第13話 封じられた進撃・その一

 信長率いる装甲部隊は、今川方の前備まえぞなえがいた丘を越え、谷を突っ切り、さらに東の丘の頂上を目指して駆け上がった。

 その丘を一つ越えれば、今川義元の本陣までは、あと一押し――。

 そしてついに、信長たちは丘の頂上に達した。

 だが、そこで彼らを待ち受けていたものは、正面からの激しい砲撃であった。


「お退がりください!」

 佐々成政は自車を盾にして、すぐ後方の信長に叫んだ。

 空気を引き裂く唸りを残し、徹甲弾が飛び抜ける。

 狙いを外れたいくつかの砲弾が地面をえぐった。その着弾の衝撃で、丘全体が震えはじめたように感じる。

 突如、金属をえぐる鋭い音が木霊した。

 信長車をかばう位置についていた九五式軽戦車が被弾していた。馬廻の津田信重車だ。

 津田車はその一弾で動きを止めたが、信重本人は物見塔から転がり落ちてきた。腰から下を血で染めている。

 しかし信重は自分の脚で駆け、成政車の後ろへ逃げ込んだ。下半身の血は、どうやら同乗の従者のものらしい。装甲を貫いた敵弾が、操手あやつりてと鉄砲手を殺傷したのだろう。

「御館様をお守りしろっ」

「丘の向こうまでお退がりを!」

 馬廻や母衣衆が信長車を囲み、じりじりと後退する。

 全車が丘の稜線に車体を隠したのを確認した成政は、砲塔のみが稜線からのぞく位置へと前進を命じ、砲身を敵陣へと向けた。

 同じように、森可成と河尻秀隆が稜線のきわまで前進してくる。


 東側の正面――成政たちとは狭い谷一つを挟んだ真向かいに、周辺で一番標高の高い丘がある。

 そこには確かに、今川義元の本陣があった。

 無数の旗幟の中に、櫛を象ったような「赤鳥」の紋も見えることから、義元自身がいることは間違いない。

 距離にして約五〇〇メートル。戦車にとっては指呼の距離だ。

 だが信長勢はそれ以上、前進することができなかった。

「おのれ義元、かように手抜かりがないとは……」

 砲塔のみを稜線から突き出す成政車は、敵陣に対し反撃を開始した。

 しかし敵本陣からの砲撃が激しく、舞い上がる土塊つちくれと振動のせいで、正確な照準ができない。

 敵本陣には義元自身と馬廻の車両も含め、一〇輌程度の戦車がいるようだった。

 だが、砲撃はそれらからのみではない。どうやら本陣には、早打砲と思われる大砲も備わっているようで、地表すれすれの所に砲火が見えた。

 戦車と早打砲、双方からの砲撃で、信長勢は稜線の陰に釘付けにされてしまった。


「おのれ今川の武者どもめっ」

 黒母衣衆の一人、中川重政が頭に血を昇らせたのか、自身の九五式軽戦車を稜線から乗り出させた。

「押し出せ!」

 采配を振るった直後、重政車の車体前面で特大の火花が弾けた。と思った次の瞬間には、重政車の車体前部は散り散りとなって吹き飛んでいた。その破壊のされようでは、操手と鉄砲手の生存は絶望的だろう。

