第4話 意気地なし。

面接は自己評価のしにくい内容だった。午前中とは違い、我を失ってしまうことはなかったし途中退席もしなかった。ここ最近では、群を抜いて上出来の面接だったと思う。(レベルの高い低いは論じないものとして)

しかし、驚きのあまり詰まってしまった分が多々あった。最終的にはなんなり話したのだけど、それがどう映ったかは面接官次第である。

そんなことより、だ。

僕は面接中だってそれどころじゃなかった。佐田さんが話している最中はもちろん、自分について尋ねられている時ですら。

田丸があの時僕からホームランを打った、分かりきった数年前の事実が僕の頭の真ん中を席巻した。

何度振り払っても、気づけばまたそれが蘇る。正直に言ってしまうと、途中からはまともに質問内容を覚えていない。だから自己評価は、保留だ。

この前同様、駅まで話しながら帰る。今日は、佐田さんもいたから下ネタに走るわけにもいかず、就活生らしく「他はどこ受けるの?」なんて世間話をした。佐田さんが駅で僕らに「またね」と手を振ったところで、僕は強い意思と覚悟を持って田丸に話しかける。

「あの」「あの」

予期せず、声が重なる。なんだってこんな暑苦しい男とラブコメみたいなことしなくちゃいけないのだろうか。田丸に譲ることをせず、僕は我先に話し始める。

「田丸、僕のこと…覚えているか?あの日、君が僕を…」

あれ、まだラブコメっぽくない?不服極まりなくて、言葉をここで止める。

「覚えているよ。……というよりは、さっき思い出したと言った方がいいか。」

「……僕もそうだよ。」

「ははは、赤嶺くんも。」

会話が途切れる。事実を知らなければ、こんな重苦しい雰囲気にもならず、バカなジョークを言って終わりだったろうに。

「……久しぶりだね。」

「うん、そうだな。」

知ってしまったからには、避けられないものだった。勝者と敗者、たった1球の差。

僕は純に妬ましい気持ちでいっぱいになっていた。真剣勝負の中で負けただけというのに、「もし僕が勝っていたなら」なんて都合のいいことを思い彼を妬む。

結局のところ、僕はそんな小さな心しか持ち合わせていない。

沈黙は続く。

僕は考える。なにを話そうか、ではなく、自分の中にぞくぞくと沸いているこの如何ともし難い心をどうして処そうかと。

逃げてしまうのは簡単な話だった。金輪際田丸に会わなければ、一旦は収まると思う。

けれどそれじゃあ根本の解決にはならない。一度見えてしまった根っこは、きっとことあるごとに僕の前に姿を表す。就活生らしく難しい言葉を使うとしたら、僕が希求しているのはファンダメンタルなソリューションだった。

この心の根っこは、4年前のあの日以来誰の目からも逃れ日も当たらない陰で伸び続けてきたのだ。それが田丸に会ったのをきっかけに、削れた地面からついに日の目を見た。

自分では制御しきれない心の根、これはいわば病巣と大差ない。

だが4年間かけて育んできたものは、そう簡単なことで消えうるものではない。

ただ、1つだけ消しうる方法がある。そのさらに根本を叩き切ってやればいい。

「なぁ田丸。無理を言うことになるんだが、聞いてくれるか。」そのためには、僕だけじゃ役者が足りない。だから極めて真剣に切り出した。

「……ものによるが。」

「その返事じゃ困るんだ。僕は、確証が欲しい。」

「ひゃ、100万円の絵画買え、とか言わないよな?」

「うん。そういう金銭面のことは言わないよ。」それじゃあ僕は詐欺師だ。

なんてことはない、ちょっとだけ時間を割いてくれれば済む問題だ。

「……なんだよ?」

「僕と、僕と……」

まるで誰かに告白する前みたいに煮え切らない自分に嫌気がさす。もうそういうのはいいのだ。だから、

「僕と一打席だけでいい。勝負してくれないか。」一思いに大声で言ってやった。

場所は駅構内の真ん中、改札を抜けていく大人や子供がみんな僕らの方にその視線を向ける。「なんだ?」とひそひそ声も聞こえてきた。

そんな僕と対照的に田丸の返事は、

「……いいよ。いいけど、けど……今はバットも無けりゃバッティンググローブもマクダビッドも無いぞ。それに場所だって無い。今度に…」どうも曖昧で。

「いや、今からがいい。その辺は、全部俺が貸してやる。汗かいたら、シャワーだって貸してやる。飯だって奢ってやってもいい。お前の好きな真っ赤なラーメンでもいいぞ。」僕は、堪らずまくし立てる。ここを逃す手は無かった。今日の選考の結果だって分からない。この先、僕と田丸が会うことさえあるかどうか。

