第3話 止まった時間

 横川の言葉が頭をぐるぐると回る。

 分かっている、僕はもう野球少年でも野球に一心不乱な高校球児でもない。なんのことはない、ただ1年先の仕事を探し、これからの人生に悩める普通の就活生。

それはあの頃の仲間も同じこと。それぞれの乗る船は、とっくの前にその道をわかった。

 「じゃない」という部分だけが、脳の内側から僕の頭を突き刺す。鈍い痛みが神経を伝う。少し間それと戦っていると、不意に僕の頭に眩しい過去がフラッシュバックしてきた。

 早朝から仲間とともに白球を夢中になって追いかけ、昼はその仲間と笑いあり喧嘩ありの充実した学校生活を送る。そして部活が解禁される夕からは、暗くなるまでライトを照らして白球を追う。

 あの頃の日々は、鈍い光なんかじゃない。たしかに鋭く水宝玉のごとく輝いていた、過ごした1日1日が夢のように煌めく。今や自分がそこにいたのは夢幻かと思う。そのせいか、蘇る光景に音はあっても自分の声も仲間の声もしない。それから。

──君の声さえ、僕にはもう聞こえない。

「……朝か」

 リリリ、とチープに鳴るアラームに重たい瞼をこじあけられた。枕元に置いた携帯をスライドして止める。時刻は、9時5分。5分は鳴り続けていたらしい。同居人がいたら迷惑するだろうが、今は1人暮らし。誰にも迷惑はかからない。裏を返せば、起こしてくれるアテがないとも言えるが。

 今日は、土曜日。普段ならアラームもかけないで、昼前ないしはすぎまで眠りにうつつを抜かしている分だけ、よっぽど不快に感じる。

 今日は、朝から面接の予定があった。それも2件も。どんな企業でも、平日の業務に支障を残さないためか面接が土日に行われることはしばしばある。要は企業の「通常通り運営」アピールの煽りを学生たちがもろに受けているということだ。

 その理不尽さを思い堪らずため息を漏らして、天井を仰ぐ。

 こうしている間にも時間は過ぎていく、そろそろ布団を出て準備しなければならない頃合だ。

 全く寝た気がしない。12時間以上布団の中にいたはずなのだが。身体も頭も昨日の、いやそのさらに前からずっと疲れを引きずったままだ。寝つきが悪いのは今に始まった事ではない。

 鉛のような身体を叱咤する。立ち上がってカーテンを引き、窓を開けた。朝日は、今日も鬱陶しさを覚えるくらい眩しい。

 狭いワンルームの部屋を抜けて、すぐ右手の洗面所へ。顔を入念に洗って、伸びかけた顎髭を剃る。日々はちっとも代わり映えしないくせ、髭だけは放っておけば勝手に伸びていく。厄介極まりない。

 顔を拭いてキッチンへ出る。冷蔵庫から牛乳を取り出して、適当なコップに注いだ。毎朝牛乳を飲むのは、小さい頃からのルーティンだ。これで少しは、今日という日に立ち向かう気概が生まれた。

 コップを水で軽くすすいで、シンクに置いておく。スーツ姿に身を包んだら、重役……いや、新入社員になったら毎週させられそうな休日出勤だ。世の中は、真っ黒である。

………

……


「志望理由ですね、はい。電気業界は、電力の自由化で新たな時代を迎えると思います。これまでは、ほぼ独占的に運営してきたところをこれからは小さな企業なども参入できることになる。これは、経済的な観念から言えば、市場の正常化です。価格も適正価格に近いところまで、近づくでしょう」

 面接官のうちの1人が、困惑顔でこちらを見ているのに気づく。話が逸れすぎた。修正しなければいけない。

「……あー、こんな今だからこそ……その、顧客との信頼関係の構築が企業には求められます。私は、その構築に一役買いたい。高校までは、野球をするなど体力面にも自信があります。必ず貴社で、活躍いたします」

 とりあえず昨日から言おう言おうと温めていたことは、拙いながら伝えた。自分なりにはひとまず満足。

 しかし、大きくあくびをかます面接官(主任だろうか)にとってはそうではないようで。手元にある僕の履歴書を雑に片手で持ち上げる。無関心がはっきり分かる表情は、眉ひとつピクとも動かない。