 物見塔にいた重政は吹き飛ばされ、丘の稜線のこちら側に叩きつけられた。それでも息はあるようで、手足が小さく動いている。

「早打砲ではないぞ」

 軽戦車とはいえ、その車体を粉々に打ち砕くには、相応の貫徹力と衝撃力が必要となる。

「となれば……山砲さんぽう、か」

 成政は、その答えを弾き出した。




 足軽が用いる大砲の中には軽量小型に造られ、分解することで駄載ださい(駄馬による輸送)や人力でも持ち運びが容易となる物がある。

 山がちな地域での戦さでも使用できるため、<山砲>の名で呼ばれていた。

 本来は、戦車の支援が期待できない戦況下において敵陣地の攻撃や城攻めに用いられる物であるため、装填に時間がかかり、直接照準器もないため命中精度も低い。

 しかし対戦車戦闘にも転用できるよう徹甲弾も準備されるなど、ある程度の柔軟性も持ち合わせていた。

 城攻めでの高効果を狙って、多くは七〇ミリや七五粍という早打砲よりも大きな口径が採用されている。

 また、水平射撃での命中精度には難があるが、その大口径の徹甲弾は、命中さえすれば早打砲よりも威力を発揮する。


 その山砲を、今川義元は本陣に据えていた。本来は織田方の砦攻めに用いようと後備うしろぞなえに配置していたのだが、この危急の状況を受け、本陣に呼び寄せたのである。

 飯尾筑前守ちくぜんのかみ 乗連のりつらを大将とした後備は五〇〇米ほど後方の街道上にあったが、飯尾は義元の下知を受けるとただちに、九四式軽装甲車に牽引された山砲と、九五式軽戦車三輌を派遣していたのだ。


「織田の奴らは地獄の釜の縁に立ったも同然よ。よくよく狙ぅて、釜の中へたたき落とせ!」

 勇ましく叫びながらも今川義元は、そっと額の汗をぬぐった。

 後備からの援軍が間に合わねば、この本陣は今頃、織田方に蹂躙されていたかもしれない。

 敵戦車までの距離は約五〇〇米。

 山砲は短砲身で初速もそれほど高くはないが、この距離ならば四五粍厚の装甲を撃ち抜ける。

 軽戦車や装甲車は言うに及ばず、中戦車の装甲でさえ、これに耐えることは難しい。命中精度の悪さも、敵方の動きが限定されている現状ならば、補うことができる。

 本陣からの砲撃で敵を足止めしている間に、前備の松井宗信が敵の側背に回り込めば、挟撃の態勢を築ける。

 不意を突かれはしたが、勝機はまだ、失われてはいない。

「織田上総介信長、か」

 義元は、我知らずつぶやいていた。

 <うつけ者>と呼ばれ、悪評ばかりが耳に入るが、なかなかどうして戦さ巧者ではないか。

 尾張攻めに際し、二万の軍勢と五〇輌近い戦車を集めた。それで織田勢を圧倒するはずだった。

 だが、それがどうだ。

 今まさに、互いの総大将が指呼の距離で撃ち合っている。誰がこの状況を予想し得ただろうか。

「上総介信長の首、我の前に持ってこい」

 降伏すれば許す……等という甘い感情は、焦燥と怒りに揉まれ、すり切れて消し飛んでいた。

 あの男、生かしておいてはならぬ。その強い思いが、義元の全身を震わせていた。




「さすがにそれほど甘い男ではなかったか……」

 自車の物見塔で、信長は唇をかんでいた。

 たちまちのうちに二輌が討たれた。残る手駒は一一輌。

 それでも義元の本陣へ押し入ることができれば、勝機はあったはずだ。

 退がるべきではなかった。

 信長は、そう判断していた。

 いかに今川が大軍とはいえ、本陣には一〇輌程度の戦車、装甲車しかいないはずだ。山砲と思われる大砲の砲撃には驚いたが、山砲であれば、それほど命中精度は高くない。

 こちらの機動性を活かし、遮二無二ぶつかってゆけば、義元を討てたかもしれない。

 だが、あの場面で退がってしまった。そのため、稜線の際で釘付けにされてしまった。


 今からでも押し出すべきか。しかし、稜線を越えるところを狙い撃ちされたら、一溜まりもない。稜線を越える際、こちらは戦車の装甲の一番弱い部分――車体下面をさらしてしまうからだ。

