信長甲機 ‐武者が戦車でやってきた‐

ARA-YO

第1話 壮烈! 松平戦車隊・その一

 なだらかな丘陵を縫って吹きくる風は、わずかに湿り気を帯びていた。

 東の空には仄かに黎明の先触れがにじんでいるが、前方の景色は薄闇の中に溶け込んだままだ。


 永禄三年(西暦1560年)五月十九日の夜明けまで、今しばらくの刻があるだろう。


 松平蔵人佐くらんどのすけ元康は闇の中で鼻を鳴らし、匂いをかいでいた。鉄と油の匂いに混じり、微かに雨の気配がある。

「……降られるかもしれんぞ」

「ただちに降るのであれば、こちらの陣押しを誤魔化せましょうが」

 元康ののすぐ側に立ち、こちらを見上げている家臣――酒井小五郎忠次が、生力炉しょうりきろの鼓動に負けぬよう、声高に応じる。

「肌に触れるこの気配であれば、すぐには降りますまい。日が昇ってからでありましょうな」

「そんなものか」

 戦車の砲塔上面に設けられた物見塔――南蛮風に言えばキューポラ――に立つ元康は、薄闇の向こうの敵陣に目をこらした。

「……しかとは見えぬ、か」

 目をこすろうとして、自分の手が震えていることに気づく。

「武者震いでござりますな」

「お、おう! 決まっておろうが」

 忠次にも気づかれていたことが情けない。

「無理もございませぬ。かような大きな戦さ、殿は初めてですからな」

 まるで童に言って聞かせるような口調が癇に障る。が、それも仕方がない。

 元康は数えで十八の若武者だった。初陣を飾ったのは二年前。

 対する忠次は亡父・広忠の代からの家臣で、幾度も戦さを経験している。童のように扱われるのも当然だった。


 小さく震える手でグッと物見塔の縁を掴み、元康は敵陣の方角をにらんだ。

「籠もっておるのは小勢であろうが……」

「四、五〇〇と聞いておりまする。厄介なのは、戦車に備えた壕でありましょう」

「我らの車で乗り越えられようか?」

「難事であっても超えねばなりませぬ。我が松平の御家のため。今川の御館様も、ほれ」

 忠次は東の方角を指さした。

「あの辺りの小山の上から、ご覧になっておりましょう」

「心得ておるわ」

 古株の家臣の小言じみた物言いに、元康は思わず舌打ちしてしまう。

「じゃが小五郎よ。この闇じゃ。我らの奮闘をまことにご覧いただけておるかどうか、判ったものではないぞ」

「なんの、敵方の砦から火の手が上がれば、遠くからでも見えましょう。それに、我らが砦を落とす頃には日も昇っておりましょう」

「……この手勢で落とせるか?」

 生力炉――南蛮風に言えばエンジン――の低い響きに邪魔されて聞こえないが、忠次が嘆息したことは、はっきりと判った。

「なんと情けなや。かように気弱では、松平家の再興も危うきものでござりますぞ。それがし大殿より……殿の亡き御父上より、松平家の行く末を――」

「判ったわかった」

 面倒くさそうに手を振り、元康は眉を寄せる。

「口酸っぱく言われずとも心得ておるわ」

「なれば結構。それがしも車に戻りまする」

 籠手と佩楯のみという小具足姿の忠次は、満足げな笑みを浮かべて一礼すると、元康車の側から駆け去った。


 元康は今一度、敵方の砦──丸根砦をにらみ見た。敵対する織田方の砦である。

 この年、若き元康が当主をつとめる松平家は、駿河・遠江・三河の三国を支配する今川家にくみし、織田家勢力下の尾張へと侵攻していた。

 与する……とは言っても、対等な同盟者ではない。今もって松平家は、三河に根を張る弱小国人(地方豪族)に過ぎない。

 東海の地で勢力を拡大する今川家に臣従し、その手先となって働かねば、御家を守ってゆくこともできない。

 今も元康ら松平勢およそ一〇〇〇は、織田方の最前線である丸根砦を攻め落とすよう、尾張攻めの総大将――今川家・前当主である今川 治部大輔じぶのたいふ義元から命じられているのである。

 ここで手柄を立てれば、松平家の本拠である岡崎城を取り戻すことができるかも知れない。その城と城下は現在、今川家の支配下におかれ、今川から派遣された城代によって治められているのだ。

