1-b
僕はバス停で雨宿りをする。
濡れたベンチを拭いて座っていると、駅を挟んだ角の方から、こちらに駆けてくる少女を見つけた。降りしきる雨にも負けず、傘も差さないで、胸に抱えた紙袋を大切そうに守りながら急いでいる。
少女はちらりと空を確認すると、駅の下を素通りして、そのままこちらまで向かってきた。雨が止む気配などなく、雨宿りしても無駄と判断したのだろう。突然の来訪者に、僕は慌ててベンチの端まで身をずらした。
こうして少女はバス停の屋根の下に駆け込んだ。強かな雨に打たれた躰を労うこともせず、大切そうに抱えていた紙袋をベンチの上に置く。横目に見たところ、傘も差さずに移動していたにしてはあまり濡れていない。あの様子なら中身もおそらく無事だろう、ただし紙物でなければ。
紙袋の中からおそるおそるの体で取り出された物は、しかし、一冊の文芸誌であった。
やんわりとふやけてしまったその表紙には見覚えがある。
文芸誌『文壇世界』。見間違えるはずもない。僕の寄稿した作品の載っている雑誌だった。表紙の左下には中くらいの文字で、「伊藤幸日」と印刷されている。僕の名前だ。本名だ。
学業の傍らで小説作家として活動しているが、ペンネームは決めていなかった。どうせすぐに辞めるものだとばかり思っていたのに、よく続いているものだと自分でも感心する。
僕の作品についての良い評判も、称賛も、編集担当者の口からしか聞いたことがないものだから、実感がないまま五年も経ってしまった。
それに僕が本当になりたいものは、小説作家ではなかった。本当に目指しているものはもっと別のところにあったから、この五年間はただの寄り道だ。
その時。――ギュッ、と布を絞る音が聞こえる。
続けて水の塊が土を打つような、隙間ない雨とは違う、湯呑をさかさまにした時のそれに近い音がした。
音の方向に目を向ける。屋根の下、雨に穿たれた地面と濡れていない地面の境界に立った少女がいる。
彼女は雨に打たれて色の変わってしまったロングスカートをたくし上げていて、その下ではつるりとした可愛らしい膝小僧が覗いていた。
彼女の両手はぎゅっとスカートの布地を握り締めていて、わなわなと震えている。どうやらスカートを絞っているようだ。
そうしてまた元の位置まで戻ってくると、ベンチの上に置いていた文芸誌を、絞ったばかりのスカートで拭こうとする。
なんと健気なことだろう。見ていられない。僕は珍しくも衝動的に、鞄から取り出したタオルケットを見ず知らずの少女へと差し出していた。
「ねえ、君。よかったらこれを……」
声をかけてから、僕ははっとして気付く。
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