第12話 戦場に舞う武者・その二
成政と重休の二輌に砲撃が集中する様を、信長はじっと見つめていた。
やがて、軍配団扇を大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろした。
信長車をはじめ、馬廻や母衣衆の戦車・装甲車が一斉に物陰から飛び出し、前進を開始する。
信長車の左手には
その三輌を中心に置き、左手側に赤母衣衆の山口四郎兵衛、毛利秀頼、長谷川橋介の九七式軽装甲車が並ぶ。
右手側には馬廻の津田信重、黒母衣衆筆頭の河尻秀隆、同じく黒母衣衆・中川重政の九五式軽戦車が横隊を組んでいた。
九輌が横一線に並ぶのを確認した信長は、手にした小旗の中から、白地に黒丸が染められた一本を選び出した。
それをサッとかざすと、わずかの間を置いて、全車が砲撃を開始した。
砲弾は前方で舞い踊る成政車と重休車の頭上を越え、そのさらに後方に着弾した。
派手に
信長は再び旗をかざし、一度大きく振り回した。
それを合図に、またも全車が砲声を轟かせた。再び榴弾が炸裂し、巻き上がった土砂と爆煙が重なり合う。
たちまち味方と敵陣地との間には黒灰色の靄が立ちこめ、両者の視界を閉ざしてしまった。
旗を降ろした信長が、すかさず軍配団扇を前方に突き出した。
横隊を組んだ九輌が速度を上げ、それまで舞い踊っていた二輌は反転を開始する。成政車は横隊の右端、重休車は左端の位置へと回り込んだ。
信長は前方へ向けていた軍配団扇を、すうっと頭上に掲げた。と同時に、
反転してきた二輌を加えた十一輌全車が、一斉に停車した。
その時にはすでに、全車が砲塔を旋回させ、砲身を上下に蠢かせていた。
榴弾によって生まれた靄が、ゆっくりと風に流される。敵の早打砲が潜む小屋や木立が、次第にはっきりと見えはじめた。
その距離、およそ一五〇
最後の靄の一筋が、渦を巻いて消え去った。刹那――
「放てぇ!」
叫び、信長は軍配団扇を振り下ろした。
地鳴りを思わせる轟きが空気を震わせた。
戦車砲を装備していない九二式重装甲車をのぞく九輌の砲口が発砲煙に包まれ、きらめきと共に放たれた砲弾は狙い違わず敵陣へと降り注ぐ。
着弾の爆炎が炸裂し、木立が幹を砕かれて倒れ、納屋が木片を飛び散らせて倒壊してゆく。
その間も九輌の車内では次弾装填作業が行われ、それは瞬く間に完了した。
「放て!」
信長が再び軍配団扇を振り下ろす。砲声が轟然と鳴り響き、またも敵陣の各所で着弾の黒煙と炎が噴き上がる。
「撃ち方、やめぇ!」
叫びつつ、信長は
丘陵に響き渡っていた砲声が、谷間の風に流されてゆく。
それと共に、敵陣を覆っていた黒灰色の靄も薄れていった。
掘っ立て小屋だった木片がそこかしこで積み重なり、木立も繁みも炎に包まれている。
反撃は、ない。
信長とその親衛隊は、わずか二斉射で敵の早打砲をすべて鎮圧していた。
これが、敵陣地を攻略する戦法――<敦盛>であった。
数輌が囮となって敵に砲撃を行わせ、その潜んだ位置を暴露する。
控えていた本隊は敵の位置を確認すると共に榴弾を斉射。その炸裂によって彼我の間に煙幕効果を現出させる。
そして、それが晴れぬうちに急速に距離を詰め、正確な砲撃で敵火点を制圧する。
それが、<敦盛>の全容だった。
「やりましたぞ、御館様!」
「恐れ入ったか今川の奴らどもよ!」
両脇にいる魚住隼人と佐久間弥太郎が拳を振り上げる。他の者たちも喚声を上げ、雄叫びを天に響かせていた。
見たか、見えたか犬千代――。
信長は、燃えさかる敵陣を見つめていた。あの炎は、犬千代を弔う鎮魂の火だ。
軍配団扇を握りしめ、前田利家が突っ込んでいった納屋を見つめる信長は、どこからともなく流れてくる自分を呼ぶ声を聞いた。