 それを取り戻し――いや、手柄が大きければさらに松平家の領地を広げることもできよう。そして、ゆくゆくは三河一国さえも――。

 渇いた唇をなめ、元康はさらに皮算用を重ねる。

 今川の御館様は、尾張をも呑み込みなさる腹じゃ。さすればこのわしにも、尾張の領地がいただけるかもしれぬ。

 三河一国に尾張の一部。それだけの領地があれば、大名として名乗りを上げることも夢ではない。

 それにはまず――

「手柄じゃ! 何としてもあの砦を落とすぞ」

 景気づけに叫んだ元康は、軽く頭を振って先走る想いを振り払った。今は眼前の敵にのみ、狙いを定めねばならない。


「なれば……行くぞ」

 車内の踏み台に足をかけて物見塔から半身を乗り出していた元康は、いったん車内に潜り込み、操手あやつりて(操縦手)の本多平八郎に声をかけた。

常歩なみあし(時速にして約七キロ)にて進め」

「はっ。……なれど、この闇の中を押し出すのでございますか?」

 声が震えている。数えで十三、元服したばかりの平八郎は、これが初陣だった。

「決まっておろう。押し出さねば、手柄は立てられぬぞ」

「なれど……」

 暗い車内ではよく見えないが、平八郎が泣きそうな顔をしていることは、容易に想像がついた。

 初陣で、しかも大将の車の操手という大任に、緊張してしまうのは当然だ。しかし平八郎の場合はそれだけではないことを、元康は理解していた。

「励め、平八郎。ぬしを頼りにしておるのじゃ」

「は、はぁ」

 幼い頃より仕えるこの若武者の気質をよく知る元康は、その肩を掴んで揺さぶった。

「ぬし以外に、わしの車を任せられる者はおらんのじゃ」

 この平八郎、恵まれた体格に似合わず、どうにも気弱なところがある。それでありながら戦車の操作については、家中でも一、二を争う腕を持つ。それに――。

「さあ、行け。ぬしが操れば百人力。大将首の二つや三つは容易く取れようぞ」

「さ、さようでありましょうか……。まあ、殿がおっしゃるのであれば」

 語尾に力が込められるのが判った。元康はニヤリと笑う。平八郎は、おだてに弱い。

「頼むぞ!」

 平八郎の肩を叩いた元康は、すぐさま再び物見塔から身を乗り出し、すばやく左右に目を走らせた。

 こうした動きがし易いよう、戦車に乗り込む武者は皆、籠手と佩楯のみの小具足姿が常態となっていた。頭には鎖で編んだ頭巾をかぶる者もいるが、今の元康のように鉢金を額に巻くだけの者も多い。

 辺りを監視する間に、それまでは鼓の音を思わせるものだった生力炉の律動が、馬のいななきにも似た低い唸りへと変わった。

 砲塔の背後――車体後部に納められた一二〇馬力の生力炉により、元康の戦車はゆっくりと前進を開始した。


 元康ら、松平勢に今川家より御貸しされた四輌の戦車は、九五式軽戦車と呼ばれる物で、その名が示す通り軽量小型の戦車だった。

 両側面に笠を思わせる半円形の張り出し装甲がついた、人の背丈ほどの高さの車体に、茶碗をひっくり返したような砲塔が乗っている。

 最初の一輌が皇紀二一九五年(天文四年・西暦1535年)に製造された――これを「打つ」と称した――ため、その製作者である戦車鍛冶によって、「九五式」と名付けられた。

 皇紀とは、かつて南北に別れて争った朝廷が再びの合一をみた明徳三年(西暦1392年)に、神武天皇即位の年を元年として定められた日本固有の紀年法である。

 相模国の島田派によって最初に打たれた九五式は、たちまち各地の戦車鍛冶によって模倣され、今では諸国の軍勢の中でも、ありふれた戦車となっていた。

 街道であれば「襲歩しゅうほ(時速約四〇キロ)」での走行が可能で、最厚部で一二ミリの装甲は、国内産の足軽鉄砲の弾を容易に弾き返す。

 砲塔には口径三七粍の戦車砲が一門装備され、砲塔後部と車体前部には、近寄ってくる足軽を追い払うための鉄砲が一挺ずつ備わっている。

 狭い車体内には、戦車を操る操手と、鉄砲を撃つ役目の鉄砲手の二人が腰かけ、砲塔内には戦車砲の放手はなちて(砲手)と込手こめて(装填手)も兼ねる、一人三役の車頭くるまがしら(車長)が陣取っている。

 もちろん元康は車頭であり、それと同時に松平勢の大将として、約一〇〇〇の手勢の全てに下知を下さねばならなかった。三役どころか四役である。


「殿!」

 その声の方を見やれば、後方から追い上げてきた別の車が並走してきた。

 一人の武者が砲塔の天蓋――南蛮人が言うハッチ――を開け、小具足姿で身を乗り出している。その車の砲塔後部には「五」の字を描いた旗指物が立てられていた。

 戦さ場での伝令を務める使番つかいばんである。

 彼らが乗車するのは戦車よりも小型で、大砲を装備していない「装甲車」と呼ばれる車だった。

 松平家が唯一、自弁で保有するそれは、九五式軽戦車とほぼ同じ時期に打たれた九四式軽装甲車であった。

 九五式よりもさらに小さな、前面が傾斜した楔形の車体には、鉄砲を一挺備えた小型砲塔が乗っている。

 足軽の支援や大砲の牽引に用いられることもあるが、小回りの良さを活かし物見(偵察)や使番に使われることが多い。

 戦さ場においては、戦車同士の連絡を取りあう手段が限られる。通常は部大将が手にする采配を振るか、あらかじめ意味を定めておいた小旗を砲塔に立て、手勢の進退やその時機を知らせる。

