第11話 戦場に舞う武者・その一

 西に見える丘の頂から、大小の旗をかざした戦車の群れが谷間の集落の方へと下ってゆく。

 すでに靄も薄れ、濡れた斜面の緑がまばゆく光りはじめていた。

「あの旗……織田の総大将が陣押ししておるのか?」

 九七式中戦車の物見塔で、今川義元は目を細めていた。

 やがて旗の群れは、手前の丘の陰に隠れて見えなくなった。

「あれが本陣であるとすれば……」

 自分の戦車を降り、義元車の脇に立っている朝比奈元長が言う。

「どうやらまことに、風説通りの<うつけ>であったようですな」

 義元もうなずいた。


 先鋒の井伊勢が崩された……という注進は、すでに義元のもとにももたらされていた。これは一大事と、一時は本陣も色めき立ったが、前備まえぞなえの松井宗信が使わした使番より、

「集落の東の端に早打砲の陣を構えてございます。加えて背後の丘には我らが戦車を並べておりまする。織田勢の陣押し、まずは食いとめてごらんにいれましょう」

 と注進を受けたことで、今では落ち着きを取り戻している。


 織田方が丘を下り、道筋を進んでくれば、集落陣地からの砲撃で足止めを食らうだろう。力押しで無理矢理に突破する腹づもりなら、敵は相応の犠牲を覚悟せねばならない。

 どちらにせよ、織田方が集落にまで本陣を進めたときこそ、好機というものだ。

 そのときには集落の左右後方の丘に控えている手勢が、丘を駆け下って織田方の側背に回り込む手筈となっている。その手勢を差配するのが歴戦の勇将、松井宗信となれば、抜かりはあるまい。


 盤石の布陣だ。先鋒が崩されたのは予想外だったが、上総介信長が前方の手勢の中にいるのなら、最も恐れていた奇襲は起こりそうもない。

「さてさて上総介よ、どう出る?」

 それとも、尻尾を巻いて逃げ帰る腹か?

 それは義元にとっても願ってもないことだった。

 ここで戦さを終わらせることができれば、こちらも将士をこれ以上失わなくてすむ。

 もし信長が降伏し、臣従するというなら、それを許してやってもいい。むろん、今川のために一所懸命で働いてもらわねばならないが。

 織田の配下には、<攻めの三左>、<鬼柴田>、<砲の又左>など、噂に聞こえし武者がいる。それらを我が手勢に加えることができれば、これからの覇業もいくらかは楽になろうというものだ。


