2-g
彼女の背後ではバスの乗降口が開いて、運転手がこちらをちらと確認した。
エリーは困ったような顔で、僕を見つめている。その口が「それを聞いて、どうするんですか?」と動けば、それで終わりだ。僕にはきっとどうすることもできないのだから。
しかしエリーは、ややあってから諦めたように細腕を持ち上げると、藤色のブラウスの袖を肘まで巻き上げた。
その下にもやはり、青紫に変色した痣があった。
エリーはそれを見せながら、小さく微笑んでみせる。
「これは勲章なんです」
「勲章?」
彼女はこくりと頷いた。その言葉の意味は、さっぱりわからない。
「わたしは兵士ですから。痣の一つや二つ、日常茶飯事です」
「意味が分からないよ。もしかして村八分ってやつ? それとも学校で虐められてるの?」
「違います。闘っているんです」
「嘘で誤魔化さないでよ」
「嘘じゃありません。本当のことです。わたしは兵士です、闘っているんです」
エリーは踵を返す。
これからバスに乗り込んでしまう、その表情はもう見えない。
「きっとわたしはもうそろそろ死んでしまいます。昔なら首を取られて討ち死にしているところですか。おどろおどろしいですね。でも、近代ならそうではありません。現代武力の前に、人は簡単に殺されます。だから怖いことなんてありません。……ただそれでも、わたしが怖いと思っていたのは、未練が残ることでした。それだけをこそわたしは恐れています」
エリーは運転手に一礼して、歩き出そうとする。
機関銃の掃射にも負けず、彼女を待つ鉄のかたまりに乗り込んで、僕の知らないどこかへと旅立ってしまおうとしているのだ。
その背中に声をかけようとして、けれど僕はこれ以上、何を言うこともできずに立ち尽くしていた。
「あなたに会えて、本当によかったです。先生。これで未練はありません」
エリーはバスに乗り込んで、そして。
僕の視界からいなくなってしまった。
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