息を呑み、ふり返った。
土煙を上げ、軽装甲車が……そして軽戦車、中戦車の群れが、こちらへ向かってくる。
「御館様ぁ――!」
先頭の九七式軽装甲車の砲塔から身を乗り出しているのは、池田恒興だった。家臣の装甲車を召し上げ、自車としたのだろう。
その後方には、柴田勝家と森可成の九七式中戦車が、家臣たちの軽装甲車を引き連れて続いていた。金森可近の九五式軽戦車の姿もある。
ここまでの競り合いで、九七式中戦車一輌、九五式軽戦車二輌、九七式軽装甲車一輌、九四式軽装甲車一輌を失っていた。
それでもなお信長勢は、九七式中戦車三輌、九五式軽戦車五輌、九七式軽装甲車六輌、九二式重装甲車二輌、それに九四式軽装甲車一輌の戦力を有し、鉄砲足軽二〇〇〇弱も健在であった。
しかもここまでの勝ち戦で、将士の士気は高まっている。
今ならば――。
信長は、戦さの潮目を感じていた。戦力的に劣勢であることに変わりはない。だが、現在向かい合っている敵勢のみならば、さほどの戦力差はないはずだ。
「聞け、者ども!」
信長は砲塔上に立ち上がり、声を張り上げた。
「これより陣押しする! あの燃ゆる敵陣を乗りつぶし、その先の敵本陣を目指す」
おおっ、と鼻息を荒くする家臣どもを、信長は見回した。
「名のある武者の戦車と相対しても、抜け駆けは無用! 捨て置け!」
ぐいっと軍配団扇を握りしめ、東の丘を指し示す。
あそこに、こんな面倒くさいことを押しつけてきた元凶がいる。
犬千代が散る原因をつくった男が、そこにいる。
「狙うは……今川義元が戦車のみ!」
「おおぉぉぉ――!」
者どもが大音声で応え、生力炉が唸りを上げる。
信長は物見塔に滑り込み、前方をにらみ見た。
「戦車、押し出せ――!」
車体を傾がせ、履帯をきしませ、
※ ※
斜面にまばらに生えた雑草を散らし、今川方の本陣に物見の九四式軽装甲車が駆け込んできた。
「いかがした?」
朝比奈元長の問いに、物見の武者が答える。
「谷間の陣地に向け、織田勢が押し出しております」
「早打砲はいかがした?」
本陣から谷間の集落まで、およそ一〇〇〇米の距離だ。そこで戦闘があったことは確認している。
しかし、周到に隠蔽された火点が、そう簡単に鎮圧されたとは思えなかった。
「確とは判じられませぬ。なれど、織田方の戦車、装甲車が続々と押し出しておるにもかかわらず、我が砲が迎え撃つ様子なく、足軽どもも榴弾を食らって逃げ惑っておりまする」
元長が不審げな視線で振り返ったときには、今川義元は谷間がよく見える位置まで戦車を進めるよう命じていた。
確かに、谷間の陣地周辺で榴弾が炸裂している。その着弾の煙の中を、蜘蛛の子を散らすように足軽が逃げ惑っているのが見える。
そして、その向こうに見えるのは、織田方の旗をたなびかせる戦車の群れだった。少し遅れて足軽どもの集団が進んでくるのも見える。
「むう……」
瞬時にして、義元はその危険性を悟った。
織田方の装備の中心は、軽戦車と軽装甲車だと注進を受けている。陣地を突破したそれらが、快速を活かして本陣の側面に回り込んだら――。
いや、やはりそれでも、我らの勝ちは固い。
集落の陣地を突破するつもりならば、敵方は<谷間の道>をたどってこちらの右側面へ回り込む腹だろう。そのときは、
そこで本陣からも谷間へ向け砲撃を加えれば、敵は谷底に閉じ込められたまま、逃げることもできず打ち据えられよう。
そのあたりのことは、わざわざ使番を走らせずとも、松井宗信ならば読み切ったうえで行動するはずだ。
義元は本陣正面――西側に位置する尾根筋に敷かれた松井左衛門佐宗信の陣を見やった。
