第6話 遠すぎた丘・その二
「なんじゃとっ」
もたらされた注進に、織田信長は思わず手にした軍配団扇を落としそうになった。
自車の横に停車した九七式軽装甲車の砲塔から、一報をもたらした赤母衣衆・長谷川橋介が身を乗り出している。
「佐々様、千秋様の御両名、手越川に沿って谷間の道へとお進みあるとの由にございます」
「抜け駆けをしよって……」
準備を整えて善照寺砦を進発した信長ら織田の主勢が中島砦へ入った時、そこには梶川平左衛門の手勢が残っているのみだった。
佐々・千秋の両名は、すでに単独で今川勢がいる方角へと進軍していたのである。
「わしの下知なく兵を進めたというのか……!」
その怒りが全身を震わせた。
すべての算段が狂うではないか。軍配団扇を投げつけかけて、ぐっと堪えた。
織田家など、滅んでしまえ。
それは真実の思いだった。しかし、現実に織田家に滅びてもらっては困るのだ。
安寧とした暮らしを送るための<金づる>として、織田家そのものには生き延びてもらわねばならない。
そもそも信長は、御家と心中するつもりなど毛頭なかった。
では、どうするか――。
善照寺砦で、無責任な主戦論を声高に訴える家臣どもを見ながら信長は、はたと思いついたのである。
この阿呆らごと、織田家を手放してやろう。それも、ただではない。
今川に、織田家を高く売ってしまえ。
そう決意すると、算段を整えるのにさほどの時間は必要なかった。
服部小平太の献策を容れ、手勢を沓掛城へと向かわせたのも、その戦略の一環だった。
中島砦に加え、<谷間の道>の出口の丘陵を押さえ、守りを固める。いかに今川勢といえど、二〇〇〇の軍勢が
両者は対峙しまま、しばらくは模様眺めとなろう。
そこで小平太らの動きが効いてくる。
沓掛城が襲われたとなると、たとえ城が陥落せずとも、今川方は後方を遮断されることを恐れ、浮き足立つに違いない。足軽どもの中には逃げ出す者も現れよう。
そこで、両者痛み分けの和議をこちらから申し入れる。痛み分けとはいえ、こちらから持ちかける和議であるから、かなりの譲歩を強いられるだろう。
その場合おそらくは、国境の砦をすべて破却し、防衛線を大幅に北側へ退げることになるだろう。
むろん、国境のこの辺り一帯は今川領ということになる。場合によっては、熱田神宮の周辺にいくつかある
それでも織田家が滅ぼされるよりはずいぶんとマシな状況だ。
織田家は尾張半国を支配するだけの小大名に過ぎなくなり、いずれは今川家に臣従を強いられるかもしれぬ。そうなれば戦さの際には先手として、こき使われるだろう。
当然、鼻息荒い家臣どもは、そんな状況を受け入れた現当主を快くは思うまい。
しかしそれこそ好都合。
家督を弟の
己は敗戦の責任を取って頭を丸め、寺へと引き込めばいいのだ。
初めは窮屈な暮らしを強いられるかもしれないが、ほとぼりが冷めればこちらのもの。小姓達を集め、生臭坊主として気ままに暮らせばいい。
ああ、なんと心持ちの良い行く末なのだ。
――だがその算段も、抜け駆けした佐々、千秋のせいで、崩れつつある。
もしあの二人が容易く敗北するようなことになれば、勢いづいた今川方がこちらへ殺到してこよう。
守りを固め、対峙する状況を作り出すどころではない。
ぐぬぬぬぅぅ……と周りに聞こえるほどに、信長は奥歯を噛みしめた。
みるみる細面が真っ赤に染まり、降りしきる雨が当たると蒸発するかに見えた。
「と、とにかく今一度、使番を出せ! 佐々らを連れ戻すのじゃ」
はっ、と長谷川橋介ら赤母衣衆が動き出す。数輌の九七式軽装甲車が雄叫びを上げ、谷筋へと向かってゆく。
「我らも陣押しじゃ。谷間の道の終いに急げ。穴を掘り、戦車を潜ませよ。道筋の守りを固めるのじゃ」
と、その時だった。
南東の方角──<谷間の道>の出口の方から、低い唸りのような轟音が聞こえはじめた。
砲撃戦が開始されたのだ。
※ ※
中島砦を出陣した佐々と千秋の手勢は、九五式軽戦車二輌と約三〇〇名の鉄砲足軽で構成されており、これに使番役の岩室重休の九七式軽装甲車が、成り行きで従っていた。
中島砦を出て南東へ――<谷間の道>の方角へ進むと、道の両側には田圃が広がりはじめる。
その先は丘陵地帯となり、さらに進むと、まるで行く手を遮る門のように、道のすぐ近くまで両側から小高い丘が張り出している地点に至る。
その張り出した両の丘の中腹に、すでに今川軍の先鋒は展開していた。鉄砲足軽どもが散兵線を敷き、その後方に間隔を開けて戦車が並んでいる。
「見たところ……」
佐々政次は雨の向こうを見晴るかそうと目を細めていた。
「右も左も四、五輌はおりそうじゃ。
「今川方の軽戦車は、我らと同じ九五式と聞いておる」
千秋四郎が言うと、政次もうなずいた。
二人は今、戦車を降り、道ばたの繁みに隠れて敵情を観察していた。
「型は同じ、じゃが、数は五倍か」
「……おぬし、怖じ気づいたわけではあるまいの?」
四郎に言われ、政次は眉をつり上げた。
「なんと! 聞き捨てならぬぞ」
言い返そうと頬を振るわせた政次だったが、おもむろに踵を返し、戦車の元へと駆けてゆく。
「ならば、わしが一番弾をつけて、怖じ気づいておらぬことを見せてくれる!」
