第57話 図書館公演

「もう、大丈夫」


 朱里はひとしきり泣いた後、僕の胸の中で言った。

 涙にぬれた彼女の顔を、僕はポケットから出したハンカチで優しくふく。

 

 演劇部のみんながいるときは、あんなに頼もしくて大きく見えた朱里が、今は小さく見える。おそらく彼女は相当気を張って、そして自責の念を感じながら取り仕切っていたのだろう。


 そう思うと、彼女のことがたまらなく愛しくなって、僕は彼女の頭をなでる。


「ありがとう……」


 彼女は顔を赤くして、頭を下げる。

 しばらくの間そうしていたが、顔をあげる頃には彼女の赤面は収まっていた。


「授業、行こう」


 僕に部室から出るように促す朱里。

 僕はそれにおとなしく従った。


 それぞれの教室への道に分かれる手前、朱里が僕の方を振り返った。

 そして、何か僕に言おうとして口ごもる。


「どうしたの?」


 僕が尋ねると朱里は少しの間悩んでいたが、ついに僕に言ってくる。


「翡翠君に気を付けて」


 僕はその言葉の真意を一瞬計りかねるが、二次元病のせいでおかしなことにならないか注意しておいてあげて、という意味だと受け取り、うなずいた。


「わかりました」


「じゃあ、また、あとで」


「はい」


 僕と朱里はそう言って別れた。



 昼間の授業は、特にこれと言って特筆するようなことはなく、あっという間に放課後がやってくる。

 公演は午後4時半から、図書館ロビーで行われる。

 僕らは、図書館の中に控室のような場所をもらっていた。僕と翡翠、如月先輩はそこで着替え、女子勢は保健室を借りて着替えをする。着替えのついでに朱里と明石さんは、仲田さんの様子を見てくることに決まっていた。

 着替えを済ませた僕と翡翠、そして如月先輩は緊張した面持ちでそれぞれ椅子に座ってセリフの確認などを行う。

 女子部員が帰ってくるのが待ち遠しかった。なにより、僕らは仲田さんが心配でしょうがなかった。


「仲田先輩!」


 扉ががちゃりとあき、朱里と明石さんに付き添われた仲田さんが顔を出す。翡翠はそのそばに心配そうに駆け寄った。仲田さんの顔色はかなり良くなっていて、ぼーっとした熱っぽい雰囲気も取り払われている。


「心配かけてごめん」


 仲田さんが申し訳なさげに僕らに言ってくる。


「心配しました……でも、戻ってこれて本当によかったです」


 部員全員が彼女の元気そうな様子を見て笑顔を浮かべる。それを見ていると、僕の顔も自然とほころんだ。


 さあ、今度こそ、役者はそろった。

 僕らの初公演の始まりだ。


「いこう」


 朱里の掛け声とともに、僕らは控室を後にして、舞台へと向かう。

 スタッフ用の出入り口を通り抜け、舞台そでにスタンバイする。


 全員がそれぞれ、緊張した顔をしている。

 ちなみに朱里も、もしもの時のために舞台そでにスタンバイしていた。

 それだけで、部員の僕らはなんだか少し安心することが出来た。


「人、いっぱいいるな」


 舞台そでから観客席をのぞいて僕が言うと、隣の明石さんが僕の頭を軽く小突く。


「もうそんなこと言うと、緊張するでしょ。観客はかぼちゃ、かぼちゃ……」


 中学時代演劇部だったという彼女でも緊張するらしい。

 僕はなんだか、自分よりさらに緊張している彼女を見て、少し冷静になる。


「これより、図書館祭のメインイベント、本校演劇部によるオリジナル劇の公演です。皆さん、最後までお楽しみください」


 アナウンスが入り、窓にかけられている暗幕が閉められる。

 ロビーはほとんど真っ暗になっていた。


 静かな緊張が、場に走る。

 観客の期待がここまで伝わってくる。

 僕は、目を閉じると、ゆっくりと舞台の世界に漕ぎ出した。


 舞台上に現れた仲田さんに、スポットライトが当たる。


「一冊の本。その中には無限の世界が広がっている。あなたの目の前には、どんな世界が広がる?」


 仲田さんの言葉が場に浸透していく。

 雰囲気が、世界が構成されていく。


 観客全員が、小さく息を飲む。


 舞台という魔法の時間が始まった。

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