第4話 あの日の決意



「君とは一緒に居られない。」


 翌日の朝。

 朝靄がかかる城下町。

 シンデレラの家の前で、エクスは彼女と対面していた。


「どうして?」


 ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、シンデレラが囁くように言う。

 粗末な服も相まって、泣きそうな表情のシンデレラの姿はあまりにも不憫で。

 エクスはぎゅっと胸が締め付けられるのを感じた。


「ほかに好きな人がいるの? わたしじゃ、ダメなの?」

「いや、君のことは大好きだよ。文字通り、これ以上ないほどに。」

「じゃあ、なんで…」


 エクスは昨晩ずっと悩んだ末にやっと出した結論を、シンデレラに伝えた。それは決してシンデレラの励ましになり得るようなものではなかったが、シンデレラを傷つけないように嘘を付くことなどエクスにはできなかった。


「…君はこの国の王子と結ばれる。そういう運命なんだ。運命を持たない僕は、君の隣にいるべきじゃない。それに―――」


 言いかけたエクスだったが、シンデレラがいきなり大声を上げる。理不尽を受け入れられない幼子のように、シンデレラはいやいやと頭を振って慟哭する。


「いや…嫌よッ! わたしは運命なんて信じない。わたしはわたしの意志で! あなたのことが好きなの! あなたに恋をしたのよ! そんな言い訳じみた言葉は聞きたくないわ!」


