第8話 戦場を駆ける犬・その二

 砲塔から天を見上げると、すでに雨は止んでいた。

 しかし、あたりには薄らと靄がかかり、どうにも見通しが悪い。

 織田方はどこに陣を張っているのだ? と周囲を見回した前田利家は、靄の中に異質な揺らめきを見つけた。

 西の方角、田圃に挟まれた道のあたりで炎が見える。

「ん?」

 その炎のさらに先に、旗幟きしらしき物の影が揺れていた。

 あそこだ、間違いない。

「右手に舵を切れ。御館様はあそこぞ!」

 車内に潜り込んだ利家に、小助は正面を指さして見せた。

「通してくれそうもありませんが」

 砲塔から顔を出し、外を見る。前方に現れた九七式中戦車が、こちらに砲身を向けつつあった。

 舌なめずりした利家は、車内の砲弾架から徹甲弾を掴み上げた。

「ならば撃ち抜けるのみ!」



 迫ってくる敵は戦車ではなく、その大きさから軽装甲車と思われた。

 しかし大胆な奴だ。

 その心意気を気持ちよく思いつつも井伊直盛は、ただちに使番の装甲車を走らせ、戦車組に迎撃を命じた。

 だが、その態勢が整う前に、味方の陣内は蹂躙されそうだ。

「我らで押しとどめるぞ」

 直盛は自車である九七式中戦車に前進を命じると、自ら方向転把を回し、砲口を敵装甲車に向けはじめた。



 砲塔を旋回させ、斜面で車体を傾がせながらこちらに向かってくる敵は、九七式中戦車だった。

 砲塔後部に立てられた大ぶりの旗指物からして、侍大将(一軍の指揮官)と思われた。おそらくは先鋒の大将だろう。

「これは重畳」

 ここでこれを討ち取れば、今川勢にとって大打撃となろう。

 前田利家は不敵な笑みを浮かべつつ照準筒をのぞき込んだ。相手との距離は一〇〇 米を切っている。

 織田家の九七式軽装甲車の主砲は、九五式軽戦車と同じ三七粍砲に換装されていた。一〇〇米の距離なら、五〇粍程度の厚みの装甲を撃ち抜ける。

 だが、各地の戦車鍛冶に模倣された九七式中戦車の多くが、その装甲に焼き入れされた表面硬化鋼板を用いていることを、利家は知っていた。

 この距離でも正撃でなければ、三七粍砲弾は弾き返される恐れがある。


「もっと近寄れ、小助」

「承知!」

 小助は流れるような動作で槓桿を操り、赤茶色の軽装甲車を敵戦車の斜め前方へと突き進ませる。

「回り込め!」

 言われずとも小助は心得ていた。迷わず麓側へと回り込む。濡れた斜面で履帯が滑り、車体の向きが変わることも計算に入れていた。

 利家の九七式軽装甲車は車体後部を滑らせ、派手に土塊つちくれを撒き散らした。小助が巧みな操作で横滑りを止めたとき、その鼻面は敵戦車の左側面に向いていた。

「食らいつけ!」

「承知!」

 赤茶色の軽装甲車が吠えた。それは生力炉の轟音であったが、まるで猛犬の吠え声のように聞こえた。



 間に合わぬ! 井伊直盛は胸裡で叫んだ。

 必死に方向転把を回して砲口を敵装甲車に向けようとした。

 操手あやつりてにも車体前面を敵に向けるよう指示した。

 それでも、彼らのその操作速度を上回る動きで、敵装甲車はこちらの左側面へと回り込んできた。

 物見塔の覗き窓から見たその敵は、赤茶色に染め抜かれていた。こびりついた血の色だ、と直盛は思った。

 そいつは獣のような唸り声を上げ、突っ込んできた。ぶつかる! と思った瞬間、前のめりに停車した。

 ああ、我が井伊家はどうなるのだ? 

 思わずそれを考えた。直盛には娘はいるが、男子がいない。娘では井伊家は継げぬ。

 我が家は、どうなるのだ?

