第5話 夕刻に曇っていた空は、公演が終わると
夕刻に曇っていた空は、公演が終わると静かに霧雨を降らせた。
バックヤードに居るでしょうから会っていきませんか、とテルセラさんに勧められたけど、イェスタには会わずに帰る事にした。
テルセラさんが上着を頭に被せようとしたけど、私は基本的にフードのある服を着てる。
目深に被って、ドンヨリした気分が顔に出てしまってるのを隠した。イェスタの彼女に嫉妬するよりもまず、なんだか張りつめていたものがプツンと切れてしまったみたいだ。
不思議な事に、海の上にも雨が降るのだ。
海岸線を少し急ぎ足で帰りながら、そんな当たり前の事を奇妙に感じた。
どうせ降るなら乾いた地面にだけ降ればいいのに。どこにでも降る雨は節操がない。ずるい。
気を紛らわせたくて、なんの罪もない雨粒を意味もなく心の中で罵った。
帰りつくまで、頭のてっぺんから足の先まで濡れちゃったけど、頭を冷やしたかったから、丁度よかった。
遠慮がちなノックがした。
「どうぞ」
小さな声で返事をすると、蜂蜜みたいな毛色の獣人。
テルセラさんだ。
「失礼致します……具合はどうですか? 」
案の定、雨に降られて帰ったせいか、私は熱を出して寝込んでしまった。
仕事場にはテルセラさんに頼んで連絡してもらったから大丈夫だけど、頭がガンガンするし目のまわりが腫れぼったい。
「ありがとうございます……朝よりは少しマシかも」
「よかった。でも、まだ熱が続くようなら医者を呼びますね……スープをつくったので、どうぞ召し上がって下さい」
手近のテーブルに、コトリと木製の椀が置かれた。
こうみえて、色々と器用なテルセラさんの料理は美味しい。
「助かります」
「熱いですから。少しさめてからのほうがいいかもしれません」
……それは、テルセラさんが猫舌だからだと思ったけど黙っておく。
「そうそう。先ほどイェスタ様がいらっしゃいました」
「え……っ! 」
体を起こそうとして、フラついた。頭痛い。
「ああ! いけません急に起きては……」
「あああの、い、イェスタ……なんて言ってた? 」
「風邪を引いたみたいですと話しましたら……あの方は心配性ですから」
獣人の人は表情がわかりにくいけど、ちょっと笑ったみたいだ。柔らかく尻尾が揺れる。
「……感染ってはいけませんからと申し上げて、お帰り頂きましたよ」
「そう……ですか」
ヤツの事だ。会わせろとか、医者は呼んだのかとか、絶対、うるさく騒いだに違いない。
それを言いくるめてしまえるテルセラさんの技量が逆にすごい。
──まあ、会えなくて、ちょっとホッとしたけど残念なような。……って、まてまて! なんだ。私。まだ未練があるのか?
吹っ切って、気持ちを切り替えて頑張らなくては。
きっと、この世界でも生きてさえいれば、いい事もある……はず。多分。
「それに……」言いかけてテルセラさんが黙り込む。
テルセラさんは多分、昨日私がずぶ濡れなのをいいことにフードに隠れてベソベソ泣いてたのを知ってる。
ちょっといたたまれないというか。恥ずかしくて俯いた。
「……ハルカ様」
「えっ、な、ナンデスカ」
見上げると、テルセラさんの顔が。ちかい、近い! ちょっと! 近いよ!
あわあわしている私の額に、手が伸びた。
「ぅひゃ」
びっくりして変な声が出たよ。
毎日剣を振って鍛えてるから硬いかと思ったら、そんなことない。柔らかな温かい手だった。
汗で張り付いた前髪を掬った。
「まだ、熱がありそうですね。顔が赤いです」
石みたいに固まってる私に、テルセラさんは、ふ、と目だけで微笑んだ。
いい加減、本当に男性に免疫がないな。私。
「ああああのあのあの、ちょ、すみません、ええと……」
「ああ、申し訳ありません。長居をしました」
え。いや、その、そうじゃなくですね。
ひょい、と右手をとられて淑女にするように、手の甲にキスが落とされた。
完全にパニックになった。
今まで……そこまで、そんな態度をとってなかったでしょ!
どういうことでしょうか。……ととと、ときめくじゃありませんか!
ってか、私、イェスタがダメならテルセラさんでもいいかとか、思わなかったか? 今!
すげぇ節操ないぞ! 私!
「夕刻あたりにまた、食事と湯を持って参りましょう。……今日はゆっくりお休み下さい」
すっかり混乱した私に、そう言い置いて、フサフサの尻尾をなびかせて異界の獣人は立ち去った。
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