 その瞬間。

 シンデレラの姿が変わり始める。


 着ている麻の服は、真っ黒なドレスに。

 髪は風を無視して不自然にたなびき。

 体はどんどん大きくなって。


「どうしたんだシンデレラ!」


 エクスがそう叫んでも、シンデレラからの返答はない。


「…エクス、ずっと一緒にいて? お願いだから、わたしを一人にしないで…」


 シンデレラはただ泣き笑いのような表情を浮かべながら、そんなことをつぶやき続ける。その間にも、シンデレラの体を黒い靄が覆っていく。


 エクスにはこの光景に見覚えがあった。

 今までエクスたちが戦ってきたもの。物語の運命を狂わせる、エクスたちの敵。


 エクスは一人、そんなシンデレラの姿を呆然と眺めながら、ひざから崩れ落ちる。


 カオステラー。


 愛するシンデレラは、カオステラーという名の悪魔に憑りつかれてしまっていた。



 *****



 話は数分前に戻る。

 レイナたちは物陰からシンデレラと対面するエクスの様子を見ていた。


「何よタオ。こんなところに連れ出して…って、あれはエクス?」

「お。タイミングばっちりみたいだな。」

「女の人と一緒にいるようですね。あの人がどうかしたんですか、タオ兄?」


 頭の上に疑問符を浮かべながら首をかしげるシェインに、タオが笑いを堪えながら言う。


「坊主と一緒にいる女はな。あいつの初恋の人なんだってよ。」

「えぇー!! 初恋――――もごっ!?」

「声がでけぇよ、お嬢。気付かれちまうだろ。」


 叫び声を上げそうになったレイナの口を押えながら、タオは続ける。


「昨日、あの子に告白されたらしいぜ。もしかしたらあいつはもう俺たちの旅には着いて来こないかもしれないな。」

「……」


 タオの言葉を聞いて、ポカンと口を開けたまま固まるレイナ。衝撃の事実に思考が停止してしまったらしい。


「…そうなの? 本当に?」


 しばらくして意識を取り戻したレイナが、すがるような目でタオを見ながら尋ねる。今にも泣き出しそうなレイナの表情を見て密かに笑いを堪えながら、タオは楽しそうに言う。


「ショックか、お嬢? そうだよなぁ、なんつったってお嬢はあの坊主のこと―――」

「ちょっとタオッ!」

「いいじゃねぇか。みんな知ってることだぜ?」

「そういう問題じゃないでしょ! わたしは―――」


 そうやってエクスに気付かれないように小声で言い争うレイナとタオだったが。


「…? なんだか様子がおかしくないですか?」


 ずっとエクスの方を覗いていたシェインに、突然会話をさえぎられる。


「なんだか、シンデレラってひとの雰囲気が変なのですが…」

「なによ、こっちはそれどころじゃ……って、あれはカオステラー!」


 シェインの視線を追って、レイナは驚きの声を上げる。エクスの目の前には、先ほどまでとはまるで別人に変貌した、黒い靄を身にまとう女性が立っていた。



 *****



 エクスの耳に、背後から駆け寄ってくる何者かの足音が響いた。


「エクスッ! 彼女はカオステラーに侵食されているわ! 彼女の体からカオステラーを追い出さないと、物語が滅茶苦茶になる!」


 徐々に近づいてくる女性はそんなことを叫ぶ。しかし、エクスはうつむいたままピクリとも動かない。


 エクスの心は今、絶望に支配されていた。


 ―――こうなったのは僕のせいだ。僕が彼女を傷つけたんだ。


 自責と後悔の念がエクスの心を渦巻く。

 もし自分が彼女の思いを受け入れていれば。そうでなくとも、今の彼女の気持ちを理解してあげられていれば。こんなことにはならなかったはずだ。


 ふと顔をあげると目の前には、涙を流しながら闇に飲まれていくシンデレラの姿があった。


 そんな彼女をみて、エクスは何もかもが硬直したような感覚に陥る。シンデレラに魅入られたまま、どうすることも出来なくなる。


 と、そのとき。





 バシンッ




 エクスの背中に衝撃が走った。






「~~ッ!! エクスッ! しっかりしなさいッ!」





 続いて、レイナの激励がエクスの耳を打った。


 先ほどの衝撃は、レイナが思いっきりエクスの背中に平手打ちしたものだったのだ。

 じんわりと広がる背中の痛みに、ぼんやりしていたエクスの意識が徐々にはっきりとしだす。


「ぼーっとしてないでッ!シャキっとしなさい!」


 エクスが振り返るとそこにはレイナ、タオ、シェイン。今まで一緒に旅してきた仲間たちの姿があった。


「いったいどうなってんだ、こりゃ?」


 豹変したシンデレラを見ながらタオがつぶやく。


「見ての通り、新入りの想い人がカオステラーに取り憑かれちゃってるんでしょう?どうしてこうなったのかは分かりませんがーーー」


「そいつらね…。そいつらが、わたしからエクスを奪うのね…? 許さない。許さないわッ!! 返してッ! わたしのエクスを返してよッ!」


 シェインの言葉を遮って、黒く染まったシンデレラが叫ぶ。

 今のシンデレラはエクスのことしか見えていないような狂気に染まっていて。

 彼女の言葉を聞いたタオが冗談っぽく笑う。


「…シンデレラならぬ、ヤンデレラってか。」

「タオッ! ふざけてる場合じゃないだろッ!」

「…わり。」


 思わず大声でツッコんだエクスだったが、しかしその場違いな冗談のおかげで幾分か冷静になったのだろう、立ち上がって闇に飲まれたシンデレラを正面から見据える。


「お願いよ、エクス。もう嫌なの。お母さまも、義姉さまも。誰もわたしを愛してくれない。王子様だって、わたしを愛してはくれてないの。あなただけ。あなただけのなのよ…助けて…」


 シンデレラの言葉に、エクスは今にも泣きそうになる。

 シンデレラが受けてきた仕打ちは痛いほどに分かる。ずっとそばで、シンデレラの運命を見てきたエクスだからこそ、実感を持って目の前のシンデレラの気持ちが理解できた。


 継母には人として扱われなかったはずだ。

 義姉たちには「灰かぶり」などというあだ名を付けられ、執拗な嫌がらせを受けたはずだ。

 頼る者もなく、一人きりになるたびに静かに涙をこぼしていたはずだ。


 エクスの故郷のシンデレラにはエクスという幼馴染がいた。それは少なからず、彼女の支えになっていたことと思う。

 だが、目の前のシンデレラにはそんな存在がいない。エクスという存在はいわばイレギュラーであって、空白の書の持ち主がすべての想区にいるとは限らないのだ。


 誰にも支えられず。理解されず。愛されず。

 そうやって生きてきた目の前のシンデレラの心の闇は、カオステラーを生み出すほどに大きくても仕方がないものだったと思う。


 しかしエクスはそれでも、シンデレラの気持ちに応えることは出来ない。


「くっ…ごめんシンデレラ。でも僕は、タオと、シェインと、レイナと、一緒に行くって決めたんだ。君と別れたあの時に!」


 これが、エクスが悩んだ末に出した結論。


 エクスの初恋は、もう終わっているのだ。それは故郷を後にしたあの日に決意したことだ。それを曲げてここに残るという選択肢は、エクスにはありえなかった。


「エクスッ!彼女はカオステラーに心を支配されてしまっているわ!手荒だけど、カオステラーを倒さないと本来の彼女は帰ってこない!」

「…分かった」


 レイナの言葉を聞いて、エクスは静かに導きの栞を構える。それはエクスが目の前のシンデレラと戦うことを決意した証拠であった。


「…そっか。結局あなたも、わたしを愛してはくれないのね。こんな、こんな運命なんて…なくなってしまえばいいのよっ!!!」


 絶望をはらんだ声で、シンデレラがささやく。


 こうして、二人の戦いの火ぶたが切って落とされた。



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