C'est la vie aussi.
未だ朽ちない元冒険者
後は朽ちるだけのこの身、何を書き記す事もない。そう思っていたが。
奇妙な体験をしたので、ここに書き記す。
それは昨夜、店じまいで追い出された酒場からの帰り道だった。
通りの辻あたりに、一人の老婆を見つけた。何だかんだでこの町の人とは顔を合わせているが、この老婆は初めて見る顔だった。
怪しい笑みを浮かべるその老婆は、俺を見つけると予想外にスタスタと見かけによらぬ健脚で俺に歩み寄ってきた。そして小さな麻袋を差し出して言った。
――この薬をお分けしております。二十日分で金貨一枚。
何の薬かの説明もなく突き出してきてお分けしますもないだろう。それに金額も馬鹿高い。一日分でちょっと豪華なランチが食えるほどの金額じゃないか。訝しんで見る俺に彼女は失礼を詫びると、その薬について語り始めた。
何でも、ここから少し離れた村で栽培されたベリーと何種類かの薬草、そして高名な僧侶の祝福による聖水で作られた丸薬だという。主な効果は視力の向上をはじめとした感覚機能の向上と、そして――
――あらゆる呪いの軽減です。
俺の表情から呪いのことを察したのか、笑みを崩さないまま麻袋をさらに押しつけるように差し出す老婆。
確かに金に余裕がないわけじゃない。酒代は金貨で払うには半端な額だったためツケ払いにしておいたので、財布の中には金貨が家を出た時そのまま残っていた。どうせ飲んで消える金だ、そう思って老婆に金貨を一枚差し出した。
――寝る前にひと粒、朝起きてひと粒。毎日忘れずに飲んで下さいね。
彼女はそのまま、夜の闇に消えていった。
家に帰り、麻袋を見つめた。小さな木札がぶら下がっている。薬の名前が書いてあるんだろう。
胡散臭いとは思う。だが毒でもあるまい。それに万が一にも致死毒だったとして――
俺が死んで、誰が困るものか。
そう思いながら俺は、深い藍色、小指の頭ほどの小さな丸薬をひと粒取り出して口の中に投げ入れ、ラッパ飲みの葡萄酒で流し込み、そのままベッドに突っ伏した。
翌朝、つまり今朝。目覚めた俺は、眩しさに右目を手の甲で覆った。
……右目?
その違和感に、俺はベッドから飛び起きた。
まだぼんやりとだが、右目が光を捉えていた。試しに左目を閉じて右目だけで視線を室内に泳がせた。まだ色と大まかな輪郭しか掴めないが、かつて魔獣の神経毒を食らった時よりもよっぽどよく見えていた。
もしかして、呪いも解けているんだろうか。そう考えた俺は昨夜の青い丸薬を取り出し、その小さな粒をテーブルの上に放置してあるカップに向かって投げた。
コツン、空しい音を立てて丸薬がカップの縁に蹴られた。……命中精度が低い、やっぱり呪いまでは解除されていなかったか。そう諦めかけた俺の目の前で。
――とぷん。
暫く宙を漂った丸薬が、飲みかけでカップの隣に放置してある葡萄酒のビンの口に飛び込んだ。
その光景を呆然と見ていた俺はようやく現実を理解し、ビンに残ったワインごと今朝の分の丸薬を飲み下した。
――命中精度は回復している。
――たったひと粒で、俺の呪いが弱まっている。
俺が希望を見出すには、それだけで十分だった。
改めて丸薬に括り付けられた小さな木札を見つめる。焼き印だろうか、この丸薬の名前と思しき文言が記されていた。
『神と大地の恵み ロッデンベリー・タブ』
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