 尾張を平らげ、伊勢を押さえ、やがては畿内へと打って出る。いずれは足利将軍家さえも追い落とし――。

 この乱世に男として、武者として生まれたのだ。天下の睥睨へいげいを夢見て何が悪い。

 だが焦りは禁物だ。ゆっくりと、一つ一つの事業を成し遂げてこそ、大望は現実となる。今は眼前の、織田の処分に傾注せねばならない。

「我らもいつでも押し出せるよう、支度を怠るでないぞ」

 命じつつ、義元は物見塔の縁を撫でた。その九七式中戦車は紅色に染められ、砲塔側面には金地の龍が浮き出ている。

 戦車の数、足軽の人数では負けてはいない。殿しんがりの進軍が遅れているが、それもじきに到着するだろう。

 警戒すべきは、軽戦車と軽装甲車を揃えた織田方の機動力か。だがそれをもってしても、こちらの包囲を突破できるとは思えない。

 慢心ではない。確固たる自信が、義元にはあった。



          ※          ※



「いやじゃ、放せ!」

 大柄な家臣に抱え上げられた池田恒興が、小屋の陰に連れてこられた。それでもまだ前に出ようとする恒興を、家臣たちが押さえつけている。

 いつしか敵方の砲撃は止んでいた。生き残った恒興家臣の九七式軽装甲車や、配下の足軽どもも、こちら側の集落の陰に逃げ込んでいる。

 戦さ場には、ひとときの静けさがあった。

 だが、こちらが陣押しすれば、再び砲撃は開始されるだろう。

「このままでは気が済まぬ。今川の陣へ討ち入って、義元と差し違えてくれるわ!」

 恒興は、家臣にさえ斬りかからんばかりに吠えている。


 こんな見境のない奴のせいで、犬千代は討死したのか。


 そう思うと、ねっとりとした熱い昂ぶりが、佐々成政の胸裡を覆い尽くした。

 気がついたときには物見塔から飛び降り、恒興の胸ぐらを掴んで突き飛ばしていた。

 呆気にとられた家臣たちが棒立ちになり、事態が飲み込めないのか恒興も惚けたように見上げてくる。

「お黙りあれ! 戦さで死ぬるは武者の本望。なれど、犬死は御免こうむる! 勝三郎殿にお聞きいたすっ。あとどれほど味方の犬死を望んでおられるのか!」

「……な、なんじゃ、と」

 ゆらりと立ち上がった恒興は、これ以上ないほどに眉をつり上げ、手にした短刀を胸の高さに持ち上げた。

「何と申した、おぬし」

「何度でも申し上げる。御館様の御下知に従ぅてくだされ。今ここでの抜け駆けは、織田家を危うくいたしますぞ。それが判らぬ勝三郎殿でもござりますまい」

「ぬう……」

 さすがに血の沸騰が冷めたのか、恒興も言葉に詰まった。短刀の切っ先が、ゆっくりと地面を向いた。


「お、御館様!」

 突然叫んだのは岩室重休だった。彼の視線の先を見ると、馬廻や母衣衆を従えた信長の中戦車が目に入った。

 土塊つちくれを巻き上げ、旗幟をたなびかせながら、戦車の群れが突き進んでくる。

「何を争っておるか」

 戦車を停めた信長が、成政と恒興を交互に見やった。

「遠目にも、よう判ったぞ」

「も、申し訳ござりませぬ」

「お恥ずかしいところをば、お見せいたしました」

 成政と恒興は、同時にその場にひざまずいた。

「勝三郎よ、その血の気の多さ、小童こわっぱのころより少しも変わらぬのぅ。寺の坊主どもと揉めたときの、うぬの剣幕が懐かしいぞ」

 ははっ、と深く頭を垂れた恒興の横顔を、成政は盗み見た。昔の話を持ち出されたことがよほど嬉しかったと見えて、その頬はゆるんでいた。

「それより内蔵助、おぬしも加われ。重休もじゃ」

「はっ」

 見上げたあるじの様子は、今朝までの狼狽ぶりが嘘のように落ちついて見えた。いやむしろ、意気揚々として見える。

 ああ、これは。

 成政は思い当たった。小姓たちを引き連れ、なにやらよからぬ遊びをしでかすときの御館様だ。

「勝三郎! うぬとその手勢はここで待ち、後からくる五郎八や権六郎らの列に加われ」

「御館様、もしや」

 成政は、訊ねずにはいられなかった。

「おうよ、内蔵助。<敦盛>を舞え」

 その目をギラつかせた信長は、手にした数種類の小旗を掲げて見せたのだった。




 生力炉の唸りが高まるのが聞こえた。三〇〇メートルほど前方――織田方が逃げ込んだ住居群のあちこちから、黒灰色の排気煙が立ち上りはじめた。

