

 操作していた大砲足軽が、小頭の命にも従わず逃げ出したのが原因だった。

 本陣の各所で旗が揺れ、人の垣が崩れていた。


「……やはり、上総介信長の謀り事でありましょうか」

 元長の問いに、義元は呻くように答えた。

「判らぬ。判らぬが、この潮目を読めぬほど、奴が<うつけ>とは思えぬ」

 その言葉が終わらぬうちに、前方の丘の稜線から、一斉に敵戦車が踊り出してきた。

 信長の装甲部隊が押し出してきたのだ。

 義元は、思わず吠えていた。

「獲れるものなら獲ってみよ! この首、おぬしにくれてやる気など塵ほどにも持っておらぬぞ!」

 自ら方向転把てんぱを回し、義元は砲口を敵戦車に向け始めた。

 その目の猛々しい光は、まだ消えてはいなかった。

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