「……分かった。そのさ。」

「どうかしたか?」

「盛岡冷麺でもいいかな。気になってた店があるんだ。」

「うん。」

その辺は、とりあえずなんでもいい。和牛ステーキとかで、家計を必要以上に圧迫しなければ。







「バッティングセンターかー、久しぶりだなぁ。」田丸が全身僕のジャージに身を通して、準備運動をしながら言う。

「この前行った時は、150kmのマシンで打撃練習してさぁ。速すぎてびびったよ、言うてもちょっと前まで見てきてるはずの速さなんだけどねー。やっぱり慣れって大切だなぁって。そのあと、120km打ったらもうクルクル。全部チェンジアップだよ、あんなの。俺はほとんど打てなかったよ。」

そして、持ち前のマシンガントークも。お願いしている立場だから、大層なことを言えた義理では無いがどうしても腹が立ったので言う。

「…要点はなに?」

「冷たいよ、もっと燃えなきゃ!」

「要点は。」

「……何回か慣らしで打席に立たせてもらっていいかい。実戦モード。」

「あー………。」

僕はちらりと坂田さんの方を見る。いつものひげ面タンクトップ姿で、出たのはグーサイン。懐こい笑顔で笑っていた。

他に客もいない中、唯一の客をこうもタダで野放しにしていいものなのだろうか。店の収支に不安を覚えつつ、

「いいってさ。あとで礼言っとけ。」

利用させてもらはない手はないとも思った。

「タダ!?うんうん、いくらでも言うさ。ありがとうございます!!燃えてきた〜!!」

燃えているのは、お前じゃなくてこの店の経営……なんてのは言わないお約束だ。

ストレッチやキャッチボールなど基礎的な練習を終えて、バッティングゲージに入る田丸を横目にいつも通りピッチングマシンに向き合う。

なんのためにこれまで投げ込みを続けてきたのか、今でも僕には持ち合わせの答えはない。けれど、こんな偶然があるなら練習していてよかったとは思う。

フォームの注意点だけを意識して、球を放る。いつもはたいていストレートしか放らないのだが、今日はスライダーやカーブ、フォークなどの変化球も同じ比率で織り交ぜた。緩急を使わなければ、ちょっと前まで現役をしていたような人間とは勝負にならない。

