第26話まことの妊娠 二

 あの女の口から出てくる「孫」の数が増えるころ、私は妊娠が判明した。

 相手は私の職場も素性も知らない。互いの行方も闇の中。相手が男であれば、どうでも良かった。

 宇宙人に素肌を触られ、密着する行為に抵抗はあった。正直に言うと、体を揺さぶられたときは特に気持ち悪かった。

 ここまでしなければ、子宮に小さな命など宿らない。けれど不思議なことに、男が入ったところに無垢な存在があるだけで、心が温かくなる。守らなければ、と思う。こんな感情は、亡き父を介護したときや、娘として大事におもわれているという実感に似ている。

 あの女は、私を身ごもったとき、どう感じたのだろう。

 かつて自分を着飾ることに夢中だったはずだ。面倒になったとでも愚痴をこぼし、私は胎内で聞かされていたのかもしれない。

 そうでなければ、当時十二歳の私を捨てることなどできなかったはずだ。

 私は決してあの女のようにならない。この子を大事に守ってみせる。

 誓いの愛撫が胎内に届くことを願った。


 妊娠判明の翌日、私は職場と関連経営の介護施設の上司に報告し、業務上の理由でその日のうちに産休育児休暇を得た。また、あの女の介護は、出産の一年後まで、施設に完全に任せることになった。

 それまでは、あの女との接触は面会という名目になる。これに便乗して、私は早速妊娠の報告をした。

 女は早くも孫の誕生を喜んだ。高齢者に紛れさらに老いた顔の上で、皺の形が歪んだ。

 この女には、相手から子どもの認知が得られないことにしているので、その通りに伝えた。

 すると今度は、眉間の皺が新たにくっきりと刻まれた。いまだに他人の財産に目がくらんでいるのかと、私は怪訝した。

 「やっぱり、あたしとあんたは血が繋がっているのね」

 意外なことに、女の目は欲でぎらついていなかった。ため息をつく姿に、私は拍子抜けした。

 「……どういうこと?」

 私が尋ねても、女は即答しなかった。介護士を呼び、施設内の庭まで車椅子で自分自身を移動させた。私が同伴し、部屋に戻るときは介護士を呼ぶという条件で。

 「さっきの話だけどね、あたしもあんたと同じなのよ。妊娠が分かる前に別れたからね。向こうは今でもよろしくやっているかもしれないけれど、当時のあたしは未練たらたらでさ。それで名前、まことっていう字をひらがなに変えて、そのままあんたに名付けたのよ。でも……」

 自分の名前の由来を初めて知った。男みたいな名前を適当に付けたと思っていたので、読んで字のごとく意外だった。さらに驚いたのはーー。

 「あたしは男運が悪かったんだ。やけになっていたころは気付かなかったけれど、あの人だけが良かった。両腕がない体と財産に目を瞑っていれば、包容力に気付いていたかもしれない。この施設に世話になることもなかっただろうに」

 この女に、情というものが存在していたことだ。だからこそ私の実父が離れた虚しさを埋めるために、着飾り他の男を寄せ付けていた。それでも相手に恵まれず、さまよい続けた。

 実子の私は女に心を開いていなかったので、離すばかりで誰も女の手を握らなかった。

 この女に悪意さえなければ、亡き父秀丸だけは空気の両腕で女を受け止めたかもしれない。うさぎの富美子たちにそそのかされたばかりに、それが叶わなかった。

 それを、己が失った両腕と私の妊娠でようやく理解する。なんという皮肉なことだ。

 「本当に、優しい人だったよ、お父さんは。私たちにもったいないくらい」

 さらに女を後悔させようと、義父ちちと呼び、私と女の血縁を強調した。

 女を操るための言葉だったが、これは本心でもあった。

 顔も知らない男ではなく、秀丸と血縁があればどんなに良かったかと、何度も思う。

 要介護の生活はやむを得ないとして素直に感情を出せたかもしれない。上辺だけでも学校での友人がいて、テレビで目にする、自分で選んだ結婚について口論することも夢ではなかっただろう。この妊娠においても、男性と肌を重ねることに抵抗や不快感を抱かずに済んだのに。

 この子に女や私のような人生を歩ませてしまうのではないかと、私は今ごろになって不安を抱いたーーこの子が生まれ持つ使命は別として。

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