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「元々、先生の小説を読んでいたのはお兄ちゃんなんですよ。あの人が先生とどのようにして運命的な出会いをしたのかはわかりませんが、わたしはお兄ちゃんに薦められて、読んでみて、先生にお会いしました。その時の作品は『瑠璃の鳥』です。わたしにとっては大切な作品です」

「……運命なんて、大げさだよ」

「そんなことありません。天文学的数値と天文学的数値が交差して、お兄ちゃんとわたしと瑠璃の鳥が弾き合ったのです。人間と読物だったからよかったものの、星と星なら大事件です。大げさだと言われても、わたしにとってはそのくらいの衝撃がありました」


 そう語る彼女の声はえらく興奮したものだった。そのせいで、膝の上で犬が驚いたようにしっぽを吃と立てていた。

 エリーは犬の頭を撫でて、驚かせたことを謝るように、その毛並みをまた整える。


 不意にその手が犬の毛並みからするりと落ちて、自分のスカートの布を直した。太腿まで上がってきていたことにようやく気がついたらしかった。


 僕が彼女の痣を見つけてしまったことにも、きっと気がついているだろう。


 じっと俯いてから、エリーはゆっくりと顔を上げた。

 そこで僕は、彼女と目が合ってしまった。


「……ええと、その、ごめんなさい。汚いものを見せました」


 消え入りそうな声をしていた。

 一瞬だけ交差し合っていた彼女の視線が、するりと何かに逃げる。僕もそれを追って顔を上げた。

 機関銃の掃射に乱反射して、二つの光線が猛スピードでこちらに走ってきている。

 初めこそ何事かと驚いたが、よくよく確認してみれば、その正体はバスのヘッドライトであった。

 顔の前に手をかざして、眩しさに目を細める。視界の隅で彼女がどんな表情をしていたのかは、光に塗り潰されて見えなかった。


「先生。ありがとうございました。あなたに会えて嬉しかったです」


 エリーが膝の上から犬を下ろす。屈んだ彼女の襟首から白い背中が覗いて、やはりそこにも、赤黒い蚯蚓腫れが幾つも見えた。

 濡れたアスファルトの上を滑るようにして、バスが停車する。

 エリーは身体を起こして、ベンチに置いていた文芸誌を胸に抱えた。


「ねえ、君」

「ごめんなさい。バスが来たから、行かないと、」

「そうだけど、でもちょっと待って。……その傷、どうしたの?」


 エリーは立ち止まって、僕を振り向いた。


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