「……君」

 やっと動いた眉が不機嫌そうな顔を作る。隣の若い面接官が、少しびくっと跳ねた。

「はい」

「電力の自由化自由化言うけど、本当にどういうことが分かってる?ちょっと説明してみてよ」

「はぁ」

 意図が分からなかった。自由化というのだから、電力を自由にどんな会社でも供給できるというだけのこと。

「……なに分からないの?」

「いえ、自由化ですよね。つまりは、小世帯に対してもどこにでも供給……」

「それだよ、それ。それを最初に言わなきゃいけない。いきなり何を言い出すかと思えば、しょうもない経済知識ひけらかしてなんのつもりよ」

 気づかぬうちに、逆鱗に触れてしまったようだった。元から皺の多い歪な顔をさらに歪ませて、お偉いさんは怒気を込めて言う。

「………すいません」

「謝れ、って言ったか?なんのつもり、かと聞いたんだ。これだから最近の若いのはダメなんだ。質問に答えなさい」

「と、言われましても」

「答えられないのか? んー?」

「………」

 他の面接官は、無言で目をそらす。こうなったら、耐えてやり過ごすほかない……のは分かっていたのだが、

「おい、聞いてるか。面接中に寝るのか? 君のことについてはまだまだ聞きたいことがあるんだ。野球はなぜやめたの? なにが野球部だ、高校でやめていたら一緒だぞー。根性が無いんだよなぁ……君ねぇ、なんとか言ったらどうだ」

 ふつふつと腹わたが煮え出すのを感じる。それだけは、言われたくなかったのに。それだけは。

 温厚で知られる(?)僕だけど、こればっかりは事情が別だ。

「……うるさい。お前に何がわかる。」

「おまけに短気と。大人にならなきゃダメだねぇ。君みたいなの取るメリットないよ、正直」

「……どの口が言うんだよ。お前こそ社会人よくやってんなぁ、初対面の人間に敬語も使えねぇのかよ。自分のしょうもないコネの力で、部下を虐げてこんな面接して。自己中心的なこって、さぞや人生楽しいだろうなぁ」僕は吐き捨てるように言う。これだけ叫んでも、胸はどうにもすっきりとしない。

「……もう帰れ!!! けったくそ悪い!」

 鞄をとっつかんで退室する。言われなくても、である。部屋を出たら、手前で次の面接を待つ人が僕を怪訝な目で見てきた。

 この人も、僕への怒りの八つ当たりの形で圧迫面接をされてしまうに違いない。

そう考えたら、申し訳ない気持ちが沸いたが謝りはしない。勝手だが、今はそんな気分じゃなかった。

 お疲れ様でした、と頭をさげる警備員の横を過ぎて、下りのエレベーターに1人乗りこむ。ここは13階。働いている人に似合わず、立派なビルだ。下がり始めたのを確認したら、ガラス張りで見渡せる街全体に向けて叫ぶ。

 学生でストレス発散してんじゃねぇ、と。




 強気になって、いや怒りにまかせて。

 言ってやったはいいけれど、後悔はする。昼時の某有名ハンバーガーチェーンに1人、一番安いランチセットを注文して反省会。昼からの面接へ向けて気持ちを切り替える意味もあった。

 萎びていくポテトに手をつける気にもならず、僕は情けない吐息を漏らす。自らの融通の利かなさには、とことん呆れた。

 さっきのようないわゆる圧迫面接は、どうにかして笑顔で流し切るのが正解なのだ。これは今しがた引用元不明のネットで得た見聞だが、面接するサイドが見ているのは将来取引先と口論になった際どのように対処することができるか。面接官もやりたくてやっているわけではないらしい。

 それに対して、にこにこ笑顔でいなせないようじゃあ対処不能と見なされる。ましてや「キレ」て5分もしないうちに出てきたんだから、選考脱落は必至。受験者にランクをつけるなら、最下位も必至。

 僕は、もう一度息を吐く。ここのとこ、これが増えてきている。常に嘆いているのだ、なにかを。

 やっとポテトに手をつける。時間が経ったせいで、やはり萎びていた。どころか、油が浮いてポテトというより、じゃがいもの死体。こんなもの商品とは呼べない………なんて、早いうちに食わない僕が悪いわけで。これは数分前まで立派な商品だった。

