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 刑事部長の執務室で、ギレリスとリュトヴィッツはコンドラシンにヴィシネフスキー事件の捜査方針について報告を行った。机をはさんで向かい合うギレリスとコンドラシンを横目で見やったリュトヴィッツは、ついに来るべきものが来たなという感慨しかなかった。

 まだこの街がレニングラードと呼ばれていたころ、ギレリスは支部の代表に選ばれて第22回共産党大会に出席し、演説の壇上で党からの離脱を宣言した。その後、コンドラシンをはじめ支部の刑事や職員の多くが、党を脱退した。

 モスクワは党の実行力を取り戻そうとしてパヴロフを送り込んだが、そのパヴロフはいまエリツィン派から旧共産党派として処罰される身に置かれていた。

 コンドラシンはリュトヴィッツに向かって言った。

「サーシャ、君をギレリスと組ませた理由は分かっているな?君がいま抱えている事件は全て棚上げにしても構わないが、このヴィシネフスキー事件は最優先にして取り組む。そういうことだ。なにしろ社会的な影響は大きいからな。それから・・・」

 今度はギレリスに視線を向けた。

「ゲオルギー・ベルマンと話したのだが」

「あのハゲタカ野郎」ギレリスが小声で吐き捨てた。

「気持ちは分かるが、彼の番組に出演して、今回の事件について話してもらいたい。情報を募るのだ。やり方は分かってるだろう。やつに主導権を握らせないようにしろ」

 ギレリスはむっつりした顔でうなずいた。

「死んだグルジア人については、何が分かった?」

「親父で先代のワージャと一緒で、スヴァネティ地方の出身です。山岳部のとても質素な場所ですが、住民は気性の激しいことで有名です。それは3か月前に殺されたやつの親父さんを思い出せば分かることです」

「トビリシの内務局は何と言ってる?」

「向こうの刑事部長と電話で話したんですが」リュトヴィッツは言った。「ご存知の通り、最近あちらの警察はあまり協力的じゃないものですから、オレグが故郷にいる間にどんな悪さをしていたかは、結局つかめませんでした」

 首を振りながら、悪態をつくようにコンドラシンが言った。

「グルジアの連中は互いを殺し合うので精一杯なのだろう」

「そのようですね。ペテルへ来てから、オレグは何度か捕まってますが、みみっちい事件ばかりで、いずれもだいぶ前の話です。その後、親父が作り上げた組織の若頭になったことはつかんでいたんですが、しょっ引くことはできませんでした。何人かの情報屋に当たってみたんですが、たいした話は聞けませんでした」

 ギレリスは火をつけたタバコを口にくわえたまま、話し続けた。

「まぁマフィアの仲間がオレグはヴィシネフスキーにネタを売りつけるつもりでいると考えたんでしょうね」

 コンドラシンは眉間に皺を寄せる。ギレリスの推理を検討しているようだった。

「少なくとも、誰かがそういう見方をさせようとしているのはたしかです」

 リュトヴィッツが付け加えた。

「そうでなければ、なぜ歯を撃つ必要があるのか?」ギレリスは言った。「もしかすると、これは単純な内部抗争で、ヴィシネフスキーはまずい時にまずい場所に居合わせただけかもしれない。どんな可能性でも、今のところ否定はできません」

「よくわかった、アレクセイ。だが、ここでいったんグルジア人の仕業ではないという仮定に立ってみろ。どういう線が考えられる?」

 ギレリスは新たな推理を始めた。

「まずはアブハズ人でしょうかね。しかし、組織がしっかりしているとは言いがたい。やつらの闇タクシーを摘発した時に、大々的に手入れをやりましたから。次に考えられるのが、チェチェン人。あのイスラム教徒たちほど、グルジア人を憎んでいる種族は他にありません。ことの次第では、新たなマフィア戦争がこれを期に始まるのかも・・・」

「そうならないことを祈ろう。しかし、チェチェン人がグルジア人を殺すのに大した理由はいらないにしても、ドミトリ・ヴィシネフスキーの命まで奪う必要があったのか」

 ギレリスは脇にはさんでいたファイルを開き、中から数枚の書類と写真を取り出した。

「ヴィシネフスキーに恨みを持つと思われる人物たちのファイルをざっと調べたところ、このチェチェン人が眼にとまりました」

 コンドラシンに写真を手渡す。

「スルタン・ドゥダロフという男です。5年ほど前、こいつはネヴァ河以北での売春をほとんど一手に取り仕切っていました」

 ギレリスのドゥダロフに関する話は次のようなものだった。当時はまだ組織犯罪課が存在しなかったにも関わらず、その内容はほとんど正確だった。

 ある時、マジシャンを自称したドゥダロフは女性アシスタント5人とハンガリーに渡航する許可を取った。この5人の女性はいずれも高級売春婦で、よく稼いだご褒美に旅行に連れて行ってもらえると思っていた。ところがブタペストに到着するなり、ドゥダロフはアパートを借りて女たちを働きに出させた。

 ハンガリーの男とは肌が合わないのか、売春婦たちは思ったほど利益を上げられなかった。2か月が経った頃、ドゥダロフは女たちとアパートをハンガリー・マフィアに譲渡してロシアに帰国した。ハンガリー・マフィアもやはり女たちの稼ぎに満足できず、全員をブカレストに連れて今度はルーマニア・マフィアに売り渡した。

 女たちはこつこつと旅費をためてペテルへ逃げ帰り、一部始終をヴィシネフスキーに話した。ヴィシネフスキーは「アガニョーク」に長い記事を書き、警察に訴えるように女たちを説得した。売春婦たちの動きを知ったドゥダロフは女の1人を誘拐し、拷問にかけて口を封じようとした。だがヴィシネフスキーは残る4人に証言させて、ドゥダロフを起訴に追い込んだ。

「ケダモノが勇気ある市民に屈したか」コンドラシンは写真を見ながら言った。

「やつに長い休暇を与えてやりましたよ。ペルミに10年」

「ラーゲリに入れられた恨みは人を殺す動機としては充分だな。刑期が10年だと、その男はまだ・・・」

「チェチェン人たちは非常に固い絆で結ばれてます。ドゥダロフの友人がヴィシネフスキーを殺したのかもしれません。ヴィシネフスキーにファンレターを書いたのも、仲間のチェチェン人かもしれません。私の見た限りでは、ヴィシネフスキーが受け取った嫌がらせの手紙の数はラスプーチンをもしのぎますよ」

「明るいほうに考えようではないか、アレクセイ。何もかも枯渇したこの国で我々には少なくとも容疑者不足に悩まされる不安はない」

 その日の夜、ギレリスとリュトヴィッツとスヴェトラーノフは大屋敷で気乗りしない残業をこなした。ヴィシネフスキーに送られたファンレターの山を3つに分けてギレリスの机を囲み、手紙を読む。時どきコーヒーとタバコ、保存食の乾パンを口に入れながら、悪辣な文面を全て眼に通したのだった。

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