第2話 壮烈! 松平戦車隊・その二
刻は戦国の世――。
駿河の国の守護であった今川家は、領国・駿河のみならず、隣国・遠江に勢力を広げたのち、十六世紀中頃の義元の代になると、松平家を併呑するなどして三河にまでその支配領域を広げ、東海地方随一の戦国大名となっていた。
同じ時期、三河の隣国、尾張の織田家では、当主の座についた
勝者となったのは信長であったが、この内訌で家中は動揺し、尾張・三河
今川家の尾張侵攻の拠点となっている
むろん信長もこれを看過したわけではない。
伊勢湾に面し、もっとも織田領中枢に近い鳴海城の周辺に、
その南側に位置する大高城に対しては
そして各砦に守兵を入れて今川方の城を封鎖すると共に、その連絡路を遮断したのである。
こうして織田家は、尾張・三河の国境一帯で今川家とにらみ合うこととなったが、未だ家中の動揺は完全にはおさまらず、大きな戦さなどできようはずもなかった。
機を見るに敏。今川治部大輔義元は、確かに優れた武将であった。織田家の混乱を見て取った義元は、これを尾張侵攻の機会と捉え、軍勢を発したのである。
尾張南部にまで領地を広げ、伊勢湾の通商路を押さえることで今川家の財政基盤を強固にする。それが義元の狙いであった。
「敵方が押し出しておるぞ!」
物見の声が響き、藤吉郎は我に返った。ひやりとした銃の感触を確かめ、小頭となる妄想を頭の中から追い出した。
「弾込めぇ」
藤吉郎の銃に限らず、鉄砲足軽の全員が
尾張西部の寒村に生まれ、方々を流浪した果てに織田家に雇われ、言われたままに銃を操作する藤吉郎には知る由もないが、その後装式ライフル銃の登場が、全ての始まりであったのだ。
手砲、などと呼ばれた原始的な前装式火縄銃が兵器史に登場するのは、十三世紀後半のことである。
西洋では「マスケット」などと称された前装式――銃口から弾丸を一発ずつ装填する方式――の火縄銃は、十四世紀に入るとホイールロック式やフリントロック式など、発射に火縄を用いず火打ち石を使う形態へと発展したが、その進化と普及の速度は劇的なものであった。
西暦1346年、<百年戦争>と呼ばれるヨーロッパ西端で起こった戦争の最中、フリントロック式の前装銃を装備したイングランド軍が、クレシーの戦いにおいてフランス軍・重装騎士部隊を打ち破った。
当時のイングランド軍の銃は銃身内にライフリングのない
以後、戦争当事国の英仏両国のみならず、ヨーロッパ各国は前装式滑腔銃の生産と装備に心血を注ぐことになった。
そして、次なるブレイクスルーの
後装式――弾丸を銃の後部から一発ずつ装填する方式――の銃の実用化がそれである。しかもその銃身内には、銃弾を回転させて直進安定性を増すライフリング(施条)が施されていたのである。
この後装式ライフル銃の登場により、戦場の光景は一変することとなった。
西暦1450年、シャルル7世の軍制改革によって大量の後装式ライフル銃を装備したフランス軍は、リッシュモン元帥の指揮の下、前装式滑腔銃を主装備とするイングランド軍をフォルミニーの戦いにおいて打ち破った。
ライフル銃は射程と命中精度において前装式滑腔銃に勝り、さらに後装式であるため次弾装填にかかる手間と時間も大幅に軽減されていた。
その利点と脅威を正しく理解したイングランドや他のヨーロッパ諸国は、すぐさま模倣品の生産と配備に取りかかった。
重装騎士の時代を終わらせた前装式滑腔銃が、今度は後装式ライフル銃によって駆逐されたのである。
さらにフランス軍は<百年戦争>の最終盤、バイヨンヌを巡る戦いにおいて、握りの細いナイフをライフル銃兵の全員に装備させることを始めた。
これまでの戦闘では、近接戦においてほぼ無防備な銃兵を護るため、槍を装備した槍兵が隊列に加えられていたが、フランス軍はこれを廃止し、敵兵との近接戦の際には、ナイフをライフル銃の銃口にねじ込み、槍代わりに使用させたのである。
初めて戦闘で使用された土地の名を取って、のちに「バヨネット」と呼ばれることになる銃剣の登場は、槍兵の役目を終わらせた。
銃剣を装着したライフル銃を手にした銃兵は、いざとなればそれで白兵突撃までもこなしたのである。
