第7話 戦場を駆ける犬・その一

 恐れていたことが、惨憺たる光景として眼前に広がっていた。

 織田上総介信長は、今度こそ手にした軍配団扇を取り落とした。

 額を流れる感触は雨なのか冷や汗なのか、もはや判らなかった。

「なんたる様じゃ……」

「申し訳ござりませぬ!」

 信長の九七式中戦車の前にひざまずき、生力炉の律動に負けぬよう声を張り上げるのは、赤母衣衆の岩室重休である。

「それがしが御両名を止めておれば……」

 重休は腰帯の短刀を引き抜いた。

「やめよ!」

 思わず一喝した信長であったが、その後の言葉が出てこない。それほどに混乱していた。


 中島砦を急いで発した彼らが戦さ場に到着して目にしたものは、雨の中でも消えぬ炎に包まれた二輌の戦車であった。

「重休よ」

 声をかけたのは柴田権六郎勝家だった。

「おぬしが腹を切れば駒が一つ減る。それは今の有様では、ちとキツイ」

「なれど……」

「よいか重休。その負い目を、御館様のために身骨を砕くことで帳消しにせぇ」

 涙目の重休と、こちらも泣きそうな表情の勝家が、車上の信長を見上げていた。


 なぜお前まで泣きそうなのだ? と、ふと考えて、気がついた。

 跡目争いの果てに謀殺した弟――織田信勝の側に付いていた時期が、勝家にはあったのだ。

 負い目を帳消しに……とは、自身のことも重ねての想いなのだろう。

 勝家は戦いに敗れて以後、信長に忠誠を誓っているが、その忠勤ぶりは度を超すこともあり、うっとうしく感じることもしばしばだった。

 その勝家が、すがるような目つきで見上げてくる。髭面で固太りの男から、そのような目で見つめられても、気持ちのいいわけがない。

「好きにせぇ」

 吐き捨てるように言うと、勝家は髭面をくしゃくしゃに歪め、重休を勢いよく立たせ、その背中を何度も叩きはじめた。

「よかった、よかったのう……!」

 勝家は重休に抱きつき、その若く張りのある頬に自分の黒々とした髭を押しつけた。

 こら、わしの小姓に何をする、離れんか、と怒鳴りかけたが、それどころではないことを思い出した。


 物見塔から身を乗り出し、道の先、東の方角の丘を見やる。

 そこに、今川方・先鋒の陣が敷かれていた。

 道をふさぐように両側から迫る丘の斜面に、幾旒もの旗が雨に濡れる様がうかがい知れる。

 そしてその手前、丘陵を貫く一本道の途上に、炎を上げる二輌の軽戦車があった。

「これでは算段が狂うではないかっ」

 血がにじむほどに、物見塔の縁を握りしめる。

 ここで今川勢が押し出してくるようなことがあれば、もはや防ぎ切れまい。


 だが、今川の陣は不思議と静かだった。陣押しの気配も、勝ちに浮かれて騒いでいる様子もない。

 これは手強い。信長は素直にそう思った。

 緒戦の勝利にも図に乗らず、しっかりと陣を固めている。

「向こうの丘まで道筋は一本」

 すぐ横に九七式中戦車を並べた森可成が、信長の思案を促すように状況を口にし始めた。

「両側は深田。戦車も足軽も動きが限られ、よい的となりましょう」

 さあ、どうする?

 可成だけでなく、勝家も他の家臣たちも、信長の下知を待っている。


 信長は当初、<谷間の道>を見下ろす丘を奪取して陣を構え、谷筋を進んでくる今川勢を迎え撃とうとした。

 だが、今川に先を越されたことで、その目論見も崩れた。

 とはいえ、今川の先鋒が布陣する丘の手前にも、低い丘が幾つか連なっている。それを奪い、壕を掘って戦車を潜ませれば、進軍してくる今川勢を押しとどめることも不可能ではないだろう。

