村を訪ねる冒険者
俺は一人、その村と周辺を一望する峠に立った。
パーティー復帰が白紙撤回された……わけじゃない。復帰の約束をした翌日、町の近くにある洞穴にてボス級の魔獣を倒し互いの腕を確かめたばかりだ。俺達はこれまで以上のコンビネーションで戦うことが出来た、復帰に何の問題も無かった。
だが、俺には確かめておくべきことがあった。
ロッデンベリー・タブ。俺を朽ち行く日々から救った、あの深く青い丸薬。
あの薬の効果は劇的と言っていい。しかしそれは、あの薬自体が劇物である可能性を示唆している。果たしてロッデンベリー・タブは真っ当な薬なのだろうか。これを確かめないことには、俺は真に冒険者として復活したとは言えない。
それを確かめるために合流を一日先延ばしにして、俺はこの村へやって来たのだ。
無限迷宮と
そして、この洞窟への玄関口となる村は「冥界の門」とさえ呼ばれていた。
その「冥界の門」こそが今回の目的地、ストボコーだ。
谷の向こうへ鈍色の道が延びている。俺は行ったことが無いが恐らくあれが無限迷宮と呼ばれる洞窟、そしてその入口に無数に立てられた冒険者達の墓標なのだろう。
峠を下り、洞窟へ向かう道の途上にあるストボコーへ向かう。
街道の周囲はよく手入れされた果樹園のようだ。同じ低木が広く植樹されていて、村人らしき人々が木の実を摘んでいた。
――おひとつ、どうですか。
唐突に声をかけられ、一瞬戸惑う。見ると村娘が籠一杯の木の実を差し出していた。
ひと粒頂戴し、口の中に放り込む。柔らかい酸味と適度な甘味が口の中に広がる。さらに喉の奥に少しの苦み、しかしそれも不思議と快感を覚えるものだった。そして……俺は、その苦みに何となく覚えがあった。もしかして、この木の実は。
――この村の特産、ロッデンベリーですよ。
もうひと粒つまみ、そのベリーを見つめる。親指の頭ほどの粒は夜空のように深く青く、つるりと滑らかな表面に星のように白く細かな点々が無数に散っている。口の中で押し潰すと、果肉から一気に果汁が噴き出して口の中を酸味と甘味で満たした。
感謝の意を籠めて村娘に笑顔を見せると、村娘は悪戯っぽく笑った。
何のことか分からなかったが、彼女がベリーを食べてから見せた笑顔でその意味が分かった。口の中が真っ青なのだ。俺の口の中も同じように真っ青なのだろう。俺達はまるで旧知の仲のように笑い合った。
村に入ると、人の姿が少なからずみられた。村の規模、そして冒険者や農夫達が出払っているであろう昼間であることを考えると予想外に多いと言える。
人影のうち約半数、甲冑その他の武装を纏っているのは冒険者のようだ。さらに過剰な自信、もしくは色濃い疲労を追加装備している。
残りの半数は軽装かつ丸腰のところを見るとすべてが村人らしい。彼等は押し並べて内からわき出すような微笑みを浮かべている。何が彼等にそこまでの幸福感を与えているのだろうか。
こちらから声をかけるまでもなく、一人の村人が俺に歩み寄って話しかけてきた。愛想笑いを返すと、彼の顔は顔をくしゃくしゃにしたような笑い顔になった。先ほど食べたロッデンベリーの色素がまだ歯に残っていたのだろう。彼は私を村の中央広場へ導いた。
村の中央部には、他の家々に比べて不釣り合いなほど大きな建物がふたつ。ひとつは「冥界の門」を象徴するような冒険者向けの宿屋。駆け出しの希望と引退者の絶望を混濁したような、冒険者特有の雰囲気が染み付いている。
もうひとつが……太陽堂。俺が目指す、ロッデンベリー・タブの製造元だ。この村の規模で考えれば武器屋と防具屋、それに道具屋と薬屋、さらには魔導屋まで入れてようやく届くほどの店構え。これほどまでに大きな店だったのか、と驚きに嘆息する。
いつの間にか俺を案内した村人は消えていた。他の旅人を案内することに興味が向いたのだろう。とにかく太陽堂に入る。
ドアの外にも漏れ出していた甘酸っぱい匂いは、店に入るとさらに強まる。外観に比べると売り場面積はそれほどでもない。だがそれでもちょっとした街の武器屋に比べても引けを取らない、大きな売り場が広がっていた。