 同じく萎びたバンズのハンバーガーを口に咥えたところで、既視感のある人間と目が合った。コテコテの顔面に、汗が光る男。

「……あー、この前の」

「おうおう、元気にしてた?」

 暑苦しい覗き魔変態、もとい田丸熱男(仮)だった。もう会わないと思っていた矢先、1週間での再会。

「……一応な。熱男は?」

「あつお? 誰かと勘違いしてない? 俺は、敦盛」

「あー、そうかそうだった。ごめん、ごめん」思ってたのと、大体一緒だった。

「赤嶺くんは元気だったかい?」

 そう言いながら、勝手に僕の隣の席に陣取ろうとする田丸。僕は、嫌そうな目を向ける。今は1人水入らずの反省会中だ。しかし、

「俺は今日ね、レッドホットチキンバーガーの七味山椒乗せ。ポテトもチリソース、ジュースはアセロラドリンクだ。今日も熱く行こう! 熱いぜ!」相変わらずの面白味ない爆弾トーク、こいつは人の気持ちを察せない超鈍感。僕の隣にずしっと座る。

 呆れてしばらく物を言えずにいたら、

「どうかした?唐辛子が欲しくなったなら、買ってきなよ」

「……いや、そういうわけじゃない。」

この鈍感ぶりだ。僕は諦めて、ハンバーガーに食らいつく。肉パテはまだ温かかった。

 反省会は緊急延期だ。田丸が去ってからにする。

「あ。もしかして赤嶺くんも、このあと木村産業の面接?」

「……そうだけど、もしかして熱男もか」

「だから、敦盛。うん、俺もだよ。やったね、一緒に行こうよ!」

 反省会、完全中止。面接の始まる2時まで田丸とつきっきりが決定してしまった。いやだ、と言ってもついてくるだろうこいつは。

「企業研究とかしてる?」

「うん、少しだけだけど」

「教えてくれないか、午前も面接であんま研究出来てないんだ」

なら、上手く利用させてもらうしか術はない。田丸は熱い男だ。真摯に頼めば多少の無理は、

「……え、でも志望理由被ったら俺も共倒れで落ちちゃうじゃん。無理無理、自分で考えろ!」きかなかった。骨の髄まで使えない奴だ。

「…熱男、あっちで食べろ。今から考えるから」

「いや〜、それは寂しいじゃん! って、退けようとしないで? アセロラこぼれるから。待って待って、押さないで! 分かった分かった。教えるよ〜!!」扱いやすいからそれでも結構なのだが。





 面接の控室は、通常僕らにとってあまりいい雰囲気の空間ではない。

 殺し合い、つまるところの蹴落とし合いを行う相手と、束の間の会話を交わしその場限りの親交を深める。

 実のところを言うと、これは互いに自分の緊張感を抑えるために上面だけの会話を交わしているにすぎない。

 それが滲み出ているから、ただの初対面同士の会話よりずっとぎこちなく、そして底恐ろしいものがある。

 既に心地よくはないのに。

「……熱男、お前のせいですごく居づらいじゃないか」

「すまん、こればっかりは俺の昂りのせいで」

 控室には3人、僕と田丸とこの前ブラチラさせてた女の子。なんでまたこんな偶然があるだろうか。いらぬところで、運をドブへ捨ててしまっている気がする。

「どうされたんですか? 小さい声で話されたら聞こえませんよー。」

「あーいやぁ、こっちの話です。緊張しますね」

「そうですね。この前は緊張しすぎて噛みまくっちゃって。今日は気をつけないと……」あはっと小さく笑う女の子。佐田穂花さんというらしい。僕らはそんな彼女に顔向けできない。

 どうしても煩悩が付きまとうから。

 僕は、田丸にどれだけ人生設計を狂わされれば済むのだろう。この前の帰り際、今日の反省会あまつさえ面接前の一時。被害は甚大だ。

「わ、分かります。この前なんか噛みすぎて、もはや神でした。落ちる方の」

「おい、面白くないことをさらっと言うのやめて」僕は、ぱしっと田丸の頭を叩く。個人的な私怨もこめて。田丸が、声を出しつつオーバーなリアクションで痛がる。

「すいません、お待たせしました。そろそろ面接始めさせてもらいますね。部屋はこちらになります」

 それと、時を同じくして会社の人が待機室に入ってくる。最悪だ、折悪し。

田丸という人間は、僕を貶めるために存在するのではないか。

 そんな僕らを見て、佐田さんがくすっと笑った。素直に可愛いと思った。(胸元ではなくて)