「……何っ!」
旗が揺れていた。部大将の位置を示す馬印も動いている。
「何をやっておる!」
松井宗信は陣替えを行っていた。
尾根筋から谷間へと降りている。織田方の行く手を遮ろうとでもいうのか。
「使番を走らせよ! 左衛門佐に陣替えはならぬと伝えよっ」
「はっ」
使番の九四式軽装甲車が走り出す。さらに義元は、もう一輌を呼び寄せた。
「
一礼した使番を乗せた軽装甲車が、回頭して走り去った。
まだだ。
まだ、小さな綻びに過ぎない。
だがもし、信長が風評とは違い、<うつけ者>ではなかったら――。
いやそれでも、天はまだ、我らに微笑みを向けている。
義元はそれを信じて疑わなかった。
集落陣地が突破された場合の危険性を、松井宗信は正しく理解していた。
敵はこちらの陣の中央を貫き、本陣の右側面に侵出する腹だ。
そして、本陣のみを狙って乗り入れてくる。その状況であれば、敵方の数のうえでの劣勢は局限されることになる。
こちらも本陣には、使番の軽装甲車を含めても、一二輌しか配置していないのだ。むろん、迎え撃つ準備はそれだけではない。もしものときの備えはある。
だがそれでも、本陣の側まで敵勢を押し入らせることは、前備を任されている宗信としては、看過できない事態だった。
「陣替えじゃ!」
ただちに、宗信はそれを命じた。
尾根筋から麓付近まで陣を進め、谷筋を進んでくる織田勢の右側面に打撃を加えるつもりであった。
※ ※
右手前方の丘の上にいた今川勢――松井宗信の手勢が移動していることを、信長はすぐに察知した。
おそらく、集落陣地の側面を補強するつもりなのだろう。こちらが陣地へ押し入れば、右側面から砲撃を食らうことになる。
だが――
信長は、大笑したい衝動に捕らわれた。
しかし、まず行ったことは、周囲の状況を正しく把握することだった。
家臣の多くは前方を進み、信長車の周囲には金森可近の九五式軽戦車と、赤母衣衆・毛利秀頼の九七式軽装甲車、それに馬廻衆が乗る九二式重装甲車二輌がいるだけだった。
これで充分か、と判断した信長は、加藤弥三郎の襟を二回引っぱり、急減速を命じた。
何事かと、金森、毛利、そして二輌の九二式重装甲車が信長車に接近してくる。
「うぬらは後からくる足軽どもと、ここに残れ」
信長は、こちらへ向けて陣替え中の右手側の敵勢と、左の丘の頂上にいる今川勢前備のもう一隊を指し示した。
「ここより奴らに砲撃、銃撃を加え、足止めするのじゃ。奴らが押してくれば退け。退いたときには押し出せ」
「はっ。しかして御館様は?」
「決まっておる。手筈通り、敵本陣へ乗り入れる」
言い終えるや、信長は弥三郎の肩を蹴り、増速を命じた。
「もっとじゃ弥三郎、駆けよ!」
弥三郎は変速機を「
さらに増速した信長車は、たちまち家臣たちを追い抜き、疾走する機械の馬の群れの先頭に立った。
「ついて参れ!」
叫び、紺色の縞模様の手旗を振る。「後続せよ」を命じる旗だ。
信長車は大きく右側に舵を切った。煙と炎に包まれる集落陣地を左手に見ながら、前方の丘――松井宗信勢のいる丘の麓めがけて突っ走る。
「遅れるな!」
「御館様をお守りしろ!」
家臣らもそれに続き、信長車を先頭にした楔形の隊形となった。
足軽を伴わない、戦車と装甲車のみの進軍だ。足軽の歩速に合わせて速度を調節するわけにはいかない。迅速さこそが、この手立ての肝だった。
先陣を切る信長は、物見塔から顔を出し、ついに「くつくつ」と笑い声を漏らしはじめていた。
見える。見えておるぞ。
信長の視線は、真っ直ぐに丘の頂部を射貫いていた。そこにいたはずの松井宗信の手勢は、いまや集落近くの麓にまで下りており、そこで陣を構えつつある。