後装式ライフル銃と銃剣――日本での呼び名は元込式施条銃と銃刀――の登場は、戦場から重装騎士と槍兵を退場させた。それのみならず、歩兵の戦闘隊形にも変化を強いた。
命中精度と発射速度に優れたライフル銃を装備した歩兵同士の戦闘では、直立して横隊を組んでの射撃戦は、我が方にも致命的な損害を被りかねない。
そこで歩兵戦術の見直しが図られ、歩兵は隊列を組まず散開し、遮蔽物に隠れるか地面に伏せて射撃する散兵戦術が基本となった。
さらに歩兵が身を隠す塹壕や野戦陣地の構築も盛んに行われるようになると、ライフル銃を装備した敵歩兵の散兵線を、歩兵単独で突破することは困難となった。
そこで一つのアイデアが生まれる。
ライフル銃の銃弾を弾き返す鉄板を用いて、移動式の銃座は作れないか――。
それは、<百年戦争>の敗者となり、ヨーロッパ本土から追い出されたイングランドにおいて発明されたと言われる。移動する鉄板の塊。
戦車、の登場である。
「まだ堪えよ、二〇〇
丘の麓あたりから響いてくる生力炉と履帯の唸りを裂くように、組頭の金切り声が飛んだ。
「戦車の側には足軽がおる。お前たちはそいつらを狙うのだぞっ」
薄墨を塗り込んだような丘の斜面に藤吉郎は目をこらした。何かが動いているようにも見えるが、気のせいかも知れない。距離などつかめるはずもない。
そもそも「めーとる」という尺度が、どうにも馴染めない。
今から四十年以上も前、南蛮人によって戦車が日本に持ち込まれた際にその尺度も伝えられ、以来、戦車鍛冶のみならず鉄砲鍛冶もその尺度を使っていると聞くが、遠い世界のことのように思える。
そういえば、この銃の弾の口径も六・五「みり」と聞いたな……そんなことをぼんやり思い出しているうちに、生力炉と履帯の音がさらに近づいてきた。目の前の暗闇から、突然その車体が現れそうだ。
その時、ふいに一発の銃声が鳴り響いた。誰かが頭の下知を待てずに引き金を引いたものらしい。だが、それがきっかけとなり、郭の各所で銃撃が始まってしまった。
「やめぇ! 撃ち方をやめるのじゃ」
小頭が叫ぶが効果はない。足軽どもは無心に発砲を続けていた。
遅れてなるものか……俺も手柄を! その想いと、姿の見えぬ敵への恐怖に突き動かされ、藤吉郎も引き金を引いた。
耳を衝く轟音と、肩に食い込む反動と共に、銃弾が撃ち出された。すぐさま遊底を開いて空薬莢を弾き出し、次弾を装填する。当初は紙製の薬莢を使用したというが、今では真鍮製の薬莢が一般的となっている。
次弾を装填し終えた藤吉郎は、額の汗をぬぐいながら振り返り、郭の一角を見た。そこにあるはずの早打砲は、未だ沈黙したままだ。
なぜ撃たぬ? 戦車の音が聞こえておらんのか? こんなに近くで響いとるんじゃぞ! まさか大砲足軽の連中、恐れをなして逃げ出したんじゃなかろうな?
胸裡でわめいていると、突如、待ちわびた砲声が轟いた。
しかしそれは、敵方の方から響いてきたものだった。
※ ※
「止まれっ。止まるのじゃ」
車内に向けて元康は叫んでいた。先ほど聞こえた砲声は、忠次車のものだろう。家臣に後れをとった。それが歯がゆい。
低木をなぎ倒し、地面を下生えごと掘り返しながら突き進んだ元康の九五式軽戦車は、丸根砦を見上げる丘の斜面で停車した。
戦車の前方に
元康は砲塔内に潜り込んだ。砲塔内壁には、先端を下に向けた砲弾が、ズラリと架けられている。
その中から一発を選んで外し、戦車砲へと装填する。砲塔内に一人しか乗り込めない九五式軽戦車では、装填も砲撃も、元康一人でこなさなければならない。
部大将や総大将といった指揮官級の武将が乗り込んだ戦車の場合は、部隊の指揮が優先されるため、装填や砲撃は専任の武者が担当する。
そのため砲塔が大きく、三人が入り込める戦車も打たれてはいるが、それでもやはり大将級の武将でさえ、自分で戦車砲を撃ちたがった。
なぜなら、敵戦車を撃破すること――それがすなわち、戦車伝来以来、敵将の「首を取る」代わりの手柄となったからである。
手柄。今の元康にとっては、丸根砦を落すことに他ならない。
砲身の脇に備わる照準筒をのぞいた元康は、手近な逆茂木に狙いを定め、戦車砲の大ぶりな引き金を引いた。