 ちょうど佐々政次や千秋四郎が直面した苦境と同じ状況を、今川勢の眼前に突きつけることもできたはずだった。


 しかし、すでに雨は止みかけ、視界も開けはじめている。

 こちらが陣の構築を開始すれば、必ずや今川の先鋒は砲撃を開始して、それを妨害してくるだろう。

 彼我の距離は六〇〇メートルほどか。戦車の砲撃なら充分な効力を発揮する距離だ。

 ここで犠牲を出せば、もはや何の手の打ちようもなくなる。

 だからといってこのまま手をこまねいていれば、敵の先鋒が押し出してきかねない。いやそればかりか、今川の主勢が着到し、さらに戦力差が広がる可能性が高いのだ。


 むうぅぅ……と唸るばかりで、信長は考えをまとめることができなかった。ここまできて退くわけにもいかぬ。

 いや、もしここで退けばどうなるか。それを考えてみる。


 清洲城に戻って籠城するのはどうか。


 ……駄目だ。後詰ごづめを頼める勢力の当てもないのに籠城するなど、死にに行くようなものだ。そもそも清洲城は、戦車の攻撃に対してはそれほど防備は堅くない。


 ではこの場で、旗を巻いて笠を上げる(降伏する)か。


 ……やはりそれも駄目だ。楯突いておきながら一戦も交えずして今川に降れば、その後はすべて今川の沙汰に従わねばならないだろう。

 今は織田に臣従している国衆たちも、手のひらを返して今川方に付くはずだ。

 尾張は今川領に呑み込まれ、織田家は――名目だけは残るかもしれぬが、それも今川の一家臣としてだ。

 わしは血気盛んな家臣どもから突き上げられ、詰め腹を切らされる羽目になるに違いない。

 どちらにせよ、安穏とした暮らしどころではない。

 小姓たちと楽しく暮らす生き様は、どうすれば手に入れられるのか……。


 小姓といえば、犬千代は今、どこでどうしているのやら。

 他の家臣の手前、厳しい処分を下したが、やはりあいつがいなければ、何とも心許ないものだ。

 そういえば犬千代たちとは、よく「車合戦」をして遊んだものだった。小姓たちを皆、装甲車に乗せ、二組に分かれて互いの旗を奪い合うのである。

 他には、装甲車に牽かせた材木に旗を立て、それを狙って砲撃の腕を競ったりもした。戦車の砲に関しては、犬千代はなかなかの腕前だった。

 ああ、あの頃に戻りたい。御家のことなど目もくれず、難しいことは脇へと放り出しておけたあの頃に――。


「御館様!」

 自分の戦車によじ登った勝家が、生力炉の音を圧して叫んでいた。

 勝家の九七式中戦車は黒く染められ、装甲を繋ぐ接合びょうに銀箔が押されていた。砲塔側面には瓦を象った脇立わきだてを付け、砲塔後部には旗指物はたさしもの代わりに長鑓ながやりを挿している。