使い古された硬球だけに、指のかかり具合が若干気になったがそれは誤差の範囲。

調子は悪くなかった。なんなら、良い。ストレートは伸びを感じるし、変化球は手元でよく曲がった。この分なら。

敵を知るのも、勝負を制するに必要な一手だ。そう思って、投球練習を一旦やめて隣のゲージで打ち込む田丸に目を移す。

「しゃあー、もう一球!!」

快音と雄叫びが響いていた。

その音は、あのプロ野球選手にさえ引けを取らない。少なくとも、僕はそう感じた。

坂田さんもそう思ったようで、いつの間にかゲージに張り付くように田丸を見ていた。

右足を大きく上げて、いわゆる一本足打法。かがみ気味にした腰、小さくトップを作って振り下ろすようなダウンスイング。腰を中心にして、くるりと回った。

バットは轟音を立てて、空気を切り裂くように。ぐしゃりとボールを潰すかのように。

ボールは高いところをどこまでも飛んでいって、勢いそのままネットにあたる。ネットが無ければ120mは飛んでいたと思う。

僕は一挙一動に釘付けにされた。

この豪快さ、迫力。それでいて、足のつき方1つでストレートにも変化球にも対応する器用さ。

僕は、慌てて投球練習を再開する。何十球も投げて、万全の状態で迎え撃っても勝てるかどうか。

投げ込みながら僕は考える。やはり、今日の調子はかなり良い。

だが、問題はこれが田丸にどう映るかだ。彼はこれくらいものともしないかもしれない。つい指先に力が入る。1球、ストレートを叩きつけてしまった。

そこでやっと平静を取り戻す。僕の今の限界で戦おう。自分を落ち着けて、球を放る。イーファスピッチを出来るわけでもなし、真っ向から勝負する。

僕は投げ込みがひと段落して、田丸を見る。ちょうど田丸も最後の球を打った直後だった。

「そろそろやろう。今が一番燃えてるでな。」そのタイミングで、田丸が声をかけてきた。いよいよ、だ。

「うん。僕もだよ。」

落ち着き澄まして答える。

バッティングゲージの奥、打席と投球マウンドがあるゲージへ会話も交わさず移動する。

落ち着いたつもりでも、やはり胸の高鳴りはそれが「つもり」であることを疎明する。深呼吸1つ、グラブを胸に当ててぽんと叩く。それから、マウンドへ登った。ちょうどいい傾斜、ここは僕のホーム「グラウンド」だ。

マウンドから打席を見下ろす。

「……よーし、来い!」

田丸がバットを僕の方へ向けていた。

もう一度息をついて、打席を睨みつける。

ここは県営球場じゃない。夏の大会でもない。あの時聞こえた歓声は、今やボロい扇風機が回る音と坂田さんの檄になって亜る。

バックにナインはいないし、受ける西田もいない。それから、君の声もここにはーーー

「…うん、いくよ。」

僕は左足をあげる。まずは、1球目。セットポジションから投げる。球種は、ストレート。

ボールが走って、田丸の後ろに立ててある緩衝材に当たる。

「ストラ〜イク!!」

真後ろで見ていた坂田さんが親指を立てた手を挙げる。

「……赤嶺くん、本当に大学で野球をしていなかったのかい?驚くほどだ!」

「田丸、世辞はいいよ。」

僕は、田丸の言葉に相好を崩すことなく坂田さんが投げ返してくれたボールを握る。ここで集中を切らされるほど、散漫ではない。

次は、変化球。その次は、ストレート。見送りとファールでカウントは1ボール2ストライク。

奇しく、カウントがあの時と揃った。僕は、あの時最後にここで内角にストレートを放った。あのボールだけは不思議な感覚があって。そして、見事に打ち砕かれた。

今回は、どうするべきだろう。スライダーはキレているし、フォークもよく落ちる。それでもストレートを投げるのが正解なのか。

僕は、迷った末に頭を決める。

握ったのは、カーブ。1球外そうと思った。並行カウントにして、打ち気を引き出すため。

投げる。

しまった、と思った。ボールは吸い込まれるようにストライクゾーンのど真ん中に。

またも、僕のボールは綺麗に弾き返された。およそレフトのポールの内側、打球はどこまでも飛んでいってネットに当たる。

坂田さんが手を回していた。文句なし、スタンドイン。

「……俺の勝ちでいい?」

「…………。」

言葉が喉元に詰まる。いや、そもそも詰まる言葉さえ失った。また負けた。真っ向勝負もしないで。

「おい。」

「……うん。」

「お前、昔の方がいい球投げていたよ。今日のボールは、なんていうか……熱くなかった。」その通りだ。熱くなかった。

それどころか逃げようとしてしまった。向き合った「つもり」だった。

まだ最後じゃない、と。

田丸の言葉に、これまでの僕が心臓を後ろから突き刺された。勝負しよう、そう言っておいて僕は。

「行こう、シャワー貸してくれるんだろう?あと、冷麺のことも忘れてないかんね。」

自分から逃げていたんだ。

なぜそうしたのか、自分でも分からない。でも、それが今の僕なんだと思った。

悔しくて、近くに転がっていたボールを拾って田丸のいなくなったバッターボックスへ投げつける。

指にかからなかった。なにも自分で、制しきれなかった。すっぽ抜けて頭上遥か上のネットに当たる。

「うん、行こうか。」

振り絞ったように声を出す。唇を噛む、滲む血は敗者の味だ。

情けない、意気地なし。

「あっ、そうだ。もうひとつだけお願いごとしていいかい?」

「……なんだよ。」

「佐田さんのこと、気に入っちゃった。協力してくれないか。」

「いやだ。」

ブラチラから始まる恋、そんなの許してたまるか。


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