第25話まことの妊娠 一
約二週間後、あの女は重度の患者を受け入れる介護施設に入居した。
そこは私の職場ではなく、系列経営の別の施設だ。
女性が多い職場で、姓の違う母について根掘り葉掘り聞かれるのは、私の仕事に精神的な支障が生じるだろうという、経営者でもある医師の判断だ。
また、私も望んでいたことだった。
私が勤める介護施設に入居する人は多くが六十代で、まれに七十代の人がやって来る。
一方、あの女が入居した施設では、入居者は若くて七十代で、八十代の人が半分以上いる。
さらに痴呆症の人が多く、過去の価値観が強い人たちに囲まれた環境の中で、あの女が受ける影響を想像できる。そのために、休日は私が自宅であの女が世話をすると、経営者に名乗り出た。
「あんた、デートする相手もいないの? 一生、独り身でいるつもり?」
女が呆れたようにため息をつく。
けれど「お前もだろ」とは答えない。ただ献身的に思わせるよう、女の身の回りの世話をする。
両腕のない人に関しては、幼いころの経験が活かされている。そのため、女の心を操るのは造作もないことだ。
「いないよ。それより放っておけないじゃない。昔からの美人が、そんな風に辛そうにしていたら」
図星を指されたと、女は自分の眉間に皺を寄せていた。かつての夫のように、両腕のない不自由さに、もがいているのだ。父もそうだった。私の涙を拭ってやれない、と。
けれど父とは明らかに違う。この女は、人を思いやるどころか、
どんなに介護をしても、この女を許すことはできない。むしろ、心の中で渦巻く憎しみに勢いがましている。
それでも私が平静を装っていられるのは、どんな患者に対してもベストを尽くす、という介護士としてのプライドがあるからだ。決して、うさぎの富美子のようにはなりたくない。
復讐を遂げるためにも必要なことだ。
私は休日の度、頻繁に口にするよう心がけている。
辛いね。苦しいね。寂しいよね。
少しずつ言葉を刷り込ませることで、女が入居している施設で受ける影響を待ち、間もなくそのときが来た。
「まこと、男としないのかい?」
「え、何を言っているの? 急に……」
あの女はセックスの話を切り出した。そして私はかぶりを振った。
「周りのばあさんたちがね、孫の話ばかりするんだよ。それも同じ内容を何回も。自分の子どものことなんか忘れてさ。だから、介護士のあんたも、職場で同じようなこと言われているんじゃないかって思ったんだ」
図星だった。私はこの女の身元引受人になった後も周囲から結婚の催促を受けている。
職場では女について公にしてはいないが、系列経営の施設同士、何かの弾みで情報が漏れたのだろう。結婚の催促に「ハハ」をも受け入れる包容力のある男性、という条件が加わっているのだ。
プライベートを荒らされ、本来ならば不快に思うところだが、私にとっては好都合だった。
要介護の他人を抱えてまで結婚をする物好きなどいるはずもない。私の結婚は現実化などあり得ない。また、私自身が望んでいない。
私にとって、男とはただの種ーー。
私は素性も知らない男に身を委ねた。
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