その松井勢の左側から回り込んだ信長の装甲部隊は、丘の斜面を駆け上がりはじめた。
――当初、信長の眼前には、三つの敵陣が存在した。正面の集落陣地、そして左右の丘の陣地である。
ところが集落陣地が陥落したことで、右の丘で陣を構えていた敵勢が、中央の守りを固めようと集落寄りに移動した。そのため、いまや右の丘がガラ空きになっていた。
その間隙を信長は見抜き、衝いたのである。
信長は丘の頂をにらみ据えた。その丘を越えた先には、今川義元の本陣がある。
待っておれ義元。かような面倒事にわしを巻き込み、あまつさえ犬千代を奪ったその罪、あがなわせてくれようぞ――。
「どうかお下がりあれ!」
先頭を行く信長車の左右から、馬廻の佐々成政と津田信重の九五式軽戦車が追い抜いてゆく。さらに柴田勝家、森可成の九七式中戦車も、じりじりと前に出はじめる。
「こら、弥三郎! 追い抜かれておるぞっ」
「御館様の戦車には添え板がされております故、重くて脚も遅くなっておるのでございますよ」
信長車には、砲塔と車体の前面に二〇粍厚の増加装甲が装着されている。確かにその分、同型車に比べ重量は増している。
「じゃが、権六郎の車も添え板がされておるはずじゃぞ! なぜそれにまで負ける?」
「はて、では生力炉の差でありましょうか。これも手作りですから、同じ型でも違いがでるのでございますよ」
悪びれもせずしゃあしゃあと言ってのける弥三郎の頭を小突き、信長は物見塔へ戻った。
総大将の御身を、狙い撃ちにされる危険がある先頭に置くわけにはいかない。
家臣のその判断は間違ってはいない。だが、今の信長にとっては、その配慮も苛立たしい。
信長は今、心躍って仕方がなかった。一人の武将として戦さ場を駆けることの楽しさを、改めて噛みしめていた。
思えば、何かにつけて主戦論を唱える家臣たちを腹立たしく感じるのも、その気楽さを羨ましく思ってしまうからなのかもしれない。
もちろん、家臣は家臣で己の家を守らねばならない。そのために必死に、まさに一所懸命で働いている。それを「気楽だ」などと言ってしまうと、森可成あたりに大目玉を食らいそうだ。
だがそれでも、大勢の家臣を抱える織田という家を背負うことに比べれば、気楽と言って差し支えはないだろう。
しかし今は、そういったことのすべてが、どうでもよかった。
ただただ風を切り、砲煙の匂いをかぎ、振動をその身に感じながら戦車を走らせることが、楽しくて仕方がない。
何より、手の届きそうな所に敵の大将がいるのだ。これほど愉快なことがあろうか。
すでに松井勢の陣は、左手後方にあった。こちらの突出に慌てふためき、再び陣替えしようとしているらしいが、どうにも混乱しているようだ。山口や毛利らによる砲撃も奏功しているのだろう。
もはや、敵本陣まで遮るものは何もない。
信長は、勝利を確信した。
信長の中戦車を追い越し、かばうように車体を寄せた佐々成政は、主の顔に笑みが浮かんでいることを見逃さなかった。
ああ、そうか、御館様には戦さの潮目が見えているのだな。
成政にはそれが判る。
うつけと呼ばれ、遊びほうけていた時分より、こと戦さの運び方については、信長は目を見張るほどの手腕を発揮していた。
戦さが上手いとか、強いとかいうのとはまた違う。
勝てる戦さかそうでないのか、それを読む力というべきか。
今、その御館様が笑っている。勝てる。御館様について行けば、間違いはない。
もはや、敵本陣まで遮るものは何もない。成政もまた、勝利を確信した。
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