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 はらりと揺れた少女の髪が金色に透き通っていること。僕を見上げた大きな瞳が薔薇のように赤いこと。雨の雫が伝って落ちる肌が病的に白いこと。

 異邦人の見た目をしている。日本人相手ではないから、もしかして日本語は通じなかっただろうか。通じてくれただろうか。やはり英語で話しかけた方がよかっただろうか。

 途端に不安になった僕は、差し出した手の行先にも戸惑うばかりだ。

 彼女も彼女で、突然に話しかけられたせいだろう。驚いたように瞳を丸くして、困ったように曇らせた顔のままで、それでも細い指先が僕の差し出したタオルケットに触れていた。


「どうもありがとう」


 にこりと微笑んで首を傾げる少女と、耳馴染みのある日本語の御礼。それは海を越えた異邦の地からやって来たとは思えない、流暢な発音だった。

 僕から受け取ったタオルケットを丁寧に四つ折りにして、僕の寄稿した作品の載っている雑誌を大切そうに拭いている少女を見ていると、何だか奇妙な感慨で、ついつい唇が開いてしまう。


「その雑誌、今日発売されたものだよね?」

「はい。よくご存知ですね」

「職業柄でね。でも僕の知る限り、それは発売日に売り切れるような雑誌でもないはずだよ。よりにもよってこんな雨の日に買いに出なくてもいいだろうに」

「いいえ、それは違います。手に入ればそれでいいとは思っていません」


 水気を取った皺くちゃの本をはらはらと捲って、こちらに見せつける。そこにある短編のタイトルはひどく見覚えのあるもので、共に刷られた名前もまたよく見知ったものだった。


「特別な作品は、大急ぎで読みたいんです」

「特別?」

「はい。わたし、伊藤幸日っていう先生の作品が、食べちゃいたいくらいに大好きなんです」


 どきりとした。しかし目敏く、彼女は僕の反応を見つける。


「今、どきりとしましたね。もしかしてあなたも知っていましたか?」

「……うん、まあね」


 彼女が手渡してくるタオルケットを突き返す。まだ金色の髪も、衣服も、濡れたままだった。

 雨をたっぷり吸いこんだ藤色のブラウスは少女の柔肌に張り付いていて、細い胸の肌色が透けて露わになっている。首筋に張り付いた濡れた金髪も、少女をより扇情的に映えさせる。

 けれど当の本人はというと、まるで意にも介した様子はない。恥じらいがないのだろうか?

 いいや、きっとそんなことも気にならないくらいに、よほど文芸誌を気にかけていたのだろう。

 僕は頬を掻きながら、曖昧に笑う。

 まるで告白をされた時のような、そんな気分だった。

 だったから僕も、ひとつ告白をする。


「はじめまして。ありがとう。僕は伊藤幸日っていうんだ。……ええと、君は?」


 

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