陳列棚の中央には、見慣れたロッデンベリー・タブの麻袋が大量に積まれていた。さらにその脇にはドリンクと……何やら膏薬のようなものが。気になって手に取ってみた。
――そちらは女性用の化粧品でございます。
いつの間にか俺の隣に立っていた店員の女性が問われるまでもなく説明してくれた。ああ、あの青い色素をメイクに使うのか。……いや、今はそんなことはどうでもいい。
店員にロッデンベリー・タブの製造風景を見せて貰えないか切り出してみると、ふたつ返事とともに店の奥へテキパキと案内された。どうやら店の奥が工房になっており、工房内の見学は自由に出来るということらしい。
まずはロッデンベリーの果汁を搾る工程のようだ。腰ほどの高さにちょっとした宿屋一部屋分もありそうな巨大な桶が設えられていて、子供や老婆が足踏みをしていた。絶え間なく継ぎ足されるロッデンベリーの実を葡萄酒の葡萄踏みのように潰し、流れ出た果汁を大振りの樽で受けて後の工程に次々と運ばれていく。
子供達ははしゃぎながら、老婆は子供達を見守るように。彼女等はロッデンベリーの香りと、幸福感に包まれていた。
次は他の材料の粉砕のようだ。大きな車輪が見えると思ったら、女子供なら立ったままでも隠れてしまいそうなほど巨大な薬研だった。乾燥した薬草や気付け草等、冒険者にとっては怪我の治療などで見慣れた、ごくありふれた薬の素材。それらが次々に運び込まれ、大男が力任せに押していく巨大薬研によって粉末にされていた。
何人もの大男が見せる自信に満ちた気迫は、きっと家族や友人に囲まれて得られるものなのだろう。
さらに次の工程へ行く間に、立派な姿の司祭とすれ違った。軽く会釈すると、彼も会釈を返した。神の威厳よりも神の慈悲を体現したような、優しさに溢れる笑顔を持つ男性だ。
――日に何度もこちらに来て、聖水をお分けしているのです。全く彼等は人使いが荒い。
そんな愚痴をこぼしながらも、司祭は幸せそうに微笑んだ。
ようやく次の工程にたどり着く。これまでの材料を混ぜて捏ねているようだ。
食卓ほどの大きな桶に食堂の大鍋ほどの粉末――薬研で砕かれた薬草の粉末が投入された。さらに大きなジョッキでロッデンベリーの果汁が三杯。小柄ながら筋骨隆々とした男性が数人、桶に手を入れて全体をかき混ぜ始める。さらに別の男がやって来て、ワインの中瓶ほどの大きさをした瓶の封を切り、透明の液体を流し込んだ。それとしてはあまりに大きいが恐らく――先ほどの司祭が置いて行った聖水なのだろう。
さらに少年も数人が入り、全体をまんべんなく混ぜ合わせる。少年の手際が悪かったのか、隣の初老の男性に尻を蹴り上げられる。何やら愚痴を返しながらも、少年は男性の指導を受けていた。これが幸せな師弟愛というものだろうか。
次第に全体が粘りを持ち、パスタのように固まり始めた。彼等はそれらを一心に捏ね、俺が見守るうちに手の中に青く輝く美しい球体を産んでいた。その大きさは人の頭ほど。初老の女性がそれらを大判のトレイで回収して次の男に回していた。
一人の翁が座っている。目の前には一本の釘が天井に向かって立っていた。その太さは親指ほど、長さは……人の頭ほど。
先程から忙しなく往復している初老の女性が、トレイに満載した人の頭ほどの青い玉を運んで来た。翁はそのひとつをひょい、と持ち上げると、何の迷いも無く目の前の釘に打ち付ける。釘は青い玉の中央を見事に貫いたようだ。表面を撫でるように手を滑らせると、玉はほとんどブレることなく回転を始めた。
翁は徐ろに奇妙なナイフを取り出した。先端が鍵型に曲がっている。何をしようとしているのかと見守っていると。
翁が回転している青い玉にナイフを当てると、びゅるん、と細い帯が飛び出した。翁の持つナイフが開店する玉を細長くスパゲティのように削り出しているようだ。傍らに立つ青年が、飛び出した青いパスタを手に受けてするすると束ねていく。
青年が束ねたパスタを隣のテーブルに置くと、今度は老女が包丁を振るった。彼女は一本に連なった青いパスタを包丁で捌き、端を揃えるとトントンと刻んでいく。いびつな形ながら大きさの揃ったロッデンベリーの小粒が出来た。
さらに隣に控える若い女性の目の前のテーブルに小粒が播かれた。彼女は手にテーブルと違わぬ大きさのハンドル付きの板を持っている。彼女が小粒の上に板を置き、コロコロと転がすこと数瞬。