 ならば、いったん丘の中腹まで退がり、速度と勢いをつけて稜線を飛び越えるか? それならば、狙い撃ちの余裕もなかろう。


 それを思いついたとき、信長は空気が切り裂かれる鋭い音を聞いた。

 次の瞬間、信長の九七式中戦車は激しい振動に打ち震えた。命中弾だ。

 幸いなことに、敵弾は砲塔側面装甲で弾かれていた。だが、信長は痛みと違和感を覚え、自分の左脇腹を見やった。

 腰帯のあたりに手をやると、ぬらりとした感触があった。出血している。

びょうが飛んだか……」

 戦車の車体や砲塔の多くは、南蛮人がリベットと呼ぶ接合鋲によって装甲板をつなぎ合わせて造られている。

 その接合部に命中弾を受けた場合、たとえ貫通されずとも、衝撃で鋲がちぎれ飛ぶことがあった。それが車内側であれば、飛び散った鋲が乗員を殺傷することがしばしば起こる。

 この時も、ちぎれた鋲が車内を飛び回ったのだった。それは信長の脇腹を浅く傷つけ、数度車内で跳ね返った後、空になった砲弾架に突き刺さって止まっていた。


「大事ないかっ」

 車内に首を突っ込んで訊くと、皆が信長を見た。

「何のこれしき、脚をかすったのみでござります」

 放手はなちての毛利良勝が応える。

「それがしは大事ござりませぬ」

「御館様こそ、ご無事でありますか」

 操手あやつりての加藤弥三郎と鉄砲手の佐脇良之が見上げてくる。

「わしも大事ない。じゃが……」

 信長は物見塔から左手後方に目を向けた。砲弾が飛びきた方向だ。

 そこに、丘に挟まれた谷間を渡り、ゆっくりと向かってくる三輌の戦車が見えた。一度は陣替えをした今川の前備が、ようやくこちらに追いついてきたようだ。

 三輌のみということは、前備の半数ほどだ。おそらく、<谷間の道>の北側の丘にいた残る半数は、金森可近たちの砲撃によって張りつけにされているのだろう。

 あるいは、前備の大将が金森たちの動きを拘束するために、あえて残してきたとも考えられる。

 今川勢の周到さから判断するに、おそらくは後者であろう。

 三輌の敵とはいえ、今の信長たちにとっては、強力な敵だった。

 その三輌は左斜め後方から迫ってくる。距離はおよそ三〇〇米。こちらの退路を断たれたも同じだ。

 砲声は絶え間なく鳴り響いていた。土塊つちくれが舞い上がり、硝煙は靄のように斜面を流れてゆく。


 フッと、信長は笑みをこぼした。

 恐怖はなかった。訳もなく心が軽くなっていることが、自分でもおかしかった。

 ここで滅するのかもしれぬ。

 戦さ場で、戦さの中で死ぬる。

 それはそれで、充実した滅し方ではないのか。

 むろん、遊びほうけた果てに小姓たちに囲まれて死ぬるのは、得も言われぬ快感であろう。それが一番よいに決まっている。

 だが、御家のことに汲々として、辛気くさい城中で心晴れぬままに逝くよりは、戦さ場で倒れる方が幾百倍もマシというものだ。

 そんな風に思えることが、自分でも驚きだった。

 すべての手は尽くした。これ以上は、わしの手に余る。

 人間五十年……の半分しか生きていないが、不思議と後悔はない。全てではないが、やりたいことはやってきた。

 これ以上は望むなと、神仏の類いが言っているのかもしれぬ。それはそれで腹立たしいが、まあ、許してやろう。

 信長は周囲を見回した。彼を守るように、家臣たちの戦車がある。

 どいつもこいつも、よくもまあ、わしのような<うつけ者>に従ってきたものよ。

 成政、重休、四郎兵衛、恒興、勝家、可成……そして、先に逝った犬千代。

 一人一人の顔が、はっきりと瞼に浮かぶ。

「ん?」

 誰かを忘れているような気がして、信長は首をひねる。

 不意に数名の顔が、ひらめきのように脳裏に奔った。

 途端に、ニヤリと口元がゆがむ。


 ……そうだ、まだ手の打ちようは……いや、すでに手は打ってあったのだ。


 なんと、わしはもしかしたら、天賦の才があるのやもしれぬ。

 そんなことを思いながら、信長は物見塔で大きく身をそらした。

「者ども! 今しばらく堪えよ! 刻を稼げ!」

 一瞬、家臣どもは応じる言葉を失い、砲撃することも忘れてしまった。

 だが、信長の相貌に浮かぶ不敵な笑みを見たためか、全員が目を見開き、興奮した様子で叫び返した。

「おおぉぉ――!」

 その雄叫びに、砲声が重なった。

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