第23話再会 三

 「お疲れさま。田川さん、今度の休み、私の同級生が合コンを開いてくれるんだけれど、行かない? お互い、独り身だしさ」

 「誘ってくれてありがとう。でも、ごめんなさい。私、どうしても外せない用事があるの」

 「うーん、いつもそればっかり! でも先約があるなら仕方がないね」

 同期の介護士が、定期的に私を誘う。彼女は交際相手が頻繁に変わる。運が良くないとも言える。

 けれど介護士の仕事は心身ともにハードなので、己の疲労はもちろん、相手のことをいたわることができず、すれ違いや喧嘩に発展してしまうことがよくある。彼女の貞操観念だけを疑う筋はない。

 介護士でなければきっと良い相手に恵まれていただろう。彼女は本来竹を割ったような性格であり、自分の気持ちに嘘をつけない。それでいて人懐こいとなると、男性が放っておけないタイプのようだ。

 彼女のような性格はありがたいが、男性の庇護欲は私には理解できない。

 わざわざ頭数を揃えて、男選びに時間を費やすことに関しても同じことが言える。

 私には、より大事な、大事な使命があるのだ。


 休日、私はビルに内設されている事務所を訪ねた。

 中では中年男性が待っていて、同じく中年女性がお茶を出してくれた。二人は夫妻で探偵事務所を経営している。ここが、休日の度に私が通う場所だ。

 「……それで、どうですか? 所在は」

 私は、ここで結果に怯える繊細な女性を演じている。生き別れの「母」に、どうしても会いたいけれど、私のことを覚えていてくれているかしら? と。

 男性探偵は人の良い笑顔で頷き、鼻の下のひげが漢数字の一になろうと、唇の両端が上がった。

 「お母さまはお元気でいらっしゃいますよ。現在はお独り身のようですが、それまでのことは……お聞きになりますか? 恐らくショックを受けられるかと……」

 あの女が生きている聞き、私の中で黒い渦が巻いた。憎しみがより強い憎しみに呑み込まれていたのだ。

 けれど、それは表面には出さない。まだ「そのとき」ではない。

 私は祈るように両手を組み、無言で頷く。勇気を振り絞りますと言わんばかりに。

 すると探偵夫妻は互いに見合わせ、男性が語り始めた。私の演技は見事に通じたということだろう。

 「先ほどはお元気だと申し上げましたが、少し訂正させてください。確かにお母さまはご存命ですが……両腕を失っていらっしゃいます」

 私は目を見開いた。父と離婚した日、あの女には確かに両腕があったはずだ。

 「やはりショックでしょう」

 とんでもない。ここはやはり拳を握って喜ぶべきだ。けれど今いるこの場所ゆえに、その気持ちを心の中に留めておく。

 「今日のところ、ご報告はここまでにいたしましょうか?」

 探偵夫妻が口を揃えたが、私はビルに首をゆっくりと横に振った。

 あの女の性格では、体の不自由さで苦しんでいるに違いない。これはチャンスだと確信したからだ。そのための情報は必要だ。

 「あなたと生き別れた後、お母さまの同棲や結婚相手は目まぐるしく変わりました。ときにはいかついお方とも……。それが最近、交通事故に遭われ、両腕の損傷が激しかったようで、やむを得ず切断を。以降、お母さまは病院に入院され、男性の影が途絶えました」

 さらにあの女の入院先を知り、私は報酬として夫妻に札束の入った封筒を手渡した。

 私が高校時代にアルバイトをしていたのは、この金のためでもあった。それでも総収入はたかが知れていたので、父の遺産の一部からも捻出した。

 「生きていると分かっただけでも……ありがとうございました」

 私の言葉に、嘘はなかった。今後取るべき行動に目途が立ったのだ。手渡した金で、あの女をさらに苦しめることができるのだ。この夫妻に感謝しない人など、一体どこにいるのだろうか。

 私は事務所後にし、早速病院に向かうことにした。ここから電車で一時間ほどの距離だが、十二歳のときのように乗り物に酔う可能性は低いだろう。ドラッグストアで薬を買うだけの余裕があるからだ。

 水なしで服用するタイプを購入し、電車に乗るとき、胸が高まった。

 やっと、あの女に復讐ができるのだ。体の状態によっては多少計画を変更する必要があるが、きっと父の無念が果たされるだろう。少なくとも、両腕を失っているのだから。

 電車から降りると、駅の正面に病院が建っている。ここだ。

 脇目を振らず大股で向かうと、病院の入り口で阻まれた。

 「やはり、来られましたね。まことさん」

 私のかつての保護監督者である男性、吉田清仁に。

 父の遺産凍結が解消されて数年経つが、相変わらず黒縁のメガネをかけ、黒いスーツの襟には菊が咲いている。今も弁護士として活躍しているのだろう。

 「お久しぶりです。あの……『やはり』とは?」

 「とぼけてはいけません」

 私は吉田さんに会釈してから、知らぬふりで聞いてみた。けれど、彼は鋭く一蹴した。

 「あなたはもう、子どもではない。むしろ、介護士として立派に社会に貢献していらっしゃいます。恐れながら昔馴染みとして、あの方と会わせるわけにはいきません」

 私がここに来た理由を心の中で渦巻く感情を察しているのだ。

 「生前、秀丸さんから度々お聞きしていました。まことさんが聡明でお優しい方だと。実際にお会いして、僕も共感しました。だからこそ、成人された後も、心が闇に侵されないようお守りすることをお約束したのです。ですからお父さんは……」