 しかし、それらの方法では細かな下知までは伝えられない。

 そういった場面や、現在のような見通しのきかない状況では、戦車を有効に活用するためにも、使番の働きが何よりも重要だった。

「これよりさらに陣を押す! 手筈通りと伝えよ」

「はっ」

 豆戦車などと称される小型の装甲車が車体を巡らせ、薄闇の向こうに遠ざかるのを見やった元康は、改めて北の方角──敵砦の方角に目を向けた。

 車内に提げていた太刀を取りあげ、ゆっくりと鞘から引き抜く。すうっと深く息を吸い、未だ暗い空に切っ先を突き上げた。

 さらに一呼吸置き、

「戦車、押し出せ――!」

 叫ぶと同時に車内右側に座る平八郎の肩を軽く蹴飛ばした。それを合図に、一度伸び上がるように車体前部を浮かせた九五式軽戦車が、履帯を唸らせ速度を速めた。



          ※          ※



 周囲の丘の斜面に生力炉の轟音が響きはじめたことで、丸根砦に詰める織田方の将士は、今川勢の陣押しが開始されたことを知った。

「さように固うなるな」

「へ、へぇ」

 鉄砲足軽の小頭こがしら(小部隊長)に声をかけられ、藤吉郎は余計に身を固くした。

 くるわと呼ばれる砦の防御区画の最外縁部に、藤吉郎は鉄砲を手にしてうずくまっていた。郭の中央辺りでは篝火がたかれ、物見櫓に登った物見が周囲を見張っている。

 尾張と三河との国境にあり、現在は今川方となっている大高城を、東側から牽制する目的で築かれた砦が丸根砦であった。

 小高い丘の頂部に設けられた郭の周囲には、深い壕が掘られ、郭の外縁部には高い柵と、表面に鉄板を張った木製の平盾が巡らされている。

 盾に鉄板が張りつけてあるのは、鉄砲の弾による貫通を防ぐためである。とはいえそれも、戦車の主砲で撃たれでもしたら一溜まりもない。

 金切り声と竹束を踏みしだくような音が混じり合った轟きは、紛れもなく戦車が陣押ししてくる音だ。


「案ずるな。我らには、あの早打砲はやうちほうがある。戦車でも容易には近づけまいて」

 小頭が指差した郭の端の一角に、三方を土塁に囲まれた大砲が静かに鎮座していた。

 基本的には戦車が搭載する主砲と同じ造りの早打砲は、城攻めに使用される大砲に比べて口径が小さく、砲弾も軽い。そのため装填速度が速く、早打ちが利く。

 口径は小さくとも戦車相手には充分な威力を発揮する早打砲は、城や砦に備えつけるだけでなく、繁みや窪地に隠して待ち伏せに用いられることも多く、戦車にとっては天敵ともいえる存在だった。

 その早打砲がこちらにあれば、小頭の言うように敵も容易には近づけまい。

「戦車はあの砲に任せて、お前は押してくる足軽を一人でも多く撃ち倒せ」

「へ、へぇ」

「手柄を立てれば、次の戦さではお前も小頭になれるかもしれんぞ」

「わ、わしが……」

 己が頭となり、他の足軽どもを率いる姿を想像した藤吉郎は、思わずニヤけてしまう。

 同じ足軽身分でも、臨時雇いの兵卒と違い、小頭は扶持(給与)を得て織田家に雇われる身だ。明日の食い物を心配することもなくなるだろう。

 つい先ほどまでは、戦さを前にした緊張と恐怖で身を縮こまらせていたというのに、藤吉郎は今や、手柄を立てられるかもしれぬという興奮に身を震わせていた。


「じきに敵勢の姿が見えてくるぞ!」

 一際大きな声が響いてきた。聞き覚えがある。この丸根砦の守将、佐久間盛重の声だ。

「持ちこたえておれば、必ずや御館様が後詰ごづめ(救援)に駆けつけてくださるわい」

 盛重は各所をまわり、士卒を鼓舞しているようだ。その声には歴戦の武将らしい余裕の響きがある。

 盛重の言うとおり、後詰があるまで持ちこたえることができれば、恩賞に与れるかもしれない。

 手柄を立てて小頭となり、ついでに恩賞もいただく。そんな都合のいい話も、この乱世であれば世迷い言ではない。

 この銃があれば、わしにだって……。藤吉郎は土塁の内に身を隠し、銃をかまえた。

 織田家に正式に雇われれば、おかあにひもじい思いをさせなくてすむ。いい着物べべだって買ってやれる。いやいや、さらに武功を重ねれば、わしだっていつかは城持ちになれるかもしれねぇ。

 その機会を与えてくれた――尾張に攻めてきた今川家に、感謝すらする藤吉郎だった。

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