 直盛が最後に聞いたのは懊悩に対する返答ではなく、無情な砲声であった。



 三七粍砲が砲口をきらめかせたのと、小助が変速機を「後歩うしろあし(後進)」にたたき込んだのは、ほぼ同時だった。

 一瞬、車体後部を振り上げた九七式軽装甲車が、急速後退を開始する。

 前田利家の放った砲弾は、至近距離から敵中戦車の車体側面装甲を貫いていた。

 爆発や火災の予兆はない。

 武者同士の砲撃戦で用いられる徹甲弾は鋼の塊でできており、榴弾のようにそれ自体が爆発することはない。

 しかし、車内に貫入した弾頭と飛び散った金属片は、乗員を殺傷し、機器を破損させる。

 このときも、車内に致命的な損害を与えたことは疑いようがなかった。

 一度だけ前のめりになった敵中戦車は、そのまま停車し、それきり動かなくなった。


「右手に回り込め」

「承知」

 小助は自車を丘の頂上側へと動かし、敵中戦車の右側面へ移動させた。

 砲塔から身を乗り出していた利家は、そのまま敵中戦車の車体へと飛び移った。砲塔後部の旗筒に差し込まれていた旗を引き抜くと、それを大きく振りはじめる。

「侍大将、討ち取ったり――!」

 ようやく動き出した麓側の敵戦車にも見えるよう、左右に大きく伸びやかに、しかし激しくはためかせる。

 これで今川方が戦意を無くし、崩れてくれれば我らのもの。御館様も難なくこちらへ陣押しできよう。

 だが、戦意を失うどころか、敵戦車はさらに勢いを増して斜面を駆け上がってきた。しかも砲口をこちらに向け、ついに砲声を轟かせた。

「よかろう! この前田又左衛門――否! <砲の又左>と呼ばれたこのわしが、御相手いたそう」

 自車に飛び移った利家は、手にしたままだった敵の旗を砲塔後部の旗筒に差し入れてから、砲塔内へと滑り込んだ。

「行け、小助」

「承知……で、どちらへ?」

「かき回せ」

「承知!」

 唸りを上げ、赤茶色の九七式軽装甲車は敵戦車の陰から躍り出た。




「井伊殿の弔い合戦じゃ、進めや進めぇ!」

 つんのめるように九五式軽戦車の物見塔から身を乗り出した久野元宗は、采配を振り上げて声の限りに叫んでいた。

 弔い……とは言いつつ、転がり込んできた好機に、ほくそ笑んでいる。

 ここであの乱入者を討ち果たせば、手柄はわしのもの。必ずや先鋒大将の後任は、わしのところへ回ってくる。

「逃すな、捕らえよ、撃ちまくれ!」

 元宗に率いられた四輌の九五式軽戦車は、横一列の横隊を組んで斜面を駆け上がる。


「なんと……」

 元宗は目を剥いた。

 沈黙した中戦車の向こうから姿を現した不埒な軽装甲車は、逃げるどころかこちらに鼻先を向け、突き進んできた。

「大胆な賊じゃ! じゃが、この劣勢をいかに跳ね返す気じゃ」

 元宗は砲塔内から手旗を取り出した。白地に黒色で四本の矢印が描かれている。砲撃を集中させよ……という指示を意味する旗だった。

 それを砲塔上面の旗立てに差し入れ、采配で眼前の敵装甲車を指し示す。

「逃すな!」

 いや、逃しようがなかろう。

 自分で叫んでいながら元宗は、そう冷静に判断していた。彼我の距離は約一〇〇米。四輌での集中砲火。

 これで逃したら、御館様に笑われてしまう。

 照準筒をのぞいた元宗は、舌なめずりしながら敵の姿を十字線の中央に捉えた。


「くたばれ」

 元宗は引き金を引いた。が、その瞬間、敵装甲車の姿が照準筒の円い視野の中から消えていた。

「どこじゃ!」

 物見塔に戻って顔を出す。

 いた。逃げてはいない。変わらずこちらに向かってくる。

 だがその装甲車は、まるで九十九折りの坂道をたどるように、左右に激しく旋回しつつ駆け下りてきた。これでは視野の限られる照準筒で捉えるのは難しい。

 こしゃくな……と呻きかけたとき、突如そいつは左右への動きを止め、真っ直ぐこちらの横隊へと突っ込んできた。

 元宗車と配下の戦車との間を、速度をゆるめず切り裂いた。しかも砲口をきらめかせ、こちらの足軽陣地へ榴弾を撃ち込んでゆく。

「初手からこれが狙いか……!」

 回せ回せ、と操手の背中を蹴りつつ、元宗は激しく采配を振り回した。

 御館様に笑われるどころの話ではない。このまま逃したとあっては末代までの恥だ。

 四輌の九五式軽戦車は、信地駈歩しんちかけあし――片方の履帯を停止させることにより、その場で旋回する走法――で反転、敵装甲車の追跡を開始する。

 敵はこちらを嘲笑うかのように、味方の足軽に向け次々と榴弾を放っている。