 とっくの昔に侵されていますよ、とは答えなかった。それを聞けば、生真面目な吉田さんのように、入り口の障害がますます強固になってしまう。

 それとは別に、彼が途中で口を閉ざしたことが気になった。私が、舌切り自殺という父の最期に遭遇したにも関わらず。

 彼は、相手がどんなに落ち込んでいても、伝えるべきことはしっかりと伝え、そのタイミングを決してずらさない。現状のように。

 それがなぜ、自殺という言葉すら出なかったのだろう。

 「あなたに答えるべきことではありません。お父さんのご遺言ですので、どうかご理解を」

 この発言に、さらなる違和感を抱いた。今思えば父の死は、児童養護施設のテレビで一切報道されることはなかった。見知らぬ犯罪者や被害者の情報は流れても。

 施設の周囲でマスコミを一人も観なかったということは、恐らく新聞やネットでも父の存在は知られていない。

 そもそも、生前の父は常に周囲に気を遣った。血縁のない私のことを大事に思ってくれた。あの女に突き放された日は特に。そんな人が、いきなり幼い子どもを一人にするだろうか。

 父の親族は、白と緑の絨毯じゅうたんで囲まれた家の住人、従兄夫妻だけだというのに。

 「……分かりました。帰ります」

 彼の前では、思考が見透かされ、即座に言葉で制される。私は一度引き上げるべきだと判断した。

 「よかった。ところで、お帰りの手段は?」

 「電車です。慣れない地理で迷っては、車のガソリンがもったいないので」

 「そうですか。やはりまことさんは聡明でいらっしゃいますね」

 この日、吉田さんはこれ以上何も言わなかった。どれほどの恩があっても、男性と二人きりで車に乗りたくなかったので、助かった。

 私が駅に向かい電車に乗ると、吉田さんはようやく入り口から離れ、車で病院を発った。

 電車の車窓から見る夕日は、鮮血に近い色だった。

 帰宅後、一晩考えた私は、あることに辿り着いた。

 父の従兄夫妻は、自宅の庭で大量のスズランを育てていた。

 私が田川家にやって来る以前より、水で極限まで薄めた有毒成分コンバラトキシンを微量ずつ食事に盛っていた。

 義従姉であるうさぎの富美子は既婚者なので、父の遺産を手に入れるため、あの女を父の配偶者として迎えた。介護は私に任せるという条件で。

 けれど二人の年増は仲違いし、あの女は田川家を去った。

 捨てられたという現実に私が涙した後、父は吉田さんへ電話をかけさせた。

 当時すでに体が弱っていた父は、あの女と離婚する前から、従兄夫妻との三人の企みに気付いていたのだろう。

 そして父は、私が三人を憎まず自分だけを責めるよう、登校中に自ら命を絶った。離婚届、養子縁組、遺言の録音などを済ませてから。

 父の準備はそれだけではなく、財力で医師、警察、報道関係者の干渉を一切断るよう制圧した。

 弁護士として、吉田さんは父の最期を予測していたはずだ。

 うさぎの富美子によるさらなる毒盛りを防ぐため、私が学校に通っている間、田川家にいてくれた。

 けれど、予想外のことは防ぐことができなかった。

 弁護士は複数の依頼人を抱えている。本来は父一人のためだけに時間を割けられるほど暇な仕事ではない。田川家に関係のない依頼は私が帰宅してから行っていたのだろう。彼の絶えない目の下のクマがその証拠だ。

 父の死亡時刻は明確ではないが、恐らく私が登校中、なおかつ吉田さんが私の下校に合わせて田川家を出た後だろう。確実に私が第一発見者となるために。

 そして、父のシナリオ通りになった。私が取り乱し、大声につられて吉田さんが田川家に駆け付けた。

 そこまで推測したとき新たな疑問が浮かんだ。

 当時十二歳の私は気付かなかったが、変わり果てた父に向かって大声で叫んでも「うるさい」の一言もなく、隣家の従兄夫妻、田川英男もうさぎの富美子も来なかった。

 二人が病院に現れることもなかった。

 英男はともかく、うさぎの富美子を見たのは、父とあの女の離婚前々日が最後ということだ。

 吉田さんが父を訪ね始めたのはその後だが、少なくとも私の前では従兄夫妻のことを一切口にしなかった。

 成人して数年後、精神的に安定してきた年ごろになっても、彼は二人の消息を伝えることはなく、私の前で言葉を濁した。

 つまり、父の死よりも先に、何らかの方法で秘密裏に処分したということになる。私の「ヤサシイ」心を守るために。

 そんなものをすでに捨てた私にできることは、あの女への復讐のみ。

 それを先日、生真面目で遺言に忠実な吉田さん阻止された。

 同じ失敗は二度も繰り返したくない。

 良心を偽った復讐を遂げるには、どうしたら良いだろうか。

 職場でヒントを拾い、なおかつ介護士として通常通り働き、次の休日を待った。

 そして休日前夜、大まかな作戦を練り上げた。

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