「我ら、いかような下知にも従いますぞ!」

 だから早く、陣押しを命じろというのか。痴れ者め。なぜわしは、あんな奴の帰参を赦したのだろうか――。

 いつの間にか雨は止んでいた。雲も晴れはじめ、日差しの暖かさも感じられる。

 わしのこの懊悩も、あの雲のようにはいかぬものか……。

 そんな願望を胸裏でつぶやいたその時、信長は、己を呼ぶ切実な声を聞いたような気がした。



          ※          ※



「織田勢に動きはござりませぬ」

 今川方の先鋒大将を任されている井伊直盛は、その注進に安堵した。

 逃げようのない一本道を突き進んでくる武者を討ち取ることは、何とも後味が悪いものだった。

 できれば広い野原で、正々堂々と撃ち合いたい。そう思う直盛である。

 この戦車のせいで――直盛は己の九七式中戦車の物見塔を軽く叩いた。

 近頃は、かつての武者らしい姿は、ずいぶんと薄らいでいるように思える。

 勝てばよい。ただ功名を上げさえすればよい。

 戦さは、そういった味気なく、殺伐としたものへと変貌していた。

 すべては戦車がそうさせたのか、あるいは刻のうつろいのせいなのか。


「これから、いかが為さるおつもりじゃ」

 先鋒の戦車組の組頭である久野元宗が駆け寄ってきた。彼の戦車は陣の前方の窪地に潜ませてあるため、わざわざ降りて走ってきたらしい。

「おう、今より使番を向かわせようとしておったところでござるよ」

「陣押しなさるか?」

「いや、このまま御館様の御着陣を待つ」

「なんとっ。手ぬるくはござらぬか。見たところ、織田の戦車は一〇輌程度。我らのみでも相手取れように」

 元宗は、きつく眉根を寄せた。


 織田方の主勢と思われる一団が田圃の連なりの向こうに姿を見せたのは、猪武者のごとく突っ込んでくる二輌を討ち取った直後のことだった。

 これに対し、直盛はその場での待機を命じていた。

 今、直盛は、道の北側の丘の斜面にいる。前方の繁みや窪みには、元宗車をはじめ四輌の九五式軽戦車の姿があった。

 南側──<谷間の道>を挟んで反対側の丘にも、やはり四輌の九五式軽戦車を潜ませている。

 自車と併せて九輌。それに使番の九四式軽装甲車が二輌。確かに、織田の主勢を向こうに回しても、対等に戦えるだろう。

 元宗が鼻息を荒くするのも判る。


「ここが好機ぞ、陣を離れて押し出すべし」

「そして、今しがたの織田の戦車のように、一本道を押しているところを皆に狙われ、討ち取られるか?」

 言葉に詰まった元宗は、あきらかに不快そうな表情を浮かべた。

 井伊家は遠江の国人で、戦さに敗れて今川家に臣従した。

 それに対し、久野家は譜代の今川家臣である。

 元宗にしてみれば、自分の方が家中における格は上だ、とでもいいたいのだろう。

 大将に任じられず、組頭の地位に甘んじていることにも、得心してはいないようだ。何かにつけて、直盛と張り合おうとする。

「しばし堪えてくださらぬか。さすれば、存分に働ける機会もありましょう」


 舌打ちした元宗が踵を返したその時、右手側――北の方角より生力炉の唸りが聞こえはじめた。

 そちらには鉄砲足軽しか配しておらぬはず。

 不審に思いつつ顔を向けると、その足軽どもが算を乱して斜面を駆け上がってくるのが見えた。

 その後ろに――戦車だ、戦車がいた。なぜそこにいる?

「誰が持ち場を離れたのだ!」

 叫んだ瞬間、砲声が鳴り響き、走っていた足軽どもが土煙と共に吹き飛んだ。

「敵じゃ……敵じゃ――!」

 ようやくそれに気づいたとき、さらなる砲声が轟いた。



「どこにおられましょうや、御館様!」

 わめきつつ、前田利家は次弾を装填した。

「犬千代はここにおりますぞ!」

 叫びつつ、発射の引き金を引く。

 砲声は瞬時に後方へ流れ去り、振動だけが車内と身体を震わせる。

 照準筒から見える前方では、今川方の足軽どもが利家の放った榴弾を食らってなぎ倒されていた。


 噴き上がる土煙の中を、利家の九七式軽装甲車は突き抜けた。繁みをかき分けてきたせいで、車体後部に取り付けていた赤母衣も、いつの間にかちぎれ飛んでいた。

「どこへ向かえばよろしいので?」

 左右の履帯を操る槓桿こうかん(レバー)を忙しく動かしながら、森野小助が聞いてくる。

「とにかく進め。まずは今川方に囲まれぬよう走れ」

「承知。なれど、それがしの道案内通りでございましたでしょう?」

 肩越しに見上げてくる小助は、どこか自慢げな顔をしていた。

 思わず利家はその背中を蹴りつけた。

「阿呆ぅ! 誰が今川の陣のど真ん中に案内せよと申したか!」


 この大木に見覚えがある、こちらの道で間違いない……そうした言葉を何度も聞き、それに倍するほどの蹴りを繰り出しながら、それでも利家は小助を信じ、軽装甲車を突き進ませてきた。