 頭に血が昇りすぎて、目の前が霞みはじめた。まるで、うなじに心の臓があるかのように、鼓動が頭の中に響いていた。

「追うのじゃ――!」

 元宗は我知らず、采配をへし折っていた。



「さような腰砕けの弾に、このわしが当たると思うてか!」

 砲塔から半身を出した前田利家は、後方から迫る敵戦車に向きなおり、ここを狙えと言わんばかりに両手を振った。

 砲声が重なって木霊し、何かが空気を裂く音が流れ去る。砲弾がすぐ側を飛翔していったのだ。

 それでも利家は笑みを浮かべたまま半身をさらし、周囲の様子を素早く観察する。

 行く手にいた足軽どもは、算を乱して逃げ惑っていた。組頭がその連中を必死に押しとどめ、まとめようとしているが、奏功しているとは言い難い。

「もうじき谷間の道へ出ますが」

 車内からの声に、ようやく利家は砲塔内に潜り込んだ。

「そのまま道へ出よ。いきり立った連中を、御館様の御前に引きずり出してやるわ」

「……なるほど、後ろの奴らを引き連れて、御味方の陣へ走り込もうというわけですな」

 今川方の戦車はこちらの挑発に乗り、どこまでも追ってくるだろう。

 そのまま一本道へ進み出れば、こちらは味方の陣に逃げ込めるし、誘い出された敵は味方の砲火の前にその姿をさらすことになる。


「なれど犬千代様」

「黙れ、その名で呼ぶなと申したであろうが」

 手加減無しで小助の頭を小突く。

「いや、なれど、あれ」

 小助は顎で前方を示した。利家は砲塔へ戻り、顔を出して確認する。

 五〇米ほど先に、<谷間の道>が左から右に伸びている。その先、南側の丘の斜面から、四輌の九五式軽戦車がこちらへ向かって突き進んでくる。

「まだおったのか」

 前方の四輌は、すでに砲撃を始めていた。砲口が、次々にきらめきを見せる。

 むう――。

 しばし思案した利家だったが、歯をむくように頬を歪め、不敵に笑った。

「このまま進め、小助」

「承知。真ん中を貫くのでございますな」

「おう! 我らの姿が、よう見えるよう近づいてやれ」



 南側の丘を守っていた戦車組の組頭は、迫ってくる光景に我が目を疑った。

 敵が北方の陣内に侵入。使番からその注進を受け、ただちに陣替えをし、北側に向けて横隊を組み直したところだった。

 先頭を進んでくるのは――軽装甲車だ。しかし確かに、その砲塔には先鋒大将である井伊直盛の旗がたなびいている。乗り換えたのか?

 その後方からは、四輌の軽戦車が向かってくる。九五式軽戦車のようだが、どちらの勢力の物か?

 その状況を困惑気味に見つめていた組頭は、教え込まれた軍律と、これまでの戦さ場での経験とを照らし合わせ、その答えを導き出した。

「井伊殿をお救いせよ! 敵方の戦車が井伊殿を狙っておるぞ!」

 四輌の九五式軽戦車は砲身をもたげ、迫り来る<敵>の九五式軽戦車に向かって砲撃を開始した。



「うつけどもが! どこを狙っておるのじゃ!」

 味方の軽戦車の砲撃は、明らかにこちらを狙っていた。

 久野元宗は力任せに物見塔の縁を叩いた。骨にまで伝わる痛みの中で、思い出す。

 先ほどまで窪みに潜んでいた彼らは、敵に自分たちの正確な位置を悟られぬよう、戦車から旗指物の類いをすべて外してあったのだ。

 その状態では敵方に間違われても文句は言えまい。

「やめよ、我らは味方ぞ!」

 元宗は己の存在を判らせようと盛んに手を振った。後続の三輌は、戸惑ったように速度をゆるめ、右や左に散り始めた。

 結果、元宗車一輌のみが突出するかたちとなった。そこへ、対面の四輌からの砲撃が集中する。

 味方からの集中砲火をあびた元宗車は、たちまち火花のいばらに絡め取られた。



 背後から迫っていた敵の先頭車が黒煙に包まれ、突如として燃え上がった。

 その光景に前田利家は、思わず大笑した。

「胸がすくわ! なんとも心地よい!」

 ひとしきり笑うと、前方へ向きなおる。

 すでに利家車は<谷間の道>を横断し、南側の丘を登りはじめていた。

 眼前には、横隊を組んだ九五式軽戦車四輌がいる。その後方には、ようやく陣替えを開始した敵の足軽の姿が見えた。

 砲塔内に戻った利家は、すかさず徹甲弾を装填した。

「浄土への引導じゃ!」

 歯を剥き、吠えながら、利家は引き金を引いた。

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