鼓膜を叩き、腹を打つ振動と共に三七粍砲弾が発射され、狙い違わず逆茂木に命中した。
元康が選択した砲弾は、命中と同時に炸裂する榴弾。ただの木の枝に過ぎない逆茂木は、その炸裂で火の粉をまといながら四散した。
物見塔から半身を乗り出した元康は、采配代わりの太刀を振り、闇の中に叫んだ。
「押し出せ――!」
戦車の後方に身を潜めていた鉄砲足軽たちが、奇声をあげながら駆け出すのが見えた。今しがた吹き飛ばした逆茂木の箇所へと殺到してゆく。
逆茂木による防御線を突破した足軽たちは、郭を囲む柵に取りつこうと、雄叫びをあげながら斜面を駆け上がっていった。
だが、すぐに激しい敵の銃火にさらされ、一斉にその場にうずくまった。
「こしゃくな……!」
元康は砲塔内に戻って次弾を装填し、敵の砦の外縁部、鉄砲足軽が潜むあたりを狙って榴弾を発射した。
しかし闇の中では狙いが定まらず、その一弾は斜面の中腹に命中して炸裂し、薄闇とは明らかに違う黒々とした土煙を盛り上げた。
「外したか。……おい平八郎」
「はっ」
かすかに震えた声が砲塔内へ昇ってきた。
「
「は、はっ」
下知通り、平八郎は絶妙の操術で、ゆっくり静かに戦車を進ませた。伏せていた足軽どもが、転がりながら左右に避けてゆく。
と、その刹那、またも砲声が鳴り響いた。味方のものではない。敵の砦の端に発砲の火焔が見えた。
空気を裂く音に続いて、元康車の背後で爆発音が弾けた。敵弾が外れ、地面で炸裂したのだ。
「狙われておるぞっ」
叫びながら平八郎の右腰を蹴飛ばす。元康車は履帯をきしませながら右へ舵を切った。
「こ、このまま進むのでございますか?」
裏返った声で聞いてくる平八郎に、元康は怒鳴り返した。
「むろんじゃ! ここで退いてどうするかっ。押せぇ、平八郎っ」
「ひぃぃ」
小さく悲鳴をあげながら、平八郎は戦車を操った。元康車は、逆茂木の列に沿ってそのまま斜面を進んでゆく。
先ほどの砲撃は、おそらく敵の早打砲だろう。こちらの発砲炎を手がかりに撃ってきたのに違いない。
忠次車や他の家臣たちも反撃しているようで、そこかしこで砲声が轟いている。それに対し敵の早打砲も撃ち返し、丘の斜面は激しい砲撃戦の場となった。
ふいに右手の方から甲高い金属音が響いてきた――かと思うと、突如、薄闇の中で火球が膨れ上がった。遅れて爆発音が轟き、熱と共に突風が押し寄せてくる。
家臣の戦車が早打砲からの命中弾を受け、爆発炎上したのだ。
「止まれ!」
平八郎の肩を強く引く。急停車の合図だ。
物見塔から首だけを突き出して敵陣をにらんだまま、砲塔内の方向
先ほどの発砲炎を見て見当をつけた敵の位置に、すばやく砲口を向ける。旋回を止めた元康は砲塔内に身を沈ませ、慣れた手つきで次弾発射準備を整えた。
撃て、早く撃て――。
その願いが届いたのか、敵の早打砲が発砲した。照準筒の視界の中で、一瞬、砲火のきらめきが弾けた。
その光の位置に慎重に狙いをつけ、元康は引き金を引いた。腹に響く砲声に続き、空になった薬莢が自動排莢され、薬莢受けに転がり落ちる。
次の瞬間、照準筒の視野の向こうで、真っ赤な炎が派手に立ち上るのが見えた。
すかさず物見塔から顔を出した元康は、黎明の空に突き上がる炎を背景に、敵の大砲の砲身が吹き飛ぶ瞬間を目撃した。
「仕留めたぞ!」
叫ぶやいなや、次弾装填の作業に取りかかる。
次の目標は敵陣地だ。榴弾を撃ち込んで柵や盾を破壊し、敵の鉄砲足軽を制圧し、味方の足軽の前進を支援するのだ。
本来、戦車とは歩兵部隊の支援のために発明された兵器である。
<百年戦争>終結後、イングランドでは王座を巡る内乱――のちに<薔薇戦争>と呼ばれる戦いが勃発した。
そこでもライフル銃と銃剣を装備した歩兵が猛威を振るい、もはや騎士階級の者たちでさえ馬を下り、銃を装備して戦っていた。
歩兵は壕や土塁で護られた野戦陣地に籠もるようになり、容易に排除できぬ戦場の「王者」となった。
その野戦陣地に無傷で接近し、敵の歩兵どもに銃火を浴びせることはできないか。
そうした研究はライフル銃登場の早い段階から開始されており、<薔薇戦争>の最中のイングランドで、戦車の始祖とも言うべきアイデアが生まれた。