彼女が板を持ち上げると、先程までいびつな形をしていた無数の小粒が、揃って奇麗な丸薬に仕上がっていた。
テーブルが傾けられると、美しい球体になった青く輝く丸薬がコロコロと転がり、トレイに集まっていった。
――これで一週間ほど乾燥させれば完成です。
いつの間にか傍らに立っていた男性が補足説明をする。
――パスタのように押し延ばしたりすると、ボロボロ崩れて奇麗に粒が揃わないんですよ。だからこんな方法で成形をしておるわけです。
彼は自慢気に話している。彼にとっても、このロッデンベリー・タブを作っていることが誇りなのだろう。
けれどその時俺が気になっていたのは、ロッデンベリー・タブの材料だった。それに気を取られていたせいで、今日は周囲の人影に気が回っていなかったようだ。
――材料は、たったこれだけなのか。
――ロッデンベリー以外、見慣れたものしか入ってないじゃないか。
見事に天然自然の材料。素材の時点で手が掛かっているものと言えば乾燥された薬草類や聖水くらいのもので、それすらも自然や神の力によるものだ。
――ああ、そうか。
――だから『神と大地の恵み』なのか。
ロッデンベリー・タブのキャッチフレーズに込められた真意に、改めて感じ入った。
案内人の誘導で店舗スペースへ戻り、その一角の喫茶スペースに案内された。サービスとして振る舞われたドリンクは、ロッデンベリーの果汁をベースにしたノンアルコールカクテルらしい。甘酸っぱさの奥にほのかな苦みが心地良い。
見るとはなしに店舗入口の方を眺めていると、何処かで見た記憶のある老婆が入ってきた。
――おや、貴方は。
彼女の笑顔を見て思い出した。彼女こそが、俺にロッデンベリー・タブを譲ってくれた当の本人だ。挨拶をしようと立ち上がろうとすると……数人の店員が彼女に歩み寄った。
――お帰りなさいませ、代表。
ぽかんとした俺の顔がさぞ可笑しかったのだろう、老婆――代表をはじめとした店員一同は揃って笑顔を見せた。
――最初はね、飴か何かを作るつもりだったんです。
俺の隣に座った老婆が語り始めた。
この村の周囲には山脈からもたらされる豊富な水資源により、このロッデンベリーが多く自生していたという。味そのものは申し分ないが、果実酒その他に加工しようとするとどうにもえぐみが出て良い商品にならなかったのだそうだ。宿場町――「冥界の門」としての収入が安定しないこともあり、村の名物作りは当時急務だったらしい。
見かねた彼女は、酒以外の特産品開発を模索し始めた。それでようやくロッデンベリーの果汁を使った飴を完成させた。
その試食を買って出た村の老人が、違和感を訴えたという。曰く――目が見え過ぎる、と。
彼女はロッデンベリーの薬効を確信し、いくつもの薬草との調合を試みた。そして試行錯誤を数年繰り返した結果、村の周辺で取れる材料だけで完成するロッデンベリー・タブが完成したのだそうだ。
――大した苦労ではありませんでしたよ。
――村の皆さんに助けて頂きましたから。
彼女の優しい微笑みは、最初に会った時と大差無い表情だ。なのに初対面の俺は彼女を怪しいと思い、今の俺は彼女を心近しく感じている。きっと俺の心がロッデンベリー・タブで生命の力を取り戻したせいなのだろう。
もう安心だ。俺はロッデンベリー・タブがあれば、何処まででも行ける。
代表の老婆に礼を告げ、売り場へ向かった。
陳列棚を覗くと、いつもの小さな麻袋とは別に大きな袋があるのが目に入った。宣伝文句の書かれたポップには『ロッデンベリー・タブ 九十日分』の記載がある。二十日分で金貨一枚だから……九十日分だと金貨四枚半か。そう思い財布の革袋を取り出そうとすると……。
――金貨三枚で結構ですよ。
店員が金額を告げた。三枚だと小袋なら六十日分じゃないか。何てお得なんだ、ロッデンベリー・タブ。
いつもよりもずっしりと重みのあるロッデンベリー・タブの麻袋を荷物に加え、俺は仲間と合流するために足を踏み出した。
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