 いったん<鎌倉往還>に出て、そこからまた山道へ入り、谷を越え尾根をまたぎ、雨に濡れた斜面に履帯を滑らせながら、ようやくここまでたどり着いたのである。


 ただ一つ計算外だったのは、信長の陣ではなく、今川方の陣内へ突き抜けてしまったことだった。

 利家の決断は早かった。

 眼前に現れた足軽が今川家の旗を掲げていることに気づいた利家は、ただちに砲撃を開始、それを追い散らしながら陣内へと進み行ったのである。

「つべこべ言ぅても詮無いことじゃ。ここで退いては背中を撃たれる。とにかく前へ進め! それがわしの生き様じゃ」

 疑わしげに見上げてくる小助を小突いてから、天蓋を開いて顔を出した。素早く周囲を見回す。

 足軽どもは算を乱して逃げ惑っていた。

 中には踏みとどまって施条銃を放ってくる者もいるが、そこに「仕留めてやろう」という気概が込められていないことは気配で判る。逃げ腰なのだ。



 本来、戦車や装甲車が単独で突出することは、固く戒められている。

 定石通りの野戦は、鉄砲足軽の銃撃戦によって開始される。

 その際、武者が乗る戦車や装甲車は、足軽の散兵線の後方で待機している。そこから敵の散兵線や陣地に砲撃を加えると同時に、味方の足軽が手を抜いたり逃げ出したりしないよう、目を光らせるのだ。

 そして敵の散兵線や陣に乱れや綻びが生じた場合、いよいよ乗り入れ――突撃となる。

 足軽は銃刀を銃口にねじ込んだ施条銃を鑓として、白兵戦を展開する。

 戦車が先陣を切って乗り入れるか、足軽の後方からじっくりと攻め入るかは状況次第となる。

 両軍入り乱れての白兵戦の段となると、武者は敵の戦車や装甲車を相手取り、騎射戦ならぬ戦車戦を行うのである。


 しかしどういった状況にせよ、戦車や装甲車が単独で行動することは、非常な危険を伴うことであった。

 一番警戒せねばならないのは、繁みなどに潜んでいる早打砲である。

 彼らにとって単独で行動する戦車や装甲車は、絶好の獲物であるからだ。

 そうした早打砲を制圧するのは、後続する家臣の戦車・装甲車や、随伴する足軽の役目であった。

 早打砲の陣地に対し銃砲撃を加え、主人たる武者を支援するのである。


 また足軽や、戦車に乗れぬ身分の徒武者かちむしゃの中には、口径が一〇ミリを越える――当然、弾丸の発射装薬量も多い――装甲貫徹力の高い「大鉄砲おおでっぽう」を装備している者もいた。

 そうした銃で装甲の薄い部分を近距離から撃たれると、戦車でも擱坐させられることが多々あった。


 さらには、随伴する足軽のいない戦車を狙って忍び足で接近し、生力炉の通気口や覗き窓、ときには砲塔や車体の天蓋をこじ開け、内部に焙烙玉ほうろくだま――陶器の内部に火薬を仕込んで爆発させる小型榴弾――を投げ込み、武勇を示す剛の者も見られた。


 戦車の砲塔や車体前部には、敵の足軽を近寄らせないための鉄砲も装備されてはいるが、それらは射角(射撃できる範囲)が狭く、身を隠しながら接近されると対応が難しい。

 こうした危険を回避するためにも、敵陣への単独での乗り入れは極力避けねばならない。


 しかし、相手の意表をつく時機に、予想もしない箇所へ、対応の難しい速度で行われる乗り入れ――いわゆる奇襲攻撃の場合は、必ずしもその例に沿わない。

 戦車や装甲車による単独の乗り入れが奇襲となった場合、少数が多数の敵を討ち破った例も数多くある。

 この時の前田利家の行動はまさに、その奇襲攻撃そのものであった。

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