それは、ライフル銃兵が乗った馬車を馬ごと箱状の鉄板で覆い、その<鉄の箱>を敵陣内部まで進ませ、敵兵の側背から銃火を浴びせるというものであった。
しかし<鉄の箱>の中に閉じ込めた馬を御すことは難しく、目標の場所まで進ませることは至難の業だった。
そのため戦車の始祖はアイデア倒れに終わるかと思われたが、ここで一つの革新的技術――もはや奇跡と言っていい技術が、十五世紀末期のイングランドで生み出された。
それが、戦車の動力となる『エンジン(生力炉)』である。
太古から燃える水として知られていた<フューエル>を燃焼させてパワーを生むそれは、鉄の塊さえをも力強く前進させることが可能だった。
さらに、『バッテリー(蓄電池)』、『トランスミッション(変速機)』、『クローラー(履帯)』といった戦車の運用に不可欠な技術も次々と生み出され、その新兵器は実用化に向け一気に走り出した。
当初は歩兵用と同じライフル銃を装備して生まれた戦車であったが、大砲の発射の衝撃を相殺する緩衝装置――駐退復座機が発明されたことにより、大口径砲の搭載が可能となった。
西暦1485年、<薔薇戦争>中のボズワースの戦いにおいて、ランカスター家のリッチモンド伯ヘンリー(のちのヘンリー7世)は、丘の上に築かれたヨーク家の陣地に戦車四輌を突入させ、国王リチャード3世の軍勢を打ち破った。
これが、世界史上初めて、『ウォー・ワゴン(戦車)』が実戦投入された事例となった。
東の空から広がった黎明の光が、丸根砦であったものを、丘の上に浮かび上がらせていた。
物見櫓や柵は倒壊し、陣屋は炎を噴き上げ、郭のそこかしこは巻き上げられた土砂に埋もれていた。
戦車三輌からの砲撃を浴びた砦は、もはや防御施設としての機能を完全に喪失していた。
戦車とは恐ろしい物よ――。
砦であった場所へ殺到する味方の足軽を見やりながら、元康はかすかな震えを覚えた。
その時、郭の端に群がっていた足軽が、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑いはじめた。
戦車だ。
陣屋の残骸を蹴散らしながら、その鉄の塊は現れた。織田方の戦車が、砦の中に隠れていたのだ。
断崖のように切り立った前面装甲と、その左右から前方に長く突き出た両側の履帯からして――
旧式の八九式中戦車だろう。南蛮渡来の戦車を参考に、はじめて国内の戦車鍛冶によって開発された戦車だ。
当初は単に「八九式」と呼ばれていたが、のちに軽量小型の「九五式」が開発されたため、後者を「軽戦車」と呼び、前者はそれよりもわずかに大きいという意味で「中戦車」と呼ばれるようになった。
中戦車を越えるさらに大きな戦車も絵図面だけは引かれたというが、いまだ実用化されてはいない。なぜなら、それだけ大きな車体を駆動させるのに必要な、大馬力の生力炉が開発されていないからだ。
戦車とて、万能ではないのである。
しかし、たった一輌の戦車で戦況を覆しうるのも、また事実であった。単騎だからといって見逃すわけにはいかない。
のっそりと柵の残骸を乗り越えたその戦車は、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
おそらく、ここを任された守将が砦に持ち込んでいたのであろう。彼らにとっての<虎の子>は、早打砲ではなくこちらであったというわけか……。
「よかろう、相手になってやるわ」
戦いの興奮から目を血走らせた元康は、車内に潜り込んで声を張り上げた。
「行くぞ、平八郎!」
「へっ?
「痴れ者が! あれに見えるは敵の大将かも知れぬではないか。これを討たずしていかがするっ。手柄じゃ、手柄が我らを呼んでおるのじゃ!」
元康は平八郎の肩を激しく揺さぶった。
こくこくと強制的にうなずかされた平八郎は、肩をすくめながら、渋々といった様子で戦車を前進させはじめた。
「いざ征かん!」
元康は物見塔に戻り、手にした太刀の切っ先を八九式中戦車に向けた。
その鋭い眼光が、敵戦車からそらされることはなかった。
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