「くるぞ……」

 集落の東端に築かれた今川方の早打砲陣地を取り仕切る組頭は、手にした采配を胸の前で振り、配下の小頭に砲撃準備を下知してゆく。

 住居の小屋や木立の陰、あるいは納屋の中に隠した早打砲は、全部で六門。うち二門は織田勢の砲撃と装甲車の突入によって沈黙させられている。

 それでも敵方の前進を食いとめるのには、充分な数が残っていると組頭は判断していた。

 何も全滅させる必要はないのだ。足止めさえしていれば、後方の左右の丘より押し出してくる六輌の戦車が、敵方の側背に回り込み、挟み撃ちの態勢にしてくれる。

 相手の足軽が身を潜ませながら接近してきた場合には、背後で待機している味方の鉄砲足軽が始末してくれよう。

 さほど難しい役目ではない。組頭はそう思っていた。

「撃ち方よぅい!」

 織田勢の戦車が出てくれば、二〇〇米以内まで引きつける。

 こちらの陣地と、敵方が潜む住居との間には、小さな納屋などいくつかの建物が存在するが、二〇〇米より手前には畑が広がっているのみだ。もはや隠れる場所はどこにもない。

 それにその距離ならば、三七ミリ口径の早打砲は五〇粍厚の装甲を撃ち抜けるはずだ。表面硬化装甲の九七式中戦車でも正撃であれば討ち取れる。

「む?」

 陣地の後方に潜む組頭は、掘っ立て小屋の間から見える前方を見つめ、首をかしげた。

 現れたのは二輌のみ。聞こえてくる生力炉の音からすれば、一〇輌近い敵がいるはずだが……。

 まあ、いい。だからといって見逃してやる理由もない。

 敵の二輌が迫る。距離は……もうじき二〇〇米だ。手にした采配を振り上げる。

 そのとき、真っ直ぐに向かってきていた二輌が突如として左右に分かれ、こちらに側面を見せて速度を上げはじめた。




「舞うぞ、半右衛門!」

 佐々成政は自車の操手あやつりて、戸田半右衛門の右肩を強く引いた。

 成政の九五式軽戦車は右方向に舵を切り、南へ向けて走りはじめた。

 と、思った途端に急停車し、そしてまた、ゆっくりと走り出す。

 突如速度を上げたかと思うと、唐突に速度をゆるめ、今度はその場で左旋回。

 その動きは、まるで舞い踊っているかのようだった。それも、特定の調べに合わせた動作に見える。

 事実、物見塔から身を乗り出す成政は、扇を手にし、口ずさんでいた。


 ――思えばこの世は常の住処にあらず

    草葉に置く白露 水に宿る月より なおあやし


 それは、幸若舞<敦盛>の一節だった。


 ――人間五十年 化天のうちを くらぶれば 夢幻のごとくなり


 成政の扇を振る手の動き、唇の動きに合わせるように、戦車が走り、止まり、旋回する。


 信長が馬廻や小姓らを引き連れて「車合戦」に明け暮れていた頃、皆で知恵を出し合い、あれこれと戦車・装甲車を使った戦法を編み出した。

 信長はそれらに<敦盛>、<景清>、<八島>といった幸若舞の演目の名を付け、手旗による合図に合わせて、まさに舞い踊るように動けるよう、成政らを仕込んだのだった。

 成政車の操手である半右衛門も、かつては信長の小姓であり、成政と共に舞い踊った一人であった。

「左脚の一歩が遅いぞっ。なまったか」

「なんの、内蔵助殿が肥えられたからでありましょう。重とうなったぶん、戦車も動きが鈍るのですよ」

「かっ! 言うてくれるわっ」

 軽口を掛け合いながらも、半右衛門は巧みに戦車を舞わせ、成政は敵陣の様子から目を離さなかった。

 同じく、北の方角へ舵を切った岩室重休も、軽装甲車を踊らせながら、敵陣の動きをじっと見つめていることだろう。

「始まったぞ!」

 敵陣のあちこちに、砲火のきらめきと発砲煙が生じていた。砲声が轟き、間を置かずして成政車の周囲に着弾の土煙が噴き上がる。

「一度生を受けぇ、滅せぬ者のあるべきかぁ、滅せぬ者のあるべきかあぁ」

 降り注ぐ土砂の中で、成政は口ずさみ続ける。むろん、半右衛門は戦車を不規則な動きで操り、飛来する砲弾をかいくぐっていった。

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