 田丸を先頭に、僕、佐田さんという順で面接室に入る。ノックをするのは初めに入る田丸、僕は真似をして頭をさげるだけ。扉を閉める面倒な作法も必要ない。

質問が回ってくるのも2人目と考えれば、実にいいポジショニングだ。1人目なら焦ってしまうし、3人目だとネタが尽きてしまう。

 やっとここで幸運が回ってきた。ハードラックとはおさらばバイバイだ。

名前と出身学校を言うだけの簡単な自己紹介のあと、並んだパイプ椅子に着席する。面接官から適当な挨拶があってから、田丸へ質問が始まっていく。

面接官は、柔和な笑みを浮かべる人あたりよさそうな中年。今朝のような心配はいらなさそうだ。

「では、えーまずは田丸くん。そうだね、自己PRからお願いしていいかな?そのあと、順に2人行くからねー」

「はい」

 田丸が唾を飲む音が聞こえた。返事も心なし震えている。やはり先頭というのはなんとも言えぬプレッシャーがある。

「私の強みは、ここ一番での集中力と決して諦めない熱い不屈の精神です。これは、僕が部活として野球を高校から大学までの7年間やり通したことから言えるものです」

 野球、と聞いてぴくと反応する。大きな身体をしていると思っていたから、納得できた。

 田丸は1つ息を整えて、続ける。

「えと……高校時代には4番として甲子園目前の地方大会決勝までチームを導きました。決勝まで僕の調子は決して良くはなく、準決勝までは不振にあえいでいて中々思うような結果が残せませんでした。しかしそれでも、チームメイトや監督は、僕を4番と認めて信じてくれました。それに応えよう、という気持ちが準決勝で発揮できました。9回裏2アウト、1点差から決勝本塁打を打つことが出来たんです」聞いていて、僕は嘘だと思った。

 田丸の口から紡がれていく話は、明らかに僕が経験したそれと同じものだった。

「それまで全く打てていなかった相手校のエースを打つことが出来た。チームに恩返しが出来た。それが僕の自信と誇りになりました。それ以来、チャンスに強いバッターとして大学でも野球をしていました。今は引退しましたが、その経験は仕事でも生きてくるものと思います」

「はい、ありがとうね。すごいね、サヨナラホームラン? 甲子園準決勝で打つって中々だよ。プロとかは考えなかったの?」

 でももう、はっきりと思い出していた。

 あの僕の野球人生最後の試合、僕ら明西高校ナイン最後の試合。

僕が投げた球を唯一打ち砕いた左のパワーヒッター、相手校・山城北高校の4番でファースト。それが、田丸敦盛。

「はい、もう御社一筋で。」

「ははっ、リップサービスはいいよぉ〜。はい、ありがとう」

 こんな形で再会するとは。人生とは、不可思議なものだ。

 田丸が僕の人生設計を邪魔していたのは、今に始まった話ではなかったらしい。

無論、勝負の世界。あのとき僕が負けて、田丸が勝った。その事実に、恨み辛み言うつもりはない。

「ありがとうございました」

「うん、次は赤嶺くんね。おっ君も野球をしていたのか。もしかしてどこかで会ったことあったりしてね。そんな偶然ないか、はっは」

 ただ、あの一球が僕を変え、田丸を変えた。その事実に身の震える思いがした。

僕は、なぜ今になって田丸と再会したのだろうと考える。ただの偶然と言ってしまえばそうだ。けれど、そこに意味を見出さずにはいられなかった。

「あのー、赤嶺くん?」

 これは神様が、いや君が僕にくれる最後のチャンスなのではなかろうか。

そう思いたかった。思い込みでもいい。

「……赤嶺くん、具合でも悪い?」

「……おーい、赤嶺くんどうしたの。」

 あの一球、あれから止まってしまった僕の時間。あれから動き出しただろう田丸の時間。それがここで交わる。

 4年経ってやっと、僕の止まった時間が動き始める。

「大丈夫です。いけます」



そんな予感。


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