「なんじゃと、一番弾はこのわしぞ!」
四郎もあわてて駆け出した。二人の後を従者どもがあわてて追ってゆく。
最初に動き出したのは千秋四郎の九五式軽戦車だった。
佐々政次は砲塔に駆け上るときに足を滑らせ、泥の中に尻餅をついていた。
「ぬかったわ! あ、こら、待て!」
政次の言葉など聞かず、生力炉の轟きを残し、四郎の軽戦車が泥を巻き上げ疾駆しはじめる。
「なりませんぞ、千秋殿」
二人の行動を察した赤母衣衆・岩室重休が、九七式軽装甲車で前に回り込もうとする。
「砦へ引き返してくだされっ。いや、せめて、この場で御館様の下知をお待ちくださりませ!」
しかし四郎車は重休の装甲車にぶつかる勢いで突き進み、その鼻先をかすめて街道上に躍り出た。
「わしに続け――!」
四郎車の後方からは、小頭に率いられた鉄砲足軽が駆け出している。そのため味方を轢くことを恐れた重休は、四郎を追うことができなかった。
「押し出せぇ!」
四郎は叫ぶものの、今川方の急ごしらえの陣までは、道は一本しかない。しかも道の両側の田圃は、先ほどからの雨で泥濘と化していた。
今川方の陣まで、五、六〇〇
一本道を駆け抜け、敵陣の内部へ乗り入れることができれば、勝機はあると四郎は判断していた。
「押せやぁ」
叫びと共に四郎車が一本道を突き進んでゆく。
しかしそれは、今川方の戦車にとって格好の目標となった。
馬から戦車へと乗り換えた武者同士の戦い方は、源平合戦時代の「騎射戦」へと立ち返る結果となった。
走りながら狙いを定め、砲を撃つのである。
車頭と放手が別の場合は、物見塔の車頭が相手の動きを予測しつつ方向転把で砲塔を旋回させ、照準筒をのぞいた放手が自分用の方向転把で微調整を加え、車頭の下知に従って砲を放つ。
しかしいずれの場合も、双方が走行しながらの砲撃では、高い命中率を得ることは難しかった。
そこで多用されつつある戦法が、繁みや地面の窪みに戦車の車体を潜ませ、停車した状態で砲撃するというものである。
自車は停車しているので振動で照準が狂うこともなく、目標の未来位置も予測しやすい。
守勢に回った側が用いることが多い戦法だが、この時、攻勢側である今川方がこれを用いたのだった。
田圃を貫く一本道を疾駆する織田方の戦車に対し、丘の中腹に停車した今川方の戦車は、左右から包み込むような容赦のない砲撃を開始した。
「おのれ、卑怯なり!」
物見塔から身を乗り出した千秋四郎は、あらん限りの声を上げた。
停車して身を隠しての砲撃は、正々堂々たる「騎射戦」の伝統を汚すものとして、嫌悪する武者も多い。
千秋四郎もその一人であったが、その訴えは今川方に届くことはなかった。
次々と四郎車の周囲に砲弾が降り注ぎ、地面をえぐり、泥を高々と跳ね上げた。
鼓膜と神経を引っ掻く不快な響きと共に、四郎車が弾かれたように揺れた。
「当たりおったか……!」
だが千秋四郎とその戦車は、まだ動き続けていた。
今川方の戦車は四郎らと同じ九五式軽戦車。
これの装備する主砲――三七
機動性を優先したため、最厚部で一二粍の装甲しか持たない九五式軽戦車が相手なら、充分な威力を持つと言える。
だが、それは正撃(角度のない正面から命中)の場合である。
この時、浅い角度で四郎車の砲塔側面に命中した砲弾は、装甲板をゆがませ、亀裂を生じさせただけで弾かれていた。
しかし、千秋四郎の幸運も、ここまでだった。
次の一弾が四郎車の右側車体下部に命中し、履帯とそれを駆動させる起動輪を破損させた。
それでも左の履帯は回り続け、四郎車を右へ右へと推し進めてゆく。
「停めよ!」
四郎の叫びも空しく、彼の戦車は道を外れ、車体前部から田圃の中へと突っ込んだ。
動き続ける左の履帯が派手に泥を巻き上げるが、その場でもがくばかりで、方向さえ変えられない。
結果、四郎車は今川方の戦車に対し、無防備に側面をさらすことになった。
「おぉのぅれ――!」
その叫びに、幾重にも砲声が重なった。四郎車の周囲に次々と着弾し、泥の壁が立ち上がる。
それが崩れ去ったとき、砲塔と車体に一弾ずつを食らい、車体後部から炎を噴き上げる四郎車の姿が露わとなった。
「よくも!」
佐々政次は、小さな爆発を繰り返す四郎車の車体後部を避け、自ら道を外れて田圃の中へと戦車を進ませた。
だが、泥濘と化した地面に履帯が埋まり、その走行速度は極端に低下してしまう。
派手に泥を巻き上げるばかりで、這うような速度となった佐々政次の戦車は、これもまた今川方にとって格好の目標だった。
雷鳴のごとき砲声が轟き、着弾による泥濘の炸裂の中に政次車は閉じ込められた。
金属をねじ曲げ、たたき割る奇怪な音が響き、火花が弾け、炎の舌が伸び上がる。
砲声が止んだとき、佐々政次の九五式軽戦車の車体は、炎によって彩られていた。
「なんと……」
後方から惨劇を目撃した岩室重休は絶句した。
今川方のあの布陣では、御館様が御着陣されたとしても、我らがこの道を貫くことは不可能。
重休は今川方が陣取る丘をにらみ見た。
それは、あまりにも遠く感じられたのだった。
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